第十話 招かれざる「上客」たち
新宿の片隅にある、古びた寄席。
今日の目黒亭満腹の高座は、開演前から異様な空気に包まれていた。
客席は「満員御礼」には程遠い。それはいつものことなのだが、空気の重さが尋常ではないのだ。まるで、湿気を含んだ真綿を詰め込まれたような、息苦しいまでの圧迫感。
その中心にいるのは、客席のど真ん中に鎮座する、一人の男だった。
見た目はごく普通の背広姿。顔つきも穏やかで、一見すれば大企業の役員か、引退した名士のように見える。しかし、そこから放たれる気配は「威圧感」などという言葉では到底足りない。神々しいというか、「そこに座っているだけで世界が彼を中心に回っている」ような、畏れ多くて直視できない何かが渦巻いている。
他の客は本能的な恐怖を感じたのか、その男の周りだけをポッカリと空け、避けるように座っていた。
さらに、その斜め後ろ。
二人組の男が座っているが、こちらもまた別種の、刺すような威圧感を放っている。
一人は平凡な銀縁眼鏡をかけ、事務員のような格好をしているが、その視線は「刺す」を通り越して「突き抜ける」。どんな隠し事も、過去の罪過も、一瞬で見逃さないという冷徹な視線だ。
背広の男が、斜め後ろの男に小声で話しかけた。
「冥官よ。おぬしらも視察か?」
話しかけられた眼鏡の男は、表情一つ変えずに眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
「は。あの噺家の基本はここに始まるようですからな。彼が何を学び、どのような『業』を継いだのか……。冥界としても、一度見ておかねばと」
「ふむ。帝釈天様も仰せだった。『根っこを知らねば、花は愛でられぬ』とな」
二人の会話は周囲の人間には聞こえていないはずだが、その言葉が発せられるたび、寄席の照明がチカチカと明滅した。
一方、その一番隅の席には、昨日目黒亭に現れたあの美女が、静かに、そして凛とした佇まいで座っていた。
舞台袖。
幕の隙間から客席を覗いていたこんぺい太が、ガタガタと膝を震わせながら師匠に駆け寄った。
「し、師匠! 今日の客、絶対におかしいですよ!」
「わかってる、言われなくても肌で感じるわ! なんだ、あの真ん中の親父は……」
満腹は額に大粒の汗を浮かべていた。何十年も高座に上がってきたプロだが、あんな「笑わせる隙」が微塵もない客は初めてだ。
「師匠、見てください……隅にいるあの女! さっきの金吉とかいうやつの使いですよ!」
「ぬううう……! もしや、あの親父も、あの女も、みんなこんぺいの関係者か? あいつ、一体どんな連中と……」
出囃子が鳴る。
いつもなら自信満々に飛び出す満腹だったが、今日ばかりは足が鉛のように重い。
「……こんぺい太、俺は行くぞ。だがな、もし俺に何かあったら、あいつを連れ戻すどころか、俺の弔い合戦だと思ってくれ」
「師匠、縁起でもないこと言わないでください!」
満腹は震える手を隠すように羽織を整え、意を決して高座へと上がった。
そこには、人間界の秩序を根底から揺るがすような「上客」たちが、一人の前座見習いの師匠がどんなものかと、静かに、恐ろしく静かに待ち構えていた。




