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闇落語は笑わせる  作者: 原田広


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第一話 朽ちた社と奇妙なネタ帳

新宿から電車で一時間、さらにバスに揺られて三十分。前座見習いの「目黒亭 こんぺい」こと、目黒公平(20)は、師匠・目黒亭 満腹の無茶な命令で、誰も住まない山奥の古びた集落にある「古民家」の掃除に駆り出されていた。

「まったく、師匠もひどいよな。『お前、少しは人里離れて世間の垢を落としてこい』って。古民家じゃなくてただの廃墟じゃん!」

埃まみれの畳の上で、公平はくしゃみをした。今日のノルマは、集落の鎮守の森にある、特に朽ち果てた「月見神社」の清掃だ。

鳥居は傾き、注連縄は切れ、社の扉はかろうじて建っている。社殿の中に入ると、カビと湿気の匂いが鼻についた。

「うわぁ……何、これ」

掃除を始めようと奥の棚を動かした瞬間、崩れかかった壁の隙間から、古びた巻物が転がり落ちた。

公平はそれを拾い上げた。埃を払うと、分厚い和紙の表紙には、墨で力強く、だがどこか歪んだ文字でこう書かれていた。

「闇落語 伍拾席」

中を開くと、そこには普通の落語の演目とは似ても似つかない、奇妙な「ネタ」の数々が記されていた。

一席目:『手首の煮こごり』

二席目:『耳なし芳一のモッシュ』

三席目:『提灯お化けとSNS映え』

四席目:『河童の尻子玉デリバリー』

五席目:『座敷わらしのニート生活』

「なんだこれ? 病んでるのか? どんな噺だよ、『手首の煮こごり』って! 噺家志望の誰かのいたずらか?」

思わず笑ってしまった公平は、気まぐれに一番上にあった『手首の煮こごり』を読んでみた。

「……えーっと、『客「旦那、昨日の煮こごり、やけに塩気が強うござんしたな」 亭主「そうか? 今日はもっと手首、いや、手間ひまかけて作るよ」』……全然、わかんねぇ!」

頭を掻きながら、公平は巻物を畳の上に放り投げた。その時、外が急に暗くなった。夕方にしては変な暗さだ。

バキッ、と、社殿の裏の竹藪から大きな枝の折れるような音がした。

「誰かいるのか?」

公平がそちらを向くと、社の入り口に、背の高い影が立っていた。

「……誰じゃ、ここで騒いでおるのは」

威圧的な声と共に、影が近づいてくる。その姿を見て、公平は声も出なかった。

そこに立っていたのは、人間ではなかった。

顔は牛、体は人間、手には巨大な金棒。典型的な「牛鬼」の姿だ。

牛鬼は、公平が放り投げた「闇落語」の巻物を見つけると、ゴツゴツした指先でそれを拾い上げた。

「ほう。これは『闇落語 伍拾席』。まことに久しぶりじゃ」

牛鬼は、低い声で尋ねた。

「童。お主、この書の主か? ワシを笑わせてくれるのか?」

公平は、恐怖で口を開くこともできず、ただ震えることしかできなかった。落語家にとって、人を笑わせるのは至上命題だ。だが、相手が牛鬼では、命題どころか命取りだ。

「……あの、えーと、違います! 僕、ただの前座見習いで、師匠の古民家……いや、廃墟掃除に……」

牛鬼は公平の言葉を遮った。

「やかましい! 黙れ! 人間、お主のつまらぬ言い訳を聞きにきたのではない! ワシは今、生きることに退屈しておる。お主がその書を持っていたからには、ワシを、ワシら妖怪を、腹の底から笑わせるのがお主の役目じゃ! さあ、高座にあがれ!」

公平は、半泣きになりながら、立ち尽くした。

「高座なんて……ねぇよ!」

「あるわ!」

牛鬼が金棒で地面を叩くと、社の隅にあった木箱が跳ね上がり、ひっくり返って立派な黒塗りの高座に変わった。その周りには、いつの間にか座敷わらし、提灯お化け、一つ目小僧など、様々な妖怪たちが、静かに座って公平を見上げていた。

公平は逃げ出すこともできず、しぶしぶ高座に上がった。

「えー、じゃあ、あの、ごほん……『手首の煮こごり』、一席お付き合いください」

公平は先ほど巻物で読んだ、意味不明なネタを、棒読みで始めた。

「客『旦那、昨日の煮こごり、やけに塩気が強うござんしたな』……」

滑稽さの欠片もない、ただただ不気味で内容のない噺。

公平は頭の中で「終わった。こんなもんで笑うわけない。俺は食われる!」と絶望した。

……しかし、次の瞬間。

ドォォォォン!!

牛鬼が、金棒を手放して腹を抱え、地響きを立てて爆笑した。

「アッハッハッハッハッ! 愚か者めが! 手首! 手首とな! 煮こごりの中に手首を入れる人間が、どこにおるか! この世で最も人間離れしておるネタじゃ!」

牛鬼の笑い声に、他の妖怪たちも堰を切ったように笑い出した。

一つ目小僧は目から涙を流し、座敷わらしは転げ回り、提灯お化けは火の玉を派手に噴き上げた。

「わ、わかった! わかったぞ、人間!」牛鬼は涙を拭い、荒い息で言った。「ワシらが笑うのは、人間が恐ろしいと定義しているものじゃ! その闇落語は、人間社会の常識を逸脱しておる! その不気味さが、ワシらにとっては至高のコメディなのじゃ!」

公平は呆然とした。

「え……僕、食われないんですか?」

「食うわけなかろう! お主は、ワシらのアイドルじゃ!」

こうして、前座見習い・目黒亭こんぺいは、日本中の妖怪たちを笑わせる「闇落語家」として、数奇な運命を辿ることになるのだった。

「闇落語家」として、妖怪界の寵児となったこんぺいは、師匠の知らない間に、日本中を回る「闇巡業」を開始した。

『闇落語家・目黒亭こんぺい 妖怪御用達 全国巡業公演』

看板には大きく、そう墨書されている。もちろん、人間には見えない看板だ。

今日の会場は、鳥取の山奥にある「山彦やまびこホール」だ。正式名称は「旧・廃校の体育館」。

高座に上がると、目の前には数えきれないほどの妖怪たちがひしめいている。

「今日は、こんな山奥まで足を運んでいただき、本当にありがとうございます!」

人間への口上と同じように挨拶するが、客層は全く違う。

一列目には、百鬼夜行の統率者らしいぬらりひょんが、上品に座っている。二列目には、巨大な大入道が、頭を体育館の天井にぶつけながら笑っている。最前列の隅には、小豆を研ぐ音がうるさい小豆洗いがいる。

「さて、本日のネタは、師匠の真面目なネタ帳からパクって……いや、アレンジした『時そば』の改作、『時そばならぬ、『時うどん』を、一席」

(コホン)

「……そば屋の屋台でうどんをすすっている侍、ひと箸すすると、『旦那、今、何刻でぇ?』 侍『ん? 四つだ』。そこで侍は、うどんの代金から四文をごまかした!」

公平は、ドヤ顔でオチを言った。人間相手なら「粋なごまかし」で笑いが取れるはずだ。

……会場は、シン、と静まり返った。

ぬらりひょんは、優雅に茶を啜っている。大入道は首を傾げている。小豆洗いは、ただひたすらに小豆を研いでいる。

「……え、あの? 四文ごまかしたんですよ?」公平は戸惑った。

すると、最前列の提灯お化けが、フワフワと浮き上がり、公平に耳打ちした。

「こんぺい様。四文など、あまりに小粒すぎて、わしらの恐怖の琴線に触れません。せめて、江戸城の財宝を全額ネコババした、くらいでなければ」

「いや、それ、噺のスケールがでかすぎるだろ!」

公平は頭を抱えた。そう、妖怪が笑うのは「人間の常識から逸脱した、理不尽で、非道徳的で、規模の大きい恐怖」。

四文のごまかしなんて、妖怪にとってはどうでもいい「日常」なのだ。

公平はネタ帳をめくり、緊急で「闇落語」に切り替えた。

「失礼しました! 改めます! 今日は、本場の闇落語『座敷わらしのニート生活』を、お付き合い願います!」

(座敷わらし「母ちゃん、俺もう働かない! ニートになる! 一生この家から一歩も出ない!」 母「あら、いいわよ。ただし、お前がニートになった瞬間、この家は廃墟になり、家族全員、路頭に迷うけどね」

座敷わらし「……」

母「さあ、思う存分、世の中に迷惑をかけなさい! それが最高の親孝行よ!」)

オチが決まった瞬間、待ってました!とばかりに、体育館全体が振動した。

「ワハハハハハ!! 最高じゃ!!!」

大入道は頭で天井を突き破り、歓喜の奇声をあげた。ぬらりひょんは、普段の優雅さを捨てて、畳を叩いて大爆笑している。小豆洗いは、小豆を撒き散らしながら「ニートは恐ろしい!」と涙目だ。

「この、他人の不幸の上に成り立つニヒリズム!」

「世間への迷惑こそが喜び!」

妖怪たちは、人間社会の最も暗い部分をネタにした噺に、熱狂的な喝采を送った。

高座の上で、公平は内心ため息をついた。

(ちくしょう……俺は、「人間社会の暗黒面」をネタにしないと、笑いが取れないのか……)

「こんぺい様! サインを!」

「尻子玉を差し上げます!」

「来月も、是非、人間を最も絶望させる噺をお願いします!」

妖怪たちの熱狂的な声援に包まれながら、公平は困惑し、そして少しだけ、誇らしくもなっていた。

「……えー、本日は、誠にご来場ありがとうございました! 来月は、『ブラック企業で働く河童』を、お送りします!」

日本の裏側で、前座見習い・目黒亭こんぺいの、妖怪アイドルとしての奇妙な巡業は、まだまだ続くのだった。


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