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走りだしたら止まらない

それから何日が過ぎただろう…

うだるような暑さの8月中旬。

学生たちは夏休み真っ只中だ。

「あの子」はしばらく水族館に来ていない。


そういえば最近、自分の身だしなみを気にするようになった。

何日かに一度しか剃らなかったヒゲを毎日剃ってみたり、しばらく整えてなかった眉毛を整えたり。

仕事中は制汗スプレーもマメにした。

「あの子」がいつ来てもいいように…

「あの子」から少しでも良く見て欲しくて、ホコリの被った自分を磨いた。


会えない日々がそうさせたのか、心の中に渦巻いていたモヤモヤは、既にぼやけたモノではなく「恋」というハッキリ形あるモノになっていたのだ。

「恋」というを燃料を心に満たした俺という列車は、過去の事なんて忘れて目的地を目指して真っ直ぐ走っていた。

目的地はもちろん「交際」だ。

自分のメールアドレスを書いた名刺を財布に入れて持ち歩くようになったのもこの頃で、仕事中に少し話すぐらいでは満足できなくなっていた。

次に会った時に渡そうと思ってからというもの「あの子」に会いたいという想いは日増しに強くなっていたが、夏休みのせいか、なかなかその時は訪れなかった。


「あの子」は学校の帰り道にあるこの水族館に、暇つぶしに寄ってくれていただけなのか…?

もう二度とここへ来てくれなかったらどうしよう…。


そんな事を考えながら更に数日が過ぎたある日、最後に会ってからひと月半くらい経った頃だろうか。

いつものように屋外プールのアシカに餌をやっていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あの子」だ。

来た!

やっと来た。


今日は友達と二人だ。

見つけた瞬間、鼓動が一気に高まるのを感じた。

今日は今までとは違う。

今日こそアドレスを書いた名刺を渡すんだ!

俺は財布からサッと名刺を出し、いつでも渡せるようにポケットに忍ばせた。

そしていつものように…いや、かなり緊張しながら声をかけた。

声がマスオさんの如く裏返っていたかもしれない。


「…い、いらっしゃい、こんにちわ」


「こんにちわ♪暑いですね」


これだ。

この笑顔だ。

この笑顔に俺はやられている。


そして行動に出た。

「あのこれ、俺の名刺なんだけど…アドレス書いてあるから、暇な時にでもメールして」

そう言って差し出す。


「あ…はい、ありがとうございます。後でメールしますね♪」

笑顔でそう言って名刺を軽く見た後、制服のポケットに入れ、一緒に来ていた友達となにやらコソコソ話しながら「あの子」は帰っていった。


やっと渡せた…。

俺は一大プロジェクトを終えたような爽快な気分、そして治まらぬ鼓動を胸に仕事に戻った。

名刺を渡した時の反応は思ったより悪くなかったから、例え社交事例的なメールだとしても送ってくれる可能性は高いだろう。


よし。後はメールを待つだけだ。

いつメールが入っても気付くように、着信音量を最大にセットした。

しかし、こんな時に限って友達からやけにメールが届く。

メールの着信音が鳴る度に「もしかして…!」と期待している自分がちょっぴり可愛く思えた。




恋か…。


やっぱ恋っていいな。


人間、いつ何時も恋してなくちゃ。




仕事が終わり帰路に向かう山道の夕日が、この日はやけに眩しかった。






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