嘘
肩を落として黙ったままの康弘に麻衣は
「正直に話すね…」
と言って話はじめた。
数日前、男3人、女3人でこのアパートで鍋をしたという。
でも決してやましい事はしてない…と続けた。
それを聞いて康弘は携帯電話をポケットから取り出し、その鍋をしていたという日の、そうであろう時間帯の麻衣からの受信メールを見た。
「何してる?」というメールに対する返信は
「英語の勉強してたところだよ。眠いからお先に寝まーす。おやすみね」
だった。
「嘘のメール……か……」
康弘の中の麻衣に対する「信じる気持」は崩れ去り、男数人と女数人だろうが、やましい事はしてなかろうが、どうでもよかった。
嘘のメールを送ってきた事、認めたにせよタバコの箱について初めに嘘をついた事…
それが何よりもショックだった。
そして不安ながらも信じてメールを待っていた自分がバカみたいに思えた。
「麻衣は平気で嘘つくんだね」
悲しくて苦しくて、どうしようもなくなった康弘はそう言ってアパートを出た。
麻衣は座ったまま突っ伏して泣き崩れ、康弘を追うことはなかった。
帰り道、康弘は泣いた。
別れなくて本当によかったと思えるほどにまで復活していた二人の仲が、まさかこんなに早くダメになるなんて。
信頼関係が崩れた今、遠距離恋愛が続けられると思えない。
小さな嘘が胸に突き刺さって、その傷がジワジワと膿み、いつまでも痛む傷になるのは嫌だ。
今までに麻衣はどれだけの嘘を重ねたのだろう?
全てが疑わしく思えてしまう。
「これから先、何を信じろっていうんだ。今までだって不安や孤独を感じてた。
でもこれからはもっと不安に襲われる。
そんな遠距離恋愛、俺には無理だ」
康弘は携帯電話を手に取り、投げやりにメールを送った。
そして麻衣の返事を待つ事なく電源をOFFにした。
通いなれた道がやけに長く感じる。
会いに行く道の2時間半はまるで瞬間移動したんじゃ…と思うほどあっという間だったのに。
気の持ちようひとつで時間の感覚さえ狂ってしまう。
人間って単純だ…と感じながら、なんとか家まで戻った。
家に帰ると眠気に襲われ、半ばフテ寝のように康弘は頭から布団を被りベッドで丸まった。
3時間ほど寝ただろうか。
まどろみながらも電源を切ったままの携帯電話を思い出し、電源を入れてみた。
帰り道にメールを送り、電源を切った直後に返信が来ていたようだ。
メールの画面を開くと、そこには麻衣からの短いメールが表示された。
「そうだね。傷つけてごめんなさい」
康弘はメールを読むと、返事をする事なく再び携帯電話の電源を切った。
そしてまた頭から布団を被り、寝てしまおうと思った。
目を閉じると、麻衣との楽しい思い出が無数に浮かぶ。
初めて言葉を交わした時の麻衣の顔。
制服を着た麻衣が車の助手席で笑っている姿。
アパートで晩御飯を作ってくれた事。
飽きる事なく抱き合った幸せな時間。
隣県に鼻歌混じりで車を走らせる自分。
記憶というカタチとなった麻衣の顔が、麻衣の声が、麻衣の体温が、布団の中で丸まる康弘の身体を駆け巡った。
一年と少しの付き合いの中に、こんなにたくさん楽しい思い出があったんだな…としみじみ思った。
しかし次の瞬間、タバコの箱について嘘の説明をする麻衣の顔が頭に浮かんだ。
スローモーションで何度も何度も、繰り返し脳内再生される。
たくさんの温かく幸せな思い出たちが、たったひとつの氷のような思い出によって、瞬時にフリーズさせられた。
まるで釘を刺されたように胸がキリキリと痛む。
胸が痛むのは、好きだから。
胸の痛みが耐え難いならば、嫌いになればいい。
でもどうすれば嫌いになれるのか?
わからない。
苦しい。
麻衣はどう思ってるんだろう。
俺の事を、小さな嘘にも目を瞑れない心の狭いヤツだと思っているだろうか?
落ち込む俺を見て何を思っただろう。
わからない。
苦しい。
考え出せば寝るに寝れず、康弘は布団を跳ねのけ、携帯電話の電話を再び入れた。
麻衣からのメールは入っていなかった。おそらく電話もかかっていないだろう。
時間は夜の10時。
康弘は何かを決心したかのように起き上がり、出かける準備を始めた。




