鉄の棒の決意
お互い腹に色々な想いを抱え、それからひと月が過ぎた頃…
康弘は自分の気持ちを伝えよう、麻衣との関係をハッキリさせよう、と麻衣の住む隣の県に車を走らせた。
片道2時間半の道中は形容し難い気分だった。
好きな人に別れを告げに行くのだから無理もない。
アパートに着いて久し振りに見た麻衣の顔はうっすらと化粧がされていて、地元にいた頃より少し大人びていた。
話し方も少し変わったように感じる。
自分の知らない所で日々変化しながら生活をしているであろう麻衣を見て、嬉しいような寂しいような、何とも言えない気持ちになった。
そして本題に入る。
「麻衣。俺たち別れたほうがいいと思う」
そう言った康弘に麻衣は返した。
「そうだね。だって…
だって、康弘は結婚してるんだもんね。私、水族館のホームページのスタッフ紹介見たんだ…」
「………… 」
康弘は言葉が出なかった。
いつかは知られるだろうから言わなくてはと思っていた事だったにせよ、今言われるとは思ってもみなかった。
しかし、康弘はあまり嘘をついている実感は無かった。
確かに過去に結婚はしていた。
でも今は離婚して何の後腐れも無いし、麻衣に告白した時には既に独り身だったのだ。
当時や今の気持ちに嘘も無ければ、後ろめたい事もない。
麻衣と出会った時にはもう気持ちの切り替えはできていた。だからこそ向き合えた。
康弘は、数年前に立ち上げたホームページのスタッフ紹介が離婚後に書き換えられる事なくそのままだった事を説明した。
「それは…うん、事実だよ。
でも現在進行形じゃなくて過去形なんだけどね。
今は独り身だし、それに対して何もやましい事はないよ。
自分の中で終わった事とはいえ、隠しててゴメンね」
「そっか…そうだったんだね」
と力なく言った麻衣に目をやると、大粒の涙をこぼしていた。
ホームページを見てから今日まで、いろんな事を考えて辛かったのだろう。
そんな麻衣を見て、康弘は隠していた事を後悔した。
しかし気持ちは変わらない。
「大学生ってすごい大変だし、同時にすごく楽しい時期でもあると思う。
そんな環境で、もし同じ大学生が麻衣の彼氏なら、楽しさが倍にも3倍にもなると思う。
俺じゃ常に近くにいてあげる事もできないし、それどころか束縛やヤキモチで麻衣の自由を奪う事になる。だから…」
「そんな事ない!」
言葉を遮るように麻衣は言った。
「私、康弘が結婚してるなら別れようって最近ずっと思ってた。
でもそれが過去の話なら…
私は今も康弘が好きだし、住んでる場所が遠く離れてても、心の距離まで離れたくない。
私は別れたくないよ」
康弘は麻衣の強い想いを感じた。
貫くと決めたからには言ってはいけない言葉が…口に出してはいけない言葉が、今にも口から出そうになる。
そんな想いを知ってか知らずか、麻衣は康弘をジッと見つめて言った。
「康弘は…
麻衣の事嫌いになったの?」
もうダメだ。我慢できない。
「嫌いになったりしてないよ。好きだよ。
好きで好きで大切に思うからこそ、10歳以上歳の離れた自分を負い目に感じる。
負い目を感じてるからこそ、そんな奴が邪魔しちゃいけないって思うんだ。
こんな心配症でヤキモチ妬きな俺と遠距離で付き合ってる以上、麻衣は友達との時間だとか犠牲にしなきゃいけない事が沢山ある。それじゃ、せっかくの大学生活が…。
今も昔と変わらず麻衣が好きだよ。
好きだから心苦しい…」
別れを決意したのに、本心であろうと「好き」だなんて言ってはいけない。
その言葉が口から出た途端に悩んで出した答えが揺らいでしまう。
麻衣からの別れたくないという言葉も手伝って、康弘が「鉄の棒」だと自分に言い聞かせていた決意が、まるで「うどん」のように軟化してしまった。
硬かったはずの決意が軟化すれば、やっぱり別れたくないという気持ちが込み上げてくる。
康弘は意志の弱い男だ。
そこに麻衣がダメ押しのように言った。
「麻衣は康弘がいいんだよ。お互いに好きなのに別れるなんておかしいよ」
………。
「俺はヤキモチも妬くし、麻衣を困らせるかもしれない。
会いたいって言われても、すぐに会いに来れないかもしれない。
それでも…
そんな俺でもいいの?」
それを聞いた麻衣はニコッと笑って頷いた。
康弘はもはや自分の気持ちに嘘をつけなくなっていた。
別れ話なんてほんとはしたくないのだから。
「わかった、ありがとう。
俺、頑張るよ」
そう言って抱き寄せてしまったのだった。
そしてお互いは我慢していたものをぶつけ合うように唇を重ねた。
強く抱きしめ合い、何度も何度も…寂しかった今日までの時間を埋めるようにキスをした。
帰路につく康弘の心は軽かった。
車で2時間半の道のりなんて、会いたい気持ちがあれば苦にならない。
山を越え谷を越え、クネクネした道を鼻歌混じりで走る。
そして気付けば叫んでいた。
「麻衣、大好きだぁー!」




