『恋なんてしなければよかった』──俺は君に全身全霊で愛していると伝えたい
数ある中からお話を選んでいただきありがとうございます!
『恋なんてしなければよかった』
そう伝えてくるのは、誰?
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マリベル・サンクレールは男爵令嬢。
目の前の彼は幼馴染であり婚約者。
トマス・アルマンドは男爵子息。
小さい頃から「マリベルはトマス様のお嫁さんになるのかしら」と両親は朗らかに笑っていた。
「なりませーん。王子以外はお断りです」と答えた私は、顔も知らぬ王子に夢を託していた。
王子の顔は知らないのに。
けれど隣で笑うトマスに、自然と懐いていった。
刺繍は苦手だった。
母から「玉止めは初めの一回でいいのよ」と優しく諭されても、糸の塊を作ってしまう。
お母様、私は玉止めをし忘れたのですのよ。
それよりも、私は針より剣の方が好きですわ──そう思ったとき、ふと耳に響く。
『その身に変えても、お守りいたします』
⋯⋯一体、誰の声?
そして私が大好きだったのは書庫室。
難しそうな辞典を開いて、ページの早めくりに挑戦する毎日。
父に褒められて、嬉しく思った私はページの早めくりを極めようと、毎日、切磋琢磨するのです。
やがて、あっという間にデビュタントの日を迎えてしまいました。
「知らない人にはついて行っちゃ駄目だよ」
馬車の中で真剣にそう言ったトマスは、幼馴染から心配性な保護者になっていた。
そして馬車が着くと、大きな扉から豪華絢爛のエントランスホールへ向かうのでした。
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「うーん」
さっきから唸ってばかりの私。
デビュタントでは堂々とした立ち振る舞いを報告すると両親からほめられた。
しかし、あの日までずっと王子のことを気にしていたはずなのに、会ってみると凪のごとく心が動かない。
『はぁ、とうとう王子に会う日が来てしまったのね』
──悲しそうな声、あなたは誰なの?
そのあとも見目麗しい公爵子息や、逞しい身体つきが魅力的な伯爵子息。
それに機知に富んだ会話が大変面白かった男爵子息もいたのに──。
「私の心臓には毛が生えちゃったのかしら」
恋愛小説にある胸の高鳴りは一度も訪れなかった。
「分からないことがあれば、どんどん調べなさい」と言う父の言葉を実行する私。
書庫室で、積み上がった本を上から手にとって、物語を追っていく。
「この王子とやらは、魔法使いなのかしら」
いくつか読んでみると、不思議な現象を目の当たりにする。
「キスをして、死体を蘇らせるネクロマンサーに、こっちは永遠の眠りから現世に呼び戻しているわ」
すごいお話だと、“一目惚れ”という、会った瞬間に心臓を仕留めるお話もある。
書庫にこもって恋物語を読み漁っても、心臓は無風のまま。
社交行事では、無事にスナイパーに胸を仕留められることもなく終了。
何度かお会いした方とは、また会いたいと言われても、心を忙しくすることもなかった。
そんな日常が続く中、トマスも社交界では売れ残っていると耳にして、驚いた。
こんなに良識があって、海のように広い心を持っているトマス様に、恋をする令嬢が一人もいないなんて⋯⋯。
他の令嬢も心臓の毛がボーボーなのかもしれない。
「全然、相手が決まらないんだ。マリベルに相手が見つからなかったら、俺のところに来てくれるかい?」
「いいわよ。恋なんてちっとも来ないんだもの」
売れ残ったら、さあ大変。
そしてすぐにマリベルとトマスは婚約した。周りも「やっぱりね」という顔。
トマスの住む屋敷へ遊びに行った日、眠れなくなったので夜に書庫室へとお邪魔する。
その夜に見つけたのは、彼のご先祖様の秘密の話。
いつかの夫人の秘めたる想いや別の人の平民の青年への恋。それに隣接する領地に住む男女の叶わぬ恋。
それを見つけた日から熱心に彼のいる屋敷のゲストルームに泊まりまくる日々が始まった。
「昨日はよく眠れたかい?」
そう言って覗き込んできたトマスに、冷や汗が止まらない私。
「えぇ、それはとっても! ⋯⋯おほほ」
昨日は寝ていないなんて言えなかった。
あのお話が面白すぎて、絶対に読むと固く決めたのだ。読みきれなくてもう一泊したいくらいに感じていた。
最近、すべてが上手くいってますわね。
その屈託のない笑顔にまた心を焦がし、トマスは彼女と過ごした日々を思い出した──。
『君のそばにいられるのなら、それでいい』
トマスは何百回も何千回も心の中で思っていた。
前世からずっと──。
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アリア・コスティオール。第一王女。
そして彼──護衛騎士クラウド・ゼンブランド。
幼少の頃から寄り添い、愛し合った二人。
だが戦争に敗れ、アリアを隣国へ差し出すことが決まった。
友好関係のために、第五王子の側室として。
これには王も眉間に皺を寄せた。
しかも、すでに十三人もの側室がいると聞く。
苦しそうな顔をするクラウドに、アリアは自分の気持ちを投影する。
第五王子にひとりの人として、愛されることはないことを分かっていた。
それにクラウドと別れることになる。
アリアはクラウドの胸にしがみつくと、顔を埋めて咽び泣いた。
『こんなことになるなんて、恋なんて知らなければよかった』
苦しそうなアリアの声に、その言葉がクラウドの耳にずっと残っていた。
そしてクラウドは王に敵国に行く決意を伝えた。
王はクラウドの気迫に押され敵国に使者を送った。
そして、「敵国から“ある条件”を飲めば、王女の側にいられる」と伝えられた。
それを聞いた王は必死で止めた。だが、クラウドは頑なに首を横に振らない。
“子を持てぬ”身体となる契約。
なんとしてでもアリアの傍にいるために。
条件をのんだクラウドはこの秘密をアリアに告げず、墓場まで持っていこうと決めた。
そして二人はそれぞれの思いを胸に敵国へと赴いた。
だが、アリアは病で早逝した。
なんと短い時間だったのだろう。
クラウドは腹の底から空気を震わせて叫んだ。この身をいくら焦がしても収まらない。
拳に血を滲ませても、涙を流しても彼女は戻ってこない。
安らかに消えていくアリアを光も通さぬ黒い眼で見つめていた。
見届けたクラウドは後を追い、小刀で自分の胸を貫いた。
「次こそは、君の幸せを──」
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再び出会った彼女は、マリベルと名を変えていた。
見た目は違っても、中身はあのアリア。
いつも向けてくれたこちらを想う笑顔がないのは少しさみしく思ったが、隣にいられるならそれでよかった。
笑って「トマスさまのお嫁さんにはなりませーん」と言った瞬間、前世の絶望が胸を刺した。
それでも彼女のそばにいられるだけで心が満たされた。
幼少の頃、友人たちが感情に任せて彼女に求婚しても、正直に「王子以外はお断り」と斬り捨てていた。
内心は生きた心地がせず、呼吸も忘れるくらいだった。
学園に入ると、その美しさから視線を向ける人は何人もいたが、マリベルはバッサリ。
「私って、なぜかもてないのかしら」
なぜ、本人は気付いていないのだろう。
マリベルにその気がないと分かったので、無理に自分の気持ちを伝えることはしなかった。
だが、心の中で、ずっと待ち続けた。
社交界デビューをすると、たくさんの貴族子息たちが彼女に注目した。
中には熱心にアピールしてお茶にも誘っている人もいた。
それを見て、内心はいつも大型台風で被害を被り続ける街のように、復興してはなぎ倒されて、復興しては吹き飛ばされた。
それでも近くにいて、マリベルの幸せになる道を一緒に探したいと思っていた。
そして、マリベルの口から婚約の提案が出たとき、トマスは決意した。
──今度こそ守り抜く、と。
予想外にも、彼女は書庫室に通い始めたのだ。
こっそりトマスの男爵家について本を探しては読んでいく。
最初に部屋を出ていった日は、声をかけようと思った。そのままついていくと彼女はすっと書庫室へと入っていった。
そしてしばらくいろんな本を眺めた後、男爵家の歴史について顔がつくほど前のめりになって本を読み始めたのだ。
それ以降、お茶会の席などでさりげなくサポートをしてくれるようになった。
それはトマスの知識を超えて、誰も知らない男爵家の過去まで知っている。それから隣接する領地について。
マリベルはどこまで知っているのだろうか。
嬉しくなるとともに、疲れの見える顔でも笑顔を振りまく彼女のことが心配になった。
このままでは倒れてしまう。何か手を打たなければ。
マリベルは混乱しながら、マッサージを受ける部屋へと押し込まれるところを必死で抵抗している。
「あ、あのトマス様、これは一体どういうことでしょうか?」
「無理をしては、絶対に駄目だよ」
彼女は両手でドアを掴み、部屋に入るのを抵抗している。
「でも私、こんな時間はありません。あのマッサージなら受けますから、書庫室に行かせてください」
「そういうところだよ。君は俺の役に立とうと夜な夜な本を読み漁っていることは知っているんだ。君の身体が心配なんだよ」
「ちっ違います! ⋯⋯あ⋯⋯それは私のため、なんですのよ⋯⋯おほほ」
「⋯⋯おほほ、とはぐらかすのが何よりの証拠だよ。書庫室の利用を禁止しようか?」
「あぅ⋯⋯トマス様⋯⋯」
マリベルは抵抗も虚しく部屋の中へと連行された。
書庫室へは昼間だけと決まり、そのうち、すっかり元気を取り戻して肌艶も良くなった。
トマスがお茶会でいくら見つめても、ソファで間合いを詰めても、甘やかしても、薔薇の花束を渡しても動揺を見せることはなかった。
その度にマリベルは元気よく「私は健康だけが取り柄なので」と笑顔を返していた。
この時、決意は大いに揺らいでいた。
彼女の幸せを一番に考えてきたはずなのに、トマスだけが頭を抱える。
彼女の屈託のない笑顔。
たとえ彼女に恋心が芽生えなくても、マリベルのそれも魅力の一つだと分かっていた。
それでも⋯⋯。
「マリベル、君のことを愛している」
「⋯⋯トマスさま、私にはその感覚が分からないのです」
マリベルは言葉を探しているのかトマスから目を離したが、見つからなかったのだろう。
「私⋯⋯おかしいのかしら⋯⋯こんなに良くしてもらっているのに、胸の高鳴りも、胸を鷲掴みにされる苦しさも、一度もないのです」
「俺では⋯⋯駄目なのか」
今回も⋯⋯彼女の隣にいるだけ⋯⋯か。
その時、マリベルはトマスにぶつかるほど近づいた。
「トマスさまはとても大事です! それだけは誤解しないでください!」
トマスは動けなかった。
すると、マリベルは彼の身体に腕を回した。それを受けたトマスもぎこちなく腕を回す。
頬を赤くし、心臓が高く何度も跳ね始めた。
それはトマスだけ。
口づけの許可にマリベルは小さく頷いた。
二人の唇はゆっくりと近づいていく。
そこへ吐息が、お互いの唇にかかる。
「あっ!!」
彼女から声が上がる。
普段の彼女とは違う反応に、一握の希望をもった。
戻ってきてくれ、アリア
彼女の動揺に嬉しさと気恥ずかしさが入り混じる。
それでも拒絶はない。
彼は恋焦がれた彼女の唇にそっと触れた。
彼女の身体から大きな鼓動が伝わってくる。
自分と同じように身体を上下させている。
顔をそっと離すと涙を浮かべた彼女の姿。
「⋯⋯⋯⋯アリア⋯⋯」
下を向き、しゃがみこんだ彼女。
「⋯⋯ゥ⋯⋯ド⋯⋯」
そのまま肩を小刻みに揺らして嗚咽を漏らし始める。
「⋯⋯本当、に⋯⋯?」
そのまま、床に顔をつきそうになるほど頭を下げている。
それは長い、長い、時間に思えた。
「また、あなたに会えたのね」
懐かしい笑顔が久しぶりに向けられる。
彼はこの瞬間を待っていたはずなのに、言葉が出なかった。
思い焦がれた瞬間。
「クラウド⋯⋯いえ、トマス⋯⋯さま」
「アリア⋯⋯いや、マリベル。トマス、と呼んで」
二人は名前を呼び合うと、手をそっと握る。
そして、そっと口づけをした。
彼女の頬を伝った涙でしょっぱい涙。
それだけじゃない。
彼の頬を流れ出る熱いもの。
その溢れる想いはどんどん、堰き止められることなく流れ出た。
この人生で涙で頬を濡らしたのは初めてだった。
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しばらくすると、二人は満面の笑みで結婚式を挙げた。
一緒にいられるだけで幸せな毎日。
それは庭園を散歩している時も、その芝生でマフィンを食べた時も。
何をしても、二人では初めてのことで毎日が記念日になった。
二人の熱は、祝辞よりも日常で証明され、周囲はただ微笑んだ。
トマスはマリベルから身籠ったことを聞かされた。
長いこと下を向いて、なんとかその言葉を飲み込もうとした。
実感が湧かない。
前世では、騎士として感情をそこに出すべきではないと言われていたので、人前で涙することは一度しかなかった。
それなのに、この後、トマスは涙ばかりの人生になることを予想していなかった。
マリベルが不調の時は、枕やぬいぐるみを抱えて部屋に駆け込んできた。
ようやく赤子と対面と言う時に、マリベルの手を握ることしかできず、悔し涙を流すと「まだ、泣くのは早いですよ」と助産師に優しく言われた。
目の前で、ありったけの力を振り絞って泣いている、その小さな生命。
それを見たマリベルも泣いた。
二人の天使は無事に地上に舞い降りたのだった。
前世では手を伸ばせば届くほど近くにいながら、『不可触』の存在だった。
二人の子だなんて夢のまた夢。
とうの昔に置いてきた願いだった。
この瞬間、“子を持てぬ身の俺”は過去系になった。
汗でびっしょりのマリベルは憔悴していたが、それでも顔には笑顔が浮かんでいた。
「マリベル、本当に本当にありがとう」
「あなたが私の手をずっと握っていてくれたおかげよ」
トマスの心には熱いものがこみ上げ、喉をきつく締め上げた。
言葉は出ず、指先だけが震えた。胸の奥で、長い時間が音を立ててほどけた。
最愛の存在を腕の中にそっと抱きとめた。
一緒にいられるだけでも幸せだった。
一緒にいると選択をするだけのために、“男としての尊厳”を取られて、その、すべてを失った。
──あの人生とは、もう、違う。
どんなに願っても、生まれるはずのなかった天使が、今世では、目の前ですやすやと眠っている。
トマスの中には感謝の言葉でいっぱいになり、それを伝える術はもうなかった。
目の前のマリベルの頬に優しく口づけるしか出来なかった。
マリベルの役に立ちたくて、乳母と我が子の抱っこを争った。
そして続く眠れぬ日々。
とうとうマリベルの方から「無理をしては、絶対に駄目ですよ」と怖い顔をされたので、すごすごと部屋に帰った。
それでも、無理を押し通して、子どもを抱きながらあやす。寝られない日もたくさんあった。
熱を出して大変な日もたくさんあった。
前世を考えたら⋯⋯もう両足を地につけられる。
今では当たり前となった日常は、それでも特別な意味を成す。
初めて我が子が起き上がった日。
立ち上がった日。
一歩、歩み始めた日。
父と呼んでくれた日。
抱きついて『大好き』だと伝えてくれた日。
『いつもありがとう』と伝えてくれた日。
そのすべての一日を無駄にしないよう胸に刻むことで忙しかった。
幸せな日々というのはそういう日常なのではないか。
子が親の手から離れ、人生のパートナーとともに離れていっても、終わりではない。
こうして新しい宝物と一緒に帰ってくる日もある。
歳を重ねても「万年新婚」と周りからも言われるほど、二人は愛を伝え続けた。
周りや家族からもその二人の仲の良さを祝福されていた。
そんなトマスは子どもたちに『目の前にあるものを大事にしなさい』と言い続けてきた。
彼の目の前にはマリベルがいたので、皆は笑い合った。
この順風満帆に見える長い道のりは、決して平坦ではなかった。
笑い合う日だけじゃない。
お互いの行き違いもあった。
意見を言い合う日もあった。
怒って、
悲しんで、
笑って、
喜んで──。
前の人生にはなかったあらゆる感情が溢れている。
「あなたに恋をして良かった」
どくん、心臓が跳ねた。
喉が熱く、言葉が出ない。
彼女の言葉に前世のクラウドも今のトマスも心が優しく救われる。
願っても得られなかった、そのかけがえのない日々に毎日、胸を大きく動かしている。
「トマス、いつもありがとう。そして愛しているわ」
満たされる幸せの隣にはいつも君がいてくれた。
それを君にどうやったら伝えられるのだろうか。
この人生で欠かすことのできない想いを、毎日、胸に抱いてきた。
それを余すことなく、目の前の彼女に伝えたい。
「マリベル、君を全身全霊で愛している」
『恋なんてしなければよかった』──俺は君に全身全霊で愛していると伝えたい(完)
お読みいただきありがとうございました。
稚拙な文章でしたが、楽しんでいただければ幸いです。
いつものことではありますが、誤字脱字がありましたら、ぜひご連絡お願いいたします!




