第二話 日本孤立と戦争の足音
2026年、春。
東京の空には、ほとんど雲がなかった。
しかし、その青さの奥には、不穏な影が漂っていた。
「……まるで嵐の前の静けさ、だな」
スガワラは霞が関を歩きながら、呟いた。
混乱を巻き起こした参民党政権のもと、国会前では連日の抗議活動が続いていた。
だが警察は見て見ぬふりを決め込み、メディアも報じない。むしろ政権寄りの報道が増えていた。
「減税したのに、なぜ生活は苦しくなる一方なのか?」
街頭インタビューに、年配の女性が震える声で答えていた。
参民党は「弱者の味方」「国民に寄り添う政治」を掲げ、大幅な減税を断行した。
それにより庶民の財布は一時的に潤ったが、国家財政は急激に冷え込み、そのツケは、じわじわと国民を締め上げていった。
そして、外交。
新任の外務大臣は、各国との調整に奔走していたが、アメリカとの関係は目に見えて悪化していた。
米・トリンプ政権下のホワイトハウスは、参民党の独善的な内政方針に対し、次第に“見捨てる”姿勢を強めていった。
6月、米国との共同軍事演習が突如中止。
続いて、在日米軍の一部撤退計画が報じられる。
「日米同盟の見直し」が公式文書に記載されたのは、この年の8月のことだった。
「……終わりが近いな」
そう呟いたのは、シノザキだった。
シノザキは、霞が関の中枢ネットワークに詳しい元同僚から極秘ファイルを入手した。
そこには、政府が水面下で進めていた“国防予算の削減”と、“有事指導権の地方自治体への委譲”が明記されていた。
「日本政府は、有事に備える気がない。むしろ……準備を放棄している」
その年、世界もまた、大きく揺れていた。
ロシアはついにウクライナ全土を掌握。
キーウが陥落し、ウクライナ大統領は亡命。
国際社会は激しく非難したが、ロシアは「新たな平和の始まり」と宣言し、国内ではプーリン大統領を讃える記念碑が建てられていた。
スガワラはその映像を、シノザキと一緒にテレビ越しに見ていた。
子供たちが、プーリン大統領の肖像画に花を手向け、涙を流している。
「……洗脳か」
「いや、これが現実だ。勝った側には正義がついてくる。今はもう、それだけの世界になりつつある」
一方の中国では、大規模な政変が話題をさらっていた。
長らく独裁を続けてきた謝半平国家主席が、暗殺された。表向きには心不全による急死と発表されたが、誰一人として信じるものは居なかった。
後を継いだのは、人民解放軍出身の将軍、雷震河。
この男は就任直後に宣言した。
「中国は新たな時代を迎える。力ある者が支配する時代だ。台湾は中国の一部であり、我々はそれを取り戻す」
雷の言葉は実行に移され、台湾は抵抗する間もなく陥落。
それと同時に、中国は北朝鮮との包括的軍事同盟を締結し、朝鮮半島南部に向けて軍を動かし始めた。
韓国では国民総動員令が発令され、再び朝鮮戦争の悪夢が蘇った。
アメリカはこの動きに激しく反応した。
国連を通じて「中国の侵略行為」を非難し、韓国への軍事支援を明言。
だが、中国と北朝鮮の連携は想像以上に強固で、朝鮮半島は燃え上がる寸前だった。
「日本が“何もしない”という選択をしている間に、世界は火の海になる」
そう言ったのは、サエコだった。
普段は控えめで、声を荒らげることのない彼女が、拳を握りしめながら言った。
「私は……子どもたちの手を、血で汚したくない。でも……黙って殺されるのも、違う」
スガワラはその横顔を見て、小さく頷いた。
彼女の静かな怒りの中に、覚悟の火が灯っていた。
その夜、スガワラはひとり地下の射撃場に向かい、手入れの行き届いていない旧型の89式小銃を手に取った。
まだ使える。まだ……戦える。
この時点では、まだ日本は戦場ではなかった。
だが、次に焼け野原になるのがこの国であることを、彼はすでに確信していた。




