第一話 日本没落
※この物語はフィクションです。
作中に登場する国名・組織・人物・歴史的事件などは一部に実在のものを含みますが、実際の国・団体・個人とは一切関係ありません。
特定の思想や信条を肯定・否定する意図はなく、あくまで物語の演出として描かれています。
ーーー真冬の空の下、日本には、雪にも似た灰が降っていた。
「投票、行った?」
昼下がりの喫茶店で、サエコはそう尋ねてきた。彼女は陸上自衛隊衛生科所属で、スガワラの同期。
スガワラは苦く笑いながら、ぬるくなったアイスコーヒーをすすった。
「行った。意味あるかは知らんがな」
2025年、春。
戦後最大の政変。民自党政権の崩壊。
半世紀近く続いた民自党政権は、度重なる裏金問題や増税、富裕層への優遇、格差の拡大、それらにより国民の怒りが爆発し、今日を境に瓦解した。
衆院選、参院選共に投票率は、なんと75%を超えた。
新たに政権を握ったのは新興勢力「参民党」。
「日本人ファースト」「自立外交」「減税による成長再起動」キャッチーなスローガンと、選挙に無関心な若者に向けたSNSを駆使した戦略で支持を集めた。
だが、スガワラの胸に芽生えたのは期待ではなく、ざらつく不安だった。
「正直、演説はうまい。でもあれは政治じゃない。芝居だ」
自衛官として現場で泥をかぶってきたスガワラには、国家という巨大な機構がそう簡単に変わらないことを肌で知っていた。
そして同時に、未熟な指導者が国家をどれほど脆くするかも。
──その不安は、想像以上の速さで現実になっていく。
「経済対策? やってますよ! 減税です!」
就任早々、会見で満面の笑みを浮かべて答えた新総理。
だが現場には混乱しかなかった。消費税の急な引き下げ、住民税や所得税の減税、国家予算の再配分における混迷。
国民が待ち望んだ“成長”は、もたらされるどころか遠ざかっていった。
円は下落し始め、株式市場は混乱し、失業率がじわじわと上昇。
それでも政府は「長期視点が必要」と強気な姿勢を崩さず、対外的な信用も急激に失われていった。
外交も同様だった。
これまでの民自党内閣とは無縁の刷新された新内閣で、経験不足の新外務大臣は米国との交渉に失敗し、防衛費見直しを迫られたが、調整できずに協議は決裂。
「自立した日本」を掲げた結果、同盟国アメリカとの関係が冷却化。
その隙を、中露は見逃さなかった。
ロシアはウクライナ戦線で大規模攻勢を開始。
同時に中国では奇妙な粛清が起こり、国家の中枢に緊張が走った。
スガワラはその報せをテレビで見ながら、ふと、妻、ミサキの肩を抱いた。
「……この国、持つかな」
ミサキのその問いに、スガワラは何も答えなかった。
2025年、秋。東京都心ではデモが連日発生していた。
年金制度の崩壊危機、食品価格の高騰、住宅ローン破綻、企業の連鎖倒産。
夜の新宿。
駅前で抗議演説をしていた男性が、警察官に取り囲まれ、あっけなく連行されるのをスガワラは目撃した。
──これが、民主国家の末路か。
都内の自衛隊駐屯地でも異変が起きていた。
「再編」と称した人員整理。武器の調達凍結。米軍との共同演習の縮小。
“何か”が削られ、“何か”が見えない圧力として浸透してきていた。
隊員同士の間では密かに囁かれていた。
「いよいよ、だな……」
スガワラは自分の任務を淡々とこなす傍らで、家族と過ごす時間を何よりも大事にしていた。
愛する妻・ミサキと、生まれたばかりの娘・リカ。
だがその平穏も、この国と共に静かに崩れ始めていた。
年の瀬。
ある夜、同期であるシノザキから一本の電話が入った。シノザキは中央情報隊分析官。中央情報隊で通信傍受や対外情報の分析に従事していた。
「……スガワラ、お前、今の政府に忠誠を誓えるか?」
唐突な問いだった。
しかし、スガワラは答えるのに時間はかからなかった。
「もう、誓えないな」
「なら、動け。今から準備しとけ。国は落ちる。間違いなくな」
電話の向こう、シノザキの声はやけに静かだった。
この時、スガワラはまだ知らない。
これが”平和大国”日本の終わりの始まりである事を。




