彼女の正体は
気が付くと見慣れない場所に立っていた。
草原の中に色とりどりの花が咲き乱れ、赤い実を付けた木々に小鳥が止まってついばんでいた。近くを流れる小川からせせらぎが聞こえる。空はどこまでも青く、時折吹く風が肌を心地よくかすめた。
一度も訪れた事はないが、どこか懐かしい雰囲気を感じた。新鮮な空気と長閑な風景が広がっている。田舎町の祖父母の家に来たようなのんびり加減だった。
「何だか落ち着く場所だな」
順平は辺りを見渡して大きく息を吸った。
この所、仕事が忙しく心休まるヒマなどなかった。両手を伸ばして息を吸うなど何年ぶりだろう。積もりに積もった心の垢が削げ落ちていくようだった。
どこまでも続く青い空をしばらく眺めていると、小川の対岸から黒づくめの女が歩み寄って来た。
「あっ!」
「あーあ。こんな所まで来ちゃったわね」
占い師は、順平の顔を見るなりタメ息を付いた。
「まったく。何のためにブレスをあげたのよ」
「お前は何者なんだ」
「今更何言ってるの?」
「何者だって聞いてるんだよ」
「あんたって、本当に不器用なのね」
さらに深く息を吐き出した。
「願いが叶うブレスは本物よ。あんたの場合、使い方を間違えたのよねぇ~」
「使い方って……」
「彼女が欲しいとか、お金持ちになりたいとかで良くない?」
「願い事は3つまでだろ。「君に会いたい」と願っただけで、まだ1つ目だぞ」
「はぁ~、疲れる。これだから人間ってイヤなのよ」
「何がだよ」
「言葉を発するだけが願い事。そう思っている時点でダメね」
「は?」
「心の中さえ本人の望みな訳よ」
「……言っている意味が分からないのだが」
「まったく!」
半ばあきれ顔で話し始めた。
「言葉だけが全てではないのよ。頭の中で想像した事。心に浮かんだ事。思い描いた全ての事柄が現実であり、自分自身が作り上げた世界なの。自己中ババァに抱いた憎悪や、ヤンキーに湧き上がった怒り。それに反応して浮かんだ考えも、あんた自信の願い事なのよねぇ~」
「という事は?」
「あんたの願いは全部叶ったって事」
「……マジ?」
「良かったわね」
「……」
言わんとする事は分かるが、微妙に納得がいかなかった。「占い師に会いたい」は願いである。だが他の2つは単なる感情で願いではない。
不服そうにする順平に何かを感じ取ったのだろう。
「感情さえ本人の意思だからねぇ~」
「……」
占い師はそう言って笑った。
心を読まれても驚きはなかった。現状から推測するに、彼女が人間ではないのは明らかだった。
「そんな事より、ここはどこなんだ?」
「狭間かな」
「狭間? どこの?」
「あの世とこの世の」
「はぁぁ? どういう事だ」
「端的に言うと黄泉の国」
「はい?」
「人間的に言えば三途の川ね」
「冗談は顔だけにしておけよ」
「し、失礼しちゃうわね」
瞬間的に脳が混乱して言葉の意味が理解出来なかった。
三途の川を渡ると戻れなくなる。奪衣婆が居て、六文銭を渡さなければ衣服をはぎ取られる。誰もが恐れる地獄の入口。そんなイメージだったが、ここは天国のお花畑のように落ち着く。
いきなり三途の川と言われ、誰が信用するのだろう。
「もうちょっとマシなウソをつけよ」
「ウソじゃないわよ」
「三途の川って地獄への入口だろ」
「天国にも通じてるわよ」
「それに、この川って死人が渡る所だろう」
「そうね」
「俺、生きてるぞ」
「……ウフッ」
怪しげな笑みを浮かべた占い師は、順平の頭に手をかざした。
その瞬間、全ての事柄がフラッシュバックした。
誕生から学生時代。友人と海で遊んだ。彼女とキスをした。フラれた。仕事でミスをして怒鳴られた。気分転換にバイクで風を切った。
楽しかった思い出、辛かった出来事。今回の一連の騒動まで。今までの人生が走馬灯のように過った。
これが死ぬ間際に見る夢……。
その後、母親が棺桶の前で泣き崩れ、妹が母の背中をさすりながら大粒の涙を見せていた。横で拳を握りしめ、歯を食いしばって耐えている父親がいた。祭壇に飾られた遺影は、紛れもなく順平だった。
「……俺、死んだのか?」
「そうよ」
「なぜ?」
「私を呼んだから」
「お、お前は何者なんだよ」
「さっきから馬鹿の一つ覚えね。そんなのどうでもいいじゃない」
「どうでもいい事あるか。お前のせいだろうがっ!」
「出た出た。何でも人のせい。都合が悪くなると必ずそう言うのよねぇ。人間ってホント自分勝手だわ」
「お前に会わなければ、こんな事にならなかったんだよっ!」
「会うのも運命だとしたら?」
「……」
「いい? よく聞きなさいよ」
占い師はまくし立てるように言った。
「自分の運命は自分で決めているの。良い事も悪い事も含めて、全ては望みのままで思い通りの人生を送っているのよ。要は、生きている間中、願いは常に叶っているって訳よ。
調子に乗ってケガをした。ケガの痛みを知る事によって調子に乗った自分を反省する。反省したいが為にケガする事を望んだ。だから望みは叶っている。分かる、言っている意味?」
屁理屈的な感じは否めないが、自分が決めた運命に従って行動しているという点では納得いく。
「塞翁が馬って訳か」
「禍福は糾える縄の如しよ」
「言葉遊びをしたい訳じゃないんだが?」
「少しは理解したみたいね」
「という事は、俺は望んで死んだと」
「う~ん。その辺は……ね」
奥歯にモノが挟まったような言い方をした。
それにしても不思議な感覚だった。順平の想像では、死は悲しく切ないと思っていた。意識はなくなり存在自体が消え去るモノだと思っていた。
だが実際の所、意識はハッキリしている。自分が誰なのかも理解している。生きている時と何ら変わりない状態だった。
「肉体と魂は別だから」
「健康的な死人……か?」
「キャハハハ。あんた面白いわね」
「この後、俺はどうなるんだ?」
「あんたわねぇ~」
占い師は手に持っていた黒い巾着袋をブンブン振り回した。
途端に視界がぼやけ、再び真っ暗闇を落ちて行く感覚を覚えた。
気が付くと、いつもの商店街に立っていた。
目の前には黒づくめの占い師が座っていた。占いに関しては当たるも八卦当たらぬも八卦だと思っている。
順平は「深夜のお仕事ご苦労様です」的に会釈して通り過ぎようとした。
すると、どこからともなく声がした。
「通常なら3つの願いが叶った時点で終了よ。あんたの場合、私を呼ぶという暴挙に出たでしょ。あまりにも意外だったから対処法に困ったわよ。
ほとんどの人は自分の欲望に従って願いを言うのに、あんたは疑問を解決するためにブレスを使った。それは前代未聞の出来事よ。
自己中ババァやヤンキー小僧の使い方は褒められたものじゃないけど、憎しみの解消に使用する人もいるから許容範囲ね。だって、あんたら人間だもんねぇ~。
まあ、今回は特別サービスって事で復活させてあげる。感謝しなさいよ。次に会う時を楽しみにしてるわ。その時は手土産の1つでも持ってきなさいよねぇ~」
それは心の奥に響く感覚で聞こえてきた。驚いて振り向くと、占い師は不敵な笑いをしていた。
たった今、目の前を通りすがっただけなのに、自分の事をよく知っているような口ぶりだった。
「お前、何者だ」
「相変わらず馬鹿の一つ覚えね」
そう言って立ち上がると、黒い巾着袋を振り回して闇へ消えて行った。
振り回した巾着から「ギャァァーー」という魂の阿鼻叫喚が響き渡っていた。
世の中不思議な事があるものだ。
順平は首を傾げながら千鳥足で自宅へ帰った。
【完】