怪しげなブレス
土曜日。
カーテンの隙間から元気いっぱいの光が差し込んでいた。携帯で時間を確認すると既に11時を回っていた。
今日から三連休という事もあり調子に乗って飲み過ぎたようだ。体は重く、頭全体がズキズキする。テーブルの上に350ミリのビール缶が半分以上残って置かれているのを見ると、記憶は無いが追加酒をしたらしい。
「そりゃ頭痛いわな」
ベッドから上半身だけを起こし、ビールと一緒に並べられていたお茶を手に取った。伸ばした左手首には麻紐がしっかり結わえられていた。
順平としては、このまま酒のせいにしたかった。しかし、左手首が現実を物語っている以上、どうやら夢では済まされそうにない。
温くなったお茶を一口飲み、心を落ち着かせて思い返してみた。
黒づくめの占い師に出会い、自分以外に知りえない情報をピタリと当てられた。心を見透かされたような口ぶりだった。噓か実か、夢が叶うブレスレットを装着された。彼女が闇に消えた際、空中を滑るように居なくなった。
考えれば考えるほど不思議な出来事である。
乾いた喉を再び潤し、改めて手首を見た。どこにでも売ってそうな麻紐だった。手触りも付け心地もごく普通。これが夢のアイテムだとは到底信じがたい。
当然、外す事も考えた。ただその時「これを使って幸せになってね」という言葉が脳裏をよぎった。
占いは八卦。魔法はゲームの中だけ。頭では理解しているが、心の影の部分が何かを欲しているように揺れ動いている。
願いが叶う謎のブレス。もしそれが本当だとすると……そう思うと外すのを躊躇する。
「まあ、邪魔になるモノじゃないし、見た目もそこそこカッコいいしな。試してみてからでも遅くはないかな」
未知なる恐怖より欲望が勝つのは人間の性である。己の欲深さに蓋をし、気を取り直してコンビニへ向かった。
土曜日の昼過ぎ。店内は同じような独身貴族で割と混雑していた。
二日酔いには最適のウコン。ナポリタンにサラダ。食後のおやつにプリンとメロンパン。中年体系の気休め、黒ウーロン茶をカゴに放り込んで列の後ろへ並んだ。
店員が慣れた手つきで前列の2~3人を捌き、順平の番が回って来た時だった。
年の頃なら47~48歳くらいだろうか。髪をひっつめた小太りの中年女性が割り込んできた。順平を先頭に、並んでいる全員が「え?」という顔で女性を見た。彼女は悪びれる様子もなく、さも当たり前のようにレジ前へ立った。
こんな場面に遭遇すると、忠告していいのか判断に迷う所である。下手に触って事を荒立てるのも大人気ない。かといって放置も気分が悪い。これが列の後ろなら「何だよ!」で済むが、先頭にいるのは順平で一番の被害者も順平である。後ろからのプレッシャーも凄い。
「すいません。並んでるんですが」
意を決して忠告した。唐突に注意された女性は驚いた表情で振り返った。声の主が順平である事を確認すると、鬼のような形相で文句を言ってきた。
「あんた何言ってるの。レジが空いてるんだから会計して何が悪いのよ」
「空いてるんじゃなく順番待ちしてるんですよ」
「そんなの知らないわよ」
「知らないって……」
「私はあんたみたいなヒマ人じゃないの」
「それは関係ありません。列に並んで下さい」
「うるさいわね。私が何をしようと勝手でしょ。あんたみたいな若造に文句を言われる筋合いはないわよ」
「おばさん。状況把握出来ます?」
その言葉にカチンときたのだろう。
「バカが正義ぶって調子に乗るんじゃないよ。レジは早い者勝ち。これが世間の常識でしょうがっ! あんた目付いてるの? どんな教育を受けたらそんな図々しい考え方になるのよ。親の顔が観て見たいわ!」
顔を真っ赤にさせ、口に泡をためながら馬路雑言を浴びせて来た。
このコンビニは三台あるレジに向かって真ん中通路を一直線に並ぶルールだった。スーパーのように自分で好きなレジを選んで並ぶスタイルとは異なっている。
知らないが故の過ちだとしても、周りの状況を見れば一目瞭然である。素直に「すいません」で並び直せば済む話。わざわざ親まで持ち出して罵倒するような案件ではない。
「とにかく列はここなんですから、ルールは守ってください」
至極全うな事を言ったつもりだった。だが、怒り狂った彼女の脳に言葉は通じなかった。先ほどよりも大声を出して暴れ始めた。
店員も周りの客も女性が悪いのは明らかに分かっていた。しかし、巻き込まれるのが面倒なのと、用を済ませてさっさと帰りたい気持ちがあるのか、迷惑そうな顔をしている。彼女が手に持っているのはお茶1本。たかだかそのために事を荒立てる必要もなかろう。そんな雰囲気が充満していた。
未だ怒りが収まらない女性は非を認めず、自分だけのルールを振りかざし、ようやく店を出て行った。
「何ですかね。あのババァの態度は!」
「よくある事です」
「いつも来るんですか?」
「毎回クレームを付けてくる人です」
「毎回ですか?」
「少しでも気に入らないと怒り出すババァですよ」
「そうなんですか」
「関わり合いにならない方がいいですよ」
「店員さんも大変ですね」
「まあ、慣れてますから」
「頑張ってください」
達観した店員に労いの言葉をかけてコンビニを後にした。
朝っぱらから気分が悪かった。思い出しただけではらわたが煮えくり返る。
Myルールでしか物事を捉えられない輩。いい年をして、その事にも気付かないのは哀れである。
最寄りの地下鉄駅を横目に自宅へ帰る途中、
「クソババァ。転んで大怪我でもすればいい!」
心の中で呟いた。
すると、手首の麻紐が黄金色に輝いた。一瞬「ん?」と思った順平だったが、弁当を持っていたのと、発した光が僅か1秒程度だったため確認は取れなかった。
「気のせいか」
さして気にも留めず駅を通り過ぎて自宅へ帰った。
ブレスが淡い光を放った直後、地下鉄駅の奥底から「ギャァァーー」という女性の悲痛な叫び声が轟いていた。