得体の知れない占い師
金曜日の夜。
目まぐるしい一週間も今日で終わり、晴れて自由の身になった順平は、自宅付近の商店街を千鳥足で歩いていた。
明日から三連休である。通常の週末に比べ、休みが一日多いだけでテンションが上がる。街も人も浮かれ気分だった。
順平も同様で、仕事が終わったと同時に会社の同僚たちと飲みに出かけた。
18時に始まった飲み会は何度も場所を変え、締めのラーメンで余計な一杯を酌み交わした頃には終電ギリギリだった。
「おい藤堂。もうヤバいぞ」
「だな。そろそろ帰るか」
「じゃあ、また休み明けな」
「おう。お疲れ」
同僚に別れを告げ、慌てて電車に飛び乗った。
連休前の終電に空席はない。皆ここぞとばかりに羽目を外している。赤ら顔からグデングデンまで。大切な何かを支えるために頑張った一週間の終わりは、くたびれ果ててはいるが、みな笑顔だった。
肩が触れ合う最終電車は、安らぎの布団に辿り着く前の最後の難関である。前後左右に揺れる体をつり革一本で支えるという曲芸を披露しつつ、駅を降りた頃には深夜1時を回っていた。
普段は地元住民で賑わう商店街だが、さすがにこの時間は人気がない。たまに野良猫が横切るくらいで、酔っぱらった足音だけが変則的に響き渡っていた。
「飲み過ぎたかな」
額に手を当て、おぼつかない足取りで商店街を抜けようとした時だった。
「お兄さん。ちょっといい?」
「え?」
唐突に声を掛けられた。手慣れた道で明かりが灯っているとはいえ、真夜中の静まり返った場所での声掛けは心臓に悪い。しかも背中越しは怖さ倍増である。
予期せぬ問いかけに体をビクンと反応させた順平は、ゆっくりと声のする方を振り返った。
小さなテーブルを広げ、簡易のイスに座ってこちらを見ている人物がいた。
その出で立ちが妙に不気味だった。黒いパーカーに黒いマスク。ブラックデニムにスニーカーまで全身黒づくめ。フードを深めに被っていて肌の色すらよく見えなかった。唯一確認出来るのはフードとマスクの隙間から見える目元だけで、その他は闇に溶け込んでいた。
感じた事のない不安を覚えたが、ここは冷静な判断が必須である。先ほどの声質から女性であると思われ、深夜の商店街でテーブルを広げているという事から占い師だと推測する。
占いに関して順平の信用度はかなり低い。当たるも八卦当たらぬも八卦だと思っている。不確定要素に一喜一憂するのはバカバカしい話で、それによって人生を決めるのも解せない行動である。占いが未来を変える訳ではない。
黒づくめの怪しげな女性+占い=関わり合いにならない方が無難。
酔っぱらった頭でなるべく冷静さを装い、「深夜のお仕事ご苦労様です」的に会釈して通り過ぎた。
「当たるも八卦かぁ~。まあ、そうかも知れないわね」
「なっ……」
順平はギョッとして占い師を見た。何気なく思い浮かんだ言葉を指摘された。偶然とは思えないほど絶妙なタイミングである。
「なぜ当たった! 的な顔をしてるわね」
「いや……」
「隠してもダメよ。私は心が読めるんだから」
「な、何だお前は!」
フードの下に隠れた怪しげな目は、微動だにする事無く順平を捉えている。心の中を覗かれているような鋭い眼光だった。その眼を見ただけで体が硬直する。
「ど、どうせデタラメだろ」
「あれ、信用しない?」
「当たり前だ。初対面の奴の話を信用出来るかよ」
「じゃあ、もう少し私の実力見せちゃおうかなぁ~」
占い師はそう言うと、フッ~っと呼吸と整えた。
「名前は藤堂順平。現在35歳かぁ。職業は医療関係の営業。趣味はバイクね」
「なっ……」
「独身で、しかも彼女無しかぁ~」
「……う、うるさい」
「性格は案外真面目なのね。でも不器用ってねぇ~」
「……」
「給与は手取りで……安っ!」
「大きなお世話だ」
全てがピタリと当てはまっていた。
性格は真面目だが不器用なため、仕事をこなすのが人より遅かった。同期は出世街道をひた走っている。そして給料は安い。
恋愛に関しても同じである。不器用が災いしているのか、未だ彼女が現れる形跡はなかった。
当てずっぽうにしては内容が細か過ぎる。
身近によくある悩み事を提示し、相手の心を掴む手法が占い師の一般的な手口である。順平もそう思っていた。だが彼女は何も見ていない。水晶的な道具も筮竹も使っていない。顔をジーっと眺め自信ありげに言い当てた。
ここまで完璧な的中率は異常である。
「どう、私の凄さ分かった?」
「お、お前は何者なんだ!」
「うーん。それはナイショ」
体からアルコール成分が抜け、心地よい酔いが一気に覚めた。
たった今、道すがらに出会った見ず知らずの他人である。そんな赤の他人が名前や職業まで知っている。この状況に恐怖を感じない奴などいるだろうか。
心臓が不規則な動きを繰り返した。奥底から溢れる得体の知れない恐怖に怯えた順平は、その場から逃げようとした。しかし、まるで金縛りに遭ったように力が入らず一歩たりとも動けなかった。
「まあまあ、そう怖がらないで」
「た、頼むから勘弁してくれ」
「落ち着きなさいって」
「い、命だけは」
「ふーん」
命乞いを聞いた占い師は、声のトーンを少し上げた。
「そんなあなたに朗報です」
ニコッと笑うと、麻で編まれたブレスレットを差し出してきた。
「な、何だこれは」
「願いが叶うブレスよ」
「はぁ?」
途端に拍子抜けした。それと同時に金縛りも解けた。
適当な事を言い、まず相手を信じさせる所から始める。次に恐怖を煽って冷静な判断を狂わせる。心に不安と動揺が広がった時、それを克服するスペシャルアイテムが登場する。そして手元に残るのは、役に立たない品物と法外な請求書……。
完全な商業カルトの手口である。
「どう?」
「どう?って、世の中にそんな都合のいい物があってたまるか!」
相手の素性が分からない時は誰でも不安になる。目的と実態さえ把握出来れば怖さはなくなる。
こういう場合、弱気な態度は相手の優越感を助長させる。イニシアティブを握られたら、さらに状況は悪化するだろう。怒鳴るでも怒るでもなく、強い姿勢を貫くのが鉄則である。
「その品物を法外な値段で売りつけるために呼び止めたのか」
「はい?」
「どんなトリックを使ったか知らないが、金縛りまでして」
「金縛り? そんなのしてないわよ」
「お前らの手口はお見通しだ。誰が騙されるか!」
「……あんた、頭大丈夫?」
相手を睨みつけ、足早に立ち去ろうとした。占い師は順平の背後からボソッと呟いた。
「小学3年の遠足の時、はしゃぎ過ぎて神社の階段を転げ落ちたよね。頭を5針も縫うケガだったね」
「……え?」
「中学2年の時の彼女は大島カナ。ファーストキスも彼女かぁ~。場所は近所の公園ね」
「な、なにぃぃ!?」
「初体験は大学……」
「や、止めろ!」
両親どころか、友人でさえ知りえない情報だった。
瞬間パニックになった。「なぜ」「どうして」色々な疑問が交錯する。しかも時と場所まで詳しく。
「私の凄さが分かったら、こっちへカモーン!」
占い師は、人差し指をクイクイッとした。
もはや恐怖はどこかへ飛んで行った。いま順平の心に残っているのは不思議な感覚と未知なる興味だけだった。
言われた通り近づくと、占い師は順平の左手首をグイっと掴んで強引にブレスをはめた。
「いい? これから私の言う事をよく聞いててね」
優しくも凛とした口調で話し始めた。
「麻で編まれたこのブレスレットは、願い事が何でも叶う夢のアイテムよ。いつでもどこでも発動して、どんな無理難題でも望み通り。ただし叶う願い事は3つまで。簡単に言うと幸せのブレスレットね。本当はお金を頂きたい所なんだけど、現在お試し期間中だからタダでいいわ」
「……」
限りなく胡散臭い。
「そんな事をして君に何のメリットがあるんだ」
「いっぱいあるわよ」
「どんな?」
「人々の幸せな顔が見れる。これがメリットね」
「……」
普通の人が言う分には問題ない。相手は素性も知らない占い師である。信用に値する箇所が一つもない。だが彼女は真っ直ぐに順平を捉えている。そのみなぎる自信はどこから来るのだろうか。
「それって本当なのか?」
「何が?」
「商品はタダ。しかも他人の幸せのため。とかさ」
「あんた。ヘソが曲がってるから学生時代は苦労したでしょ」
「……ま、まあ」
「それに不器用。社会で生きていくのが大変そうね」
「うるさい」
「たまには人を信用したら?」
「……」
名前、職業、恋人うんぬん。挙句の果てにへそ曲がりで不器用……。
まるで見てきたような口ぶりだった。
「生まれ持っての性格だから仕方がないだろう」
「それを克服するのが人生でしょ」
「ま、まあ」
「私と会ったんだから、人生変わるわよぉ~」
「なあ、お前は一体何者なんだ」
「フフッ。これを使って幸せになってね」
占い師は怪しげな笑みを浮かべ、テーブルとイスを持って暗闇に消えて行った。