桜舞う季節
ひらりひらりと桜が舞う。桜並木のトンネルを潜りながら、貴方は片手を伸ばして花弁を掬う。
「桜花、桜は好き?」
「どうして、そんな事を聞くの?」
「いや、単純に名前に桜が入ってるから」
「好きか嫌いかって言われたら、嫌い」
ちらりと着物姿の貴方がフラッシュバックする。眉を顰め、その姿を頭の中から掻き消した。
「やっぱり桜花とは意見が合うや」
「楓斗、数学の宿題やった?」
「うん、やったけど⋯⋯」
「後で教えて。シグマの解き方がいまいち分かんないだよね」
私は根っからの文系だ。大学受験の為とはいえ、数学が付きまとうのが嫌で仕方が無い。
「相変わらずだなぁ」
「しょうがないでしょ? 数学嫌いなんだもん」
口を尖らせ、若干俯いてみる。無数に散った桜の花弁の絨毯が目に映った。それを蹴飛ばすと、楓斗はクスクスと笑う。
「桜に八つ当たりしない」
「だってー⋯⋯」
分からないものは、理解しようとしても分からないものだ。
「良いもん。数学なんて、足し算と引き算が出来れば生きていけるんだから」
「不貞腐れるんなら教えないよ?」
「えっ? それは話が違うじゃん」
膨れっ面をし、右肘で楓斗を小突いてみる。
そこへ一陣の風が吹く。髪が、スカートがはためく。はらりと舞った一枚の花弁は楓斗の黒髪に落ちた。
「あっ、髪に花弁くっ付いた」
「そのうち取れるっしょ」
にこやかに笑う貴方は覚えていないのだろう。楓が赤く染る秋に私は貴方に救われ、桜が薫る春に私は貴方を殺した。それは千年も前の話――
「桜花?」
「えっ? 何か言った?」
「ううん、なんでもない」
気になるから、言ってくれれば良いのに。それを言葉にする事は出来なかった。楓斗があまりにも切ない表情をしていたから。
「早く桜の季節が終わらないかな」
「桜なんて、直ぐに散っちゃうよ」
人の命と同じで、桜の花の寿命は短い。儚くて、脆い。
「俺は紅葉の方が好きだな」
「紅葉だって、直ぐ散っちゃうよ?」
「紅葉は始まりだよ。散って、耐えて、芽吹く。桜は散って終わり。何も残らない」
「じゃあ、さくらんぼは?」
楓斗ははっとした顔をすると、口をへの字に曲げる。
「その手があったか⋯⋯」
「その手って何?」
私はただ、事実を言っただけだ。理系なのに、意外と気づかないのだな、と大袈裟に溜め息を吐く楓斗に笑ってしまった。
「楓斗は第一志望、東京でしょ?」
「何? 桜花も東京にするの?」
「うん、そうしよっかなって」
若干モジモジしながら答えると、楓斗はニカッと笑ってリュックを背負い直す。
「なんだ。これから一人で東京に行くんだって気負ってたら損した。これからも一緒なら、また馬鹿やれるじゃん」
「とか言って、放置するくせにー」
他にも女友達を作って、彼女を作って、段々と私なんて相手にしなくなるだろう。
それがとてつもなく寂しい。
貴方の命を奪った私が言える事ではないのだけれど。
睫毛を伏せて微笑むと、楓斗の左手が肩を襲った。
「ちょっと、叩く事無いじゃん!」
「俺は絶対に放置しないよ」
「ホントかなぁ」
「ホントホント!」
何故、そんな風に言い切れるのだろう。
首を傾げると、楓斗は儚く笑う。
「桜花と居ると、何処か懐かしい感じがするんだ。安心するっていうか」
「私は……そわそわするけど」
「何それ」
楓斗は軽く笑い、正面へと向き直る。
「それより、勉強だよ、勉強。受験頑張らないとなー」
楓斗が歩けば、床に散らばる桜が宙を遊ぶ。
その後ろ姿が、又しても千年前の貴方と重なる。
「桜花?」
「今行く」
現世では後悔なんてしたくない。楓斗の事を最後まで愛したい。
前世での事を許してはくれるだろうか。
ブレザー姿の楓斗に駆け寄り、その頬にキスをした。
楓斗の頬が桜色に染まる。
千年前では確かに貴方を殺したかもしれない。でも、愛はあった。お互い相手を愛していた。時代が、環境が悪かったのだ。
今度こそ、幸せになるから。見ていて、あきか、春方――貴方たちの分まで懸命に生きてみせる。
「桜花って、桜餅好き?」
「うん、桜餅なら好き」
「じゃあ、帰りに寄ろうよ。確か、店の名前は――」
一際強い風が吹き、桜の花びらが一斉に散った。見渡す限りのピンク、盛大な桜吹雪だった。