こうして少女は少しだけ大人になった
怪物による工場襲撃事件に巻き込まれた王尾綺羅綺羅であったが、彼女は目立ったケガもなく救助された。化学工場内ということもあって検査入院をしたが、特に大きな問題はなかった。
両親は彼女に特別なことは言わなかった。
仕事を一時休んででも病室に行き、暖かくも距離をもって対応をしていた。
いい親の対応であった。
だがそれによって綺羅綺羅の感情が大きく変わることはなかった。
だがいい親の対応とはそういうものである。むしろ誇るべきであろう。
だが入院を終えて自宅に帰った彼女は、別の理由によって人生を見直していた。
(私って何なんだろう……)
ーーースポーツマン漫画によくある展開の一つとして。
スランプに陥っていた選手が、仲間からの薫陶などの些細なきっかけで調子を取り戻し大活躍するというシーンがある。
物凄く熱い上で、なんの不思議もない展開だ。
覚醒、目覚めとかいうが、その通りだからである。
実力を発揮しているというだけで、実力以上の活躍をしているわけではないのだ。
王尾深愛は工場の事件で大活躍をした。
それもまた実力を発揮しただけで、不思議なことは起きていない。
そして王尾綺羅綺羅は何もできなかった。
パニックに陥っていたからではない、彼女の素の力を十分に発揮しても何もできなかった。
今自分で思い返しても、あの時ああすれば活躍できた、なんて一つも思いつかない。
それはまあ、仕方ないことだろう。自分で自分を慰めた。
他の生徒も同じようなものだったのだから、それを認めてもなんとか自分を保てた。
だが検査入院の中、彼女は思い返していた。
家に帰って何をするのだろう。
普段の自分なら、今の時間に何をしているだろう。
決まっている、姉への恨み言を書き込むだけだ。
それで何かができるようになったわけではないし、今後も発展することはない。
「……何やってたんだろう、私」
客観的に見て、己は異常者ではない。
弟である拓郎のように深愛を慕うことが異常ではないように、劣等感をこじらせることもまた異常ではない。
上振れ側と下振れ側というだけのことだ。
だが客観視すればするほど、自分はただの無能だ。
姉への劣等感以外に何も持っていない。
普通の人間なら、彼女の想像する普通の人なら、他の何かがあるはずだ。
入院していた時に、自分の一日を振り返る。
朝起きて学校に行って、それなりに勉強をして、帰ってきて、姉の悪口を書きこんで寝る。
それが今の自分だ。今までの、なんて生易しいものではない。今の自分はそれ以外の何物でもない。
姉に劣等感を抱くべきではない、とは思っていない。
今の深愛は以前よりも出世している。事件解決したことによって多くの人の『命の恩人』になっている。
もっともっと、劣等感を抱くに値する人物になっていた。
嫉妬はなくならない。
だが嫉妬の念に燃えるだけではなんにもならない。
嫉妬を捨てるのではなく、抱えたままでいいから他の何かをしなければならない。
彼女は入院という時間により自分を直視する機会を得て、自分の人生を軌道修正できた。
今の自分にはなんの目標もなく、誇れるだけの実績もない。
であれば、何かの目標を得たときのために学校の勉強をしよう。
彼女は嫉妬の炎を抱えたまま勉強に入ることができた。
そう。
それこそ親を殺されたわけでもないのだ。
抱えたまま日常に戻るなんて簡単である。
「あれ、電話?」
親から返してもらったスマートフォンに電話があった。
表示されている名前は姉のものである。
正直に言って、嫌な気持ちだった。
そう、正直にそういう気持ちだと認められる程度には大人になっていた。
嫌な顔をしてから電話に出る。
『退院おめでとう、綺羅綺羅。私もお見舞いに行こうとか、電話しようかと思ったけど、お父さんやお母さんに止められていたのよ』
「……そう。大したことなかったから、気にしないで」
『あの現場に貴方がいたと知った時はびっくりしたわ』
「私も……姉さんがいるなんて思いもしなかったわ」
今でも姉のことは嫌いである。
だがそれでも体面を保てるぐらいには彼女も成長していた。
なんてことはない。この電話が終わった後で、枕をぶん殴って叩きつけて喚けばすっきりするだろう。
その程度のことだ。
「助けてくれてありがとうね」
自分の醜さを認められたからこそ、体面を取り繕うことができていた。
こんな自分でもいいのだ。
『私は、まあ、貴方を助けてないわ』
妹の変化を感じ取ったのか、深愛は調子を崩している。
それに少しだけざまあみろ、と思えた。細やかだがうれしいことだ。
『あなたを助けたのは広さんでしょ。見たわよ……その、目立っていたわね』
「うんまあね。でも助けられている時はパニックで、周りを見るどころじゃなかったわ」
『拓郎がうらやましがってたわよ。あの子もあなたに電話して、助けてもらった感想を聞きたがっていたけど、それもお父さんやお母さんに止められていたわ』
「そう」
『それでね』
ここで、言い知れぬ予感がした。
綺羅綺羅の背筋に冷や汗が流れたのだ。
『拓郎が貴方に近づいて、貴方の手を取って、興奮して、息を吹きかけながら、熱心に質問するでしょうけど。それで勘違いしないでね? 貴方が拓郎に気に入られているわけじゃなくて、あの広さんのファンってだけだから。貴方はただ話をすればいいだけなの。わかる? わかるわよね? わからないと言われたら私は貴方にわかるまで説明しないといけないのだけど』
ものすごい早口なのに、ものすごく聞き取りやすい言葉だった。
情報量が少なくて、頭に中身が入ってこない。
ただ頷くことしかできなかった。
「え、ええ……」
『拓郎はね、広さんの活躍を見て興奮していたの。最近の広さんは他のヒロインと協力して戦うから大けがをすることが減っていたのだけど、それを喜ばないファンもいたそうなの。まあ勝手な話だとは思うけど、拓郎は少し心配そうにしつつも喜んでいたわ『どれだけ強くなっても、広さんは本物のスーパーヒーローなんだ! どれだけ傷ついても人を守るために戦うんだ!』ってね。そりゃまあ広さんは他のスーパーヒロインに負けないぐらい立派な人だとは思うの。私も正直尊敬するようになったわ。でもそれはそれとして拓郎が喜びすぎていると心配にもなってくるのよ。わかるでしょ? 脳を破壊されるとか性癖が歪むとか。聞くところによればあの事件で須原さんもファンが出てきて、丸呑みに目覚めたとかグロ変身の供給ありがとうございますとか、裸なのに恥じらわないのが最高とか、そういう新しい扉が開いた子供が多いそうなの。コレって他山の石として、警戒する必要があるってことじゃないかしら。拓郎がこのまま軌道修正せずに広さんのことを好きになって、道を踏み外して別の道に進んでしまったら……ありえないとは言い切れない! だってあの人は本当に素敵なスーパーヒーローだもの! 知れば知るほど好きになっちゃうでしょう! 私が同性だったとしても惚れてしまうかもしれないし! 貴方だって助けてもらった時はいろいろ考えちゃったでしょ!?』
「……あの時はパニックでそれどころじゃなかったです」
姉の言葉に相槌を打つ綺羅綺羅は、じめじめとしみいるように理解していった。
この女に対して嫉妬していた時間は、本当に無駄な時間だった。




