イザナギ宣言
■工業地帯、■中央工場、中央管制室。
普段から少人数で運用されている部屋なのだが、現在彼女はたった一人で『確認作業』をしていた。
2100年という時代でありながら、アナログな紙の工場の設備図面にチェックを記入している。
何度も何度も確認したが、これでこの工場内でできる最善は尽くされた。
あとは付近の工場の作業や避難を待つだけである。
「タスククリア、だな……なんで私こんなにキャラが迷走してんだよ……うふふふ」
パニックに陥っていた工場長は、ここで冷静になっていた。
正しくはパニックが収まり、状況を受け入れ始めていた。
今更体が震えてくる。
この管制室に達している爆発の振動によって、身の危険を感じているのだ。
「本当に今更ね……ふふふ」
彼女はちらりと、管制室内のガスセンサーを確認した。
他のあらゆるセンサーが警報を発しているが、この室内に有毒ガスが流れてきていないことは確認できている。
彼女は震える手で、しかし落ち着いてヘルメットとガスマスクを外す。
そして近くに置いてあった、すっかり冷めているインスタントコーヒーを飲んだ。
変な話だが、お化け屋敷のようなものだ。
怖いは怖いが、自分の身の安全はほぼ担保されている。
もうすぐここにも救助が来る、それで一緒に逃げて終わりだ。
感情的には怖いのだが、理性的には怖くないのだ。
さっきまでとは逆の状況に苦笑しつつ、ヘルメットとマスクを被り直す。
ちょうど、その時であった。
管制室のドアが勢いよく開いた。
ドアの外から有毒ガスが流れ込み、部屋の中のセンサーがけたたましく鳴り響く。
「たす、たすけて……」
見学に訪れていた、王尾綺羅綺羅であった。
爆発や怪人との遭遇によって迷っていた彼女は、幸か不幸か中央管制室にたどり着いていた。
ここ以外に逃げていれば、色々な意味で絶対に助からなかっただろう。
息も絶え絶えな彼女に、工場長は駆けよった。
「大丈夫ですか!? 安心してください、ここにはもうすぐ救助が来るんです! 一緒に避難しましょう!」
「怪人が……怪人が、私を追いかけて……すぐそこまで……!」
「なんで、すって?」
なかなか絶望的な状態であると工場長は悟った。
ああ、もう絶対に助からない。そう思うと頭も心も冷え切っていた。
彼女は迅速に部屋のドアを閉めると、倒れている綺羅綺羅に語り掛けていた。
「お嬢さん、私はね……若いころに結婚したの。子供も若いときに産んだわ」
「え?」
「子供がある程度大きくなったら工場で働き始めたの。共働きってやつよ」
「え? え? え?」
「いざ工場で働き始めたら楽しくてね……出世してもっと大きなことがやりたいと思うようになったの。それで正社員になって、頑張って仕事をして役職を得たわ。子供も夫も応援してくれた」
「だ、だから!?」
「私の夢は、工場長になることだった。それはもう叶っているの」
工場長はひきつった笑いを浮かべていた。
「子供たちも結婚して、孫も抱っこさせてもらったわ……人生の夢は大体叶っている。だからね……私のことは、気にしないで。助けが来るまで隠れていなさい」
自分は幸福な人生だったと彼女は認めていた。
人生は幸福なのだ。
自分が幸せな人生を歩んできたからこそ、自分の後ろでうずくまっている彼女の人生も幸せになると信じていた。
彼女は精一杯強がって、扉の前に仁王立ちしていた。
その頼もしい姿に勇気をもらって、綺羅綺羅は机に隠れる。
子供のかくれんぼのような幼稚な隠れ方だった。
だがそれ以上は何もできなかった。
ドアが、ドカンと開いた。
一応施錠したのだが、怪人相手には無意味だった。
ああ、怖い。
目の前の怪人というわかりやすい脅威と向き合ってしまえば、孫もいる中年女性はただ後ずさることしかできない。
だがそれでも、隠れている少女を差し出してまで、一瞬でも長く生きようなどとは思わない。
自分はもう十分生きた。ここで終わっても惜しくはない。
あの時ああしていればよかったなんて、この期に及んでもよぎることはない。
「勝ったつもり?」
だから、何とか笑える。
「この最新鋭の工場を壊して、周囲に毒をまき散らして、それで沢山の被害を出して……勝ったつもり?」
人生に後悔がないからこそ、心から嘲ることができる。
「無駄よ。人類には、なんの支障もない! 工場は壊れるけど再建できる! 人間が死んでもまた増える! そう……増えるのよ! お前たちにこそ勝ち目なんてない! 人類は怪異なんかに滅ぼされやしない!」
怪人は何も反応をせずに近づいてくる。
だが自らの死にすらも、彼女は屈さない。
「私を殺すのが、お前の、精一杯の……無駄な抵抗……ひぐっ!」
喉をつかまれた。
そのまま潰されていく。
体が持ち上がった。
苦しい。
苦しい。
生物的な苦痛が、彼女の肉体が死に向かっていくことを示している。
彼女に救われているはずの綺羅綺羅は、うずくまって耳を塞ぐことしかできない。
死は醜いものだ。
高潔だったはずの工場長は無様に死ぬ。
どう言いつくろっても、それが現実だった。
(誰か助けて!)
綺羅綺羅は助けを求める。
工場長ではなく、自分の助けを求めていた。
ずるり、ずるり。
ゾンビが歩いてくる。
生きる屍が、片足を引きずりながら中央管制室に入ってくる。
胴体にも手足にも、パイプが貫き、鉄板が突き刺さっている。大量の出血が道を作っている。
黄泉平坂を歩くような激痛の中、彼は怪人の背後にたどり着いた。
「オオハニヤス……!」
『どろだんご!』
工場長を殺そうとしていた怪人の背中からリンポを突きさす。
土の神が幻想的状態異常を発生させ、内側から怪人を土塊に変えていった。
工場長はせき込みながらも解放され、床にへたり込む。
うつろな目で前を見て、死にかけている男に気づいた。
「スーパーヒーロー、李広、です。遅くなって、すみません」
「あ、貴方は……!」
「貴方のほかに、要救助者はいますか」
「あ、あそこに……もう一人……」
「そうですか……がぼお!」
広の口から大量の血が口からあふれてきた。
どう見ても致命的な、多すぎる出血だった。
リンポを持ったままの手を、震わせながら口元をぬぐう。
息は荒い。片方の肺が潰れているので当然だ。
「要救助者の方、どこですか……!」
「こ、ここです! たす、たす、たすけて、ください!」
綺羅綺羅は余裕がない。
明らかに自分よりも傷ついている広に助けを乞うていた。
「もちろんです」
ーーーヒーロー、あるいはヒロインという言葉がある。
これは濫用されることが多く、その価値が下がってしまうこともしばしばだ。
誰でもヒーローになれる、という無責任な言葉がある。
大切な人のために頑張ればそれでヒーローとも言ってしまう。
そんなに甘いものではない。
大切ではない人のために命を懸けて戦えるものだからこそ、ヒーローと呼ぶのだ。
それができないものをヒーローと呼ぶべきではない。
救急箱を持っているだけの素人を医者と呼ぶような、役目の名前を軽くしてしまう分類法だ。
「司令……要救助者二名、確保しました」
『中央指令室ね!? わかったわ、王尾さんや沼さんをそこに派遣します!』
「止めてください。今、大勢の怪人がここに向かってきています。階段を潰して道をふさぎましたが、その内殺到してくる。応援は良くありません」
息が荒いことは通信先の司令官もわかっている。
だからこそ言葉をかぶせないように黙っていた。
「予定を繰り上げます……俺がこの要救助者二人を確保して、そのまま一気に最終段階に入ります」
『……わかったわ、スーパーヒーロー、李広君。貴方に任せます』
体に刺さった金属を抜く手間も惜しい。
広は自分に近づいてきた綺羅綺羅を抱きしめると、工場長のすぐそばで崩れるように座り込んだ。
「オオハニヤス……!」
『なんだ?』
「俺と一緒にこの二人を保護しろ。それから……召喚強度4だ。最初から第二形態になって、この工場区画にあるすべてのものを砂にしろ……!」
土の塊の人魂が、にやりと笑った。
『造作もないことだ』
※
広の報告を受けた後、周辺で待機していたすべての人間が工場から離れていた。
撮影に来ていたTV局などのマスコミのヘリコプターも警告を受けて、できるだけ遠くで待機している。
何が起きるのか、おおよその予想はされていた。
そしてそれが実際に起きた。
『臼供城!』
工場の敷地の境界線に、文字通りの境界が生じた。
爆発炎上を続ける工場内部が怪奇現象に包まれたのである。
構造が根本的に崩壊していく工場の中で、巨大な山が隆起した。
「みなさん、ご覧ください! 土の小型怪獣が現れました! 怪奇現象も確認されています! 今まで使用されることのなかった、幻想的状態異常を操る怪獣が本気を出したのです!」
オオワダツミやオオミカヅチの本来の大きさを知っているからこそ、オオハニヤスの大きさにも驚きはなかった。
仰ぎ見る切り立った山に、二本の腕が生えている。それはまさに山の神そのもの。
そのおひざ元はどんどん砂に包まれていく。
砂があふれてきているのではない、そこにある個体も液体も、気体すらも砂に変わっていくのだ。
「ご覧ください! 幻想的状態異常によって、工場区画内のすべての化学物質が砂に変わっていきます!」
ついに小型の怪獣の全力の姿が、実戦に投入された。
それも今まで使用されなかった土の怪獣の怪奇現象と共に、である。
取材陣は興奮しつつも、できるだけ正確に情報を伝えていた。
そうした視線を感じつつも、オオハニヤスは大きく拳を振り上げた。
見る間にその拳の周囲に砂が集まり、塊が形成されていく。
その着弾予想地点にカメラが向けられると、そこには小さな炎が見えた。
縮尺がおかしいので小さく見えるが、実際には人間を包み込むほどの炎である。
おそらくそこに、今回の事態を引き起こした怪物がいるのだろう。
『すなぶくろ!』
マウントポジションからのパウンドに近い動きだった。
わずかに残っていた人工物のすべてを砂にしつつ、事態を引き起こした怪物へ容赦のない攻撃が仕掛けられた。
まさに怪獣。
圧倒的な暴力は、範囲内のすべてを無に帰する。
敵ならば恐ろしいが、味方ならば頼もしい。
今まで人類はおびえるしかなかった状態異常を叩き込む神だった。
そしてそれを使役しているスーパーヒーローを誰もが探す。
いったいどこにいるのか。
テレビカメラが捜索し続けていた。
『終わったぞ』
「そうか……よくやった」
巨大な山は一瞬で土の人魂に縮小した。
そしてその人魂は、工場の残骸による砂丘の頂上に向かう。
そこに、スーパーヒーローがいた。
わずかに砂に埋もれた状態でもわかるほど、全身を金属で貫かれた男が、二人の女性を抱きしめながら守っていた。
『で、その体に刺さったものを抜いてやろうか?』
「ああ……ついでに頼む」
体に刺さっていた金属はさらさらと砂になり、彼の体から抜けていく。
それでも彼の着ていたアーマーに空いた大穴や肉体の傷から、彼がどれだけの苦痛に耐えていたのかわかってしまう。
怪物の現場を押さえたのだから当然ではあるが、あまりにもグロテスクであり、しかしリアルのスーパーヒーローであった。
「二人とも、すぐに救急車に行きましょう……貴方たちには、治療が必要です」
喉を抑えている女性と、泣きながらしがみついている少女を抱き寄せながら、スーパーヒーローは歩いていく。
その足取りは重く、遅く、砂に足を取られていた。
「ありがとうございます……助かった……」
「ええ、貴方は助かりましたよ。本当によく頑張りましたね」
人は情熱によって実力以上の力を発揮するという。この李広にそれはない。
であればこの結果は、情熱を加味しない彼自身の素の実力である。
炎に包まれた工場を砂に変えた彼は、自分と仲間が救った世界に戻っていく。
彼の仲間たちはそれを痛ましい目で見ながら、走って迎えに行くのだった。




