これは訓練です
AIによる編集を経ない生の観戦で状況を完全に把握できるのはヒロインたちだけである。
だがそうではない者たちからしても、小型の怪獣が怪奇現象の範囲内で大暴れしていれば理解できる。
王尾深愛は劣勢で、まともに反撃もできていない。
怪獣が時折攻撃の手を休めることもあったが、それでも反撃の気配がないことから明らかだろう。
『数値的状態異常をあえて封じているとはいえ、よく持ちこたえている』
「あえて封じていることをあえて口にするんじゃねえよ」
「ん……ふ、ふゅひゅ……はっ……はっはっはっ……はっ……!」
いよいよオオミカヅチは見下ろしたまま動かなくなった。
スケールの違いゆえに分かりにくいが、王尾は怪奇現象の地面……砂塵の円盤の縁で呼吸を荒くしている。
彼女が装備していた片手槍と魔法盾は壊れて動かなくなっており、土属性の魔法銃だけを構えている状態だ。
だがそれも虚勢に等しい。ハリネズミが威嚇しているようなものであり、神を前にすれば意味をなさないのだ。
残酷な現実に、しかしヒロインたちはあえて王尾を称賛したい気持ちでいっぱいだった。
態度に出す者ばかりではないが、やはり王尾深愛という少女は目障りだった。
容姿、家柄、文武、魔力、理解ある両親や友人。
何もかもを持っている存在を疎ましく思う気持ちがあった。
だが今の彼女はあまりにも強い。今まで見たどの彼女よりも強い。
格上の相手に必死であらがい、立ち向かおうとする姿勢はまさにスーパーヒロイン。
主人公の風格である。
土屋風の判断基準。辛くても苦しくても頑張るから格好いいのだ。
とはいえ、それを彼女が喜んでいないこともわかる。
彼女の雰囲気はまだ負けを認めていなかった。
だが王尾は動けず、だからこそオオミカヅチも広も動かない。
そのような空気を破ったのは、厳かなる声色だった。
怪異対策部隊総司令官、森々天子である。
『五等ヒロイン、王尾深愛さん』
人工島全域に聞こえる放送で、天子は話しかけた。
あえて他の言葉を削除して、五等ヒロインであることを強調していた。
『スーパーヒーロー李広さんを相手にする訓練はここまでです。貴方は適切な難易度をクリアしました。おめでとうございます』
事務的であり、どこか煽るような言葉選びだった。
だが声には少しだけ気遣いがある。
貴方はまだこんなものじゃない、これで納得できていない、だから頑張りたいんでしょう、という気持ちが伝わってくる。
「……私はまだやれます」
『不要な判断ですね。これは訓練です。繰り返しますが、これは訓練です。命を懸けて行うようなことではない。貴方は初見でこの難易度をクリアしたのですから、それで満足するべきです』
「やります!」
『重ねて伝えましょう。これは訓練です。暴力でも制裁でも私刑でもありません。これ以上の訓練続行はそうと受け取られかねませんよ』
公開放送されることを意識した、コンプライアンスに配慮した言葉選びだった。
それをわかったうえで王尾深愛は目の前の神と王をにらむ。
『これ以上訓練を続行して、なんになるのですか』
「私はまだ……一度も反撃できていません!」
死んだ目をしている李広は、相変わらず困った顔をしている。
王尾が諦めない顔をしていても想定の範囲内という顔だ。
神はこちらを見下ろして楽しんでいる。
一生懸命頑張る自分をほほえましく思っているのだろう。
『すでに理解しているはずです。オオミカヅチは……李広さんは、本気など出していません。貴方にケガをさせないよう、細心の注意を払いながら試練を課しているのです。そんな相手に反撃を成功させたところで、貴方が勝てるわけではないのですよ』
「わかっています! でも……!」
相手は小型の怪獣だ。未熟な王尾深愛が一撃を入れたところで倒せるわけがない。
それをわかったうえで一発当てなければ気が済まない。
「一発ぶん殴ってやらないと、私の気が済まないんです!」
頑張ってえらいね、ああよしよし。
これぐらいなら耐えられるかな、これぐらいなら避けられるかな。
そのように上から目線で配慮してくる相手に、一発も反撃できないなんて耐えられない。
『繰り返しますが、これは訓練です。貴方の私的な理由で続行するかどうかを決めるべきではありません』
総司令官の言葉は大人の事情に配慮していた。
だが声はあくまでも王尾を応援していた。
かつての自分ならばそうしていたとわかっている。できるだけ力になりたいと思っている。
それがわかっているからこそ、王尾はこれ以上反論しなかった。
『ですが、貴方はすでに適正とされている難易度をクリアしています。つまり……もう一段階上の訓練に臨む資格があるということ』
一息を入れてから、彼女は己の部下に指示を出した。
『五等ヒロイン、須原紅麻さん、指栖正美さん。次の難易度のための準備をお願いします』
すでにスタンバイしていた李派ヒロイン二人。
王尾のすぐ後方に立っていた彼女らは、打ち合わせ通りに支援を行う。
「賢い私においしいところをお任せください!」
指栖正美は三枚のタロットカードを提示し、王尾へ支援を行った。
「タロットカード……恋人逆位置『施しの愛』、力正位置『すべてを破壊せよ』、節制逆位置『短くとも太く』。アクティブスキル、全能力支援(極)、譲渡!」
指栖正美はギルドバッファーとしてキャラクターメイクを完成させている。
スキルビルダーとしてだけではなく、タロッティストも修練を終えているのだ。
心理の樹カバラの利益であるタロットカード。その力は『効果のコントロール』。
恋人のカード効果は発動タイミングの譲渡。
今回使用している逆位置は『支援対象が他者へ支援効果を譲渡できるようにする』というもの。
つまりあらかじめ自分にバフをかけておけば、ノータイムで他者へバフを譲渡できるようになる。
力のカード効果は支援効果の収束。
正位置の場合は『攻撃強化系統の効果を倍にして、他の効果を無効化する』というもの。
本来発動するはずだった防御系統のバフを棄却し、その分攻撃力強化だけを増加させる。
そして節制のカード効果は効果時間の調整。
逆位置の場合は『効果を倍増させ、効果時間を半分にする』というもの。
本来は十二時間という長すぎる効果時間を六時間に抑え、その代わり支援効果は倍になる。
つまり通常の支援と比べて、四倍の攻撃力強化が王尾にかけられたのだ。
加算であるため通常なら微々たるものだが、それでも四倍である。王尾でも体感できる確かな支援となっている。
「これが指栖のバフ……!」
「それからこれは私からの支援よ……使いなさい!」
強化に戸惑っている王尾へ、須原は巨大な兵器を投擲した。
普通の一等ヒロインでは持ち上げるのがやっとという巨大極まる兵器だったが、それでも彼女は王尾のもとへ届ける。
「スーパーヒロイン専用対怪獣兵器……ヤマトよ!」
姿勢制御用のバーニアや推進用のブースターが取り付けられた、王尾の身の丈の三倍以上もある巨大な槍。
攻城槍を思わせる威容であり、手に持って使う個人武器とは到底思うまい。
スーパーヒロインならば使えるが、町中で使えばそれこそ壊滅的な被害をもたらすであろう恐るべき兵器。
総司令官の許可がなければ、三人の現役スーパーヒロインですら使用できない大量破壊兵器だ。
『王尾深愛さん。それは貴方のために作られた対怪獣兵器です』
「私の専用装備!?」
『貴方はこれから、オオミカヅチの妨害を振り切りながら攻撃を成功させてください。それが次の難易度です』
「わ、わかりました」
空気が変わった。
王尾深愛の顔がしっかりとしたものになった。
超巨大な武器をしっかりとつかむと、ゆっくりと持ち上げて地面と平行に支持した。
「これを今からぶち込んでやります」
『……訓練の成功を祈ります』
「ええ……!」
一所懸命頑張る姿は何時だって胸を打つ。
超人的な魔力を持ち、家族に恵まれ、環境に恵まれ、友人に恵まれた少女は人生で初めて……ただ勝つために限界を超えようとしている。
観戦している人々もまた彼女の姿へ応援を投げ始めた。
「行くわよ!」
槍というよりはロケットだろう。
王尾がつかむヤマトは石突部分に備えられたブースターによって一気に離陸する。
尋常ならざる加速度は、王尾をして負担に感じるものだ。
スーパーヒロインの肉体でもギリギリ耐えられる、そのように設計された超兵器。
その圧倒的な破壊力を想像し、王尾はそれをぶつけられることに歓喜した。
『さあ、予告通りにそれをぶち込めるかな? らいじんふうじん!』
面制圧する膨大な風と、その中を泳ぐ一筋の雷。
風にとらえられればそのまま雷に焼かれるであろう二段構えの攻撃を、王尾はブースターの推進力とバーニアの姿勢制御で回避する。
圧倒的な機動力によって、オオミカヅチを翻弄し始めていた。
(魔力が向上しているから、普段よりも少し出力が上がっている。それに筋力も……悪くないわね!)
お膳立てされているという屈辱よりも、力を得た喜びの方が大きい。
だがそれを遮るように、オオミカヅチもボルテージを上げる。
「オオミカヅチ! 楽に勝たせてやるなよ!」
『おうよ! ごうごうらんざつかいてん!』
怪奇現象範囲内が、一気に荒れ狂った。
ただでさえ風や雷の魔法攻撃が満ちている空間に、さらなる魔法攻撃が満たされる。
持続する立体制圧、逃げ場はない。
有効範囲内から脱する以外に逃れる術はないのだ。
(少しは本気を出してくれたわね……うれしいじゃないの!)
バリアをがりがりと削られ、バーニアの自動姿勢制御が目まぐるしく変化する中、それでも王尾は笑っていた。
ここまでおぜん立てしてもらって、オオミカヅチが無抵抗のまま自分の攻撃を受けてくれていたら。
それこそ自分がみじめになるだけだ。
(これを破って! あんたにかます!)
荒れ狂う大気の中でも王尾はしっかりとオオミカヅチを視認する。
難しいとわかっているからこそ燃え上がり、その先に価値のある勝利を見出そうとする。
「いくわよ、ヤマト……」
しのぎ切って偉いね、という無価値な達成ではない。
ぶち込んですごい、という意義のある達成に向けて飛翔する。
(見ていて、拓郎!)
ささげるに足る戦いを求めて突貫した。
『じかい!』
「遅いわよ!」
迎え撃つ拳は、さらなる加速ですり抜ける。
『ふうりん!』
「!」
だが展開された風の鎧は潜り抜ける隙がない。
まぎれもなく最後の守り、相応に硬いだろう。
これにぶつかって貫けなければ、ハエのように叩き潰されるだけだ。
よし、行こう。
どのみち今更軌道修正などできるわけがない。
それならばこの鎧を穿ち、その先の、台風のような頭部にねじ込んでやるまでだ。
「フレグぅ……ラン、スッ!」
風のバリアと物理攻撃の大衝突。
それは宇宙から降り注ぐ流星を大気が受け止めることを、極限に圧縮したがごとく。
轟音閃光が一瞬だけ走り……互いに弾かれあった。
(浅い……!)
ごく自然な結果というか、それでも上振れ側というべきか。
王尾の渾身の一撃は、風の鎧を突破した。本体に確かな傷を残している。
だがオオミカヅチは戦闘可能であり、はじかれた王尾へ追撃を入れようとしている。
これが結果か。
この程度の傷を負わせて満足しないといけないのか。
王尾がそう悔やんだときである。
「タロットカード……戦車逆位置『敵将首取り』、星正位置『手を伸ばせ』、死神正位置『確定した死』。アクティブスキル、攻撃支援(極)!」
一世一代の攻撃が終わったはずのタイミングで、十石翼が三枚のカードを提示しながらアクティブスキルを発動させた。
弾かれながらもそれをしっかりと見ていた王尾は混乱しつつもそれを受け取ることになる。
大嵐の中で吹き飛んでいた王尾に対して発射されたアクティブスキルは、射程範囲内とは言え当たるとは思えなかった。
だがそれも星のカードの正位置の効果により、射程内ならば必中となる。
当たらないはずの支援は確かに届いた。
(だからなに!? 私にはもう攻撃する力なんて……え!?)
ここで輪をかけて奇妙なことが発生した。
浅いダメージを受けただけのオオミカヅチの顔面が、今更のように大爆発を起こしたのだ。
それも周囲を巻き込んで破壊することなく、オオミカヅチの頭部だけがすべての破壊を受け止めている。
周囲へ破壊が及ばなかったことは、戦車のカードの逆位置の効果である。
余計なものを破壊せず、ダメージを相手に集中させる効果だ。
そしてすでに終了していたはずの攻撃に、後出しの支援が作用したのは死神のカードの正位置の効果。
攻撃ダメージ計算にさかのぼって介入する、というトレーディングカードゲームのような不条理な効果である。
十石のバフは因果関係に介入し……先ほど浅く当たっただけの攻撃を乗算で倍増させたのだ。
これにより、オオミカヅチは大きくのけぞって倒れた。
周囲に展開されていた怪奇現象も急速に消えていく。
「なんだかわかんないけど……まあいいわ」
多くの助力をもらったが、とにかくかますことができた。
弾かれたままの王尾は、満足した顔のまま落下していく。
その先は海。それも本来は沖である、とても深い海だった。
ヤマトを握ったまま、疲弊した彼女は海へ落ちて、深く沈むのだろう。
まあ死なないだろう、と楽観しながら重力に身をゆだねていた彼女だった。
それでも周囲の女性たちは悲鳴を上げようとする。
「こい、オオワダツミ」
召喚開始
名称 オオワダツミ
位階 ハイエンド
種族 古代神
依代 魔剣リンポ
強度 4
効果 水、氷属性の魔法使用可能。
肉体的状態異常付与。
ローカルルール霊錨角布令。
本体降臨。
召喚完了
今しがた倒されたばかりのオオミカヅチと同等のスケールを持った、水と氷の小型怪獣が海面に現れた。
あまりにもあっさりと小型怪獣が現れたことに、悲鳴を上げようとしていたものたちの多くが絶句する。
だがそんなことは知らんとばかりに、オオワダツミは水と氷の魔法を王尾に使用した。
『あわゆき!』
綿菓子のように柔らかく包み込む雪が、落下していく彼女の体を覆いつくす。
魔法に特化した怪物がそうするように、彼女を己の怪奇現象から守っていたのだ。
古代神の防御魔法に包まれた王尾は、ヤマトとともに救助されていた。
海中に落下することもなく浮かび上がり、ゆっくりと人工島へ移送されていく。
「大したもんだったな。まさか本当に攻撃を成功させるとはなあ……」
『ああ、まったく大したものだ』
彼女のすぐそばにいるのだろう。
姿が見えはしないが、雪を通して李広の声が聞こえてきた。
どうやら王尾が気絶しているとでも思っているのだろう。
彼女に話しかけようともしていないし、話を聞かれているとも思っていない様子だ。
「お前の肉体的状態異常でこのお嬢さんを侵してないよな? お前らの防御魔法ってあんまり当てにできないんだよなあ」
『大丈夫だろうが、気になるのなら体は調べておけ』
「そうか……ところで海洋汚染とかは大丈夫か? 今更だけど、お前毒撒くじゃん」
『そっちも配慮している。我が魔力を消せば影響は泡ほども残らん』
「そりゃよかった。……ん、アレ? そういえば」
『……お前はそういえば、が多いな。訓練の前に聞いておけ』
「うるせえよ。それよりお前らはたしか……戦って負けた相手には調伏されるんだろ? オオミカヅチの調伏契約がコイツに移ったりするのか? それとも分身とかをくれてやることになるのか?」
『今は手続き上無理だ。考えてもみろ、お前が人間の敵と戦っている最中に我らを呼び出したとしてだ。その相手が我らに貢物やらを差し出したら力を分けてやる羽目になるとして、それでいいのか?』
「それは困るな」
『そういう関係で、調伏召喚されている時は奉納品を受け取れないようにしている。逆に言って、王であるお前が望んでも無理だ』
「ふ~~ん」
『さっきも言ったが、そういうことは普段から聞け』
「なんだ、聞いてほしいのか?」
ここで携帯端末らしい電子音が流れた。
「ん……総司令官からだ。どうかしましたか?」
『広さん、訓練をしてくださってありがとうございます。王尾さんは確保してくれましたか?』
「はい、今は人工島に輸送中です」
『それは良かったわ……それで申し訳ないのだけど、怪物が出現したとの連絡があったの。それも状態異常特化型らしいわ。待機しているヒロイン部隊と合流して、討伐に向かってくれないかしら。それとも、不都合がある?』
「大丈夫です、すぐ行けます」
『……よかったわ。頼りにしているわね』
「はい……。おい、オオワダツミ。この子を置いたらすぐ飛行場に向かうぞ!」
李広の言葉を聞いている王尾の眼が潤んだ。
ああ、コイツは本当にスーパーヒーローで、頼りにされていて、本当にそれだけの能力があるんだ。
コイツからすれば私のことなんてどうでもいいんだ。
世界からすれば私なんて大したもんじゃないんだ。
主人公であり続けた少女は、人生で初めて魔力を使い切った。
それによって充実感を得られたのは一瞬のこと。
適正なレベルにぶつかった彼女は、他のヒロインたちと同様に無力感に苛まれたのだった。
※
かくて。
未熟なスーパーヒロインであっても、異物の協力があれば小型の怪獣を倒しうる、という訓練結果が得られたのだった。
大局的にはそのような意味があったのだが、王尾深愛の心にはそれ以上に重い影響をもたらしたことは明記する。
明記するまでもなかったかもしれないが。




