ベリーイージーです
会議からおよそ一か月後のことである。
怪異対策部隊の本部である人口島の『沿岸部』に十人ほどの三等ヒロインが完全武装で整列していた。
全員が非常にまじめな表情をしているが、これから実戦に向かうというわけではない。
沿岸部の沖……と言っていいのかわからないほどすぐ近くに浮かぶ、惑星の環のような塵の集合体のような円盤。
そこに彼女らはこれから踏み込むのだ。
彼女らの身体能力ならば、文字通りひとっ飛びの距離である。
だがそこに向かう一歩は、まさに死地への一歩であった。
すでに何度か実戦を経験しているからこそ、彼女らはこれから待つハードルにしり込みしていた。
それでも彼女らは足踏みし続けない。
彼女らはヒロインであろうとし続けた。
「行こう!」
完全装備の彼女らは、全身をバリアで覆った。
そのうえでその場から一歩で跳躍する。
跳躍した距離は、訓練を積んだ一般人とは比べ物にならない。
精強な武装もあって、彼女らが弱者だとはだれも思わないだろう。
実際のところ、彼女らは決して弱くない。
正規の授業と訓練を受けて卒業したのだから、少なくとも現在の四等ヒロインや五等ヒロインよりは強い。(一部の例外を除く)
だからこそこの訓練に参加する資格も認められていた。
逆に言って、彼女らでも厳しい訓練を課されているともいえる。
『少し待たされたな』
「そういうことは思っても言うもんじゃないだろう」
砂塵の円盤の上には、スーパーヒーロー李広と、彼の使役している小型の怪獣オオミカヅチが待っていた。
そしてその円盤の上に立つと、彼女らの体を包んでいるバリアからがりがりと削られる音がする。
「ん……ん……それじゃあ訓練を始めましょうか」
広は少し複雑そうな顔をしていた。
だがそれでも訓練の開始を宣言する。
同時に、彼の後ろに控えているオオミカヅチがあらぶり始めた。
五階建てのビルほどだろうか。風と雷で構築されている巨体が雷鳴や風音を激しくする。
『じかい』
風と雷の握りこぶしが、常人でも視認できる速度で振り下ろされてきた。
十人の三等ヒロインたちをまとめて叩き潰せるであろう巨大な握りこぶしを前に、彼女らは散開して回避する。
『ふぅむ……らいこうふうか』
塵で構築された円盤に拳が着弾する。
自分の一撃が誰も倒せていないことを確認してから、オオミカヅチは雷と風を雨あられと降り注がせ始めた。
「ぐ、うっ!?」
アクションゲームのボスの攻撃、のようなものだ。
広範囲に連続で振ってくる高速の魔法攻撃であるが、隙間があり逃げ道がある。
この上なく露骨な手加減であるが、苛立つ余裕がない。
降り注ぐ雷と風を見上げながら、必死で安全圏へ避難する。
一瞬前に自分がいた場所に、強力な雷が着弾してくる。
ぞっとする暇もなく、次のターンに移行した。
『くくくく……いつまで避けられる?』
だんだん安全地帯が減っていく。
ターンからターンへの移行時間、時間の隙間が減っていく。
時々、安全圏が前のターンと同じになる。迂闊に動くと被弾するようになっていく。
引っかからないように気を付けながら、三等ヒロインたちは自然災害を潜り抜けようとした。
『ではこうだ。とつなり』
空から降り注ぐ風と雷が止んだ。
しかし同時に、彼女らの足元から不快な放電音がする。
ハッとして足元を見ると、ヒロインたち一人一人の足元が光っている。
塵で構築された地面の一部が放電しているのだ。
「ああああああ!」
慌てて飛び跳ねたその直後に、通常の意味での雷が発射された。
眼で追うどころではない。放たれた軌道に残光が残るだけで、光った瞬間には着弾している光速の攻撃だった。
彼女らの足元に攻撃予告をしたうえで、逃げ遅れれば回避不能となる電撃を浴びせる。
なんとも恐るべき攻撃だった。放たれる前に逃げるしかない。
やはり予告から発射までの間隔は短くなっていく。
もはや足を止めることは許されず、走り続けるしかなかった。
だがそれも唐突に終わる。
『一周したな。じかい』
足元を薙ぎ払う、全身を回転しながら放つ拳。
ヒロインたちは跳躍して回避したが、その顔はぞっとしている。
(これが小型の怪獣……怪物よりも強い存在!)
相手が高い知性と理性を持ち、こちらに配慮したうえで訓練をしてくれているということはわかっている。
それこそゲームのようなものだ。難易度が不適当とも思えないし、事前の対策が意味を成している。
それでも怖い。
悪戯心のあるゾウにじゃれつかれる子犬のような心境だ。
「どうします? ここで中断しますか?」
それをわかっているのだろう。
広は周囲のヒロインたちへ配慮をしていた。
一応一回はしのげたのだから、初回の訓練としては十分だろう、という『大目』である。
その言葉を聞いて、三等ヒロインたちは軽く息を吐いてから首を左右にふる。
「大丈夫です、続けてください!」
「ん~~……オオミカヅチ、続行だ」
『任せろ。らいこうふうか』
いつでもリタイアできる、という状況を思い出してそれぞれが心に余裕を取り戻していた。
一周目を必死になってしのぎ切った、ということの再確認もあって緊張も抜けてきている。
三等ヒロインたちは今日までの訓練や実戦で培った実力を発揮し始め、魔法攻撃を何度も何度も避けていった。
※
そうした訓練を終えた後、就寝前の時間である。
教育棟にある学生寮、その一室。
広さこそそこまでではないが、エアコンや暖房、トイレや風呂が完備されている最高のワンルーム。
デザインなどはそこまでではないが、寝心地に関しては最高級のベッドで、一人の三等ヒロインが寝転がっていた。
百地満。
次期一等ヒロインの一人と目される、同期の中でも抜きんでた実力を持つ少女であった。
可愛らしい布地を使っている緩いパジャマを着ている彼女は、険しい顔をして天井を見上げている。
もちろん天井に虫がいるというわけではない。彼女は考え事をしていたのだ。
「私……生きて引退できるのかなあ」
ヒロインとは偉いものだ。
警察官や兵士と変わらない、前線で命を懸けて戦う者だ。
だからこそ生還は約束されていない。
それが偉いのだ。
そして前線で戦った彼女はそのつらさを肌で感じている。
今更だが、引退したヒロインたちが大いに支持を得ていることは当然だ。
彼女らは本当に偉いし凄いのだ。
自分がそうなれるという確信が得られない。
「喜んでいる子もいるんだろうけど、そう楽観的にはなれないのよね」
ーーー今日の戦いは訓練であり試験でもある。
彼女らがオオミカヅチの攻撃を避けられたことは、天才だからでもなんでもない。
上層部から事前に『訓練当日はオオミカヅチがこういう攻撃をします』と通達されていたからだ。
実際に対峙したのは今日が初めてだが、実際に攻撃するところを映像で配布したうえで『こういう攻撃をしてくるからこう避けよう』とアドバイスまでされている。
三等ヒロインたちはまじめに練習し、対策を練っていた。それが功を奏していた。
完全に初見であれば、十人の三等ヒロインのうちほとんどが被弾していただろう。
これは当然の話である。
ハードルには飛ぶ段階というものがあり、ハードルは超えてもらうために設置する。
最初の訓練なのだから難易度はベリーイージーである。
まじめに対策を練っていれば攻略可能。初見殺しや悪意あるひっかけ、運任せ、誘導や駆け引きなど一切ない。
アクションゲームの最初のボスのような、操作確認のごときチュートリアルだった。
ここから難易度が上がっていくのだろう、とは思う。訓練を超えていくことで順調に強くなれるだろう。
だが『オールステージクリア』に達しても、安全が保障されるわけではない。
むしろ彼女こそが安全を保障するべき立場の人間だ。
「誰か私の安全を保障してくんないかなあ……」
気を紛らわそうと軽く言葉を発する。
しかし安全の保障が彼女の中で重くなっているからこそ、己の中で反響してしまう。
彼女は本能的に察していた。
これはまずい。このまま消灯時間が来たら眠れなくなる。悪い想像が脳内で駆け巡ってしまう。
それこそお化けに怯える子供のように、不安が不安を呼び眠れなくなる。
お化けなんていないと自分に言い聞かせることもできない。怪物は実在し、それと戦うことが自分の使命だからだ。
身体特化型の怪物に叩き潰されるかもしれない。
魔法特化型の怪物にハチの巣にされるかもしれない。
怪人特化型の怪物に袋叩きにされるかもしれない。
そして、異常特化型の怪物によって死ぬこともできぬ苦しみに閉ざされるかもしれない。
なんでもいい、なんでもいいから気分を変えたい。
このまま消灯したらきっと、自分は、そのまま心が削られてしまう。
「……あれ?」
聞きなれた振動音。
彼女の個人携帯端末が「お知らせ」を伝えてきた。
なんだと思ってみてみると家族からだった。
自分と家族だけがつながるようにしているSNSに、家族からの書き込みがあった。
『あなたの活躍を見ました。頑張っていますね。貴方は私の誇りです』
『頑張ってるな。偉いぞ。すごいな』
家族かららしい、なんとも短く、気持ちを届けてくる文章だった。
何の話だ、と一瞬だけ思ったが、すぐに答えに行きつく。
「そういえば今日の訓練映像……編集して公式ホームページから配信しているんだった……」
ーーーいままで何度も説明してきたことだが、基本的にヒロインが怪物と戦う姿を記録することや配信することは違法である。
人が死ぬとか大けがをするところとかが映っていること、という常識的な理由もある。
見ただけで相手を魅了する能力を持った怪物に、世界中が汚染される可能性があるというのもある。
今回のように安全が保障されている訓練ならば放送や配信をしても問題はない。
怪物退治ではなく訓練なので違法性もまったくない。
もちろんそのまま垂れ流しにした場合、試合会場全部を常に映す視点で空撮したプロサッカーの試合を十倍速で流すような、いろんな意味でよく見えないものになる。
そんなことはわかっているため、複数のドローンで多角的に撮影し、それをAIで画像編集しつなげている。
変な話だが、ヒーロー映画のアクションシーンのように、視聴者がスピード感を感じられるようにしつつ理解できる映像になっている……はずだった。
百地は自分の親へ返信するより先に、怪異対策部隊の公式ホームページを確認する。
公式のトップページで推していたのは『合法公式』『ヒロインの訓練動画』と銘打たれている。
そこではオオミカヅチを相手に奮戦する自分たちの姿が映し出されていた。
アニメの主人公のようなカメラアングル、カメラワークで躍動する己や仲間の姿がある。
小型の怪獣を相手に必死で立ち向かう……我ながら格好いいと見入ってしまう映像だった。
映画俳優が完成品を見て感動した、ようなものだろうか。
訓練を受けている時の彼女自身はコレを目指していたわけではないが、彼女がヒロインを志した原点はこれではないか。
物語の主人公になりたかった。格好いいヒロインになりたかった。それが叶っているのではないか。
自然と目が潤んだ。
そうして流れるように、映像へのコメントを確認する。
心臓がバクバクとなることを感じながら、端末の上で指を滑らせた。
多くの肯定的なコメントであふれている。
すごい、格好いい。この人に助けてもらったことがある。一生懸命頑張ってくれている。
質の悪いコメントは排除されているのだろう、それはわかっている。
だがそれでも、多くの応援コメントを見ていると先ほどまでの沈んだ気持ちが吹き飛んでいた。
将来への不安がなくなったわけではないが、今なら消灯時間になっても不安につぶされることはないだろう。
彼女の心は間違いなく救われていた。
翌日、人工島研究棟にて。
李広は不知火と話をしていた。
「ドクター不知火。つかぬことをお伺いしますが、この画像の編集はこの研究棟でやってるんですか?」
「君は私たちが暇だとでも思っているのかい? 普通に外注したよ。いくらAIを使うとしても専門家に任せた方がいい映像を作れるのさ」
「まあ、そうですね……それからもう一つ質問が」
階級こそスーパーヒーローである広だが、五等ヒロインと一緒に勉学に励む身でもある。
よって同じ五等ヒロインや先輩である四等ヒロインとも話ができる状況である。
「四等ヒロインや五等ヒロインが、俺の……私の捕獲した怪物と戦っているじゃないですか。その映像は公開しないんですか? 先輩や同期から公開してほしいって要望があったんですけど……」
「あ、ん~~……技術的には可能だけど政治的にはダメだね」
訓練とはいえ本物の怪物と戦い勝利する映像が公開されれば、四等、五等ヒロインの士気も上がるだろう。
だがそれはかなわぬ夢であり、かなえてはいけない夢だった。
「君が捕まえるまでの間に、あの怪物たちのせいで被害がでているんだよ? その怪物たちを見世物にして訴えられたらどうするの、反論できないよ」
「……それはそうですね」
ヒロインの士気は大事だが、もっと大事なものがあると再確認する広であった。




