第ゼロ話
先の入学式を終えて数日後。
五等ヒロインたちは人工島へ向かう客船に乗っていた。
さすがに世界一周するような、ホテルほどの大きさがある豪華客船ではない。しかも東京近海にある人工島に向かうだけなので宿泊の必要もない。
ヒロインが乗る船ということで少し過大な期待をしていた五等ヒロインたちは、座席に座るのではなく甲板に出て写真などを撮っていた。
この客船の座席は、当然ながら室内にある。残っているヒロインたちはかなり少ない。
そのうちの二人が王尾であり、相知だった。二人とも裕福な家庭で育っているため船旅を特別だと思わない。
言い方は悪いが、彼女らからすれば他のヒロインたちは『電車で騒ぐ児童』と何も変わらない。ただの交通機関に乗っているだけなのに、何が楽しいのかわからないだろう。
「ねえ、音色。すこし話しておくことがあるわ」
「真面目なことみたいね……」
「ええ、弟とは無関係にね」
あえて弟とは関係ない、というのは彼女が自分の性格を自覚しているからだろう。
真の異常者は自分が異常だとは思わない。常識人が常識を疑わないのと同じだ。
彼女は自分を客観視しているからこそ、相知に対して弟とは関係ないと言っていた。
「入学式の時、五体の怪物が一気に解放されたわよね? 三体はスーパーヒロインが、もう一体は李広が。そこまでは私も見ていたわ。でもあとの一体は……誰が倒したのかわからなかったの」
「……え?」
「自分でも荒唐無稽だと思っていたもの。でもやっぱり、あの四人は他の攻撃をしていない。本人たちも不思議そうにしていたわ」
「そういうことはもうちょっと早く言ってほしかったわ……」
相知も優秀な女子である。王尾が何を考えているのか、何を伝えたいのかは感じ取っていた。
つまり李広だけが異物かと思っていたが、この客船に乗っている他の五等ヒロインたちの中にも未知の異物が潜伏している可能性があるのだ。
「そんなに大げさなことにはならないわ。気に留めておけばいいだけよ」
相知を安心させるつもりで、携帯端末を用いてニュースを映す。
そこには手錠をはめられつつ車に乗せられる少年の姿があった。
『先日、怪異対策部隊の入学式へ違法改造されたドローンを突入させ、危険な実験を妨害した容疑者(無職)が逮捕されました。容疑者は犯行を認めており……』
「誰があの怪物を倒したのかわからないけど、少なくとも害意はないわ。もしもあるのならむしろスーパーヒロインの妨害をするか、そうでなきゃ来賓に攻撃していたでしょ」
「そうだけど……」
「そういうこともある、ってことよ。多分ね」
王尾としては一応教えておくか、ぐらいの気遣いであったし、相知もそれはわかっている。
ただ知りたくない、関わりたくない情報ではあったので、気分は明らかに滅入っていた。
そのような状況で、二人の座席のすぐそばに一人の少女が現れた。
素朴な雰囲気の姿をしているのだが、表情は肉食獣のようにぎらついている。
相反する雰囲気を持った彼女は名乗った。
「どうも初めまして。王尾深愛さんと相知音色さんですね? 私は野花こころと申します。貴方たちと同じ五等ヒロインです」
「これはどうもご丁寧に……」
王尾は自然に、野花と名乗った五等ヒロインへ着席を促した。
新しいクラスメイトが仲良くしようとしてくれているのだが、表情は浮かないものである。
「ご用件は私相手かしら、それとも家?」
「ありていに言って貴方に、ですね。どうやら長い話がお嫌いなようですし、簡潔に要望を……」
美辞麗句は逆効果と悟った野花は直球で話し始めた。
「次世代のスーパーヒロインである貴方の派閥に入れてほしいんです」
「……そんなものを作る気はないわ」
「では、訓練の際などに協力してくださるだけでかいません」
「……目的を教えてくれる?」
「死にたくないからですよ」
野花の顔はぎらついているが、真面目でもあった。
王尾には多くの近づく者がいるが、ここまで真剣な眼はそうない。
だからこそ王尾や相知も少しだけ彼女に心を近づけていた。
「正直に言いますが……私、ヒロインの仕事は目的じゃないんです。素敵なヒロインになりたいとか、立派なヒロインになりたいとか……それは目的ではないんです。むしろその後……ヒロインとしての活動を終えた後のセカンドキャリアです」
ヒロインの引退は、世間の常識からすれば早い部類に入る。
どんなに長くても40歳には現役を退くことになっていた。
貯金や資産運用によって労働せず隠棲する者もいるが、大抵は次の仕事に就く。
そして引退した後のヒロインは良い企業に就職することができる。
一種の天下りであるが……むしろ政治家や上の公務員になる者も多い。
「私、政治家になりたいんです。あ、勘違いしないでくださいね? 貴方の家の力で政治家になりたいわけじゃないんです。そういうルートはあるでしょうが、可能性があるとは思い上がっていません」
「賢いわね」
「むしろそう軽々に動く人には近づけませんよ。私が目指しているのは正道……一等ヒロインとして怪物退治を行い、多くの実績を残したうえで引退。その後に元ヒロインの名前を活かして政界に出る」
五等ヒロインとして入学したばかりだというのに引退後のことを考えるのは、捕らぬ狸の皮算用というべきか、それとも真面目に人生を考えているというべきか。
「100パーセント。これは元一等ヒロインが出馬した場合の当選確率です。もちろん大幅な不祥事が発覚したケースは除外していますが、それでも普通ならあり得ない確率です」
この時代では、どの国でも女性議員比率が高い。
特に日本では三分の二が女性議員だという。
しかしそれは『女性が出馬したら三分の二の確率で当選する』というわけではない。
結局出馬した本人の実力や周囲の協力、そして運に左右されてしまう。
男尊女卑の社会でもすべての男性の夢がかなうわけではないのと同じだ。
「私としては一等ヒロインになること自体は目的ではないのです。一等ヒロインになった方が出馬に有利だから、ということですね」
「なればいいじゃない。貴方にはそれにふさわしい実力があるわ」
「私も正直、貴方に接触するのは悪手だと思っていました。怪物が実際に動くところを見るまでは、ね」
気付けば野花の体が震えていた。
最初から震えていたわけではない、先日の体験を思い出していたからだ。
「10パーセント。ここ十年で死亡した、あるいは再起不能になった一等ヒロインの割合です。30パーセント。これは三等ヒロインになった後、一年以内に怪異対策部隊を辞めた女子の割合です。大半は現場に出て、死なずに引退している……とも言えます。ですが無視できる割合ではない」
実際に怪物を見るまでは、先程の数字を重く受け止めることは無かった。
しかし見た後では『アレと自分が戦うのか』と深刻に受け止めるしかない。
「一等ヒロインとして活躍したうえで、五体満足で引退したい。それが私の中間目標です。それを達成するための確率はわずかでも上げたいんですよ」
教育カリキュラムの改正などで、生存率はさらに上がるかもしれない。
しかしそれは生存を保証するものではない。
できることは全部やるべき、というのは実に正しい思考だろう。
「私が強くなるための訓練に協力してほしい。それが私の、貴方の派閥に入りたいという理由です」
「派閥なんて面倒なものを作る気はないけど、貴方のことは個人的に応援したい。元々音色の特訓に付き合うつもりだったし、そのついでなら構わないわ」
「十分です」
野花は少し緊張が解けていた。
優秀だからこそ自分の歩む道の過酷さを理解し、それを突破するために頑張っている。
だからこそ最善手が成功したことに安堵している様子だった。それを悟られているのだから、彼女はやはり年齢相応ということだろう。
「それでは失礼します」
「……ああいう子ばっかりなら、中等部での生活も楽しかったかもね」
「あんな子ばっかりだったら、私が嫌よ」
「冗談よ」
頑張るのはあくまでも自分自身で、周囲には協力を要求するだけ。
野花がそのような女子であることを王尾は好意的に見ていたが、相知は少し苦手にしていた。
悪印象を抱くほどではないが、たくさんいたらとんでもなくギスギスしそうである。
(凄いな……勇気あるな……)
そのような会話を遠くから見ていたのは、やはり一夜夢であった。
未だに広へ声をかけることもできていない彼女は、王尾に話しかけていた野花を尊敬のまなざしで見つめていた。
自分も勇気を出さなければ、と気合を入れている。
しかしいざ広に声をかけようとすると、一気に気合が抜けていった。
窓際の座席に座ったまま海を眺めている広の、妙な緊迫感に気後れしてしまっていた。
(何か考えているのかな……こう、ヒーローになった後救えなかった人のこととか、クレームを入れられたとか……さっき捕まった人みたいに逆恨みされているとか……そういうのも助けてあげたいけど……)
現役である三人のスーパーヒロインは型破りというかなんというか、まあ……なにがあっても大丈夫そうな雰囲気がある。
一方で広はもっと人間的で、支えてあげなければ折れそうな雰囲気があった。
だが今触れれは怒らせてしまうかもしれない。そのような雰囲気も確かにあった。
それだけ真剣に考えている、という気配があったのだろう。
(昔の俺なら……か)
須原からの言葉はそれなりに刺さっていた。
確かに今の自分はどこか危なっかしく、簡単に死んでしまいそうである。
昔と比べて必死に生きていないと言われればそれまでだ。
(無理言うなよ……)
かつての広はすべてにツッパって生きていた。
周囲に噛みつき、反抗し、疲弊しながら生きていた。
成し遂げた後も同じようなものだ。
肩ひじを張って生きていた。
男とはこういうものなのだから、自分はこうでなければならないと信じていた。
それが間違っていたわけではないが、『相棒』との冒険の日々で自分が無理をしていたことを認めさせられた。
自分が疲れていることに気付いた。
もういいだろうと思ってこの世界に帰ってきた。
(そうだ……もう十分だ)
スキルツリー世界での広は、ハングリー精神で戦ってきた。
空腹を満たすためというよりも自尊心を満たすための戦いだった。
それはもう満たされてしまった。
自尊心が満たされ、揺るがぬ自信がみなぎっているということは、心が広くなっているということ。
自分の弱い部分を認められるし、バカにされても一々怒らないし、他人を助けてもお礼を求めない。
そういう意味では、土屋の評価も正しい。
自負心があるので危害を加えられても『コイツもいろいろあるんだろう。殴られてやるか』ぐらいの寛容さを持てる。
だがそれだけではない。『怒るとか反抗するって疲れるんだよな、おとなしく殴られる方がマシだな』とも思っている。
ハングリー精神で辛い練習に耐えてきたボクサーがチャンピオンになり、金銭的に満たされた結果練習に身が入らなくなって引退……と考えればだいたい合っている。
(だいたい昔の俺ってお前……最悪だったしな)
須原の思うかつての広とはソロ時代のことであろう。
25歳ごろの……キャラクターメイクを完成させていた時期を思い出す。
現スーパーヒロインたちが可愛く見える、最低最悪のクズであった。
※
ヤマアイ村。
スキルツリー世界の田舎の村であり、主に林業によって生計を立てていた。
多くの人が暮らしているというわけではないし、お世辞にも楽しい場所ではないが、それでも営みが確かにあった。
元スキルビルダーだという高齢男性が村長を務め、男も女も子供も働き者ぞろい。
互いに助け合う、喧騒とは無縁の村だった。
その村を悲劇が襲った。
はじめは奇妙な花が一輪、山の中に咲いているだけだった。
誰もそれに気づくことは無かった。それほどの、山に咲いているだけの小さな花だった。
その花はだんだん増えていき、周囲の木の生存圏を奪っていった。
背の高い木が生えていたはずの場所が、いつの間にか花畑に変わっていったのである。
何事かと思った木こりたちが近づくと昏倒した。
どうやら毒か何が散布されているらしい。
村民たちはマスクでもして焼き払おうと言ったが、村長は静止した。
絶対ろくなことじゃないから『専門家』に任せるべきだと言って、村の予算からギルドへ依頼を出した。
田舎から都会に依頼をして、そこで吟味をして……というだけでも時間がかかる。然るべきパーティーが準備を終えて向かうとなればやはりもっと時間がかかる。
一日千秋の思いで人々が待っていると、精悍な若者たちが武装して現れた。
「ギルド専属パーティ、ジャッカルです。この度は毒を散布する、植物型モンスターの退治とのご依頼を受けて参上しました」
「おお、よく来てくれた! 大したおもてなしもできない村だが、ゆっくりしていってくれ」
「いえいえ。大変お待たせしてしまったのです、これからすぐに向かわせていただきますよ」
ギルド専属パーティ『ジャッカル』は、元スキルビルダーである村長の眼から見てもしっかりとしていた。
前衛組は戦士、格闘士、防御士、攻撃士。
後衛組は魔術師、結界師、治癒師、支援師。
装備も状態異常対策をしたものであり、植物型モンスター相手に後れを取るような編成、構成には思えなかった。
「それじゃあ、お願いするぜ。実のところな、もう犠牲者が出てるんだ。最初に花畑を確認に行ったやつらが、そのなんだ……」
「お任せください、必ず仇は取りますよ!」
八人の若者たちは万全の備えで山に向かった。
人数は十分、対策も十分、気力も十分。
山に向かうことが危険であることを知ったうえで、さっそうと山の花畑に入っていく。
彼らはそのまま帰ってくることは無かった。
※
その事件から一か月後のことである。
村長はジャッカルが未帰還であると、ギルドへ手紙を送った。
そのうえで村民へ村を捨てるよう指示を出していた。
誰もが納得していたわけではないが、村長の判断が間違っていたことは無い。
村民は荷物をまとめて、親戚の家などに身を寄せる準備をしていた。
そんな中で一人の少年が、もう我慢できないと村長に文句をぶちまけたのである。
「村長! なんでだよ、なんで父ちゃんの仇を討ってくれねえんだよ!」
彼の父親は花畑へ最初に向かった木こりの一人であり、倒れてから数日後に息を引き取った。
壮健だった父が目を覚ますこともなく死んでしまったことで、少年は憤慨していた。
ジャッカルなるパーティーが壊滅した時も悔しく思ったが、今ほどではない。
なぜ村長は村を捨てるのか、何もかもを諦めてしまうのかわからなかった。
「いいか、よく聞け」
村長は膝をつき、少年と目線を合わせて話始める。
「あのジャッカルってパーティーは本当に強かった。全員がガチガチに対策を固めていた。何か問題があっても対応できるぐらいにな。それでも、一人も帰ってこなかった。何かあるんだ、何かがな」
「じゃあ絶対に勝てないって言うのかよ!」
「バカ言え、この世に勝てないモンスターなんているかよ。人間がその気になればどんなモンスターだって必ず勝てる」
こう言ってはなんだが、ジャッカルはキャラメイクを完成させ切ってはいなかった。
まだまだ研鑽の途中であり、スキルビルドも十分ではなかった。
装備も対策を固めてはいたが、最高級というわけではなかった。
村長はそれを分かったうえで、望みうる範囲で最高のパーティーが来てくれたと思っていた。
「だがなあ……この村で出せる報酬じゃ、超一流のパーティーは来てくれねぇんだ。もしも報酬で折り合いがつくとしても、ここまで来てくれねえよ」
超一流のパーティーは仕事を選べる。
田舎で、安い仕事で、しかも『万が一』があるかもしれない仕事など受けてくれるはずもない。
悪いことではない。彼らも危険と隣り合わせだからこそリスクマネジメントをしているのだ。
「だからもう、諦めるしかねえんだ」
村長もまたリスクマネジメントをしていた。
もはや花畑はふもとからでもわかるほど拡大している。
下手をすれば中にいるモンスターが攻め込んでくるかもしれない。
それを想えばこの村に長居は禁物だ。
ギリギリになってからでは、次の犠牲者が出てからでは遅いのである。
誰もが家の外へ家財を出していた。
希望はなく、逃げ延びるように引っ越しの準備をしている。
ここからどこかへ行くとしても、そこに希望などありはしない。
今までよりも悪い生活が……そもそも生活と呼べるものを再び得られるのかもわからない。
抗議している少年もまた、兄弟や母親がいる。
彼らの為に、ここでずっと駄々をこねているわけにもいかなかった。
そのような時である。
再び精悍な姿の若者たちが現れた。
やはり完全武装だが、今度は明らかに『物理攻撃』に対策をしている面々であった。
「失礼します。村長殿ですね? ギルド専属パーティー、コヨーテです。ジャッカルが壊滅したと聞いて参上しました」
「よ、よく来てくださった。だが……手紙にも書いたと思うが、依頼は取り下げる。あの兄ちゃんたちですら無理だったんだ。もう諦めるしかねえ……」
ここで村長は目利きをした。
目の前にいるコヨーテなるパーティーの実力は……。
個々人としてはジャッカルと同等だろう。装備は対策を固めているように見えない。
気概、のようなものは感じられる。おそらくジャッカルなるパーティーと親交があったのだろう。
だがこれでは二の舞いだ。
元スキルビルダーである村長は無謀な若者を諫める。
「お兄ちゃん達でも無理だろう。さあ、諦めてくんな」
「……悔しいですが、俺たちが行っても一緒でしょう。ですが私たちは『護送』であり、現場に行くのは……この男だけです」
コヨーテの後ろから現れたのは、全身を金属の甲冑で覆った男だった。
ただ金属でできているというだけではない。甲冑も、盾も、兜も、メイスも、どれも特殊な染料で塗装され、その上宝石などが埋め込まれている。
「その通り! この俺が! 一人で殺してやるぜ!」
明らかに最高級、オーダーメイドの品であった。
世間のことを何も知らない、村長の傍にいた子供ですら、彼が最高級の装備をしていることはわかる。
もちろん村長もそんなことはわかっている。
だがむしろ失望すらしていた。
「なあ……その装備には覚えがある。たしか重消費型の装備だろう? 着ているだけで魔力を消費し、使う時にはもっと消費する。その代わり超強いって言う……素殴りに特化した万能職の最高装備だ。そんなもんを着ている兄ちゃんが強いのはわかる。だがなあ……あのジャッカルってパーティー全員と戦って勝てるほどじゃねえだろ」
「……ああ!? おい爺さん! 今なんてほざいた!」
「事実だろう! お前さんがいくら強くても、一人で何ができるってんだ!」
「見当違いなことをほざいたうえに俺を弱いだと!? 上等だこの野郎! 今言ったこと忘れるんじゃねえぞ!? この俺を舐めやがってよぉ!」
全身甲冑の男は憤慨し、そのまま忠告も聞かず山に入っていった。
威厳もプロ意識もない振る舞いであり、無謀なバカそのものである。
「すみません……アイツ、腕は確かなんですが性格に難がありまして」
「いや、いいんだ。確かにアレだけの装備を着ているんだ、さぞ強いんだろう。強くなるため努力もしたんだろう。それなら軽く見られて怒るのは無理もねえさ。それより本当にいいのか? 流石に一人じゃ死ぬぞ」
「……死にませんよ、絶対」
コヨーテのメンバーは、今更ながら『専門家』について話し始めた。
「あのですね……貴方の見立て通り、彼の装備は重消費型の最高装備です。ですが着ている本人は万能職じゃありません、後衛職です」
「……ってことは、殴り後衛職!? ってことは支援師か!?」
強化を専門とする支援師ならば、自分を強化して戦うということもできなくはない。
スキルビルド次第だろうが、ソロ殴りバッファーというのも成立しうるだろう。
そう、後衛があの装備をしているのなら普通はそう考える。
「いいえ、治癒師です。それもアクティブスキルを一切取っていない、パッシブスキル全振りのソロ殴りヒーラーです」
「……は?」
思わず思考が停止していた。
村長は何を言われているのかさっぱりわからなかった。
若いころから引退まで、長くスキルビルダーをやってきたが、パッシブスキル全振りのソロ殴りヒーラーなんて聞いたことがない。
「……なあ村長。ヒーラーってヒールを使う人だよな? そんな人が殴るって強いの?」
「そんなわけねえだろ。そりゃまあたしかに、後衛職なんだからMPも多いだろうし、あの装備を着こなすこともできるだろうよ。だがそれでも素殴り万能職の劣化版にしかならねえはずだ」
「じゃあ、あのお兄ちゃんも……帰ってこないの?」
「大丈夫です。アイツはコンプリートボーナス『完全耐性』を獲得していますから」
「……コンプリートボーナス!?」
伝説級のキワモノを獲得していると聞いて、村長の声が裏返った。
「スキルポイントの八割だか七割だかを注ぎ込んでようやく獲得できる、アホか過食者しかとらねえコンプリートボーナス!? 神官ですらめったに見ない、なんなら止める、あの!?」
「そう、それです」
コンプリートボーナス。
スキルツリーから得られるスキルの中でも、抜きんでてぶっ壊れた性能を誇る最強のスキル。
スキルポイントの消費が重すぎるため、他のスキル獲得に必要なポイントがほぼなくなるという、普通のスキルビルドの方が強いという悲しき最強であった。
「しかもヒーラーが?! どのパーティーでも一人は採用されるっていう、スゲー当たりのクラスで!? それも完全耐性!? 完全無償とかじゃなくて!? そいつもギルド専属なのか!? いったいどれだけ借金をしていたら、そんなアホみたいなビルドを受け入れるんだ!?」
「アイツはフリーです。本人の自由意思であのビルドにしたんです」
「自由過ぎるだろ……」
子供は何を言われているのかわからなかったが、それでも全身甲冑の男が向かった先を見る。
もしかしたら、という希望を抱いて。
※
ずしんずしんと、苛立ちを顕にして山を進む甲冑の男。
彼はふもとから見えていた花畑へ向かって迷いなく進む。
「バカにしやがって……舐めやがって! 知ったような口を利くじゃねえか……俺がどんな思いでこれだけの力を手に入れたのか想像もできねえくせによお!!」
手にしていたメイスを無駄に振るう。
そのたびに魔力が吸われていくのだが、それでもまったく問題は起きない。
万能職ですら使える装備である、後衛職の彼ならばどれだけ無駄打ちしても耐えることができた。
「パーティーが壊滅したっていう超ヤバいモンスターを俺があっさり討伐して、目に物見せて、頭を下げさせてやるよ……!?」
すでに運動場ほどの広さがある花畑。
その中央には三体の植物型モンスターが踊っていた。
そう、踊っていた。植物型ではあるのだが、植物のような特徴を持つ少女、のようなモンスターであった。
花弁や葉が顔や髪、服のようになっている。
いっそびっくりするほど、悪さをするように見えないファンシーな見た目であった。
「こいつら、じゃねえよな。こいつらに負けたんならジャッカルがダサすぎる。他になんかヤバいのがいるのか」
花畑に踏み込んだ広は周囲を観察する。
やはり彼女ら以外にモンスターらしい姿は見えない。
ならば一応討伐するべきか、と思っていた時である。
「!?」
突如として三色の花吹雪が花畑全体を覆った。
何事かと思って盾で防御していた彼だが、その視界が一気に開かれる。
「なんだ……装備が!?」
彼が着こんでいた最高級の重消費防具が解けるように外れ、花畑に転がっていた。
盾だけでも手にしようと掴むが、持ち上げることができない。
「怪奇現象……いやこの世界だとローカルルールか!?」
ありえざる現象に理由を見出す青年。
そう、これはローカルルールと呼ばれる現象によるものであった。
今も花吹雪が吹き荒れるこの空間内では、三つのルールが課せられている。
バリアを張ってはいけない。
防具を身に着けてはいけない。
強化をしてはいけない。
三体のモンスター……プラントフェアリーとでも呼ぶべき存在がそれぞれにローカルルールを展開したのだ。
一つ一つならそこまで深刻ではない。
なぜならこの三体は状態異常に特化しており、他の攻撃手段が一切ない。
バリアで防ぐ、防具で耐える、耐性を強化する。
どれか一つでも対策があれば楽勝のはずだった。
そしてジャッカルはすべてを備えていた。
だがすべてがそぎ落とされているとなれば話は違う。
如何にヒーラーが状態異常回復のスキルを持っていても、本人が状態異常で行動不能になればどうしようもない。
そうしてジャッカルは壊滅したのだ。
「なるほどそういう……」
そういうことかと言い終わるより先に、攻撃的な意図を持った花粉の奔流が三体から放たれた。
鎧を外され普通の服しか着ていない彼に、状態異常攻撃が炸裂する。
こうなってしまえば勝ちが確定する。プラントフェアリーたちはより一層上機嫌になり踊っていった。
いかな猛者であっても、三重の状態異常にかかれば死を待つしかない。
ドラゴンすら倒せるはずの屈強なスキルビルダーたちが、もがき苦しむさまを見る。
知性を持つ三体にとって最高の娯楽だった。
「最後まで言わせろよなあ。なるほど、そういうことかよ」
花粉の奔流が終わった時、そこにはメイスを持つ男の姿があった。
彼は平然としたまま花畑を踏みにじり前進を再開する。
プラントフェアリーたちは困惑した。
おかしい、ありえない。
自分たちのローカルルールに耐えうる、解除耐性を持つバリアが展開されているのならわかる。解除耐性のある伝説級の防具を着ているのならわかる。解除耐性のある強化を施されているのならわかる。
だがそのどれでもない。
この男には間違いなく直撃していた。
「それにしても……ぷふ、ふは、ふははははは!」
男は狂乱することもなく笑う。
状態異常ではなく気分が高揚しているので笑うのだ。
「なあ? お前たちの必勝パターンが崩れたんだけどよ、どうする? 何ができる? ドラゴンだって倒せるパーティーを壊滅させられるはずなのに、全然効いてないぞ? さあどうする? なあ、なあ!」
対状態異常特化ビルドの真骨頂。
何をどうやっても、いかなる手段を用いても、状態異常でこの男に勝つことはできない。
「は、はははは! おいおい、どうした? なんかしてみろよ!」
花粉の奔流が何度も放たれる。
強耐性があったとしても蝕まれるであろう、高威力の状態異常攻撃が直撃し続けている。
しかし男には何の影響も及ぼさない。
メイスを振りかぶって、そのまま叩きつけた。
「はははははは! はははは! ははは! おいおいおい! どうしたんだよ! お前たち! もっと頑張れよ!」
三体の内一体が叩き潰された。
残る二体は震えて腰を抜かし、かわいい仕草で命乞いをする。
とてもではないが、村民やジャッカルを殺したモンスターには見えない。
「はははは! ははははは! 俺、俺、俺……俺って最強だな!」
さらにメイスは振るわれた。
長閑な村を乱した悪しきモンスターはここに討伐されたのである。
※
ふもとから見えた花畑が炎上した。
おそらく誰かが火を点けたのだろう。
しばらく燃えたのち鎮火したが、それが意味するところは大きい。
ほどなくして、三体の小柄な少女……のような、植物のような、残骸を持って全身甲冑の男が戻ってくる。
「終わったぞ。ジャッカルの死体やら装備も残ってたが、とりあえず置いてきた」
「そうか……さすがだな」
「だろお? 俺は強いだろう?」
「ああ。これで奴らも浮かばれる。本当は俺たちがやりたかったが……無理だっただろうな」
「ああ、無理無理。俺以外じゃ無理。身の程ってもんが分かってるじゃねえか」
待っていたコヨーテたちに戦果を見せびらかした後、傍にいた村長に近づく。
「俺に何か言うことがあるんじゃないか? っていうか、言えよ」
「……申し訳ない!」
村長は誠心誠意、深々と謝罪していた。
「アンタの、いや、貴方のおかげで村は救われました! 引退した分際で知ったようなことを言って……申し訳ない!」
「はははははは!」
老人の謝罪を聞いて、心底から愉快そうに男は笑う。
「ぜ、是非お名前を……」
「李広だ。覚えておけよ」
「スモモ・ヒロシ殿ですね! 必ず……そ、それで、報酬なのですが」
「ギルドに振り込んどいてくれ。おいコヨーテ、もう帰るぞ。ここにもう用はねえ」
一切の興味を失ったかのように、李広はプラントフェアリーの死体を放り捨てながらヤマアイ村の外へ歩き始めた。
コヨーテたちも数人が残り、他は慌ててついていく。
「すみません……あの通りの奴なんです。腕は確かですし、報酬にもこだわらないんですが……態度は最悪でして」
「い、いえ! 謝るのはこっち! 謝ったのは本心です!」
残るコヨーテに村長は謝罪を重ねていた。
「あ、アレだけの強者とは知らず、失礼な態度をとった俺が、私が悪い! 本当に、本当に感謝しています!」
村長だけではない。他の村民たちもあわてて広を追おうとするが、もう影も見えなかった。
「あ、あの、お礼とかは……報酬以上払えませんが、せめて謝罪や感謝を……」
「アイツはあの通り、獲物を狩ることにしか興味がないんです。引き留めても聞かないでしょう。また次の仕事を片付けに行くつもりです」
「そんな……」
不安が消えて罪悪感が村に満ちていた。
人々は申し訳なさそうだが、安心してもいた。
そんな大人を見て少年は知る。
この世には自分達と同じような思いをしている人がたくさんいて、そんな人を助ける人もいると。
他の人が無理だと言って諦めることを諦めずやり遂げる人がいるんだと。
「スモモ・ヒロシ……すげえ、すげえ……格好いい……」
少年はやがて旅に出る。
そして行く先々で彼の武勇伝を聞くのだ。
勝算が低いとか、情報が不十分だとか、依頼人が貧乏で報酬が少ないだとか。
実力派でも敬遠するような率先して請け負い、さっそうと解決する。
狂気のソロ殴りヒーラー、李広の武勇伝を。
※
そのような事件があったなあ、と広は船に揺られながら思い出していた。
自分の中身のなさを虚勢でごまかしていた。下手を踏めば死ぬという現実を直視しないようにしていた。中身なんてない男だった。だった、ではない。今もそうなのだろう。
「村に犠牲者とかもいたはずなのに……接客態度が最悪だったな。よくクレームが来なかったもんだ」
もう二度と、あんなことはすまい。
若気の至りを真剣に反省する。
「よく考えたら神官さん以外にはあいさつ回りしてないんだよな……謝りに行けばよかったな。いや、でもなあ……俺の顔なんて見たくもないか」
この世界で同じように振舞えば、間違いなくネットで炎上する。
それほどのことをしたのだと思うと、申し訳なくなる広であった。
(やっぱりヒーローとしての自分に責任を感じているんだ……)
独り言を聞いてかってに解釈する一夜夢。
その認識を聞けば広は否定するだろうが……『真実』は別であろう。




