肉食獣の追跡
警備に不備があった、とは言いにくいだろう。
問題は発生したが速やかに対処された。
その『速やかに対処された』が、拳銃の弾丸を撮影できるほどのスーパースローカメラでなければ捉えられないほどの速やかさであった。
なにがあっても大丈夫な戦力を配置していました、という言葉にウソ偽りはなかった。
一人でも十分な戦力を四人も用意していたので、来賓やヒロインたちも文句はなかった。
というか文句を言った場合、スーパーヒロインが怒るかもしれないので黙っていた。
とはいえスーパーヒロインたちはまったく別のことに思考を割いており、周囲の反応など気にも留めていなかった。
そして唯一状況を視認していた王尾も同じである。
(誰がどうやって倒した? 他のスーパーヒロインたちもわかっていないようだが……まさかこの会場に?)
おそらく敵ではないだろうし、先程のテロとも無関係だろう。
この会場のどこかに、全員を欺いた何者かがいる。
(どんな思惑で……まさかコロムラが潜入工作員を? いや、そんな遠回りなやり方をする連中じゃない……)
「どうしたの? なにかあったの?」
友人でありすぐ近くに座っていた相知が声をかけるが……。
「ええ、実は今……」
「ねえお姉ちゃん! 今の見た? すごかったね!」
駆け寄ってきた弟の声により、思考は一瞬で切断された。
「本当に怪奇現象を使えるんだね! あ~~でも、どうせなら土の怪奇現象が見たかったな~~! お姉ちゃんもそう思うでしょ?」
「ええ、そうね。なかなか見れる者ではなかったわ」
「さっきのダメージ集もそうだけど、今の映像ももらえないかな?」
「後で交渉してみるわね」
「あとさ! 怪物と広さんが戦うところを、今度はちゃんと見たいな!」
「さっきはすぐ終わっちゃったものね」
小さい子供と一緒に特撮番組を見ていたお母さんのように、弟の拓郎に接する王尾深愛。
その背中からはどす黒い殺意が噴出していた。
まさに二面性と言っていいだろう。弟に見せる光が強ければ強いほど、背中から発する闇はどんどん深くなっていく。
「それで、お姉ちゃんも戦うんだよね?」
「え、ええ! ええ! うん! もちろん戦うわ!」
「その時は呼んでね! 応援するから!」
「そっか! ありがとう、私頑張るわ!」
弟から向けられる光が彼女の闇を一瞬だけ払っていた。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに闇が溜まり煮えたぎっていく。
(こじらせてる……こじれ具合が増していく……)
いっそ拓郎がとんでもないクソガキになれば、深愛の心も離れていたかもしれない。
だが拓郎は今も姉のことが好きで、それはきちんと伝わっているわけで……。
(ええ、応援してね。そしてあいつを殺す……!)
先ほどの五人目は敵ではないのかもしれない。
しかし広のことは敵なので明確に殺意を燃やすのであった。
※
実験を行った競技場から全天候型のスタジアムへ戻る途中。
李広は須原紅麻と向き合っていた。
双方ともに、さきほど挨拶をした時とは明らかに雰囲気が異なっている。
広は意思を示しており、紅麻はどこか妖艶な笑みを浮かべていた。
「ずいぶんと人が悪いじゃねえか……俺のことをからかって楽しいか?」
「ええ、楽しいわ」
「ふぅ……先に言うがな、名前を言われても気付かなかったのは俺の頭が悪いからってわけじゃねえぜ。お前の説明の仕方が誤解を招くもんだったからだ」
「あら、私のことを覚えててくれたの? 嬉しいわね」
「いつまでふざけてやがるんだ。お前のことを知らない奴はモグリだろうよ」
遠くの怪物を一撃で噛み殺す方法など、スキルツリー世界でもそうはない。
「日本人で猛獣呪紋……それも最高位である究極猛獣呪紋の使い手なんてお前ぐらいだろうよ。トップスキルビルダーパーティ『グリズリー』のメンバー……スハラ・クレマ!」
言葉に応じるように、須原の腕にタトゥが浮かび上がる。
大型肉食獣の頭部が腕にびっしりと描かれており、今にも動き出しそうに脈動していた。
「私のことだけじゃなくて、プレデタトゥのことも知っているんだ。ますますうれしいねえ」
「知っての通り、俺はひねくれものなんでね。世話になっていた神官の人から色々聞いていたのさ。自分の腕を動物の一部へ変形させる呪紋……攻撃力が身体能力に依存する上に、極めるのがソロでは無理って聞いたんで諦めていたんだよ」
「ソロじゃなくても大変だったよ。正直パーティーのみんなも疲れ切っていたな~~」
プレデタトゥ。
捕食者を象ったタトゥを刻むことにより、己の体を獣へと変えることができる。
先ほどの須原は自分の腕を狼などの頭部に変形させ首を伸ばし、一撃で噛み殺したのち戻したのだろう。
言うは易し行うは難し。
そもそもプレデタトゥは召喚と同様にスキルツリーとはまったく無関係な体系の技術である。
よって、スキルツリーへ供物を捧げれば極められる、というものではない。
ファンタジーには敵を斬ることで成長する武器、というものがあるだろう。
プレデタトゥも同じであり、何度も使用し敵を倒すことで成長する。
ここまでなら実質的にスキルツリーへ供物をささげることと同じだ。問題なのは同じ種類の敵に勝っても意味がないということだ。
多くの地方を巡り、多くの種類の強大なモンスターを倒すことで成長していく。
勝てる相手が限定されている広では達成不可能な条件である。
それだけではない。
成長すると言っても上限はあるし、それは他の上級武器と比べても抜きんでたものではない。
見た目と違ってMPを消費しないため戦士向けの呪紋なのだが、はっきり言って労力に見合うものではない。普通の強い武器を買った方が早い。
よって、スキルツリー世界でも使い手の少ない技術である。
しかし一部のクラスの一部の型と非常に相性がいいため、ハマっている時は非常に強いとされている。
例としては素手で戦う前衛職格闘士や、同じく素手で戦う万能職魔闘者だろう。
彼らは武器を装備しているとアクティブスキルが使えないのだが、『自分の肉体』であると判定されるプレデタトゥならばその欠点を補うこともできるのだ。
であれば須原は格闘士や魔闘者なのかといえば違う。
「だからこそ、だろ。お前やお前を擁するグリズリーの名前は俺や相棒の耳にも届いていたさ」
キャラクターメイク達成者、須原紅麻。
クラス キャリアー系万能職 消費者。
獲得パッシブスキル アイテムボックス(消費アイテム限定) モンスター素材系統コンプリート。
ビルド型 魔物捕食者。
またの名を……。
「モンスターの肉を食べることに特化したビルド、最終消費者のキャラメイクを達成したんだからな」
消費者。消費アイテムの効果を増大させることに優れたクラス。
キャリアー系に属するため、いわゆるアイテムボックスを備えている。
ただし消費アイテム以外に保管することはできず、装備の保管や人員の収容はできない。
消費アイテムの例としては爆弾のような攻撃系、薬のような回復系、強化系が存在する。
料理やモンスターの肉なども該当している。
普通の場合モンスターの肉は、他のモンスターの餌にしたり、あるいは毒などの攻撃アイテムの素材に使用される。
しかし消費者には、モンスターの肉を自分の回復、強化アイテムとして扱うパッシブスキルがある。
そんなに便利というわけでもない。倒したモンスターの肉を一々食べて戦うだけなので、食料や薬を現地調達できるというだけだ。
しかしプレデタトゥの『頭部』を使えば攻撃がそのまま捕食になるため、攻撃に回復と強化が付随することになる。
極まった最終消費者の戦闘継続能力は圧巻の一言。
敵が多ければ多いほど肥大化し続け、食い荒らしつつづけるという。
初速こそ遅いが、終端速度の維持はとんでもない。
「お前ほどの女が地球に戻ってきて、ヒロインになって、俺の前にいる……どういうことだ?」
「お前ほどの女? くくく、嬉しいねえ。天下のソロヒーラー、史上初の殴りヒーラー、狂気の対状態異常特化ビルドのパイオニアにそんなことを言われるなんて……うれしいねえ」
「おい、いい加減に……」
「う、うれ、うれしい、嬉しいねえ~~!」
広が自分を高く評価してくれていることに、彼女はとんでもなく喜んでいた。
顔を高揚させて、身をよじって、涎まで垂らしていた。
(こいつもヤバい女だった……!)
言葉通りだとは思っていなかったので、広もドン引きである。
「いやほんと割とマジでさ、あんたに比べれば私も落ちるでしょ。そのアンタが私を覚えててくれて、高く評価してくれたらさあ……は~~、嬉しいねえ」
「要件を言えよ……」
「ちょっと長くなるけどさ、最初から話していい?」
「……もうそれでいい」
須原と広の関係はそんなに深くない。
ソロ初期の広を、グリズリーが勧誘しただけのことだ。
勧誘と言っても『お前の同胞なんだろ? ヒーラーなんだし拾ってやろうぜ』ぐらいの善意だった。
もちろん広は蹴ったのだが、それぐらいの関係で終わっている。
「物事には順番ってもんがあるわけじゃん。ぶっちゃけ、私たちグリズリーもアンタが名を上げる前はダレてたのよ。スキルツリーも埋まったしね~~」
誰もが向上心にあふれているわけではないし、それを持続させられるわけでもない。
スキルツリーを伸ばしている最中であっても十分金回りは良くなるし、満ち足りた生活はハングリー精神を損なわせる。
ましてスキルツリーの限界に達した後ならば、もうこれでいいじゃないか、と足を止めても不思議ではない。
「でもさ、アンタが台頭してきたから私たちもやる気が蘇ったのよね。昔『かわいそうだから助けてやろうぜ』と言ったやつが初志貫徹して、大出世して、肩で風を切って歩いているのよ? そりゃ負けてたまるかって気になるでしょ。そこそこのパーティーから一流にランクアップしたのはアンタのおかげってわけ」
「ほ~~ん」
「それでもアンタが引退する頃にはみんなもそろそろ限界って年齢になってね。円満に解散することになったわ。アンタですら知っている一流のパーティーとして名を売れたんだからいい現役生活だったと思う」
須原が広に好意的である理由はなんとなくわかった。
自分が同じ立場だったなら……いや、ここまで感謝される謂れはない。
「ちょっと迷ったけど、私もアンタと一緒で故郷に帰ることにしたのよ。知っての通り、故郷に帰る方法も私らレベルなら簡単だしね。それで各地を巡って、お世話になった人たちにあいさつ回りをしたんだけど……」
「なあ、その話大事か?」
「ん、じゃあこれは後の話にしましょうか。とにかく私を含めて何人か一緒に、日本に帰ってきたのよ。若返るとは思ってなかったけど悪くないわよね」
お互いいい年齢だったが若返って青春を味わえる身分になった。
とはいってもスキルビルダーとして濃密な時間を過ごした二人としては、そこまで興奮するほどでもない。
「んでさ、第二の人生をどうしようかなと思っていたら……アンタの活躍が耳に入ったのよ。ここに帰ってきても戦うなんて奇特ね~って思ってたんだけど」
「どうした?」
「アンタ……なにやってんの?」
怒りさえ滲んだ顔で睨む。
「ダメージ上等の戦いなんかしちゃってさ……なに、不死身になったつもり? それだけならまだいいけど、ヒロインにいじめられてなされるがままって何よ」
「いやでもよお……」
ズルをしている負い目もあるが、人生に苦しんでいる彼女らに殴られてやってもいいかと思ったのだ。
「アンタ、マジで死んでたわよ」
すこしふてくされている広へ、須原は真剣な忠告をする。
「土屋さんが助けに来なかったらエスカレートして、そのまま死んでいたわよ? わたしと違ってヒーラーの自己回復なんて大したことがない、なんてアンタが一番わかってるでしょうが!」
「ん、まあ……」
「スキルツリー世界で誰の力も借りずにキャラクターメイクを完成させて! 狂気のソロ殴りヒーラーとして名をはせて! 古代神を調伏し勇者の相棒にまでなった男が! 故郷で女子にいじめで殺される!? なにそれ!」
スキルツリー世界で名をはせていた広は、あくまでも自分のために戦っていた。だがそれでも多くの畏敬や感謝を集めていたのだ。
彼は気付いていなかったが、とっくにヒーローだったのだ。
みんなのヒーローがズタボロになっていく姿なんて見たいわけがない。
「少しは自分の立場とかを考えなさいよ! 昔みたいにふてぶてしく、自分のことを誇っていきなさいよ!」
「……それをわざわざ言いに来たのか?」
「んなわけないでしょうが」
ばしん、と。
手紙の束を広にたたきつける。
「これはね! アンタへの感謝の手紙! 各地を巡った時、アンタに渡してくれって言って託された、たくさんの人たちの声! 状態異常特化モンスターを倒してくれてありがとうって声! 過食者を倒してくれてありがとうって声! お前と仕事ができてよかったって声! 貴方の装備を作れてよかったって声! その人たちが今のアンタを見たらどう思う? 私は、私たちは……耐えられないわよ!」
昔の広は殺しても死なないだろうとさえ思われていた。
アレだけの偉業を成し遂げた男が簡単にくたばるわけがないと思われていた。
岩にかじりついてでも生きようとするはずだった。
だから心配なんてしていなかった。
彼の戦いぶりや暴行の現場を見るまでは。
「私たちは、アンタを守る。ヒロイン風に言えば李派……正式名称は李広を勝手に守る会……追跡者よ!」
「……ストーカーじゃねえか!」
「そうよっ!」
「そうよじゃねえよ! そもそも私たち!? お前以外にもいるの!?」
「くくく……五等ヒロインの中にも紛れているわ。さて何人いるでしょうね」
「せめて人数は教えてくれ~~!」
こうして……李広の学生生活は始まる。
クラスメイトの中に自分のストーカーがいる、ということを疑いながらの学生生活であった。
猛獣呪紋。
特殊なタトゥで、肉体を獣などに変身させることができる。
動物と共生するとかではなく、すべて自分の意志で動かすことができる。
ダメージ計算式は武器と同様で……。
本人の身体能力+プレデタトゥの攻撃力=ダメージ
となっており、身体能力が上がる前衛職向け
プレデタトゥの攻撃力は最初こそしょぼいが、強力なモンスターを狩ることで成長していく。
ただし同じ種類のモンスターを狩り続けても成長は停滞する。できるだけ多くの強力なモンスターを狩る……つまり多くの地方を巡って、さまざま環境で狩りをする必要がある。
成長限界に達したプレデタトゥは究極猛獣呪紋と呼ばれ、通常の強力な武器に匹敵、凌駕するほどの性能をもつ。




