波乱の入学式
怪異対策部隊の花形にして中枢、ヒロイン養成校の入学式。
桜の花が舞い散る季節に、都内の最も大きなスタジアムを借り切って行われる運びとなっていた。
入学する生徒はたったの50人。その人数を想えばスタジアムどころかどこかの会議室でも足りるだろうが、それでも大勢のマスメディアや各界の有名人が集まっている。
この50人が、この国の未来を担うかもしれない。
全国の夢見る女子たちの中から更に選りすぐられたたったの50人だけがヒロインになる。
ある意味では恐ろしいことだ。だがだからこそ彼らはヒロインたちを見定めに来る。
例年ではその通りだったが、今年はそうではない。
入学式を前に、入学生たちには階級章と制服が贈られている。
誰もが五等ヒロインであり、初々しく輝いている。
その中で一人だけの男子が、『スーパーヒロイン』と同じ階級章を身に着けている。
普通ならば、仮にスーパーヒロインの素養を持つ者であっても許されざること。
許されているということは、彼が正式にスーパーヒーローということだ。
「うん、うん、大丈夫だよ。ほら、目立つしさ。それに俺ももう高校生だからさ……ああ、うん。ごめんね、ちゃんと写真を撮って送るよ、うん。え、動画? 見た? え、うん。それ違法だよ? は? 近藤さん? あ、うん……ごめんなさい」
まだ入学式の本番が始まる前。
スタジアムに並べられた新しいパイプ椅子に座っている少年は両親であろう人物を相手に携帯端末で電話をしている。
入学式であることを想えば普通のことだろう。彼の受け答えも不自然ではない。
そんな彼に視線が集中している。
女尊男卑社会であることなど些細な事。
世界の行く末さえ変えかねない異物が座っていた。
「うん、ごめん……マジでごめん。え、うん……ごめんなさい。え、ヒーローやめろ? え? マズいって! 違約金が億だって! え? あ、はい、はい、勉強します」
(普通だ……)
思いのほか普通の男子生徒だった。
普通過ぎて逆に異常に思えてくるので人間は不思議である。
そんな彼に対して格別の視線を向ける女子生徒がいた。
彼に救われたことで進路を決めた少女、一夜夢である。
先日は生還の喜びによってお礼を言えなかったので、今日という日にはそれを伝えたかった。
「え、メールは送って……あ、はい……。毎日一回は電話します……はい。切ります」
(今がチャンスか?)
親との電話が終わったタイミングで近づこうとする。
(大丈夫、変なことは言わない。あの小人化の怪物に襲われていたうちの一人です、お礼を言いたくて来ましたって言えばいい。そう、それで握手とかしたらおわり。握手……握手は自然! そうそう、お話も普通……これからクラスメイトなんだし……ん? 50人だから、25、25で別クラスかも?)
しかし憧れのスーパーヒーローが近くにいるため緊張が高まっていた。
命がけの仕事に就く覚悟を決めるほど夢中になっているのだ、てんぱっても不思議ではない。
その数秒の間に一人の女子が近づいていた。
「あの、李広君だよね?」
「あ、はい」
「私のこと覚えてる? 貴方がスーパーヒーローになる前に会ったことがあるんだけど……。あ、名前は洲原紅麻だよ」
(先を越されちゃった!?)
「悪いけど全然覚えてない。どこであった?」
「一回か二回会っただけだからさ、気にしないで。これから一緒に勉強するんだし、挨拶しようと思っただけだからさ、じゃあね」
(うう……なんかすごく自然に挨拶が終わっちゃった。自分のことを覚えてもらってないのに平気で流しちゃうし、凄いなぁ。でもあれを手本にすればいいよね。よし、今度こそ……?)
本当に挨拶程度だったため、話しかけた女子はすぐに離れた。
これで夢にも順番は回ってくるかと思われたが……。
「少しよろしいですか?」
ざ、と現れた女子の存在感に何もかも塗りつぶされていく。
「私は今年入学する五等ヒロインの王尾深愛と申します」
李広は唯一の男子であるということ以外は普通だった。事前情報が無ければ目立つことは無いだろう。
しかし王尾を名乗る女子は明らかに存在感のステージが違う。
ただそこに立っているだけでスーパーヒロインの風格を表していた。五等ヒロインであると名乗っていることに違和感を覚えるほどだ。
そしてその存在感だけで、他の五等ヒロインたちは身の程を思い知らされる。
自分たちがただの兵士でしかなく、真の英雄とは彼女のことであると。
一等ヒロインと二等ヒロインにそこまで大きな差はない。
一等ヒロインの中でも最強であろう沼沈らを100点とすれば、現役の二等ヒロインの最下位は80点ほどである。(逆に言うとどう頑張っても79点にしかなれない女子はヒロインになる資格がないということだ)
大したことがないと考えるのは浅はかだろう。スポーツと同様、誤差を競い合う関係ならば20点の差は途方もなく大きい。実際のところ先日広に暴行を加えた三人も、どれだけ努力しても埋まらない差に絶望していたのである。
しかしスーパーヒロインは本当に桁が違う。
千点なのか万点なのか計り知れないほどの差がある、と思い知らされるだけだ。
そう、それが洗礼。『音成りんぽ』ですら事件が起きるまでは絶対的な自己肯定感を持っていたのだ。ヒロインにふさわしいだけの魔力を持つ彼女らがどれだけの自己肯定感を持っているのか想像に難くない。
それが根こそぎ、ぼっきりとへし折られた。
おそらくは人生初の、そして最大の挫折であろう。
スーパーヒロインは周囲のヒロインの心を霜柱のように容易くへし折り、それに気づくこともない。
同格ということになっている広以外に眼もくれず、ゆっくりと近づいていくだけだった。
「なにか御用ですか?」
「敬語は不要です。貴方は既にスーパーヒーローなのですから、五等ヒロインでしかない私に気を遣わない方が良いかと」
「いやまあ……それもそうか。それじゃあなんだ?」
一方で広も普通に対応をする。
王尾の存在感を受け止めても『この子が例のスーパーヒロイン候補か』としか思わない。
「私の弟が貴方のファンでして……握手などをしてくださいませんか?」
「へえ、弟さんが」
よく観察すれば、彼女のすぐそばに小学生らしき少年がいることに気付く。
品のいい服を着ており、もじもじと照れながら広の顔をうかがっている。
「どうも初めまして。俺は李広。一応君のお姉さんのクラスメイトってことになると思う。よろしくね」
「は、はい! 王尾拓郎、です!」
とても緊張しながら手を伸ばしてくる少年に、広は快く応じていた。
「おうぅわあ!」
「そんなに緊張しなくていいよ。俺は……!?」
ちょっとしたファンサービス程度のつもりだったが、強烈な殺気に驚く。
顔面が左右非対称になるほど強張っている彼女は、二重三重の混沌とした感情をあらわにしていた。
(はあ、拓郎が可愛い……握手してもらえてよかったわね。はあ、笑顔を独り占めしたい。他の奴らを全員殺して独り占めしたい……殺したい)
(てめえ、私の弟に触ってるんじゃねえよ……! 殺すぞ? 今殺すぞ?)
(もしも弟の夢をぶち壊すようなことをしたらどうなるかわかってるだろうな、殺すぞ?)
(やべえ……)
彼女の顔はサブリミナル現象を引き起こしていた。
CGかと思うほど雄弁に感情を表現できており、そこに言葉は必要なかった。
でも自制心が必要だった。あと少しで彼女の感情が決壊しそうである。
「あ、あの……僕、広さんのファンなんです!」
「あ、お、おう。そうなんだね」
「はい! 広さんの動画をいつも見てます!」
「それは違法視聴だからやめた方がいいよ」
「ご、ごめんなさい!」
(拓郎に謝らせてるんじゃねえよ! 殺すぞ)
(そうよ、危ないんだからね! ちゃんと辞めなさいよ!)
(なんか粗相しねえかなあ……理由があれば殺すのになあ)
(こりゃやべえな……)
「それで……魔剣リンポを触らせてくれませんか?」
「ん? ま、まあ……持ってきてるからいいけど」
自分で『魔剣リンポです』と広めたはいいが、いざ『魔剣リンポを触らせて』と言われると違和感を禁じ得ない。
まあ大丈夫だろうと思って渡すと、拓郎は宝物のように手にして振り回し始める。もちろん刀身は出ないので安全だった。
「すごい、コレが魔剣リンポ……無冠のスーパーヒロイン、音成弧電の愛刀……!」
「おいまて、その話は誰から聞いた?」
「え、ネットに書き込まれてましたけど?」
(絶対紫電だろ。アイツ何やってるんだよ! 犯罪者なのにくだらねえ書き込みしてるんじゃねえよ! そこで身元が割れて警察に捕まったら俺はどうすればいいんだよ! 面会に行くとしてもどんな顔すればいいのかわからねえよ! これ以上お前に着いて複雑な感情を抱かせんなよ! つうかまだ勘違いしてるのかよ! お前の中でお前のばあちゃんは何者になってるんだよ! お前のばあちゃんも三途の川の向こう側で困ってるぞ!)
思わぬ形で飛び出た幼馴染情報。
すくなくともネット環境のある生活はしているらしい。
情報開示請求したらそのまま芋づる式にコロムラが壊滅するかもしれない。どうやら紫電は獅子身中の虫のようだった。
ただの一手で秘密結社を壊滅させるというのは、ある意味ヒロインのような功績である。
『まもなく入学式が始まります。皆さまご着席願います』
「ほら、拓郎。もう時間よ?」
「あ、でも! まだ土の怪奇現象の名前とか聞いてない! それに僕が考えた技の名前とかも渡してないよ!」
「困らせたらいけないわ。ね、わかるでしょう?」
弟に対しては常識的に振舞おうとしている深愛が拓郎を親族席に送り出した。
そしてにっこりと笑って挨拶をする。
「弟の相手をしてくれてありがとう」(命拾いしたな、お前を殺せなくて残念だ)
「いや……気にしないでくれ」
奇妙な緊張感を維持したまま入学式が始まる。
誰もが静かにパイプ椅子に座り、行儀よく入学式の開始を待っていた。
『どうも皆さんこんにちわ。私は怪異対策部隊の総司令、森々天子と申します。諸事情により姿を現すこともできない身ですが、司会進行を務めさせていただきます』
音声のみで入学式を仕切るのはやはり総司令であった。
ヒロインたちや他の関係者は少し不満そうであるが、広や相知、深愛は本人を知っているので黙っている。
『本日はお日柄もよく、入学する皆様を祝福しているようです。ご親族や来賓の方々も、この国の未来を担う有志の旅立ちに立ち会ってくださり、感謝の念に堪えません』
彼女の言葉はやはり定型。
なにも可笑しなことは無く入学式は進む、かに見えた。
『……あえ、え、う……その、ええ~~……それではこれから、現役スーパーヒロイン三人から、入学生の皆様へ挨拶があります。え、ちょっと、コレ、大丈夫なの? 一人でもアレなのに三人全員なの!? 放送されてるのよね!?』
『大丈夫じゃないですけど、これ、しょうがないのでは? いつものことですし……』
『……皆さま、どうか、その、寛大な心をもって……心を無にして、天井の染みを数えて、話が終わるのをお待ちください。耳栓やアイマスクをお持ちでしたら使用しても構いません、ご用事がある方は退出なさっても結構です。メディアの皆様、放送を緊急停止するのなら今です。未成年の方にはご視聴を遠慮願います』
入学式なのに未成年が視聴を遠慮するとはこれ如何に。
一等技官ドクター不知火の声が聞こえてきて微妙に放送事故であったが、放送事件が起きるのはここからであった。
BGMがスタートしています。




