絶頂への道
怪物を捕獲した後、ヒロイン部隊と広は高速ヘリに乗って帰ろうとしていた。
大きなヘリの内部には石化した怪物が置かれており、万が一の際にはこの場で駆除する予定である。
ある意味では危険な爆弾を輸送しているような状況であるが、すでに何度も繰り返していたため緊張感も緩んでいた。
あまりいいことではないのだが、既に広の石化能力については信頼が得られている。
また広本人の戦闘能力へも理解が深まっていた。
能力も異常だが、戦い慣れし過ぎている。
人生二週目、勇者の生まれ変わりでも納得できるレベルだ。むしろそうとしか思えない。
そして、だからこそ……。
(これで死にたがっている、生きたいと思っていないって……うそでしょ?)
このヘリに乗っているのは土屋派のヒロインたちだ。
現役スーパーヒロインたちの中では相対的にマシとはいえ、それでも彼女は圧倒的に変人である。
しかし行動のスジ、というか思想はわかる。
自己顕示欲が暴れ狂っているだけで、それに見合う実績は上げている。
羞恥心と自制心がないだけで、彼女の自慢の内容は周囲も認めている。
自分達もスーパーヒロインになれば自慢して回るだろうな……という意味では共感できる。
だが彼は自己顕示欲がないどころか、生存したいとすら思っていないという。
アレだけ強くて制御もできていて、周囲からも理解を得ていて、実績も挙げている。
それでも死にたい、というのはヒロインである彼女らには理解の外だ。
自分達ならばむしろ死にたくない、生きたいと思う。生きて栄光の道を、羨望や尊敬の目を向けられながら歩み続けたいだろう。
(とか思ってるんだろうなあ……)
黙って座っている広は空気を読んでいた。
ヒロインたちが自分へ不信感……というか異常性を理解できず困惑していることに理解を示していた。
ヒロインという立場になっている彼女らと自分が、分かり合えるわけがないのだ。
(ヒロインたちは努力して強くなって、命がけで戦っている。後悔することだってあるだろう。だけどそれでも正道を歩いているっていう安心感はあるはずだ。失敗しても許容されるし助けてもらえる。挫折しても補償がされる)
これからヒロインと共に学校へ通う予定であるため、補償についても勉強をしている。
ヒロインとして活動することが大変だからこそ、多くのサポートや引退後の就職先も用意されていると知った。
だからこそ言える。
(ヒロインの人生にあの絶頂はない)
成し遂げた後だからこそ、ヒロインたちを憐れんですらいる。
スキルツリーへ供物をささげ、スキルを獲得し、完成形へ近づく日々。
常に将来への不安と戦っていた。
スキルツリーによるスキル獲得に『限界』が設定されているからこそ、前進することは可能性を狭めることと同義だった。
今ならまだ引き返せる、明日死ぬかもしれない、この選択に価値はあるか、矜持と心中する気か。
確固たる信念など当時の自分にはなかった。
常に迷い惑い不安に抗い、夜に寝る前、夢の中で悪い想像が駆け巡っていた。
なぜ普通を選ばない。
自分独自のスキルビルドに何の価値がある。
誰も選んでないってことはそういうことだぞ。
周囲からの正しい助言に心が削られていた。
いっそ折れていればよかった。
最後までやり切ったのは一種のコンコルド効果に過ぎない。
(すべてのスキルを埋め終えた後も不安だった。状態異常が得意なモンスターと戦う前も不安でいっぱいだった。初めて勝ったときもまだ安心できなかった)
総司令官も言っていたが、完全耐性と自己再生能力があると知っても普通はそれを信じ切れない。
広にもその時期は確実にあった。
(何度も勝って……俺は自分のスキルビルドが強いと確信できた。あの時の俺は……人生の最高到達地点に達した)
ここで広の口角がつり上がった。
当時を思い出しただけで絶頂の快感が蘇ったのだ
(正しい道を正しい速度と正しい手順で歩いている人には味わえない。誰も保証をしてくれなくて、自分自身ですら自分を疑っていて、それでも成し遂げて、成し遂げた成果を確信した時。あの瞬間、あの時点、一点こそ人生の絶頂だ)
絶頂とは文字通り頂点、点、切り取られた一瞬だ。
感情的にも論理的にも、一切陰りなく歓喜に浸ることができた。
(絶頂を味わった後の日々も楽しかったが、アレは余韻みたいなものだった。四柱の神の力を得て暴れたときだってあんなには興奮しなかった。心の昂ぶりはアレが最高到達地点だった。俺が証明した後に同じ道を歩く人が出ても、アレに至ることは無い。再現不能の絶対的な快楽だ)
もう二度と、自分の人生に訪れることは無い一瞬。
記憶を失ってまた遊びたいゲームがある、記憶を失ってまた読みたい漫画がある。
記憶を失ってまた味わいたい瞬間があった。
その願いは虚しいだけだ。
違う。
もう何の願いも抱けない。もうこれ以上何を望むというのか。
(紫電……お前の人生の先にも絶頂はあるんだよ。俺はそれを知っているんだよ。だから俺は……)
彼女はもう人殺しだ。
善良な人工島の職員を殺してしまっている。
それを知って彼女の親はとても悲しんでいた。
だがそれでもなお。
(俺はお前を否定できないんだ……!)
広はまだ彼女に何を言えばいいのかわからなかった。
※
反社会勢力、コロムラ。
非道な人体実験を日夜繰り返しているという恐るべき組織。
強さを第一義とするがゆえに、内部では構成員同士の殺し合いも絶えないという。
そのような噂が流れており、そして実際にその通りであった。
とある大富豪が暮らす大豪邸の、地下シェルター内部。
現当主の父が現役の際に、核戦争や怪獣による攻撃を警戒して建設させた避難所。
現在そこではコロムラの若手同士が血で血を洗う戦いを行っていた。
もちろん大富豪はこの戦いを把握し観戦さえしている。
自分がスポンサーを務めるコロムラの戦力を自ら確認しているのだ。
「最近は怪異対策部隊の悪い噂が絶えん。リスクマネジメントのためには当てにできるところを増やしておかねばな」
「まこと、慧眼でございます。命より大事なものはありませぬ故」
「その通りだ。有り余る金もそのままでは紙屑かデータの数字。使わねば腐るだけだ。とはいえ投資先を間違えるわけにはいかん」
「それもその通り。自らの眼で確認するのが最良。よくわからぬ輩に金を出して安心するグズとは違いますな。それで此度の若手はご満足いただけましたか?」
「まあまあだな」
「これは連れないお言葉……退屈でしたか?」
「魔力のある者同士の殺し合いもどきを楽しむ趣味はない。ただの確認作業だからな。それで次が最後だったか?」
「はい。殺村紫煙の新弟子紫電と、新入りの入れ替え戦でございます」
「……噂のスーパーヒーローの幼馴染か」
「その入れ替え戦相手は『グレーガール』です」
改造人間同士の戦いも十度を越えていた。
最後に現れた選手は二名。
殺村紫電とその対戦相手であった。
奇妙なことに、対戦相手は顔を布で隠している。
視界は確保されているのだろうが、この状況で顔を隠しているのはもはや滑稽であった。
「……なに、体面を取り繕う趣味でもあるの? それでコロムラに入ったの?」
「ええ、そうよ」
「ずいぶんとあっさり……。まあいいわ……私も新人だけど、今日まで全速力で鍛えてきた。アンタが誰でも紫煙師匠に鍛えてもらう権利は譲らない」
「そう、それでいい。勝って奪うだけよ」
紫電は女子としては標準体型だったが目の前の女子は少し背が高い。
何かスポーツでもしていたのか、手足は長く動きも落ち着いていた。
(こんな戦いで躓いていられない。違う、どんな戦いでも躓けない。私はもう誰にも負けない……!)
むしろ紫電の方が大きく踏み込む。
サーベルを抜き斬りかかった。
相手もサーベルを抜き応戦する。
(よし、相手は素人だ。剣の扱いは私の方が……!?)
紫電の眼には、相手が素人に見えた。
殺村流殺人刀殺法を修めている自分ならばすぐ勝てる、そう踏んでいた。
しかし剣戟は終わらない。
何度首を跳ねようとしても受け止められてしまう。
それどころか逆に浅い傷を負わされてしまった。
「!?」
「そんな、剣の素人相手に。ってところ? 漫画やアニメだとよくある展開だけど、私がそう思われる立場になるなんてね」
(まだ戦える……勝つ、勝たなくちゃ……!)
「まだ闘志は萎えていない、ってところ? いいわね、そうこなくっちゃ!」
剣戟が再開する。
太刀筋を見切られてしまったのか、今度は紫電が追い込まれていく。
防戦一方となり、体に傷が増えていく。
「なんで、なんでよ! 私は今日まで必死に頑張ってきたのに!!」
「理由が知りたいの? 教えてあげる」
自分が同じ年頃の女の子に負けるわけがない。
紫電の思い上がりを目の前の女子は嘲った。
「私は『グレーガール』なのよ」
「……?」
「ネットスラングだもの、知らなくても恥じゃないわ。むしろ知っている方が恥でしょうね」
圧倒的優勢を確認した女子は顔を隠されてなおわかるほど優越感に浸っていた。
ただしそれは斜に構えた優越感であったが。
「大昔、徴兵制の時代では魔力があれば誰でもヒロインになることができた。でも現代では一定以上の魔力を持たなければヒロインになれない」
「知ってるわ」
「じゃあこれは知っている? 少しでも魔力を持つ者はスポーツの大会に出場できないのよ」
「知らなかったわ。でもまあそうなんでしょうね」
幼少期からヒロインに憧れていた紫電は女子スポーツに参加しようと思ったことがない。
だが自分が周囲の女子生徒、男子生徒より優れた身体能力を持っていることは知っていた。
仮に自分が試合に出ていれば簡単に優勝できるだろうとは思う。
「その通り。少しでも魔力があれば身体能力は高まる。日常生活では気になることは無いけどスポーツをすれば顕著になるわ。だからこそ公平を期するために大会出場は禁止されている」
「で?」
「まだ話の前提が終わっていないわ。……魔力の測定が許可されるのは中学生以降なのよ。それ以前は公的機関での検査は禁止されているの。まあいろいろな理由があったんでしょうね」
ここまで聞けば紫電も空気を読む。
「なるほど……小学生までは何かのスポーツで優秀な成績を残していたけど、中学に上がって検査を受けたら魔力を持っていたと」
「ええ、その通りよ。私みたいにね、弱めの魔力があったせいで夢が破れる女の子をグレーガールって呼ぶのよ」
女子は顔を隠したまま、にっこりと笑って激怒していた。
「ウケるわよね。ヒロインになれるほどじゃないけど魔力があるので試合に出るのは禁止ですってさ。それまで私のことを褒めてくれていたお父さんやお母さんも私に興味を無くしたわ。私のことを応援してくれていた人たちも離れていった。私のライバルたちは口汚く罵ってきた。『ズルじゃん』『チートじゃん』『恥ずかしくないの』だってさ。それで反撃したら私が犯罪者だってさ」
魔力はあるがヒロインになれるわけではない。
そのような位置に属する少女をグレーガールと呼ぶ。
ただしそれは広義の話。もっと狭く、そのような事情で夢に破れた少女、という意味で使われることの方が多い。
「そのルールに不満でもあるの?」
「あるわけないわ。私だってヒロインの動画を見る度に、こういう子が試合に出たらイヤだなって思ってたもの。第三者目線で言えば、私程度の魔力でもズルとしか言えないわ」
強い魔力を持つ者は、超人的な身体能力を誇る。周囲とのスポーツが成立しないほどだ。
しかし弱い魔力を持つ者は、少し身体能力が高いという程度になる。
100m走でたとえれば9秒台が出せる程度だろうか。魔力のない常人より一秒早いだけである。
もちろん凄いのだが、日常生活でも、あるいは怪人や怪物との戦いで役に立つほどではない。
だがスポーツの世界ではありえないほどのインチキである。
「一秒早い、10cm高く飛べる。それだけでもスポーツは破綻する。真剣勝負にならないじゃないの」
(まったくだな)
観客であるスポンサーは同意する。
彼は一般的なスポーツは好きだ。
表側の出資もしているし、自ら観客として見に行くこともあるし、趣味程度だが自分でやることもある。
遊戯までならヒロインが参加してもいいと思うが、真剣勝負である競技には参加してほしくない。
もうレギュレーションからして違う。
「でもだから、じゃあ諦めて新しい人生を送れる……なんてできない。貴方に想像できる? 物心ついた時から同じスポーツの練習を続けることを。泣いても親に叱られることを。少しずつ上達していく日々のことを。寝る時間、食べる物を管理されることを。目を悪くするからって、携帯端末もゲームも許されなかったことを。で、実は魔力がありました、参加禁止です。これでヒロインになれるのならまだしも……普通に生きていけ? 切り替えられるわけないでしょ。上る階段がないのなら穴にだって落ちるわよ」
「そうね」
ここで紫電は目の前の相手の強さを理解する。
剣の素人であってもスポーツに関しては天才だ。
純粋な反射神経と身体能力で自分を押している。
「今日まで頑張ってきた、ね。今日までって、何時から今日まで? 一年前? 二年前? それで物心ついた時から努力してきた私に勝てるとでも?」
「いろいろと訂正するわ。正直貴方のことを舐めていたわ。本気で相手をしてあげる」
ここで紫電の纏う空気が露骨に変わった。
何か尋常ならざる雰囲気がにじんできている。
「ここは戦いの場、試合じゃない。レギュレーションなんて存在しない。貴方を一段上の力で一方的にねじ伏せるわ」
虚勢ではないと彼女は感じた。
しかしそれでも勝てるつもりだった。
既に太刀筋、技のリズムは覚えている。多少の奥の手があっても自分ならば対応できるはずだった。
「どうとでも言いなさい。貴方と私に魔力の差はない。それなら魔力以外の要素が勝敗を分ける……!」
「ええ、そのとおり!」
ここで紫電は一気に勝負を決めにかかった。
超高速で踏み込み、切り裂こうとしてくる。
狙いは間違いなく顔だろう。
そこまでわかったうえで、彼女はカウンターを決めようとする。
絶対に成功させてみせる。
その決意で迎え撃とうとした。
「あ、あああああああ!」
そんな彼女の顔が切り裂かれた。
顔を隠していた布が破られたが、出血と傷によって結局顔の判別ができない。
それは幸か不幸か、それとも嫌味なのか。
「なんで、どうして!?」
「今の私は怪獣の持つ力……怪奇現象を使用できる。私の肉体を中心に、半径10cm以内の者の身体能力は強化される! その範囲の外には何の効果も及ぼさない」
先の戦いで紫電は怪奇現象を体験した。
怨敵がそれを行ったこともあり、強く必要性を覚えた。
怪獣の細胞を移植されていた彼女は、自らその境地に到達していた。
怪奇現象の及ぶ範囲が狭過ぎるからこそ、彼女は純粋な自己強化技として怪奇現象を発揮できる。
「その強化倍率はさほどでもないわ。でもスポーツなら反則級の効果ともいえるわね」
「ぐ……!」
「まさか、反則だなんて言わないわよね? これがスポーツだなんて言わないわよね? それとも言って死ぬ?」
「わ、私の、負けよ」
「そう、それでいいの」
勝った紫電の顔に歓喜はなく、敗者は怨嗟に燃えている。
なんとも濁りきった試合結果に、スポンサーは観客として呆れつつ、しかし顧客としては満足していた。
「怪奇現象を操れるのは例のスーパーヒーローだけかと思ったが……素晴らしいな、再現性があったとは。正直見直したぞ」
「ええ……挑戦する者だけに明日が来る。ビジネスの世界でも同じでしょう?」
「その通りだ。そして結果を出したものには然るべき飴がある。スポンサー契約は続行しよう」
「ありがたく」
晴れやかさの欠片もない闇の戦いは、予定通り昏い結果になった。
この後シェルターは速やかに清掃されなんの痕跡も残ることは無かった。
このようなことは、世界のどこでも行われているのだ。
(笑うな、喜ぶな。こんなレベルの低いことで感情を動かすな。勝って当然の相手に勝っただけだ)
紫電の内心での葛藤もまたしかり。
(アイツに勝っても強くなったわけじゃない、まだなにも成し遂げてなんかいない!)
彼女は細やかな潤いに甘んじない。
感情としては喜んでいても、論理的に不安を抱えていたのだった。
(喜ぶのはその後よ……!)
なんとも悲しいことに。
彼女がもしも真の栄光を掴んだときには……。
途方もない達成感が待っている。




