女尊男卑世界
西暦2000年。
20世紀最後の年に、人類に転機が訪れた。
一つは魔力の発見。
人間の中にはエネルギーが存在しており、それを兵器の動力源として運用できることが判明した。
もう一つは『怪異』の出現。
人間同様に魔力を持ち、人に襲い掛かるエネミー。
人類の中でも強い魔力を持つものたちは、魔力の武器をもって怪異と戦うことになる。
人の暮らす地に突如現れる怪異が、何者かわからぬうちに。
そして、奇妙なことに……。
この世界において、魔力を持って生まれるのは『女性』だけであった。
※
2100年。
魔力が発見され、怪異が出現し、百年が経過していた。
世代交代が成されたこともあり、人類にとってこの二つは電気や災害と同様にあって当然のものとなっている。
そのような世界の日本で、李広は目を覚ました。
住宅地の中に建つ一軒家の、自分用の部屋の、自分のベッドの上である。
まだすこしだけ『今の自分』に違和感のある広は、起きて早々に部屋の中の鏡の前に立った。
パジャマを着ている中学三年生。
かつて異世界へ行った時の自分が、そのまま鏡に映っていた。
「これもサービス、なのかねえ」
神隠しに遭い、スキルツリーの存在する世界にたどり着いた広。
彼は冒険の途中で元の世界に帰るためのアイテムを獲得しており、それを用いて故郷に帰還した。
異世界で過ごしていた彼は30歳ほどになっていたが、現在の彼は異世界へ赴く前の自分に戻っている。
そのうえで獲得したスキルはそのままとなっており、人生のいいとこどりをしているような状態であった。
「これで俺も怪異対策部隊に入るれるぞ~~~! 大活躍だぞ~~! ……アホクサ」
心身ともに若返っていれば、そのように振舞っていただろう。
自分で自分を笑いながら、広は着替え始める。
「今更富や名声が欲しいとか……それなら元の世界で楽しくやってたさ」
この世界で唯一の、男でありながら魔力を持つ隊員。
なるほど凄いかもしれないが、向こうの世界での栄光と比較すれば大したものではない。
珍しいとか世界初の事例とかではなく、大陸を救った勇者の相棒枠だったのだ。それ以前ですら武名はとどろいていたし、本当に今更だ。
「……そうさ、俺にはもう頑張る理由がない」
広は自分の部屋を出た。
リビングに入っても、両親は既にいない。死んだとかではなく、普通に出社している。
この時代では珍しくないが、共働きで激務なのだ。
特に今の時期は繁忙期であるらしく、
それでもラップをかけた朝食が置かれているので、空腹感も孤独感もない。
両親からの愛情は十分に感じられた。
否。今だからこそ、両親の愛情を感じられた。
「まったく、つまんないことにこだわっていたもんだ」
朝食をレンジで加熱しながら、昔の自分を笑っていた。
母親と父親では、母の方が稼いでいた。
かつての自分は、父親が情けないと思っていた。
もしかしたら自分も、『女』より稼げない大人になるのでは、と思っていた。
そしてそうなったなら、女が悪いせいだと思っていた。
なんとも理不尽な被害妄想である。
仮に自分が一般的な女性より稼ぎが少ない大人になったとしても、それは『女性全体』のせいではあるまいに。
向こうの世界で、個人としてそれなりに稼いでいたからこそわかる。
稼ぐのは大変なのだ。父親も母親も朝から一生懸命働いているのだから、どっちの稼ぎがどれぐらい多いとか気にするほうがおかしい。
こんなこと、異世界で冒険するまでもなく悟っておくべきことだった。
「栄光も評価も十分だ、うん。日本では地味に生きよう……」
女勇者と一緒に冒険して理解した。
人より評価されるには、人一倍努力しなければならない。どの職業でも同じなのだ。
人と同じぐらい努力するだけでも大変なのに、人一倍というのは本当に大変だった。
人一倍頑張るには、それなりの理由がいる。
今の己にそんなものはない。人と同じぐらい頑張るだけで精いっぱいだ。
レンジでチンした朝食を食べながら、この世界に帰る前から決めていた人生設計を自画自賛していく。
周囲からすればつまらないかもしれないが、本人としてはバラ色の人生に思えた。
傍から見ると、異様に嬉しそうな顔で朝食を食べている中学生である。
微笑ましいようで、僅かに闇を感じさせていた。
そのように幸せな時間だったのだが、唐突に玄関のチャイムが連打される。
玄関には防犯用のカメラが付いており、携帯端末と同期している。
その画面には、知っている顔がアップで映っていた。
「スモモ~~! いるんでしょ、出てきなさい~~!」
(コイツがいなければ、もっといい人生なんだろうよ……)
端末からとドアの両方から、甲高い声が聞こえてくる。
広は騒音に耐えながらも、少し急いで朝食を食べた。
本人はイライラしながら玄関に向かうが、待っている方はもっとイライラしていた。
「いつまで待たせてるのよ! 早く来なさいよね! 女を待たせるなんて、男の自覚あるの?」
「……知らねえよ」
なんとも『この時代の女性』の悪い面を前に出した発言をするのは、中学三年生の少女である。
李家のお隣さんであり、広にとっては幼馴染でもある。
音成りんぽ。
彼女はいつものように、広を呼びに来たのであった。
「いい? 今日は学校が休みなの。それなら私の特訓に付き合いなさいよね」
(思えば俺がサポートを嫌うようになったのはこいつのせいなんだよな……)
音成という女子がとんでもなく強引であることは広もよく覚えている。
このままここで問答をしても粘着してくるだろう。
「……準備はしたから今から行くよ」
「準備する前に顔を出しなさいよね!」
広は自宅の外へと手を引っ張られて、そのまま連れていかれるのである。
二人が向かった先は、人のいない野山を利用した公園の中だった。
そこで音成は、とんでもなく自慢げに『柄』を取り出す。
「さあ、今日もスーパーヒロイン目指して特訓よ!」
「……おぅ」
普通に考えれば『そういうのは小学生低学年で卒業しろよ』と言いたくなるだろう。
しかしながら彼女は真面目であるし、広も『リアルとフィクションの区別もつかないのかよ』という驚きはない。
2100年の日本にとって、スーパーヒロインは現実に存在する称号だ。
怪異対策部隊において、現場で怪異と戦う者たちをヒロインと呼び、その中でも抜きんでた実力者をスーパーヒロインと呼ぶ。
つまり彼女は『怪異対策部隊で一番強くなる』ぐらいのニュアンスで話をしているのだ。そこまでおかしなことではない。
もちろんそれは、メジャースポーツのオリンピック金メダルを取るというぐらいには非現実的であった。
「さあ……行くわよ!」
彼女の持っていた『柄』。それは片手持ちのコンバットナイフの柄そのものであった。
彼女が気合を込めると、魔力による光が生じて刃が構築される。
マジックコンバットナイフ。
魔力を持つ者にしか扱えない近接武器であった。
「かつてヒロインだったおばあちゃんから受け継いだ魔力武器……これを発動させられるのは、百人に一人と言われているわ! これを使える私は天才ってことよ!」
「ああ、うん。そうだよな」
「昔のアンタは『俺にも貸してよ~~!』とか『なんで俺が使ったら刃が出ないんだよ~~』とか言ってたわよね!」
「ああ、うん」
「最近はひねたことを言っていたわよね~~。でも私は優しいから、アンタを誘ってあげているのよ!」
鼻息の荒い幼馴染を見ていると、ウラシマ効果のようなものによって精神的な年齢の違いが生じていることを感じる。
昔は羨ましいやら妬ましいやらだったのだが、今はもう『魔力がないと使えないとはいえ、一般家庭に武器が置かれているのはマズいのでは』という危惧が先にあった。
実際のところ彼女は幼少期からこれを使って、特訓と称する遊びをしていた。警官の娘が実弾入りの拳銃で遊ぶぐらい危険である。
「さあ特訓よ! いつものように、そこらへんにある石や木を投げてきなさい! もちろん、私が斬れるように投げるのよ!」
(それは特訓になるのか?)
広の主観だと十五年以上ぶりに再会した幼馴染が、昔と全く変わっていない。
これは彼女に変化がないというよりも広側がおかしいので何も言えなかった。
広は諦めて、近くに転がっている少し大きい石をパスするように下手投げをした。
「そうそう、それでいいの……よっ!」
剣術やナイフ術というよりも、テニスのような振り方だった。
完全に我流であり、戦闘を経験した広からすればお粗末なものである。
しかしかなり堅いはずの石は、魔力の刃によって切り裂かれていた。
人間の手で持てるサイズの工作機械ではこうもいかないだろう。
それを思うと彼女の力は確かなものである。
「さあ次、次にいきなさい!」
「わかったわかった……」
「未来のスーパーヒロインが特訓に誘ってやってるんだから、もっとまじめに頑張りなさいよね!」
「ああ、うん……うん?」
次の石を探そうとしていたところで、非常に大きいアラートが鳴り響いた。
それは二人が持っている携帯端末だけではなく、町全体でアナログ形式の警報が発令されていることを意味している。
大きな地震、津波警報に酷似しているアラームは、やはりこの世界においてありふれたものだ。
『怪異警報です! ○○町で怪異が出現しました! ○○町の皆様は最寄りのシェルターに移動し、怪異対策本部の救助を待ってください。付近の皆様は○○町に近づくことがないようにお願いします。繰り返します……』
怪異が出現するというのはそれなりに珍しいことである。とはいえ日本のどこかで事件が発生すればアラートが鳴る関係上、大抵の人には関係がない。地名を確認したら早々に日常へ戻ってニュースで確認する。それで終わりだった。
しかしそれはデジタルな、端末からの情報の話だ。アナログな警報が鳴り響いているということは付近で怪異が出現しているということである。
「○○町……近くっちゃあ近くだな。どうする、帰るか?」
二人の住む町、そして二人の現在地のすぐ隣の町であった。
内部では怪異対策部隊が動いているだろうが、外部では警察が封鎖などを始めているだろう。もしもに備えて周囲の巡回をするかもしれない。
中学生二人が公園の中にいるだけでも注意されかねないので、広としては特訓ごっこを切り上げて帰るべきだと思っていた。
しかしりんぽはそう思わなかったようである。
「○○町……か。いいこと考えちゃった」
「それ絶対悪い考えだぞ! やめろバカ!」
「まだ何も言ってないじゃ~~ん」
「いいから家に帰るぞ!」
広は必死の顔をしていた。それは彼がある意味で大人になったからであり、りんぽを心配してのことである。
「ぷふ、怖いの? 男だからしょうがないよねえ。私は女だから、スーパーヒロインになる女だから、何にも怖くないんだよ」
逆効果だった。
広の怯えを見て、りんぽはうれしそうに笑ってしまう。
広が怖がっていることで優越感を覚えたのだ。
「何にも怖くないから、これから○○町に行って怪異と戦うんだ!」
「ば、バカか!?」
「元々不満だったんだよねえ……こんなに魔力のある私でも、怪異対策部隊訓練校の入学試験を受けるまでは、魔力測定すら受けられないんだから。おばあちゃんの時代では、もっと小さいころから魔力を調べて、有望な子に訓練を積ませていたってのにさ」
「徴兵制の時代だろ? そういうのは良くないから改定したって、学校で習っただろうが!」
「普通の女の子ならそうだろうね。でも私は違うんだよ!」
誇らしげに胸を張りながら歩いていくりんぽに、広もあわててついていく。
「まさかとは思うけどな……お前、封鎖しているお巡りさんとも戦う気か? 完全に犯罪者だぞ!」
「そ~~んなことするわけないじゃん。日々スーパーヒロインになるために頑張っている私はね、こう言う事態も想定しているんだよ」
くいっと携帯端末を操作すると、画面いっぱいに地図が表示された。
単に地図が入っているだけではないので『危険地域、進入禁止』と描かれたエリアも表示されている。
「私のプラン……その一! もしも近くの町が怪異に襲われたらどうする?」
「逃げろよ」
「男子はそうだよねえ、仕方ないよねえ。戦う力のない男子だもんねえ」
「あのなあ……」
「でも私は違う! 侵入ルートをいつも考えていたの!」
彼女が画像をタップすると小さな川がアップされた。
「これね、準用河川っていって、街の中を細く流れる小さな川なんだよ。道路が上を通るから半分以上はトンネルで隠れているんだけどね」
「……そのトンネルを通って隣の町に行くと? バカか!?」
「バカじゃないんだよなあ! 勇敢なんだよ! 怖いんならついてこなくていいんだよ?」
広は得意げに歩くりんぽのうしろをついていくが、もちろん彼女を応援するつもりはなかった。
自分の携帯端末を手にして、通報しようか真剣に検討している。
(コイツがマジで突っ込んだら死ぬ。だが通報したら、それはそれで……ヒロインになるっていう夢は確実になくなる!)
広は幼馴染の身を案じてはいたが未来も案じていた。
あんまり好きな相手でもないが、幼いころからの夢を潰したいほどでもない。
(コイツが行こうとしているちっちゃい川のトンネルが封鎖されていれば、さすがにこいつも諦めるだろう。そうじゃなかったら……もう怪異が退治されていれば……)
自分でもさっさと通報するべきだと思う。
だが事態が終息していれば、そんなことをせずに済む。
そう思う程度には、広も状況を楽観視していた。
(ヒロインが出動しているのなら、怪異なんてすぐに退治できる!)
この世界において、怪異はそこまで危険な存在ではない。
もちろん一般人が遭遇すればなす術はないが、ヒロインが出動すればすぐに片付く。
警報が出て三十分後に警報が解除されるということもざらである。
怪獣映画のように、対応する者達ですらなす術がないというほどではないのだ。
(早く退治してくれ……ヒロイン!)
人生でもっともヒロインを応援している広だったが、その願いは届くことはない。
そこまで人通りの多くない道にある、舗装された小さな川。
ご丁寧に降りるための、壁に直接固定されたハシゴまである。
中学三年生の少女でも降りられるほどだった。
現在怪異に襲撃を受けている○○町に通じるそこはまだ封鎖されていない。
このままでは彼女の目論見が達成されてしまう。
(どうする? このまま見殺しにするか? それとも通報するか!?)
「どうしたの~? やっぱり怖いの~~?」
完全に通報のタイミングを失っていた広を置き去りにして、りんぽはもう梯子を降りきってトンネルへ入ろうとしていた。
「あ、おい!」
ちゃぷちゃぷと浅い川を歩いていくりんぽを、上から見下ろす広。
そこで彼は、いよいよ愕然としていた。
「へえ~~……おあつらえ向きじゃん。これはもうスーパーヒロインの運命って奴だよね」
トンネルの奥を睨むりんぽは、マジックコンバットナイフの刀身を構築しつつ、もう片方の手で携帯端末を操作し非常通報を行っていた。
彼女自身で自分を通報したのではない。自分が入ろうとしていたトンネルの向こうから『怪人』が歩いてきたことに気付いたからだ。
しかし彼女に逃げる気はない。今の通報は、単なるアリバイ作りに他ならない。
「りんぽ! 逃げろ! 相手は怪人だぞ!?」
怪人。
特撮番組に登場する、全身タイツの『ザコ』を想定すればだいたい合っている。
人のシルエットをしているが、明らかに人ではない怪異。
怪異の中では最も弱いが、それでも一般人がどうにかできる相手ではない。
「いまから梯子を登って上に逃げろって? そんなの無理でしょ?」
林逋の目の前には十人ほどの怪人がいる。
ふらふらとした足取りだったが、相手も彼女を捕捉したのか近づいていく。
「ここから始まるんだよ! 私のサクセスストーリーが!」
マジックコンバットナイフを持って、彼女は怪人へ切りかかる。
彼女の想定では鎧袖一触で、すべての怪人を一撃で切り殺せるはずだった。
その後は大人に怒られることもあるだろうが、町を救ったスーパーヒロイン候補として躍り出るはずだった。
彼女が信じる未来への一歩目は、一撃で否定される。
「……え?」
石すら切り裂く光の刃は、怪人の頭部に当たっていた。
しかしすっぱりと切り裂くことはなく、食い込むだけに終わっていた。
想定と違い過ぎる状況に呆然としている彼女だが、斬りかかった怪人の反撃、裏拳の一発で吹き飛ぶ。
舗装されていた川の壁にぶつかって、頭から血を流しつつ倒れていた。手にしていたマジックコンバットナイフも、力を失って川の中に沈んでいる。
「言わんこっちゃねえ!」
とっさに飛び降りる広だったが、表情は切羽詰まっていた。
浅い川のコンクリートなので両足に痛みが走るが、それでも倒れているりんぽに駆け寄る。
呼吸はある、脈もある。意識もおぼろげながらある、かもしれない。
「だからやめろって言ったのに……」
この世界の男に魔力はない。しかし女性の全員に魔力があるわけでもない。りんぽが先ほど言ったように、女性の中でも魔力を持つものは百人に一人だ。
マジックコンバットナイフを女性に握らせても、ほとんどの者は刀身を形成することもできないだろう。
その意味で彼女に才能があるのは事実だった。だがそれぐらいでは才能が足りない。
野球ができるからと言ってプロ野球選手になれるわけではないように、彼女もまた最初から才能が不足していた。
スーパーヒロインどころか、ヒロインになれるのはもっともっと才能がある、魔力を多く持つ者たちだ。
「りんぽ……りんぽ!」
広は猛烈な後悔に襲われていた。
殴ってでも止めるべきだった。
彼女はこうならずに済んだのだ。
こう。
現在彼女は、頭から血を流している。
単に出血しているだけではない、頭を強く打ったのだ。
救急車に乗せても、もしもがあるかもしれない。
「待ってろ、薬を……くそ!」
広はとっさに、懐へ手を突っ込んでいた。
以前ならばそこに強力な回復薬をしまってあって、それを使えば彼女を癒すことができただろう。
だが彼は何もかもを向こうの世界に置いてきてしまった。
「俺が、まともなヒーラーなら……お前を治せたんだろうな」
もちろん彼はヒールを使えないので、彼女を癒すことはできない。
まっとうに生きていればよかった、という後悔が湧く。
「仕方ねえ……」
こうしている間も、怪人は待っていない。
長いが狭い川の中で、りんぽと広を包囲していた。
広は浅い川に沈んでいた柄を掴む。
異世界で与えられた魔力を注ぎ込み、刀身を形成する。
その輝きはりんぽが使っていた時よりも激しく強い。
「お前たちを片付ける」
絶望的な表情で、広は抵抗を始めていた。