案じるのは易からず
土屋香が入院して一週間。
その間も広は研究棟で連日実験を受けていた。
彼には魔法攻撃を浴びせているが、やはりいかなる状態異常にもならないということだけが分かっている。
金によるメッキやガラスでコーティングされているというより、金そのもの、ガラスそのもののように状態異常を受け付けていないかのようだった。
「君の体は本当に奇妙だね。熱するとダメージは負うが火傷しない。吹雪を浴びせてもダメージを負うだけで凍結しない。電撃を浴びせてもダメージを負うだけで痺れない。一体どうなっているんだろうねえ?」
(けっこう痛い……この仕事も辛いなあ……)
物理攻撃や魔法攻撃そのものは通じるのに状態異常にはならない。
なまじ再生能力があるだけにドクター不知火は遠慮なく実験していた。
広も戦闘には覚悟できるが、実験だとうんざりしている。
元々は実験のモルモットだけするつもりだったが、それが容易ではないと思い知っていた。
仕事なんてそんなものである。
「ん~~……コレはセクハラかもしれないけどさ、君、子供作る気ある?」
「……は?」
「サンプルが君一人だとどうにもね……やはり君と同じ体質の子とか、君の下位互換とかがいるとやりやすいんだけど」
「俺の両親については既に調べてますよね!? 俺に子供が生まれてもそうなるとは限らないでしょう!?」
「それはそうなんだけどねえ……うむむ、妄言だったよ。許してくれ」
ドクター不知火も広の体質には困惑している様子であり、とっかかりもつかめないらしい。
イライラとまではいかないが、うなってはいるようだった。
「……ところでその、ドクター不知火。一つ聞きたいことがあるのですが」
「実験に関係あることかな?」
「そうじゃないんです。俺が魔力を持っていることとか、状態異常耐性があるとか、再生能力があることとか、その……私情としてどう思っているんです?」
先日五等ヒロインに絡まれたが、ハッキリ言って今後かかわる可能性が低い。出会うとしても頻繁ではあるまい。
しかし直接の上官でもあるドクター不知火があのような精神状態になった場合とても大変である。
「……君の言いたいことはわかる。だが安心してくれ、私はそもそもヒロインを目指していない。科学者を目指して科学者になって実力を認められた才媛だ。でなかったら一等技官になっていないよ」
「それもそうですね」
「もっと言えば、私自身は『男なのに魔力がある』ということを変とは思っていないんだよ。だって人類が魔力を発見してからまだ百年しか経過していないんだよ? まだ何もわかっていないに等しくて、わからないまま運用しているようなものだ」
科学の世界では原理が分からないが効果があるので利用されている、というものはたくさんある。
魔力など最たる例で、魔力を機械に通すと魔法になる……というのも実のところよくわかってはいないのだ。
「だいたい『一部の人間の女』にだけ魔力があるのかもわかっていない。魔力がどこから生じているのかもわかっていない。女性特有の臓器、つまり子宮から生じているなんて与太話もあったが……そのなんだ、病気で摘出されても魔力に変動はなかったんだよ。それどころか『相手の性別を変える』という状態異常を食らったヒロインも魔力は使えるままだったそうだ。男性特有の臓器が魔力の精製を邪魔しているなんてこともないわけだよ」
科学者からすれば人間の臓器に『魔力を生み出す機能がある』なんていうのは意味不明なことなのだ。
古代エジプト人が『脳は鼻水を作るための臓器』と考えているのと同レベルの話である。
「もっと言えば人間が何を魔力に変えているのかもわかっていない。たとえば人間は栄養を摂取することで活動エネルギーや人体の構成物質を補充しているだろう? 食事以外だと呼吸がそうだが……とにかく、人間が動くことについては既に解明されているし、そもそもそこまで不思議に思われていなかった。人間は『食べた分だけ働ける』ということだからね。だが魔力は違う。特にスーパーヒロインはおかしい。通常の人間とほぼ同じ量の食事や呼吸しかしていないのに、桁違いの魔力を自力で生み出している。フリーエネルギーを取り出している、と考えた方が自然なほどだ」
わかっていないからこそ調べているのだがね、と彼女は語る。
「もちろん状態異常もそうだ。肉体的状態異常は科学の範囲内だし、精神的状態異常もまあわかる。だが数値的状態異常や幻想的状態異常は本当に意味不明だ。なぜバリアなら防げるのかもわかってはいない。そんな中で『まったく状態異常が効かない』という君が現れた。これは本当に大きいんだよ」
一般のゲームでは『物理防御力』と『魔法防御力』が設定されているケースは多いが、プレイヤーキャラに『異常防御力』が設定されていることはまれだ。
基本的にプレイヤーキャラはあらゆる状態異常を受ける。相手側の成功率が存在するだけで、素のままでは耐えるという状況にもならない。
それはこの世界でもあちらの世界でも同じだ。状態異常耐性を上げる装備とか魔法とかスキルとかバリアとかの対策を取ることで解決する。
ただしこちらの世界には『優秀な装備』は存在しても『パッシブスキル』については習得するという概念すらない。何ならアクティブスキルすらない。その上状態異常を治す薬もない。
そのような状態なのだから、優秀な装備で防ぐしかないのだ。
もちろんそれはとても高性能なので、事故でも起きなければ突破されることはない。
まあ優秀だからこそ油断してしまい、事故の一因にもなるのだが……。
ともあれ、効く体質ばかりだったところに効かない体質が現れた。
その差異を調べることができれば、原理の解明も可能かもしれない。
そういう意味でも彼女はこの仕事にやりがいを見出していた。
もちろん彼女は優秀で、科学史も理解している。
だからこそ自分が生きている間に何もわからないかもしれない、という可能性も受け入れてはいた。
「……あのですね。こういう言い方はあれなんですけど、本当に素人の提案なんですけど」
「おおっ! 実験に関係ある感じの話かな?」
「俺が状態異常を得意とする怪物を生きたまま拘束して持ち帰ったら、研究は進展しますかね?」
「するだろうね」
研究が進展するという事実を認めているうえで、彼女は完全に白けた顔をしていた。
やはりそんなことは、既に誰もが思いついていたことのようである。
「しかしだね。ガスマスクや気密室が開発されていない状況で毒ガスを精製するかね? バリアを身に纏えるヒロインを相手に事故を起こせるような怪物の生きたサンプルへ実験ができるかね? モルモットにするどころか私たちが餌になってしまうよ。私たちは科学者であり自殺志願者ではない。まず自分の身の安全を確保してからでないと実験に臨めないよ」
「おっしゃるとおりですね」
どうやらドクター不知火はとてもまともな人間であり、科学者としてもまともなようであった。
「ただ、君が思ったようなことを実行している場所もある。コロムラだ」
「……!」
「そう、君の幼馴染を勧誘した組織だよ。危険を承知で実験を強行し続けている。それも人体改造も含めてね」
ドクター不知火はあえて口にしなかったが、音成りんぽの生存を諦めているようだった。
もうすでに残酷な死を迎えていると考えているらしい。
社会的に考えれば、いっそ、その方がましかもしれない。
犯罪者になるのではなく、詐欺によって実験体となって死んだのだから。
だが死んでいない、力を得て自分の前に現れる。
広はそう確信していた。
ドクター不知火はそれを察していた。
彼女は科学者である。根拠もなく生存を否定する気はない。
彼のモチベーションを下げる気もなかった。
「まあとにかくだ……少なくとも現在の怪異対策部隊は、非人道的な実験を強行するほど切羽詰まっていない。ヒロインたちはみんな優秀だし、スーパーヒロインはとにかく強大だからね。君の出動がそんなに頻繁じゃないことがそれを証明しているだろう?」
「そうですね……」
研究棟の特殊な保護ガラスから外を見る。
数時間に一度の割合でヒロインを乗せた高速ヘリが発進し、数時間以内に戻ってきている。
日本全国に派遣されている彼女たちは楽勝が基本で、苦戦すら稀。広やスーパーヒロインの投入が必要になることなど、それこそ交通事故が起きる程度の確率でしかない。
(あの五等ヒロインたちも、普通にヒロインになって仕事をすれば俺より多くの事件を解決するんだろうな。まあ、それをあの人たちは喜ばないんだろうが……)
彼女らは順当に行けば二等ヒロインになる。
現場に出動し、怪人を倒し、怪物とも戦う。
もちろん多くの人々を救うだろう。
その総量は広を大きく超えるに違いない。
誰もが羨む地位であり、誰にでも自慢できる素晴らしい自画だ。
しかしそれはヒロイン部隊の一員としてである。
雑誌に名前が載ることは無いし、あるいは載っても読者に憶えられることは無い。
救助された市民は感謝するだろうが『ヒロイン部隊の一員』としてでしかない。
彼女たちは満足できないのだろう。
特に、広という異物が紛れ込んでいる現状では。
一等ヒロインたちも、自分達より強いであろう二等ヒロインたちも、自分と同じ苦労を経ている。
自分達より努力していないのに自分達より強い、というわけではない。自分達と同じ努力をしていて、自分達より強いというだけだ。
その点はスーパーヒロインもさほど変わりがない。
とにかく自分より強いのだからあきらめもつく。
しかし広は自分たちより弱いうえで自分達より活躍している。
それも自分たちのような苦労を経ていないのだ。
目の敵にしても不思議ではない。
(だからお前も、俺の活躍を聞いてそう思っているんだろうなぁ)
外を眺めていても、幼馴染を想っている。未だに彼女へ伝える言葉はないが、それでも想い続けていた。