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#4 【研究施設(ラボ)】

アニセカ小説大賞応募作品です。

 翌日、悠希は単独でバイクを南へ走らせていた。

 もう大丈夫だから仕事についていく、と亜夢は言ったが、休養させることにした。

  彼女の体調が急激に良くなったのは、涼子に配合してもらった栄養補給用サプリのおかげだが、まだまだ病み上がり、無理はさせられない。

 遠くに見える高層ビル郡を視界の隅に追いやって幹線道路を進んでいくと、最南部ディープサウスの工業地帯に辿り着いた。

 顧客先を幾つか回り、レンタル精霊石オリジンの回収業務も同時に行う。久しぶりの単独業務は多忙を極めたが、そんな最中であっても脳裏を過るのは亜夢のことだった。

 四つの精霊全てに適合するソウルレベルを有する彼女。一致した首元の刺青タトゥーとエクストレジアの刻印は何を示しているのか? 逃げ出してきた施設と、彼女を追うマフィアの関係性は? そもそも彼女にエクストレジアをインプラントした目的は? それらは父親の研究と因果関係があるのか――

 数々の疑問が頭の中で渦巻くも、点と点が繋がらない。

(それに、あの回復力……足の怪我ももう治りかけてたし、一体アイツは何者なんだ?)

 被検体ラット――悠希は唐突に、蛇頭が亜夢にそう言っていたのを思い出した。被検体ラットと言えば実験動物のことだろう。亜夢は施設でそう呼ばれていたのか? 

 気付けば昼食のラーメンを食べ終わっていた。悠希はそのことに驚きつつ、味覚をも麻痺させてしまう数々の疑問を一旦棚にあげて、町中華店を出た。

 裏手の駐輪場に到着すると、デリバリーバイクに数人の男達が群がっている。

「人のバイクに何やってやがんだテメーら。邪魔だ、失せろ」

 悠希は無表情、無感情でそう告げた。

 全身黄色のセットアップで揃えた連中の一人が前に出た。

「はぁ? おいおい、俺らがブラッズってわかっててモノ言ってんのかぁ?」

「知らねぇよ、さっさと失せろ」 

 物怖じせず、手で払う仕草を見せる悠希の態度に連中は顔を見合わせた。そんな中、デリバリーバイクに跨がっている男が悠希を睨み付ける。

「なぁ、赤髪のニィちゃん。お前よそ者? ブラッズ知らねーとかモグリかぁ?」

「だから、さっきから知らねーって、言ってンだろ」

「まぁいいや。ところでニィちゃん、コレはご法度だぜ」

 男はデリバリーバイクのミラーに引っ掛けてあるヘルメットを指差した。

「あン? それがどーしたんだよ」

「コレコレ、コルク。この辺りでコルク被んのは禁止になってんだよ」

 悠希のヘルメットはコルクキャップというタイプで、どうやらこの連中はそのヘルメットが気に入らない様子だ。

「そんなローカルルール、ヨソ者の俺には関係ねーだろ」

「郷に入らば何とやらってコトワザがあるだろ? だからよ、ルール違反のペナルティ切らせてもらうわ」

「……」

「お前レンタル屋だろ? なら、このダセェバイクの荷台に入ってるモン、全部置いてけや」

 バイクに跨がった男は、荷台をバンバンと叩き、「それと、手間賃も置いてけ」

 ブラッズと名乗った連中は、嘲笑いながら悠希を眺めた。

「…………」

 前髪から赤い瞳を覗かせた悠希は、バイクに跨がる男に鋭い視線を突き刺した瞬間、一気に距離を詰めて、ドカン! と、思いきり男を蹴り飛ばした。

「クソガキが……俺の愛車に汚ねぇケツ乗っけてンじゃねえよ」

 悠希の鋭い蹴り上げに吹っ飛んだ男は、空中で一回転して仰向けに倒れ込み、口から白い泡を吹いている。どうやら失神しているようだ。

「テメェ!」

「誰蹴ってんだオラァ!」

「おい! コイツ殺すぞ!」

 連中が声を上げて悠希を取り囲んだ。

 悠希はやれやれという表情で、「痛い目に合いたくなかったら、ソイツを連れて失せろ」と告げた。しかし、その言葉と悠希のふてぶてしい態度が火に油を注いだのだろう、連中は更にヒートアップした。

「オラァ!」

 近くにいた男が猛りながら鉄パイプを勢いよく頭上に振り降ろしてきた。悠希は涼しい顔でその鉄パイプを掴み取ると、

「おい、聞こえねーのか? 失せろって言ってンだよ」

 男は掴まれた鉄パイプを必死の形相で引き抜こうとするが、微動だにしない。

「テメェ、離……熱っ!」

 声を上げ、条件反射で鉄パイプから手を離した。すると、悠希が掴んでいる鉄パイプがぐにゃりと曲がり、Uの字になった。

 悠希はもはや鉄クズと化した鉄パイプを投げ捨てると、怯んでいる男の左側頭部にハイキックをお見舞いした。

 地面にドチャリと叩き付けられた男は、身体をピクピクしながら白目を向いて動かなくなった。 あっという間に仲間を二人ねじ伏せられたブラッズ達は、次第に戦き始めた。

「おい! こないだ盗ってきた精霊石オリジンあったろ、誰が持ってんだ!」

 連中の一人が声を上げると、その場にいる全員が焦りながらセットアップのポケットをまさぐり出した。

「ちっ! どこだよ」

「おい早くしろよ!」

「あった、あったぞ!」

 男は悠希に精霊石オリジンを見せつけ、「おい! こん中にはよぉ、火の魔力がパンパンに入ってんだよ。さっさと荷物出さねーと、このバイクごと焼くぞコラァ!」

 しかし、次の瞬間――「あれ?」と声を発した。持っていたはずの精霊石オリジンが手から消えていた。

「何だよコレ、粗悪品もいいところだな」

 悠希がボヤいて見せると、男は目を点にして、

「は? それ、俺が持ってた……あれ? いつの間に」

 悠希はパニックに陥る連中に向かって、奪った精霊石オリジンを右手に乗せて突き出した。その瞬間、炎が噴出した。 

「うおっ!」

「何だコイツ!」

 連中が騒然となる中、一人の男が「ま、まさかコイツ、インプランターじゃ」と言い放った。「マジかよ?」

「イカれてるぜコイツ」

 悠希がインプランターだとわかると、連中がザワつき出した。

「俺はまだ仕事中なんだ。これ以上絡んでくるなら、お前ら全員……」

 右手から更に炎を噴出させて、「燃やすぞ」

 その言葉に連中は静まり返った。やがて、誰かが「コイツ、もしかして赤神じゃ……」と漏らした。

 その場の全員が顔面蒼白となった。

「マジかよ!」

「赤い髪に赤い瞳、間違いねぇ、コイツ、ギャング狩りの赤神だ!」

「ヤベェ、逃げんぞ!」

「でも、今月の上納金どーすんだよ⁉」

「バカかお前! そんなこと言ってる場合じゃねー!」

 慌てふためくギャング達。まるで鳩が一斉に飛び立つかのように、悠希の目の前から姿を消した。

「……ったく、こんな程度の脅しで逃げ散るぐれぇの半端な気持ちだったら、ギャングから足洗えっつーの」

 悠希は炎を手の中に握り締め鎮火させて、ため息まじりに吐き捨てた。

 治安が悪化している南部地域サウスエリアではこういうケースも日常茶飯時である。

 悠希はバイクのシートを右手で拭うと、シートに跨ってエンジンを始動させた。

「赤神か、懐かしいな」

 高校時代、悠希は路上でのストリートファイトに明け暮れる日々を送っていた。その鬼神のような闘い方から、いつしか『赤神』と異名を付けられ、ギャングの狩人として名を馳せたのだった。 

 悠希は当時を少し懐かしみながら、次の回収先に向けてバイクを走らせた。


***


 夕刻、配達を終えて事務所へ戻ると、拓斗が「お疲れ様でーす」といつもの調子で出迎えた。

 ソファーに腰を下ろすと、テーブルにコーヒーが置かれた。

「どうぞ」

「おお、ありがとな」

 配達から帰ると必ず淹れてくれるコーヒーだ。悠希は毎度の拓斗の気配りが嬉しかった。

「今日の回収は最南部ディープサウスでしたね。トラブルとか無かったですか?」

「ん~、ギャングのガキ共に絡まれたぐらいだな」

「いやいや、ぐらいって。悠希さんはレガリアの代表なんですから、派手なことは控えてくださいよ」

「あぁ、だから手加減してやったよ。そんかことよりも、亜夢はどんな感じだ?」

「二階で静養……してるはずです」

「はず? なんだそりゃ」

「彼女、『もう大丈夫だから手伝うことないか』って働こうとするんですもん。勤労意欲が旺盛過ぎですよ」

「そうか。んじゃ、ちょっくら様子見てくるわ」

 悠希は二階の居住スペースに上がり、リビングのドア開けた。

「二五六……二五七……二五八……二五九……二六〇」

 タンクトップ姿の亜夢が腕立て伏せをしていた。

「おい、亜夢」

「あ……帰ってたの?」

「いや、お前病み上がりで何やってんだよ」

「え? あぁ……いつものことだから、三百回終わるまで少し待ってて」

 悠希はカウンターテーブルに座り、亜夢が腕立て伏せを終えるのを待った。

「お待たせ」

「お、おぉ。体調はもういいのか?」

「うん、拓斗って人が休めって言うから寝てたけど、退屈だったから。仕事はもう終わったの?」

「あぁ、今日はもう終わりだ」

「……そう」

「施設では、いつもこんな風にトレーニングしてたのか?」

 亜夢は涼しげな表情で「うん」と頷いて見せた。

「トレーニングじゃなくてプログラムって呼んでたけどね。専属のトレーナーもいたわ」

「本格的だな。毎日やってたのか?」

「一日朝昼晩の三回、格闘術を実戦でやって、あとは自室で自主トレ」

 悠希は感心した。プログラムのシステムが理にかなっていたからだ。インプランターが日々の鍛練を怠れば、ソウルレベルが下がり、精霊に浸食されるリスクが高まる。亜夢の場合は尚更だろう。

「よし。なら、もう少し運動させてやんよ」

「運動?」


***


 悠希と拓斗、そして亜夢の三人は、夕食を済ませた後、とある雑居ビルにやって来た。

 地下へと続く階段を降りていくと、十二月の空気などものともしない、タンクトップ姿の筋骨隆々な黒人男性が扉の前に立っていた。

 亜夢の前を歩く悠希は振り返ると「ちょっと待ってろ」と告げて、黒人男性に声を掛けた。

「よぉ、ジョージ。相変わらず季節感バグってんなぁ」

「オー、ユウキ! ヒサシブリネ!」

 二人は親しげにハイタッチを交わす。

「今日、『アレ』やってるか?」

「イエ~ス! モチロンヤッテルヨ」

「よし。んじゃあ、楽しませてもらうわ」

 悠希が二人を手招きすると、ジョージは背後の防音扉を開け、三人を店内へ通した。

 店内は胸を突く重低音の音楽が大音量で鳴り響き、大勢の客でごった返していた。

 後ろから亜夢の声が聞こえたような気がしたが、定かではなかった。

 しばらくすると、

「ねぇ! 悠希!」

 亜夢の大声が聞こえた。

「あん? 何だよ?」

「ここはどこなの?」

「クラブってとこだ。音楽を楽しみながら酒飲んだり、踊ったりするとこさ」

「身体動かすって、踊るの? あたし、踊ったことないよ。それにここ、うるさい」

「まぁ、とりあえず我慢してついてこいよ」

 人ごみを掻き分け、店内の奥へと進んだ三人は、映画館のような大きく分厚い扉の前に立った。

 悠希が扉を開くと、そこには格子状の黒い柵で囲まれた八角形のリングが設置され、周囲にはパイプ椅子が並べられており、ギャラリーと思われる客がまばらに座っている。

 亜夢は「え?」 と、声を上げた。

「今日は空いてんな」

「ですね。こんな良席、久しぶりですよ」

 悠希と拓斗はそう言いながら、リングにほど近い席を確保した。

 リング内には青いマットが敷き詰められていて、各コーナーの外側には照明灯が設置されている。

 そんなリングを戸惑いの表情で眺めている亜夢は振り返って、

「ねぇ、そろそろ教えてよ。ここは何をするところなの?」

「賭け試合さ。勿論、違法のな」

 悠希は一般的な賭博のシステムを亜夢に説明した。

「ホント……南部サウスは違法だらけなのね。でも、賭けるだけなら身体動かせないけど、一体何のために――」

「だから、試合に出るんだよ。ここは俺のトレーニングジムだ」

 キャパシティー三百人程の小規模ライブハウスに設けられた客席は、話している間にギャラリーで埋まり始めていた。

「試合がトレーニング? ごめん、全く意味がわからないんだけど」

 亜夢が疑問を口にしたその時、フロアに流れていた大音量の曲が止まり、照明が落とされた。「選手入場!」

 アナウンスと共に、再び場内に大音量の音楽が鳴り響き、入場ゲートにスポットライトが当てられた。直後、ゲートから入場する選手の姿が見えた。その男はボディービルダーのような大きく分厚い筋肉をまとい、背中に聖母の刺青(タトゥー)を彫っている。丸坊主の頭と、腫れぼったいまぶたに刻まれた、幾重もの傷が歴戦の猛者だということを無言で物語る。

「お、今日は相馬さんか。なら倍率もハネ上がんな」

「え~、でも相馬さんとの戦績、二勝八敗で相性悪いですよね? とりあえず、この試合はスルーして、次の選手の方がいいんじゃないですか?」

 拓斗の提案に悠希は首を振った。

「いいや、相馬さんでエントリーする」

「え~、でも……」

「亜夢がな」

「はぁ?」

 拓斗と同時に亜夢も驚嘆の声を発した。

「あたしが……出るの?」

「おぅ。運動したいんだろ?」

「……そうだけど」

 拓斗は慌てて二人に割って入った。

「ちょ、ちょっと! いくらなんでもそれは無謀ですよ! 体格差がありすぎます!」

 この地下格闘場で行われる賭け試合は、主催者側が用意した選手に集まった観客が挑む参加型対戦スタイルだ。誰でも飛び込みで試合を行うことが出来るが、基本的にルールは存在しない。精霊石オリジンの使用と、相手を殺す以外は何でもアリのバリートゥドゥスタイルである。

 拓斗は熱を帯びた声で亜夢に説明した。

「あたしはかまわないわ」

「よし! んじゃあ、思う存分身体動かしてこい。ただ、くれぐれもインプラントの力は使うんじゃねぇぞ。バレたら反則負けになるからな」

「わかってるわよ」

 エントリーを済ませた亜夢は、上着を脱いでタンクトップ姿になるとリングへ上がった。悠希は電光掲示板のオッズを指さした。

「おっ! 見ろよ拓斗、あのオッズ。客の九割が相馬さんに賭けてやがる。亜夢が勝てば、配当金と獲得賞金合わせて百万越え……明日はパーティ確定だな」

「いやいや悠希さん、いくら亜夢ちゃんが強いからって、相馬さんはそう簡単に勝てる相手じゃないですよ。魔力攻撃は使えないんだし」

「じゃあ、お前は相馬さんに賭けたのか?」

「いいえ、亜夢ちゃんですけど」

「なんだよ、ちゃっかり賭けてんじゃねーか」

「まぁ、ワンチャンありそうですし。一応」

 悠希はリングで柔軟体操を行う亜夢に視線を移した。

 これまで悠希はトレーニングと称して賭け試合で鍛練を積んできたが、あえて不利なヘビー級の選手をチョイスし、自らの魂を徹底的に鍛え上げてきた。相馬はその中でも別格と認める選手だ。

 そんな相手と亜夢は一体どう闘うのか? 好奇心を掻き立てられる一戦に、興味は絶えない。

(お前の実力、見させてもらうぜ)

 リングの上に視線を移すと、亜夢と向き合う相馬が何やら話を始めていた。

「……嬢ちゃん、ここに上がってきた以上は男も女も関係無い」

「うん、手加減される筋合いはないし、されたら運動の意味がないわ」

 亜夢は相馬に笑いかけた。

「いい度胸だ。殴り殺すつもりでいくから覚悟しとけ」

 会話の後、両者が向かい合ったことを確認したレフェリーが一歩下がった瞬間、試合開始を告げるゴングが鳴った。

 亜夢と相馬は右拳を前へ出して軽く合わせると、一歩下がって間合いを測り、互いに相手の出方を伺う。

 前屈みの相馬は岩石のような両腕で固めたガードをやや下げ気味にし、亜夢を見下ろしながら摺り足でジリジリと間合いを詰めている。その姿は獲物に狙いを定めた猛獣を彷彿させる。

 一方、亜夢は両腕をダラリと垂らしたまま、その場で小刻みにステップを踏む。

 試合開始から三十秒が経過したところで、亜夢はステップを止めて、間合いを詰めてきた相馬に対して右の掌打を放った。

 亜夢の掌低がガードしている相馬の左前腕に炸裂、その衝撃で相馬の身体はやや後方に押し戻された。

 観客がどよめく中、初弾を放った亜夢はその勢いのまま、左掌打、右掌打、そして左のローキックと、コンビネーションを放った。

 しかし、相馬は全ての攻撃をガードしていく。

 防戦一方だった相馬は亜夢が繰り出すコンビネーションの隙を見切り、右足を鋭角に振り上げ、亜夢の側頭部目掛けてハイキックを放った。

 即座に左腕でガードする亜夢だったが、鉄柱のような相馬の右足が炸裂した瞬間、小さな身体は跳ね飛ばされ、背中から柵に激突した。

「……うん、段々身体が温まってきたわ」

 亜夢は直ぐ様態勢を整えて再びステップを刻み始め出した。

 相馬は柵付近でステップを刻み続ける亜夢目掛けて一直線に突進し、その勢いを保ったまま顔面目掛けて右フックを繰り出す。

 その打撃速度は重量級の体格とは思えないほど鋭く疾い――

 襲いくる相馬の右拳に、亜夢は回避する素振りを見せず、腰を落として掌低を突き上げた。コンパクトなモーションから相馬の下顎目掛けて亜夢の掌低が加速する。

 バゴッ!

 繰り出した掌打はカウンターとなった。

 顎に直撃した相馬はその場で前のめりにマットへ倒れた。

 ダウンを取った亜夢が相馬を見下ろす。その衝撃的な光景は、観客のボルテージを一気に爆上げした。

「うおおお! 亜夢ちゃんスゲー!」

 リングサイドで立ち上がって大興奮する拓斗。その横で悠希は冷静に亜夢の分析を行っていた。

 攻撃を見切る動体視力、ピンポイントで狙った部位を的確に打ち抜く当て勘、スピード、そのどれもが一流のアスリートを軽く凌駕している。

 注目すべきは身体の軟らかさだ。全身のバネから繰り出される打撃は、ウエイトの差など無意味にしてしまうほどの破壊力がある。

 加えてこの格闘術――スペックは特殊部隊(ランブルフォース)並みだ、と悠希は息を飲んだ。

「くっ……」

 相馬は片膝を立て、ゆっくり立ち上がったが、その表情にダメージの形跡はない様子だ。

 試合開始直後とはまるで別人のような鋭い眼光を亜夢に突き刺しながら、ファイテングポーズをとってガードを固めた。

 対する亜夢は、変わらずノーガードでステップを踏む。

 相馬はジリジリと距離を詰めてくる亜夢の動きに集中している。

 その刹那、亜夢が動いた。

 真正面、一直線にノーガードのまま距離を詰め、ガードしている相馬の右腕前腕に掌打が炸裂した。衝撃に耐える相馬だったが、亜夢から目を逸らすと、一瞬リングサイドへ視線を移した。  

 それにつられた亜夢は相馬の視線を追いかけた。

 直後、相馬は左手で亜夢の右腕を鷲掴み、思いきり引き寄せた。

「もう、逃げられんぞ」

 百戦錬磨が成せる高等技術。視線誘導でチャンスを得た相馬は、亜夢の顔面目掛けて右フックを繰り出した。

 亜夢は身を屈めて回避、がら空きになっている右脇腹に掌打を放った。

 だが――相馬の分厚い腹筋は、その衝撃をものともしない。

 空振りした相馬はそのまま右腕を振り上げ、亜夢の頭上目掛けてハンマーパンチを垂直に打ち下ろす。

 亜夢は反転し、半身の体勢でスライド、紙一重で回避、そして――

「んっ!」

 ノーモーションで繰り出した左のハイキックが、相馬の顔面に直撃。亜夢の右腕を掴んでいた左手が離れた。

 バックステップで距離を取る亜夢。掴まれていた右腕には相馬の手形がくっきりと付いている。

 相馬は両腕を下げ、やや広げた前傾姿勢になり、今にも飛びかかりそうな肉食獣のような構えにシフトした。

(なるほど……)

 あの構えは明らかにタックルでテイクダウンを狙っている、と悠希は分析した。亜夢を倒すには、馬乗りになって集中打撃を食らわすしかない、相馬はそう考えているのだろう。

 相馬が立ち技を捨てる展開など予想もしていなかった。常人を遥かに凌駕する亜夢の反射速度は、相馬のファイトスタイルすら変えてしまうほどのものだということか。

 相馬はジリジリと亜夢との距離を詰める。対する亜夢は変わらず、ノーガードでステップを刻み続けている。

 番狂わせが発生したことで、会場内はブーイングの重低音で揺れた。

 その最中、リングでは相馬が矢のような速さで亜夢の下半身目掛けて突進したその瞬間、亜夢も同じように突進――

 ゴキン!

 亜夢の右膝が相馬の顔面にめり込んだ。

「ぐぬっ!」

 相馬は鼻血を噴き出しながら仰け反った。亜夢は左の掌打、続いて右の掌打を下顎に叩き込む。しかし、相馬はその衝撃を背筋力と脚力で相殺し、その場に踏み留まった。

「はぁ……タフだね」

 ボヤキ気味にそう呟いた直後、亜夢は掌を開いたまま両腕を後方に引いた。

(アイツ……まさか)

 次の瞬間、バグン! という鈍い音と共に相馬は後方へ半回転してマットに叩きつけられた。

 亜夢は倒れた相馬が白目をむいていることを確認すると、こちらへ歩み寄り、鉄柵越しに涼しい顔を覗かせた。

「いい運動になったわ」


***


 クラブからの帰り道。普段の落ち着きは何処へやら、興奮気味の拓斗は財布を覗き込みながらニヤけ顔が止まらない様子だ。

「何買おうかなぁ~。ずっと欲しかったクラスDの精霊石オリジンにしようか、それともEクラスを箱買いするか。悩む、悩むぅ!」

 悠希は苦笑いしながら、「おい拓斗、浮かれ過ぎだぞ」と釘を刺した。

「だって、千円がコレですよ、コレ!」

 拓斗は財布を悠希に見せつけ、「こんな高額配当ありえないですもん! 悠希さんは一万円賭けてましたよね? 嬉しくないんですか?」

「コイツ不正行為やりやがったからな。手離しでは喜べねーんだよ」 

「は? 何ですか不正って。亜夢ちゃんは正々堂々、相馬さんと闘ってたじゃないですか。一発の被弾もなく、文句なしの完全勝利ですよ! ね、亜夢ちゃん」

 亜夢は涼しい顔で「……まぁ、ね」と返した。

「嘘つくんじゃねーよ。俺の目は誤魔化せないからな」

「嘘? 悠希さん、さっきから何を言ってるんですか」

「コイツな、アレ使ったんだよ」

「は? そんな……いつですか?」

「相馬さんを倒した最後の一撃だ」

「え? あれってそうだったんですか⁉」

 亜夢は「流石ね」と、髪をかきあげた。

「手加減したつもりだったけど、バレてたか」

「俺は相馬さんと何度も闘ってっからな。あの人のタフさは身をもって理解してんだよ」

 悠希は相馬と対戦して二度の勝利と八度の敗北を喫している。二度の勝利は、拳足が悲鳴を上げる猛攻の末に掴んだギリギリの勝利だった。そんな相馬を一撃で仕留められるのは、同階級の選手の中でもかなりの猛者以外ありえない。

「――だから、お前のウエイトで倒すにはインプラントの力を使うしかねぇんだよ」

「……そうね。でも、『バレたら反則負けになるからな』って言ったじゃない」

「あぁ」

「だから、バレないように使ったのよ」

 悠希は思わず吹き出した。

「間違いねぇ、バレなきゃ何でもアリだな」

「いや~、でも亜夢ちゃん凄いなぁ。アレって難しいんですよね?」

 拓斗は興奮冷めやらぬ様子で鼻息を荒くする。「それを見ただけで出来るなんて、亜夢ちゃんは天才だね!」

 亜夢が使用した上半身の一部分だけを強化するスキルは、全身の瞬発力を上げるスキルよりも難易度が高いとされる。 

 亜夢は少し恥ずかしそうな表情で「べ……別に、そんなんじゃない」と答えた。

 そんな拓斗と亜夢を微笑ましく見ながらも、悠希は彼女の並外れた戦闘能力に驚くばかりだった。

 拓斗の言う通り、亜夢は確かに天才だ、と悠希は思う。あのスキルはやり方どころかコツすら教えていないのだ。おそらくマンションで使ったのを見て覚えたのだろう。

 しかし――

 亜夢の凄さはそこではない。初めて使ったスキルで手加減した――いや、手加減が『出来た』のだ。

 悠希は、かつて特殊部隊ランブルフォースに所属していた師範に格闘術を習っていたのだが、初めてスキルを使った時、力の制御が上手くできず、サンドバックを破壊してしまったことがあった。    

 後背筋を痛め、師範には烈火の如く叱られた。

 初めから手加減なんて出来やしない。悠希は自身の経験からそう思っていた。しかし、亜夢にはそれが出来た。それは並外れた魂レベルによるものなのか、それとも違う要因があるのか――

 悠希は亜夢を見つめながらそんなことを考えた。


***


 拓斗と別れて事務所へ戻った悠希と亜夢は、帰り道にファストフード店で購入した夜食を食べようと、事務所の屋上にあるルーフバルコニーに向かった。 

「週末はここで飯を食うことが多いんだ」

 悠希は出入口のドアを開けて、亜夢を招き入れた。

「結構いい眺めね」

 亜夢はトラフィックノイズ混じりの夜風にプラチナの髪をなびかせながら、澄み切った夜空を見上げた。

「お月さま、まんまるでキレイだよね」

「ん? どうした急に」

「あたしさ、三日月って怖いんだ……なんかこう、尖ってて斧みたいじゃない?」

「なんだよ、先端恐怖症なのか?」

「三日月はインプラント手術のことを思い出すの。お月様はずっとまんまるでいいのにね」

 悠希は「そうか……」と言いながら、テーブルに紙袋を置き、二人分のハンバーガーを取り出した。

「とりあえず、冷めない内に食おうぜ」

 夜空にオリオン座が一際映える満天の星空の下、悠希と亜夢は同時にハンバーガーを頬張った。

「美味しい」

 あっと言う間にハンバーガーを平らげた二人。悠希はもう一つの紙袋の中からフライドポテトを取り出した。

「ハンバーガーセットの主役はハンバーガーに在らず。真の主役はポテトだ」

 亜夢はギチギチに詰め込まれたフライドポテトを束でつまんで頬張り、「これも美味しい」と、舌を唸らせた。

 二人はハンバーガーに続いてポテトを完食すると、コーラをごくごくと飲み干して満足げに白い息を吐いた。

「ごちそうさまでした」

「よし、風呂入って寝るか」

 悠希は立ち上がり、ハンバーガーセットのゴミを片付け始めた。

「ねぇ」

「あん? まだ足りねーか? 確かカップ麺ぐらいならあったはず……」

 亜夢は顔を横に軽く振って見せ、

「違う、一つ聞きたいことがあるの。初めて会った時から気になってたことなんだけど」

「何だよ、改まって」

「悠希がインプランターになったのって、お父さんの事件が関係してるの?」

 悠希はベンチに座った。そして、胸に右手を当てた。

「インプラントしたこの精霊石オリジンは、親父の形見なんだよ」

「形見……」

 悠希は視線を夜空に向けると、一呼吸おいて――

「親父は研究一筋の仕事人間だった。ほとんど家に居なかったし、帰ってきても研究、母さんが病気で死んだ時も研究……それでも、俺はそんな親父を結構尊敬してたんだ」

 事件後、悠希は親戚の叔父に引き取られ、父親の遺産はその叔父が管理することになった。しかし、ギャンブル狂いだった叔父は、遺産の全てを使い果たし失踪。その後、天涯孤独となった悠希は施設に入所した。

「親父が殺された後、研究ファイルと一緒に難を逃れたのがこの精霊石オリジンだった。だからさ、この二つだけは取られまいと、死守してきたんだ」

「……そうだったんだ。でも、インプラントしていれば、誰にも取られないわね」

「確かに、それも理由の一つではある。でも、本当の目的は復讐のためだ」

「復讐?」

「あぁ、俺は犯人達に復讐するために、この精霊石オリジンをインプラントしたんだ」 

 そう口火を切り、悠希は語り出した。それは父親が殺された夜のことだった――

 父親を殺した暴漢が部屋を物色している間、もう一人の暴漢が二階へ上がってきて、『ゲームに勝てば命だけは助けてやる』と、告げられた。

 強制的にゲームをさせられ、運良く勝つことが出来たものの、その後はこの世の地獄を見た。

 顔面を何度も殴りつけられ、両腕両足を折られ、闘うことも抗う術すらも無い十歳の子供に対して、暴漢は凄惨極まりない暴力を加え続けた。

 それはまさに道徳心の一欠片すら無い、悪の権化が実行した所業。悠希は絶命寸前まで身体を破壊された。

「途中で失神して、目が覚めた時は病院のベッドだった。つまり、約束は守ったってことだな」  

 亜夢は紡ぐ言葉を失ったように押し黙った。

 悠希はベンチから立ち上がり、

「話が重くなっちまった。気分転換にジュースでも買ってくるから、ちょっと待ってな」


***


 亜夢は両腕で身体を抱き締めて待っていた。

 悠希は柿ジュースを手渡すと、右手の人差し指と親指を軽く擦って小さな炎を出現させ、屋外用暖炉にくべられている薪に向けて炎を飛ばした。

 着火した薪は瞬く間に燃え広がり、寒々しかったルーフバルコニーに、暖かみのある明かりを灯した。

 ユラユラと燃え盛る暖炉の炎が、厳かになりかけた雰囲気をじんわりと溶かし、冷たくなった亜夢の身体を優しく暖める。

 亜夢は柿ジュースを一口飲み、「精霊の炎はとても綺麗ね」と、暖炉の炎に視線を合わせた。すると突然、火力が勢いを増した。激しく揺らめく炎に彼女は笑みを溢した。

「誉められて喜んでるみてーだな」

 悠希がそう言うと、亜夢は暖炉の炎に照らされる悠希の横顔を見つめながら、

「インプラント手術は、ミラージュでやったって言ってたよね」

「あのアル中、腕だけは確かだからな。事情を話したら格安で応じてくれたんだ」

 悠希は胸の中心に右手を当てて、暫く押し黙った。

「悠希?」

「復讐なんてよ、単なる自己満足に過ぎねぇ。でもさ、どれだけ時間が経っても消せねぇし、消えねぇんだ。俺を半殺しにした奴、そして親父を殺した奴をこの手でブチのめす……それが、俺の目的だ」

 二人はしばらく暖炉の炎を見つめた。時折、ルーフバルコニーに冷たい風が吹き抜けた。

 悠希はベンチに寄りかかってグっと伸びをして、ハァーと長く白い息を吐いた。

「とは言え、手がかりはまるでねーし、はっきり言ってお手上げ状態だった。警察はろくに捜査もしねえしな。でも、お前と出会って少し光が見えた」

「この刺青タトゥーのこと?」

「ああ、そしてお前の中にあるエクストレジアさ。奴らの目的はおそらくソレだ。お前を追ってる奴らの中にもしかしたら親父を殺した犯人がいるかもしれねえ、俺はそう睨んでる」

 亜夢を見ると、神妙な面持ちで黙り込んでいた。

「悪かったな、こんな重い話ばっかで。せっかくお前のおかげで儲かったのにな」

「あたしも、聞いてもらいたいことがある」

「あん?」

「あたし、エデンの研究施設ラボから逃げてきたの」 

「エデンって、あのエデンシステムズか?」

「うん」

 エデンシステムズは、世界に先駆けて精霊石オリジンを採掘し、次世代エネルギーに応用した、日本を代表する一流企業である。

 亜夢はエデンの研究施設ラボで、教育の一環として『プログラム』という名の様々な訓練を強制的に受けさせられていたと話した。

「あたしにとってそれが当たり前で、何一つ疑うことの無い日常だった。でも、その日常が『普通』じゃないってことを、先生が教えてくれたの。ある日、先生は筆談で『ここは貴女にとって危険な場所』って伝えてきた。それで、その日から誰にも見られない秘密の部屋で話すようになったの。外の世界を知り、洗脳されていたことを知ったのは先生のおかげ。でも、急にいなくなっちゃった」

「なるほどな……お前が捜そうと思ってる人って、その先生か?」

「うん。先生は『南部サウスに行く』って、話してたことがあるの」

南部サウスか……ん?」

 悠希はなぜシャドウフェイスが亜夢を追うのか、という疑問を思い出した。彼らはエデンシステムズからの依頼で亜夢を追っているのだろうか? もしそうだとしたら、事件の黒幕はエデンということになる。

 悠希がその疑問を口にすると、亜夢は小さく頷いた。

「詳しいことはわからない。でも、柄の悪い連中が、研究施設ラボに出入りしてるのは見たことあるわ」

「……北部ノースの一流企業が、マフィアと癒着してる可能性があるってことか」

 更に、亜夢は逃走の経緯を話し始めた。研究施設ラボからの搬送中、車両トラブルのどさくさに紛れて脱走し、それから二日間、追っ手と闘いながら逃げ延びていたと説明した。

「そういうことだったのか。しかし、よく話す気になったな」

「あたしの中にインプラントされている精霊石オリジンの正体が分かったし、それが悠希のお父さんの事件と関係してるなら、あたしのことも話さないとって思って。それに……」

「それに?」

「悠希には感謝してるから」

「あん?」

 亜夢は悠希の顔をちらりと見て、

「少しの間だったけど、雇ってくれて嬉しかった」

 亜夢から初めて聞く感謝の言葉に、悠希は身体がむずがゆくなるのを感じたが、悪くはないなと思った。

「それで……怪我も治ったし、これ以上ここにいたら迷惑かけちゃうかも知れないから、あたしもう……」

 悠希は亜夢が言い終わらないうちに立ち上がると、大きく息を吐いた。

「さて、明日の回収は南部郊外がメインになるぞ。その後はお前の快気祝いと歓迎会を兼ねたパーティだ。拓斗に旨いモンたっぷり用意させとくから、ペースアップで仕事こなすぞ」

「悠希……」

 亜夢はそれ以上何も言葉にすることなく頷いた。暖炉の炎に照らされたその表情は、心なしか和らいで見えた。

「……ありがとう」


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