#3 【エクストレジア】
アニセカ小説大賞応募作品です。
続いて悠希と亜夢が到着したのは、タワーマンションがところ狭しと立ち並ぶ、南部の中心街だった。
二件目の回収先へ向かう前に、悠希と亜夢は道沿いのインドネパール料理専門店に到着した。
「さて……とりあえず、ここで腹ごしらえしてくか」
店内に入ると、カタコトのインド人店員と、スパイスの香りが二人を出迎えた。
「イラッシャイマセ~。マユールへヨウコソ」
「いい匂いね。ここは何屋さん?」
「カレー屋だ」
店内は温かみのある木目調で統一され、食欲をそそる濃厚なスパイスの香りが漂っている。
窓際のテーブル席に通されると、店員が水とメニューを運んできた。
「キマッタラヨンデネ」
店員はカタコトの日本語でそう告げると、一旦席から離れた。
「さて、どのカレーにすっかな。シーフード系もいいけど、やっぱ定番のチキンマサラか。お前はどうする?」
メニュー表を見た瞬間、亜夢は目を輝かせて指差した。
「これ知ってるわ、見たことある。白くて大きいやつ、食べてみたかったの」
「あぁ、ナンか」
「ナンって言うのね。じゃあ、ナンがいい」
「カレーは?」
「ナンでいい」
「いや、ナンはカレーのセットに付くから、そのナンにディップかますカレーはどれにすんだよ?」
「ナン」
「いや、お前話聞いてる?」
どうやら憧れのナンが食べられることによる小さな興奮で、亜夢の目にはナンしか映っていない様子だ。そう察した悠希は、手を挙げて店員を呼び寄せた。
「ゴチューモンハ?」
「え~っと、チキンマサラカレー二つ」
「ナニカラ?」
「俺は十辛で。お前は?」
そう訪ねると、亜夢は悠希を手招きして小声で耳打ちした。
「ナニカラってなに?」
「カレーの辛さはどうするかって訊いてんだよ」
悠希はメニューに記されている辛さ表を指差した。
「ふ~ん」
「ナニカラ二スルノ?」
亜夢は少し悩んで、
「十辛」
「マジか? めちゃくちゃ辛いけど大丈夫か?」
「問題ないわ」
「じゃあどっちも十辛で」
「ライストナン、ドッチ?」
店員がそう言った瞬間、「ナン」と亜夢が答えた。
「ハイ。ジャア、スコシマッテテネ~」
店員がメニューを持って下がっていくと、悠希は水を一口飲んだ。
「お前、面白いな。どんだけナン食いたいんだよ」
「施設ではカレー味のフィードが一番好きだったから、いつかナンを食べてみたいと思ってたの」
「なら、願いが叶ってよかったな。初仕事で精霊石を回収出来たし、幸先いいスタートだな」
「あたしは、まだ何もしてないよ」
「健気だな。怪我の具合はどうだ?」
「全然大丈夫」
「んじゃあ、次の回収先でも活躍してもらわねーとな」
「オマタセネ~、チキンマサラト、ナンデ~ス」
亜夢はテーブルに置かれた焼きたての大きなナンを見ると、すかさず「いただきます」と言って、ナンを手に取り、口を大きく開けてかぶりついた。
「もちもちでおいしい」
「……カレーつけて食えよ」
あっという間にナンだけを平らげてしまった亜夢。悠希は店員を呼び寄せた。
「ハイ、ナニ?」
「ナンのお代わりと、食後にラッシーを二つ」
「ハ~イ、アリガトゴザイマス」
食事を済ませた二人は、次の回収先へと向かった。
「このタワマンだな」
回収先のタワーマンションは飲食店から歩いて数分のところにあった。
悠希は物珍しそうにタワーマンションを見上げる亜夢を無言で手招きした。そして、大理石で作られた広々としたエントランスを素通りすると、自動ドアの前に備え付けられたセキュリティシステムの前で立ち止まった。
「一応礼儀として」
タッチパネルの部屋番号を押した。しかし、暫く待っていても何の反応もなかった。
「……出ないわね。出掛けてるのかしら」
「いいや、拓斗の情報で在宅は確認済みだ。居留守なのか、それとも……」
セキュリティシステムの認証画面に機械をかざすと、入り口の自動ドアが音もなく開いた。
「は?」
「狼狽えんな、自然に振る舞え」
悠希はあたかも住人のような素振りで開いた扉の中へ入ると、亜夢に付いてくるよう指示をした。
後ろから追いついてきた亜夢はひそひそ声で、
「……ねぇ、あの扉って住んでる人しか開けられないんじゃないの?」
「拓斗に頼んで、このマンションを管理する不動産会社のデータベースに侵入して、認証パスを作ったんだ」
悠希はエレベーターのボタンにタッチして言った。
亜夢は「それって……」と呟いた。
「あぁ、イケないことだ。世の中には正攻法だけじゃ通じないことなんて山ほどあるからな」
到着したエレベーターに乗り込むと、悠希は三五階のボタンを押した。亜夢はガラス張りのエレベーター内部で、遠ざかってゆくエントランスを見下ろしている。
エレベーターは僅か数秒で三五階まで到達した。二人はフロアの一番奥へと向かった。
「この部屋だ」
部屋の前で立ち止まり部屋番号を照合すると、インターホンを押した。しかし、暫く待っても反応は無かった。
「……ったく、仕方ねーな。賠償問題だけは避けなきゃならねーし」
悠希はそう呟くと、ドアノブを握りしめた。すると、銀色だったドアノブは、みるみる内に焼けた鉄のように赤くなり、ドア全体からは熱を発し始めた。
「この方法なら被害は最小限で済む」
悠希は頃合いを見てドアノブを引き下げた。鍵が掛かって動かなかったドアノブは飴のようにグニャリと変形している。
「よし、開いたぜ」
「凄いねソレ、あたしも覚えたい」
「そうか。じゃあ今度教えてやんよ」
ドアをゆっくりと引き、さらに力を込めるとドアが開いた。
悠希は何事もなかったかのように平然と亜夢の方を振り返って、
「靴は脱ぐなよ。何が起きるかわかんねーからな」
悠希は亜夢と共に踵をゴツゴツと鳴らし、土足で部屋の長い廊下を歩き、突き当りのドアを開けると、広大なリビングルームが現れた。
部屋を見渡すと、窓際に置かれたモダンデザインのソファに誰かが座っているのが見える。後ろ向きで顔を確認することは出来ないが、そのシルエットから男性であることは確かに思えた。
「精霊石の回収に伺ったんすけど、応答が無かったんで、勝手に入らせてもらいました」
背後から声をかけるも、男は無反応でじっとソファに座ったまま動かない。亜夢は「……寝てるの?」と、首を傾げた。
その時、何の前触れもなくバッ! と勢いよく男が立ち上がった。
悠希は落ち着いたトーンで、「……マズイことになっちまってんなぁ」と呟いた。
男はそのまま直立不動でその場に佇んでいる。悠希はもう一度「あの、大丈夫っすか?」と声を掛けた。しかし、相変わらず男の返答は無い。
「亜夢、俺の後ろからついてこい」
亜夢に声をかけて男の方へ歩み寄ると、背後から前に回り込んで様子をうかがった。
男は無表情で顔面蒼白。白目を剥いて両手をだらりと垂らし、まるで生気が感じられない――
悠希の背後から顔を覗かせてきた亜夢も、男の状態を視認した。
「一体どうなってるのよ」
「かなり危険な状態だ。多分、精霊に魂を侵食されかけてる」
「精霊に魂を? 意味がわからないんだけど」
「魂ってのは、そいつの言わばポテンシャルを示してて、1から5のレベルが制定されてるんだ。
精霊石のクラスと魂レベルが合わねーと、精霊に魂を侵食されて、精神やら肉体に影響を及ぼし狂人化、もしくは命をも脅かされるってわけだ」
回収しようとしている風属性の精霊石は、男の父親が経営している会社がレンタルしたものだった。男はそれを勝手に持っていき、魂チェックをせずに格上の精霊石を使用したのだ。
「そういう理由があったのね。それで、どうすればこの人は元に戻るの?」
「あれだ」
悠希は男の右手を指差し、「あれを外せば元に戻る。多分な」
男の右手の人差し指に、緑色の光を放つ指輪タイプの精霊石がはめられていた。
「じゃあ、早く外してあげれば? この人、白目剥いてて気持ち悪いし」
亜夢が男の目を見つめた瞬間、それは精霊石と同じ緑色に変色した。
「ねぇ、なんか目の色が変わったけど……」
亜夢がそう呟いた直後、「がああぁぁ! おがああああぁぁぁ!」と、男が唸り声を上げた。そして急に動き出すと、悠希に掴みかかった。
「ちっ! 亜夢、さがってろ!」
悠希は押し倒されて、床に仰向けになった。
「がおあああぁぁぁぁぁぁぁ!」
「クソ……なんて馬鹿力なんだよ」
手四つの状態で押さえ込まれた悠希は、亜夢に安全な場所へ離れるように促した。
「手は出すんじゃねーぞ、コイツは顧客の息子だからな」
亜夢は悠希の邪魔にならないようにと、壁に設置されている本棚に身を隠した。
「うがががああああぁぁぁぁぁぁ!」
更に力を増して押さえつけてくる男。普段から鍛練を積んでいる悠希の腕力をもってしても、はねのけることが出来ない。
明らかに筋力のリミッターが外れている。これは狂人化による副作用なのだろうか? 悠希は抵抗しながら思考を巡らせた。
火の精霊の魔力や、インプラントの力を使えば、男を制圧することなど造作も無いことなのだが、悠希はそれをためらった。顧客の息子に怪我を負わせるのを避けなければならないことも当然あったが、何よりここはタワーマンションの一室。力の反動で部屋の床を破壊する可能性があるし、ましてや火を噴出させるなどもっての外だ。賠償問題に発展させぬよう、何一つ傷つけず、この状況を打開しなければならない。
「……どう、すっかな」
悠希は男の力に押されながら、絞り出すように呟いた。
悠希が苦戦を強いられている一方、亜夢は本棚に身を隠しながら状況を見守っていた。
やっぱり助けた方がいいのだろうか? と、何度か身を乗り出したものの、手は出すなと言われているため、仕方なく待機しているが、このままではラチがあかない。そう決断した亜夢は、本棚に手を掛けてぐっと身を乗り出した。
その時、寄りかかっていた本棚がガコンと音を立てた。
「は? 何コレ」
本棚はスライドする仕組みのようで、亜夢は更に押してみると、隠し部屋とおぼしき入り口が出現した。
日の光が届かないその部屋の中は、真っ暗で何も見えない。入り口と部屋の合間から、光に照らされた埃がキラキラと浮遊する中、湿り気を帯びた空気とともに微かな花の香りが亜夢の鼻腔を通り抜けた。
その直後、闇の中から何者かがリビングに現れて、カクカクとした不気味な首の動きで周囲を見渡した。
「女の子?」
それは白いワンピースを着た、髪の長い女性だった。
華奢な体つきに透き通るような白い肌と長い金髪。妖しく光るエメラルドを埋め込んだかのような鮮やかな緑色の瞳と、一際目を引く特徴的な尖った耳。それらは、この世界の住人ではない者だということを明確に示していた。
「クア……クアァァァァァ!」
「エルフ? 何でこんな所にエルフがいるのよ」
亜夢が冷静に状況を見極められているのは、召喚されたエルフを何度か見たことがあったからだ。
精霊が住むと伝承される、この世とは異なる世界、『ティル・ナ・ノーグ』から召喚されてきたエルフ。人間と友好的なシーリーコートと呼ばれる部類がほとんどなのだが、目の前に姿を現したのは、アンシーリーコートと呼ばれる人間に危害を加える一番厄介な部類のエルフだった。
(これは大人しくさせないと危険ね。あっちには手を出すなって言われたけど、こっちならいいのかな?)
「クアアァァァ!」
エルフが悠希に向かって駆け出した。
「ちょっと!」
亜夢は無意識にエルフを追いかけた。そして、その背中に追い付いた瞬間、髪をグイッ!っと引っ張って、後方へ勢いよく投げた。
「クアッ!」
「どこに行くのよ? アンタの相手はあたしでしょ」
壁に激突したエルフを見下ろしていると、悠希の声が聞こえた。
「お……い、亜夢。何が起きてんだ?」
「隠し部屋からエルフが出てきたのよ」
「エルフ……だと、どんな状態だ」
「凶暴化してるわ。アンシーリーコートってやつね」
「マ……ジ、かよ」
エルフは「クァァァ……」と、奇声を漏らしながらゆっくり立ち上がった。その表情は更に険しくなっている。
「クアアアアァァァ……」
仁王立ちで睨みつけてくるエルフ。その髪がザワザワと逆立ち始めたその時、風が見えた――散乱しているゴミや埃が、エルフの周囲に舞いはじめたのだ。
「このエルフ、風属性の魔力使おうとしてるから、こっちも使っていい?」
「は? いや、ちょっと待て! 部屋で魔力攻撃はマズイだろ!」
「マズイも何も、その魔力攻撃を今にも発動させようとしてるわよ」
「何っ⁉ マジか!」
「このまま放置したら部屋どころか、あたし達もただじゃ済まないし、魔力防御を発動させたとしても、部屋はただじゃ済まないわね」
最悪の状況下、エルフの周囲を舞うゴミが勢いをつけ始めた。
悠希は男と対峙しながら状況を整理した。
男はエルフを召喚して、いかがわしいことをしようとした矢先に、愚弄した風の精霊に魂を侵食されて狂人化したのだろう。更に、隠し部屋に閉じ込められ、放置されたエルフは怒り狂って凶暴化したのだ。悠希は男の私利私欲とずさんな管理にいらだちを募らせた。
「くっ……そ、どうすりゃいいんだ。賠償問題だけは避けたいところだが、そんな悠長なこと言ってられねぇな」
「ねぇ、『アレ』のやり方教えてくれない?」
亜夢の声が聞こえた。
「は? 何だよアレって……」
「シャドウの追っ手に使ったヤツよ」
「教えろって、アレはそんなに簡単じゃねーぞ。精霊との親和性や信頼関係あっての――」
「あたしは『この子達』と仲いいよ」
「この子? 誰のことだ?」
「四大精霊よ。あたし、施設で友達いなかったから、インプラントしてからはこの子達が友達になってくれたのよ」
「友達? 意味わかんねぇ。それにお前足の怪我……」
「そんなこと言ってる状況じゃないでしょ。いいから早く、やり方教えて」
「い、意識を精霊石に集中させて、体内に魔力を循環させろ」
「したよ、次は?」
「魔力が全身を駆け巡り出したら、血が沸騰するような感覚になる……そしたらスタンバイオッケーだ」
「ん~っと……あ、なんか熱くなってきたわ。これね」
「後は、エルフ目掛けて跳ぶだけだ」
「わかった。じゃあ――」
亜夢が前傾姿勢になったその刹那、ドン! という重低音と共に、部屋全体が振動した。
「グアッ!」
悠希は男に押さえ込まれながらも首を仰け反らせて、状況を確認した。すぐ側にいたはずの亜夢は離れた場所に移動しており、前傾姿勢のままだ。そして、エルフは壁に激突した状態で意識を失っている。
「うん、出来たわ。確かに、なにごともやってみないとわからないものね」
涼しげな表情の亜夢。その一部始終を首を仰け反らせながら見ていた悠希は、驚がくした。
(コ、コイツ、俺が会得するのに一年以上かかった技を、口頭の説明だけで……)
亜夢が立っていた部分の床は割れ、エルフが激突した壁のコンクリートには亀裂が入っていた。被害を確認した悠希は大きなため息をついた。
「……魔力攻撃を回避出来ても、結局賠償問題は回避出来なかったか。仕方ねぇ、顧客には最小限の被害で済んだって説明するか」
男に顔を向き直し、「そもそもよぉ、これはテメーの欲望が招いたイレギュラーだ。俺達に非はねぇよな」
溜まりに溜まっていたフラストレーションを吐き出した後、ズドン! と、地鳴りが鳴り響いた。その瞬間、悠希が逆に男を押し付けている状態になった。
「凄いわね、どうやったの?」
「背筋に魔力を集中させたんだよ。亜夢、ちょっと手伝ってくれ」
悠希は亜夢に男の指輪を外すよう指示をした。
「外したよ」
「よし、これで狂人化は収束、召喚も解除出来るはずだ」
しかし、男の狂人化は一向に解ける気配はなく、エルフもまだ横たわったままだ。
「ぐるああああ!」
「ちっ……どうやら、風の精霊はまだ怒り狂ってるみてぇだな」
「じゃあ、鎮めてあげるよ」
「は?」
亜夢は指輪を手のひらに乗せ、包み込むように握り締めた。
「お前、何やってんだ?」
「魔力を少し吸収してるのよ。こうするとね、精霊は落ち着くの」
悠希は亜夢を見つめた。
(魔力の吸収? なんだそれ、そんなの聞いたことねーぞ)
しばらくして、押さえつけている男に変化が起きた。
抵抗する力が段々弱くなり、歪な表情も穏やかになっていく。そして、瞳の色が緑から黒へ戻り、やがて意識を失った。
悠希は男の手を離して立ち上がると、エルフの状態を視認した。壁際に横たわっていたはずのエルフの姿はそこにはなく、ゴミが散乱しているだけだった。
「はいコレ、もう落ち着いたわよ」
亜夢は悠希に指輪を手渡した。
「お、おぉ……」
その後、悠希は依頼人である男の父親に連絡し、経緯と意識を失った男の状態を伝えた。そして、命に別状はなさそうだが、万が一を考慮して、救急車を手配したと説明した。
***
バイクを停めた地下駐輪場に到着した悠希と亜夢は、帰る前に少し休憩を取ることにした。
疲労困憊の悠希は、「ホント……今日の仕事は難儀だった」と一息つきながら、自販機で強炭酸水を購入した。
「お前は何飲む?」
「ん~、じゃあこの柿ジュースってヤツ」
「渋いな」
二人は駐輪場近くの階段に座った。
悠希は強炭酸水を一気にぐっと飲んで大きく息を吐くと、「……ありがとな」と呟いた。
悠希の言葉に亜夢はキョトンとして、「ありがとって?」と訊いた。
「さっきの礼だ。お前が機転を利かせてくれてたから被害は最小限で済んだし、精霊石も無事に回収出来たからな」
「ふーん、礼ってそういう意味なんだ。まぁ、一応アシスタント……だからね」
「初日から大活躍だな。お前、この仕事に向いてるわ」
「そ……」
亜夢は悠希から目線を外して缶ジュースを一口飲んだ。そんな亜夢の横顔を見ながら、悠希は先ほどの回収業務を振り返った。
もしも今日、亜夢がいなかったら一体どうなっていただろうか? 恐らく、顧客の息子は無傷では済まされなかっただろうし、エルフの処理や精霊石の回収は困難を極めただろう。
しかし――
気になるのは精霊石から魔力を吸収した亜夢の能力だ。あれは四大精霊をインプラントしているから出来る芸当なのだろうか? 悠希は亜夢に訊いてみようかと思ったが、すぐに思い直した。亜夢も疲れているはずだ。怪我もしているのに無理をさせてしまったし、詳しいことは帰って飯でも食ってから訊けばいい。
悠希は炭酸水を飲み干して立ち上がった。
「さて、そろそろ行くか」
その時、ゴトンという音がした。視線を落とすと、亜夢が持っていた柿ジュースが転がり、中身がこぼれていた。
「あん?」
亜夢に視線を移すと、座ったままの状態で真横に寝そべっていた。
「おい、どうしたよ? 疲れて眠っちまったか?」
声をかけても無反応だった。暫く様子を見ていたが、亜夢が一向に起きる気配はない。
「おい、大丈夫か?」
悠希は亜夢の身体を揺さぶったが、そこで初めて身体が熱を帯びていることに気付いた。額に手を当ててみると、かなりの高温だ。
「これはマズイな」
悠希は革パンツのバックポケットから携帯電話を取り出した。
***
熱い……熱いよ。
まばゆい太陽が燃え盛り、空は炎の色に染まっている。これは……夢?
荒野を歩くあたしの耳に、謎めいた声が聞こえてくる。
それはまるで幻の存在からのつぶやきのよう。
『貴女は普通の人間ではない』
その声は熱と溶け合い揺らめいた。
炎に包まれているような感覚が、身体全体を包み込む。
熱い……熱いよ。ねぇ、先生教えてよ。あたしはどうしたら自由なれるの?
「まずは精密検査をするよ。処置はそれからだね」
「あぁ、頼む」
亜夢はミラージュの地下二階に運び込まれた。そこは医療設備が充実する検査室になっていた。
訳アリの亜夢を救急車で病院に搬送することは出来ない。そう判断した悠希は、涼子に連絡を入れた。事態を察した彼女は、すぐに車で迎えに来てくれた。
ストレッチャーに乗せた亜夢を、涼子の指示で部屋の奥まで運び、巨大な機器が設置されたベッドへ亜夢をそっと寝かせた。
「そういえば、コレ。また買い替えたのか?」
「うん、精霊石の解析及び分析が出来る最新の『NeuroScan X3』だよ。カッコよすぎて思わず衝動買いしちゃったよ」
涼子によると、この最新鋭の精霊石専用MRIを使用すれば、インプラントしている精霊石を、まるで体内から取り出したかのように、繊細かつ緻密な映像として撮影が可能なのだという。更に、精霊石の内部構造や封入されている精霊及び、保有する魔力のデータ等、その全てが分析できる。
「こんなモン衝動買いするのは、エデンシティの闇医者でもアンタぐらいだよ」
「さっき解析を断られたから気が引けるけど、状況が状況だし、仕方なく、仕方なぁ~く検査するんだから許してね~」
涼子は亜夢の頭から首までをヘッドコイルで固定すると、指先に心拍を計る装置を付けて操作室に入って行った。やがて涼子の声がスピーカーから響いた。
『これから起動するよ。少し離れててね』
機械が動き始め、検査室は静かな共鳴音に包まれた。悠希はその音に耳を澄ませた。それは高く鋭くなり、やがて低く深みのある音となった。
数分後、重低音が鳴る中、亜夢を囲むように設置されたリング状のフレームの内側が淡い光を放ち、ゆっくりと動き出した。
「すげ……」
『撮影開始するよ』
涼子の声が響いた。フレームが亜夢の頭まで移動し、そこから足の爪先に至るまでスライドしていく。
***
悠希は精密検査を終えた亜夢をベッドに移動させた。その際、抱えた彼女の身体が冷めていることに気付いた。熱を測ると、通常の体温にまで下がっていた。
ソファに腰を下ろし一息ついていると、検査室から涼子が出てきた。
「もう解析結果が出たのか?」
「うん、流石は最新鋭機器だね。早いのなんの」
「で? 倒れた原因は?」
「栄養失調による一時的な体調不良だね」
「はぁ? 栄養失調って、昨夜は牛丼食ったし、昼飯にはインネパ料理屋でナンをたらふく食ってたぞ。それはありえねぇだろ」
「ううん、足りてないんだ。圧倒的にカロリーが足りていない。栄養を補う点滴をしといたから、そのうち目を覚ますよ」
悠希は涼子の説明を素直に受け入れることが出来なかった。しかし、その不可解な原因に心当たりがあった。
「もしかして、インプラントしてる精霊石が原因か?」
「流石だねぇ。そう、ご察しの通りだよ」
「まぁ、四つも精霊石インプラントしてりゃ、カロリーの消費も半端ねぇか」
「精霊石は一つだったけどね」
「一つ? んな訳ねぇだろ、じゃあ亜夢がここで見せた四大属性の魔法はどうやって発動させたんだ? 魔力のソースは? どう説明つけんだよ?」
「エクストレジアだよ」
「何だよそれ」
「界隈では、究極の精霊石なんて呼ばれてるオーパーツさ。悠希は一九八六年のハレー彗星の飛来、覚えてるかい?」
「精霊石誕生の元になったアレか。子供だったけど、何となく覚えてるぜ」
「ハレー彗星の飛来によって、日本に古くから現存した鉱物の中で眠っていた精霊が目覚め、それが精霊石となったのは知ってのとおりだけど、実はあの時、小さな隕石が日本に落下してたんだ」
「それがエクストレジアってやつだったのか?」
「その通り。四つの精霊が一つになった特殊な精霊石さ」
「それが亜夢の身体にインプラントされてるのか? いくら最新鋭のMRIで調べたとは言え、そんな話、信じられねぇよ」
「確かに、私もこの解析結果には驚嘆するばかりさ。でもね、これを見てくれ」
パソコンの画面には撮影データが表示されており、心臓付近に拳大の球体型の精霊石がインプラントされている様がはっきりと映し出されている。
「確かに、精霊石は一つしかないな」
「そうなんだ。そして、魔力パターンを調べた結果、確かに火、水、風、土の反応が検出されている」
涼子はキーボードを叩き、「それと、この部分」
球体型の精霊石が拡大されると、そこには何やら模様が刻印されている。
「……コレ」
「うん、亜夢くんの首筋に彫られている刺青の模様と同じだよ」
悠希は解析結果を目の当たりにし、涼子の説明を聞いても、未だ状況が飲み込めず、そして信じられなかった。
「……ちょっと待ってくれ、話を整理したい。少し外の空気吸ってくるわ」
部屋を出た悠希は、ミラージュの入り口付近にある喫煙スペースで煙草を咥え、人指し指と親指を擦って出した小さな炎で火をつけた。
亜夢の首筋の刺青と精霊石に刻印されていた模様が一致したという事実。これは父親の研究対象がエクストレジアだったということなのだろうか? 吐き出したタバコの煙を眺めながら、悠希は考えを巡らせた。
(親父は鉱物研究の第一人者と呼ばれた生粋の研究者だ。そんな親父の研究と亜夢が繋がった……二人は一体どういう関係なんだ?)
煙草を吸い終えた悠希は、地下二階へと戻った。
「亜夢くんの容体も落ち着いてきたから、私も一息つかせてもらおうかな」
涼子はそう言うと、煙草を咥えて「ん」と、悠希にその先端を差し向けた。
悠希は指先から出した小さな炎を煙草の先端に近づけ火をつけた。涼子は深呼吸するように煙を吸い込んで吐き出した。
「……はぁ、美味し」
「随分嬉しそうだな」
「究極の精霊石を目の前にして、アドレナリンの分泌が止まらないよ」
「全く、不謹慎極まりねーな。これだから科学者ってのは」
「体内のアルコールが消し飛ぶぐらいアメージングな素材に出会えたんだ、少しぐらいは許容してよ。ただ、一つだけ腑に落ちない解析結果があるんだよね」
「あん?」
「いやね、君も知っての通り、精霊石をインプラント出来る条件で一番重要な要素、魂レベルの適合の問題があるんだ。君は火属性との適合のみだけど、亜夢くんの場合は四つの精霊全てと適合してる」
「は……? そんな人間いんのかよ? 解析結果が間違ってるんじゃないのか?」
「失礼な、アレはアストロデバイス社製の最新鋭だよ? 精度は世界一さ。これは凄いなんて言葉では表現しきれないよ。仮に、エクストレジアを君にインプラントしたらどうなると思う?」
「火の精霊だけでも苦労するのに属性違いが更に三体か……考えただけで吐き気がするな。ん~、魂が侵食されて狂人化か?」
「ううん、即死。超即死。一瞬で蒸発するよ」
「……マジか」
「エクストレジアに封入されている四大精霊は、全て最高クラスに匹敵する魔力の量を有してる。こんなのをインプラントするのは、水を貯めた鉄鍋に大量の焼石を投入する行為に等しいよ」
「確かに、それは……無謀だな」
エクストレジアをインプラントしていても平気だということは、やはり亜夢の魂レベルはその全てと適合しているのだろうか? これまで得た情報を整理するとそうとしか考えられなかった。 亜夢の意識が戻ったことを知らせる通知音が鳴った。悠希と涼子は彼女の様子を伺いにベッドへ向かった。
「よぉ、調子はどうだ?」
「……うん、もう大丈夫。体中が筋肉痛みたいに痛いけど」
「普段使わない部位の筋肉を総動員で使ったからな、仕方ねーよ。トレーニングで鍛えりゃ、その内馴れるさ」
「ねぇ、あたしの身体、調べたんでしょ?」
「あぁ。原因がわかんねーと、処置のしようがないからな」
「どうだった? 何か手掛かりになること、見つかった?」
「……随分前向きだな。身体、調べられるの嫌だったんだろ?」
「勿論嫌よ。でも、あたしがどれだけ抵抗しようと、いずれこうなるってことぐらいわかってた。フィードが無ければ生きていけないこともね」
淡々と話す亜夢に、悠希は目を見張った。
(コイツ、初めからそれを覚悟の上で施設から脱走したってことか)
涼子が解析結果を説明した。
「……そう、そんな精霊石があたしにインプラントされていたのね」
「悠希のように精霊石を一つインプラントしているだけでも、通常の人間よりも倍以上のエネルギーを消費しちゃうのね。四大精霊達が住まうエクストレジアなら、最低でも一日に二万カロリーは必要になるかなぁ」
涼子は亜夢が施設で与えられていたフィードは、エクストレジア用に調整されていた可能性が高いという見解を示した。
「涼子さん、そのフィードと同じカロリーが摂取出来るサプリ、作れるか?」
「勿論、そんなのは造作もないことだけど、費用は当然高くつくよ」
「構わない、頼むよ」