#2 【回収係】
アニセカ小説大賞応募作品です。
翌朝、事務所二階の住居スペースに泊めてもらった亜夢は、悠希に促されてシャワーを浴びることにした。
「はぁ……」
髪を洗い終わり、出しっぱなしのシャワーのお湯をしばらく見つめる。
こんなにもゆっくりお風呂に入るのは、生まれて初めてのことだった。これが普通、普通の日常に流れる時間なんだ、と亜夢は思う。
シャワーを止めてスポンジにボディソープを染み込ませた。モコモコと泡立てたスポンジで、身体をゆっくりと洗いながら、今朝のことを思い返した。
カーテンから射し込む朝日がまぶたを撫でたこと、暖かな羽毛布団の中で二度寝の誘惑と対峙したこと、快適な目覚めの後、これまでの日常にはなかった、非日常の全てに感動を覚えた。
亜夢は右の足首に目を落とした。正直、怪我はたいしたことはないと思った。でも、このまま一人で行動するのは彼らの言う通り、やっぱり限界がある。そう判断して提案を受け入れた。
それに――
悠希という人は強い。あの距離で掌打を当てられなかったのは初めてだ。拓斗っていう人は少し変だけど優しい。あの二人と一緒なら、仕事で色んな経験が出来るだろう。先生に関する情報も得られるかもしれない。
シャワーから出ると、短い廊下を抜けてリビングのドアを開けた。そこで亜夢を出迎えたのは暖かな空気と、「さっぱりしたか?」という悠希の声だった。
「うん、気持ち良かったわ」
「よし、朝飯食ったら、早速回収業務に行くぞ。エリアは当然だが精霊特区のエデンシティ内だ」
「当然って、なんで?」
「なんでって、精霊石は特区であるエデンシティでしか使えねーからだよ。うちの顧客は特に南部に多い。治安が悪りーから気を付けなきゃな。あ、そうだ。回収の前にとりあえず服買いに行くぞ」
「服?」
「あぁ。レガリアの代表として、そんな死神みてーな格好で働かせられねーからな。まずは見た目、それから機能性だ」
事務所の裏手にある駐輪場で、悠希は亜夢にヘルメットを手渡した。
「もしかして、コレで行くの?」
「おぅ、イケてんだろ」
マットブラックのボディに、フロントからリアにかけて延びた屋根。そして巨大なリアボックスには『レガリア』と、赤色のロゴが描かれている。それはさながらピザ屋で使用されるようなデリバリーバイクだ。
亜夢はしゃがみこんで悠希のバイクを見つめた。
「カッコいい?」
「何で疑問風なんだよ? 最高にクールだろ、この機能美」
「よくわからないわ」
首を傾げる亜夢の態度に、悠希は釈然としない面持ちで、
「いいか亜夢、男もバイクも見た目じゃねぇ。フレームとシートを延長した、タンデム仕様に、競技用エンジン。更に亜酸化窒素噴射式のパワーアップパーツも搭載してあるから、いざという時には爆発的な加速力で――」
亜夢は目を燦然と輝かせながら語る悠希の横顔を見て、「ふ~ん」と、興味無さげに返した。
「ヤバ。そろそろ行かねーと、この後の仕事が押す」
ひとしきりウンチクを語った悠希は、亜夢を後部座席に跨らせてヘルメットを装着させた。
「しっかり掴まってろよ」
「うん」
亜夢は両腕を悠希の腰に回して指を絡め、身体を背中に密着させた。それを確認した悠希は、エンジンを始動するとバイクをゆっくりと前進させた。
路地裏から広い大通りへ出たバイクは、その見た目とは裏腹に颯爽と走り出した。
***
南部の中心部繁華街。悠希と亜夢は巨大なショッピングモールに入る店舗に向かった。
「ここは?」
亜夢は入り口のランズと書かれた看板を凝視する。
「馴染みの古着屋だ」
「古着? 誰かが着たお下がりってこと?」
「その言い方はナンセンスだな。古着屋ってのはな、一期一会のロマンを楽しむ場所だ」
古着屋ランズは悠希の御用達で、バイヤーでもある店長が直接海外で買い付けてきた一点モノの古着が手に入る店だ。
「亜夢、好きな服選べよ」
「あたし、服はよくわからないよ。施設ではずっと白いワンピースだったし、外出の時はこの黒いコートしか着たことないから」
「そっか、なら俺がコーデしてやんよ」
悠希は店内の古着を何点かみつくろい、亜夢にあてがって似合う服を選んだ。
アウターはポケットが沢山ついた膝丈のカーキー色のアーミーテイストコート、インナーには白のロンT、ボトムスは黒のショートパンツ、シューズはお洒落な赤茶色のブーツというコーディネートだ。
全身鏡の前で直立不動の亜夢だったが、やがてその表情は柔らかくなり、口元が少しゆるんで微笑が浮かんだ。
「おー、似合ってんじゃん」
「本当?」
「どうする? 他にもまだ着てみるか?」
「ううん、これがいい。気に入ったわ」
「よし、じゃあ決まりだな」
悠希は亜夢に服を着せたままレジへ向かい、「コレ、着てくから」と、支払いを済ませた。そして、亜夢が着ていた黒のコートは店員に渡し、処分してもらうよう伝えた。
「次はこの店、ミラージュだ」
そこは看板すらなく、一見すると店舗とは思えないような、小さな平屋の建物だった。
バイクを入り口付近に停車し、二人は店舗の中へ入った。
店内は狭く、段ボールや薬品のようなものがあちらこちらに置かれていて、埃っぽく雑然としていた。
「誰もいないみたいだけど」
「多分、仕事に没頭してんだろ」
悠希は入り口に備えつけられているベルを一回鳴らした。やがて店の奥から白衣姿の女性が現れた。手には缶ビールを持っている。
「や、悠希じゃないか。どうしたの? メンテナンスはこの間、済ませなかったっけ?」
彼女は艶やかな長いシルバーアッシュの髪をかきあげると、余白のない小顔を飾る冷淡で切れ長の目を瞬かせた。
「あぁ、ちょっと訊きたいことがあってさ。今大丈夫か?」
「かまわないよ。ところで、そのカワイイ子は誰?」
「試用期間のアシスタントさ」
「ふむ、私は葉月涼子。お嬢さんのお名前は?」
「亜夢・エヴァンスよ」
「亜夢くんか、よろしくね~。いつもどおり散らかってるけど、ゆっくりしてってよ」
店内を通り抜け、奥の部屋へ案内された。
奥の部屋は薄暗く、小さな窓から差し込む日差しもかすかで、明かりはほとんど頼りにならないくらいだった。
入ってすぐ横に大きな冷蔵庫、その横にはラックに並んだ試験管や瓶が雑然と積み上げられ、中央のテーブルには薬品の容器や注射器、ノートパソコン、計量器具などが放置されている。
どこからか漏れる薬品の匂いが鼻を刺激した。
「二人共、コーヒーでいい? それともお酒にする?」
「んな訳ねーだろ、俺達はこれから仕事だ。朝っぱらから酔っ払えるアンタと一緒にすんな」
「はいはい、じゃあ待っててね」
涼子がそう言って部屋を出て行こうとすると、亜夢は困り眉で「コーヒー……」と呟き、涼子の顔を見つめる。
「ん? 亜夢くん、コーヒーは苦手なのかな?」
「好き……ではないかも」
「そっか、じゃあ甘いカクテルでも作ろうか?」
「おい、いい加減にしろよ、この酒カス」
「ツレナイなぁ、冗談よ冗談」
涼子が用意をしている間、亜夢は落ち着かない様子で、部屋の中をキョロキョロと見渡した。
「ねぇ、悠希。ここは何のお店なの?」
「精霊石の改造とかメンテナンスをやってる店だ」
「ふーん」
暫くして、涼子はテーブルにビーカーを三つ置いた。
「はい、どうぞ。で? 用件はなにかな?」
「あぁ、実はさ――」
悠希は昨日からの経緯を涼子に説明した。
「刺青が一致ねぇ」
涼子は亜夢の首筋を注視した。「う~ん……この刺青、もしかしたら四大精霊の魔力が使えることに関係しているのかも知れない。ね、少し亜夢ちゃんの能力を見せてよ」
「亜夢は今怪我してんだ。あんまり無理はさせたくないからまた今度に――」
悠希が言い終わらないうちに、亜夢が口を開いた。
「いいよ、少しくらいなら」
「おー! そうこなくっちゃ! じゃあ地下へ移動しよう」
涼子に案内された地下室内には、吸音材製の壁や防弾のプレキシガラスなど、さながら屋内射撃場のような設備が整えられていた。
物珍しそうにキョロキョロと見渡す亜夢。
「へぇ、なんか凄い部屋」
「ここは改造した精霊石を試す部屋だ。この下には検査機器や手術室もある」
「随分詳しいのね」
「俺はここでインプラント手術を受けたからな」
ミラージュは精霊石に関するあらゆる業務を請け負っているが、金さえ払えば違法行為にも対応している。
涼子は離れた的を指さした。
「アレ目掛けて、何か軽い魔力攻撃をやってみてよ」
「うん。じゃあ、まずは火属性から」
亜夢は右手を拳銃の形にして前方に突き出すと、指先から小さな炎を放った。炎は的に命中し、燃え盛る。
「次は水属性」
今度は指先から勢いよく水鉄砲が発射され、燃え盛る的の炎を消火すると、続いて風、土と、異なる属性の魔力攻撃を披露した。
「はい、こんな感じ」
「なるほど、これは驚きだね」
「どうだ? 何かわかったか?」
涼子は肩を震わせ、不気味な笑みを浮かべた。
「悠希ぃ、君はとてつもない逸材を発掘したね。正直、君の話を聞いた時は半信半疑だったよ。四大精霊をインプラントした個体など、この世に存在する訳がないからね。でも、どうやら間違っていたのは私の方だったみたいだ」
興奮気味に亜夢の方に向き直り、「ねぇ亜夢くん、君の身体にインプラントされている精霊石の分析をさせてはくれないだろうか? なぁに心配することはない。この下の階に最新鋭のMRIがあるんだ」
「え、やだ」
「えー、分析させてよ~、お願いだからぁ。分析させてくれたらさ、何でも好きなモノご馳走するから」
「やだ」
「痛いことはしないよ? ね? だからさ……」
「い、や、だ」
涼子が両手を合わせて懇願するも、亜夢は断固として首を縦に振らない。
見かねた悠希は二人の間に入った。
「涼子さん、わりぃ。嫌がってっから」
悠希の真剣な眼を見た涼子は我にかえったように、
「あ……あぁ、そうか、無理強いはダメだね。ごめんごめん! あまりにも衝撃的だったから、知的探求心をワシワシと掻き立てられて興奮しちゃったぁ~」
そして、普段の酔いどれモードに戻ると、「刺青のことはこっちでも調べておくから、また連絡するわ」
***
「悪かったな」
道すがら、悠希は後部座席の亜夢に声を掛けた。
「なにが?」
「涼子さん、精霊石のことになると周りが見えなくなるんだ。でも、悪い人じゃねーからさ」
「別に、気にしてないよ」
涼子から刺青に関する情報は得られなかった。しかし、亜夢が四大精霊をその身に宿してることは本当だった。
涼子ほどではないにせよ、悠希もまたその事実を知って知的好奇心を掻き立てられた。一体、どんな理由があって、一四歳という若さで四つもの精霊石をインプラントすることになったというのか。
悠希はアクセルを回す手に力を込めた。
「よし、今日は回収業務が二件。一件目はここだ」
到着したのは二階建ての集合住宅。悠希はバイクを停車させると、亜夢と共に二階へ上がった。
移動中、悠希は回収先の情報を亜夢に伝えた。
顧客は南部の精霊石輸出会社に勤める三十代男性。精霊石マニアで、専門店から定期的にレンタルしている。しかし、借りた精霊石を返却せず溜め込む癖があり、回収に訪れても不在なのか居留守なのか、毎回応答が無く、未だに回収出来ずにいる。
階段の踊り場で簡単な打ち合わせを行い、亜夢が単独で顧客先を訪問することになった。
「本当にあたしが行っていいの?」
「あぁ、何ごとも経験だ。俺はここで見てるから、初仕事頑張ってこい」
「うん、やってみるわ」
亜夢は真ん中にある部屋の前に到達した。
インターホンを押す。
「……」
反応は無い。もう一度押し、暫く待ってみるも、やはり反応は無い。
亜夢は軽いため息を鼻から出すと、ボタンを連打し始めた。
ピピピピピピンポーン♪ ピピピピピピピピピピピピピピピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピピピピピピピピピピピピピンポーン♪
およそ一分、啄木鳥の如き連打を続けていると、突然ドアが開いた。
「おい! 何だよさっきから! 警察呼ぶ――」
怒鳴りながら出てきたのは、無精髭をたくわえた中年男性だった。
男は亜夢の姿を目の当たりにした瞬間、態度を豹変させて、
「な、何かな?」
「こんにちわ、あたしはレガリアの回収係です。レンタルされた精霊石の回収に伺いました」
亜夢が悠希から教えられた定型文をスラスラと、そして淡々とした口調で告げると、男は寝癖のついた髪を手ぐしで整えながら、亜夢の顔を凝視し始めた。
「あ……あぁ、アレね。そういえば結構溜まってたなぁ。いやね、返さなきゃって思ってたんだけど、何せ仕事が忙しくて忙しくて。中々足を運ぶ機会がなくて困ってたんだよ~。あ、僕の仕事は精霊石を海外に輸出する、北部で有名なクロノスグループの孫会社でね……」
「あの」
「え?」
「返却をお願いします」
「……あ、あぁ、そうだったそうだった、ちょっと待ってね、とりあえず、ここ掃除するからさぁ」
男は足の踏み場も無いほどゴミ袋で埋め尽くされている玄関を、急に張り切って片付け始めた。
「普段はさ、もっと綺麗なんだよ。ほら、さっきも話したけど、多忙を極めてるから掃除する暇も無くて。片付けたら、とりあえず中でお茶しようよ。その後で探すからさ」
チラリと亜夢の方を振り向いて、「ところで君カワイイね、いつから働いてるの?」
「今日からです」
「へぇ、新人さんかぁ。年は? いくつ?」
「……」
「あ、ごめんごめん。女性に年齢を訊くのはデリカシーに欠いた質問だったね。今日何時に仕事終わるの?」
「…………」
「終わったらさ、一緒にご飯食べに行かない? お洒落なフレンチの店知ってるんだ」
「………………」
「ご飯食べたらさ、映画もいいよね。どんなジャンルが好き? 僕はね、やっぱラブコメかな~」
「……………………」
「その後は、行きつけのバーに行こうか。その店はカクテルが美味しくてさ、特にマティーニは――」
「よぉ」
「え?」
男が振り返ると、そこには悠希の姿があった。
「やっと会えたな」
「だ……誰ですか?」
「レガリアの代表だ。さっさと借りた精霊石持ってこい」
「え、え~っと今すぐにはちょっと……」
「あン?」
悠希はゴミを踏みつけ、土足で部屋の中へ入った。
「おい! 何勝手に上がってるんだよ!」
部屋の中は脱ぎ捨てられた服や大量の雑誌など、玄関とは比にならないぐらいモノで埋め尽くされていた。
「……ちっ、ゴミの中に埋もれちまってるパターンかよ」
「お前いい加減にしろよ! 警察に通報するぞ!」
「どうぞご自由に。その代わり、さっきアンタがコイツを部屋の中へ誘ったり、ナンパしてた音声を警察に提出させてもらうけどな。未成年者略取未遂ってやつか?」
「うぐっ……そ、それは、探すのに時間が掛かりそうだったから、お茶でも飲んで待っててもらおうとしただけだろ。略取だなんて大げさな――」
「なるほど、じゃあ探すつもりだったってことだな。なら全部見つかるまで待たせてもらうわ」
男が精霊石を捜索している間、悠希と亜夢は外の通路で待った。
亜夢は唐突に「ねぇ」と口を開いた。
「なんだ?」
「後一秒来るのが遅かったら、アゴに思いきり掌低を突き立ててたわよ」
「そう思ったから行ったんだよ」
「もしかして、こうなることわかってて、あたし一人で行かせたの?」
「ん~、半々だな。顧客情報は拓斗に調べさせてあってさ、部屋にアイドルのポスターが貼ってあった通り、こいつはアイドルオタクだから、お前を行かせれば出てくるかもって期待はしてた。ビンゴだったな」
「アイドルとかよくわからないけど、つまりあたしはエサに使われたってことね」
「それは違うな、これは適材適所ってヤツだ」
「まぁ、役に立てたならそれでいいけど」
一時間が経過した頃、男が紙袋を持って部屋から出てきた。
悠希は紙袋を受け取って中身を確認した。
「……十五、十六。よし、これで全部だな」
「ど、どーも。じゃあ僕はこれで」
「あ、一応今回の請求額を確認しといてくれ」
悠希は請求書を男に見せた。
◆精霊石十六個・延滞金百六十万円
◆手数料、諸経費・三十万円
◆合計百八十万円
「は? ちょっと待て! なんだよこの金額、こんなの払えるわけないだろ!」
「……払えない、なるほど。それは一体どういった理由で?」
「理由も何も、こんなのボッタクリじゃないか! 横暴だ!」
「聞き捨てならねーな。いいか、アンタが延滞してた精霊石は十六個。これが約半年間返却されなかった。この期間、本来得られるはずの利益を得ることが出来なかったわけだ。これは重大な損失だ。それを日割り計算で算出した額がこれだ。きちんと会計士も通してあるし、不服があるなら裁判を起こせばいい」
「――うっ」
男は諦めた様子で肩を落とした。「わ、わかった」
「じゃあ、請求書は正式なのを郵送で送るから、支払方法は担当者と相談してくれ」