#0 【天使降臨】
アニセカ小説大賞応募作品です。
夢。
あたしには夢がある。
それは普通の人間として生きることだ。
普通の仕事をして、友達と遊んで、美味しいモノもたくさん食べたい。
色んな場所へ行って、見たことのない景色を観たい。それと、恋もしてみたいな。
結婚して、子供を産んで、おばあちゃんになって――普通の生活を送って、普通に人生を終えたい。
それが夢、あたしの夢。
でも現実は、ナイフを突きつけてくる男が目の前にいる。
被検体。男は、あたしのことをそう呼んだ。
被検体って、実験に使われるネズミのことらしい。あなたはみんなにそう呼ばれてるって、先生が教えてくれた。
その意味を知って、あたしは傷ついた。酷いな……あたしは一応人間で、女の子なんだよ?
男はあたしにナイフを向けて、わめき散らしながらジリジリと詰め寄ってくる。あのさ、あたしのこと被検体呼ばわりするけど、アンタだって蛇みたいな頭してるじゃない。気持ち悪い。
逃亡してから二日目の夜、これまで追ってきた奴等を何人も倒してきた。それでも、まだ追ってくる。
しまったな、屋上なんかに逃げなければよかった。おなか空いてるから頭回んないや。
月、まんまるで綺麗だな。
そうだ、向かい側のビルへ飛び移ろう。少し距離はあるけど、『この子達』の力を借りれば、きっと跳べるはず。
ううん、あたしなら跳べる。
あたしは知ってしまったんだ。世界は広い、果てしなく広いんだって。だから、あの狭い部屋から逃げ出した。
自由になるために。
夢を叶えるために。
だから、翔ぶんだ。
***
エデンシティ南部、旧地下鉄駅構内。
錆びついた線路には草木が生い茂り、文字盤が壊れた駅時計は時を止めていたが、風の音だけが響き渡る駅構内の時間もまた、同様に止まっているかのようだった。
そんなレンガ造りのプラットホームで、スキンヘッドの男がタバコの先端に火を点けた。
グレーのスーツがはち切れんばかりのガッチリとした体型、手にはジュラルミン製のアタッシュケースを持っている。
物々しい雰囲気をまとう男はタバコの煙を吸い込むと、線路に苛立ちを混ぜた視線を向け、煙を一気に吐き出した。
「……遅せえな」
約束の時間から既に三十分が経過していた。
男は短くなったタバコをホームに投げ捨て、重厚なメタルケースの腕時計を一瞥した。
「こんばんは」
背後から声をかけられた。振り向くと、二人組の若い男が立っていた。
声を発したであろう、爽やかな笑顔を浮かべる若い男。ブラックスーツに痩駆な長身だ。黒髪の長髪をお団子状にまとめたマンバンヘアが、端正な面構えをよりいっそう引き立てている。
「……誰だ、お前ら」
「あ、ども、初めまして。僕はレガリアの御手洗拓斗と申します。それと、こちらは代表の――」
「悠希・アルヴァレスだ」
後方にいたイギリスミックスの若い男は軽く会釈して見せた。裾を刈り込んだ赤髪のショートヘアと、羽織っているカーディナルレッドの革ジャンが、薄暗い地下鉄駅構内においてもその存在感を示している。身長はさほど高くはないが、肉付きが良いガッチリとした体格だ。
「それで? 俺に何の用事だ?」
「うちの顧客であられる方がですね、レンタルした精霊石を、あなたに借金のカタとして無理矢理持っていかれたと、おっしゃられまして」
「だから、用件は何だって訊いてんだろ?」
「えぇっと、ですね。それ、返して頂きたいなぁ……って」
それを聞いた男は大きな笑い声を上げた。
「おいおい、笑わせてくれるじゃねーか。俺から回収する気か?」
「そ、そうなりますね」
「いいか坊主」
男は拓斗にぐっと近づき、「借り物だかなんだか知らねーが、借金を返さねーあいつが悪いんだよ。借金のカタって分かるか? 担保だよ担保。金返せば石も返してやる。それだけだ」
青ざめた表情で振り返る拓斗。
「……悠希さん、一回ゲロ吐いてきていいですか? やっぱ僕には回収業務、ムリゲーです」
悠希は頷きながらその肩をポンと叩き、「まぁ、初めてにしちゃ上出来だ」と言って、男の前に立った。
「あのさ、アンタがやってンのは法外な利息を取り立てる闇金だ。なら、そもそも正当な借金じゃねぇよな? 一方的に払えねえような利子吹っ掛けて借金膨らまして、返せなかったら持ち物剥ぎ取る? ちょっとタチが悪すぎねぇか?」
「……あ? 人の仕事にケチ付けようってのか? そんな理屈が通じるとでも思ってんのかコラァ!」
「今日ここへ来る予定だった精霊石の買取り業者には引き取ってもらったからよ。どんだけ待っても来ねーぞ」
「な、なんだと?」
男はチラリと左手に持つアタッシュケースを見た。
「レンタル精霊石を借金のカタと称して奪って、こんなところで買取り業者と密会の約束。あんた、借金のカタって言いながら業者に売るつもりだろ?」
男はスーツの内ポケットから拳銃を取り出して銃口を向けた。
「人の仕事にケチ付けんなって言ったろ? 殺すぞ」
悠希は長めの前髪から真紅の瞳をチラつかせ、銃口越しに鋭い視線を男に突き刺した。
「……俺はなぁ、仕事をする上で譲れねぇことが一つだけあるんだよ」
「あぁ?」
「なんだか分かるか?」
その瞬間、赤い革ジャンが一瞬翻った。
「なッ? はぁ?」
銃口が男の眼前に突きつけられていた。
そして逆に、構えていたはずの銃が手の中から消えていた。
「貸したモノは必ず返してもらう」
「お前、なにしやがった?」
悠希は向けていた銃口を外して、拳銃を線路に投げ捨てた。
「引き金弾く度胸もねェくせに、こんなもん出すんじゃねぇよ。漢が下んだろ」
鉄砲に見立てた人差し指を拳銃に向けた。
「Bang――」
次の瞬間、先端から炎が撃ち出された。その炎は線路に転がった拳銃に命中し、内部から弾ぜるように爆発した。
悠希は右手の人差し指から立ち昇る煙にフッと息を吹きかけると、「さてと……」と呟いて、男に向き直った。
「うちの精霊石、さっさと返せ」
***
「腹減ったな」
悠希と拓斗は、裏通りのオフィス街を歩いていた。「拓斗、お前何食いたい?」
「う~ん、ファミレスで軽くパスタな気分ですかね」
「パスタか……パスタ如きじゃ、この空腹を満たすことは出来ねーな」
「じゃあ牛丼とか?」
「最近食ってねーな。じゃあ吉田屋行くか」
行き先が決まり、お目当ての牛丼屋へ向かう道中、拓斗はスーツの内ポケットから回収した精霊石を取り出してしげしげと見つめた。
「無事に回収出来て良かったですね」
精霊石はネックレスタイプに加工され、透き通った緑色の輝きを放っている。
「あぁ、もう少し遅かったら売られてたからな」
「風属性の精霊石、時価はざっと二千万……ホント、危なかったですよ」
「お前の情報網のおかげだな」
「いえいえ、そんな。でも、やっぱり僕は裏方作業が似合ってます。それにしても怖かったなぁ」
「新しいアシタントが入るまで辛抱しろよ」
「アシスタントか~。でも、すぐに辞めちゃうのが厳しいですよね」
「仕方ねーよ。回収業務は常に危険と背中合わせの仕事だからな。にしても腹減ったな。店はまだかよ?」
悠希は歩きながら辺りを見渡した。
「悠希さんはいっつも腹ペコですよね」
「インプランターは燃費がわりぃんだよ」
「燃費と言えば、さっき拳銃奪ったの、めっちゃカッコよかったです」
「あんなのは初歩の初歩だよ。てゆーかソレ、ちゃんとしまっとけよ。カラスが飛んできたら盗られちまうぞ」
「は~い……あれ? 何か落ちてる」
拓斗はしゃがみこんで何かを拾い上げた。それはアーケードゲームで使うメダルだった。
「なんだ、メダルか」
「それが五百円玉だったら牛丼代浮いたのにな」
「そうだ、これ使ってゲームしません? 牛丼代を賭けたコイントスゲーム」
悠希は一瞬動きを止めて表情を曇らせた。
「あれ? どうかしました?」
「いいや、なんでもねーよ」
「はい、先に表か裏か選んでいいですよ」
拓斗は悠希にメダルを見せた。表面には『天使』、裏面には『悪魔』が描かれている。
悠希は「天使」と即答した。
「じゃあ、トスお願いします」
拓斗は悠希にメダルを手渡した。
「俺が勝ったら牛丼爆盛りな」
「えっ? 並盛りじゃないんですか?」
「あん? 並なんて腹の足しになるかよ」
悠希は勢いを付けてメダルを指で弾いた。メダルは空高く舞い上がった。
「ちょっ……高っ! 強く弾き過ぎですって!」
「なぁ拓斗、俺さ……」
「はい?」
「めちゃくちゃ運がいいんだよ」
二人は上を向いてメダルの行方を目で追った。
悠希は「ん?」と声を漏らし、メダルから目を逸らした。メダルは歩道に音を立てて落下した。だが、悠希は上を向いたまま微動だにしない。
「どうしたんですか?」
「あそこ、何かいるな。人……か?」
闇夜に紛れたその物体は、よく見るとモゾモゾと動いているように見えた。
「悠希さんて、ホント視力いいですよね。あ! 見えました! いますいます!」
「何か……様子がおかしいな」
「もっと近くにいってみましょうよ」
二人は雑居ビルの真下へ移動して屋上を見上げる。
雑居ビルは十階建て、周囲にそびえ立つビルに比べて高さは控えめであるが、仮に転落しようものなら命の保証は無いだろう。
「やっぱり何かおかしいですよね」
その時、人影が屋上から跳び出した。
煌めく月明かりが、乱舞するプラチナの髪に反射し輝いた。
女か、と悠希は思った。
ビルとビルの間は狭い路地を挟んでいて、常人が跳び移れる距離ではない。しかし、女は空中で一度失速しかけたものの、再び浮遊感を取り戻し、隣のビルへ跳び移った。
あの飛距離、風属性の魔法か――悠希がそう思ったのもつかの間、女はそこでバランスを崩して足を滑らせた。
屋上の縁に指をひっかけ、ぶら下がったがよじ登る気配がない。
悠希はとっさに隣のビルへ駆け出し、落下地点を予測して待ち受けた。
その時、女が落下した。
それはまさに「あっ」と言う間の出来事だった。
「ぐっ!」
キャッチした瞬間、両腕からずっしりとした重みが全身に伝わって、クッション代わりに足裏から噴出した炎は波状となり、歩道を這った。
「熱っ!」
炎は離れていた拓斗の足元にまで及んだようだった。拓斗は悠希の元へ駆け寄り、「大丈夫ですか?」と声をかけた。
悠希は顔を上げて、ニヤリとして見せた。
「さっきのゲームは俺の勝ちだな。見ろよこれ、天使だ」