STORIES 063: proxemics, 近接学 - つまりはゼロの距離感の話
STORIES 063
あなたは公園のベンチに座ろうとした時、見知らぬ人と並んで共有できますか?
パーソナルスペースとは、他人に近付かれると不快に感じる空間のこと。
これは相手との関係性や、場合によっても変化する。
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例えば、電車に乗るとき。
満員電車でなんとかシートに座ることができたら、両隣が知らないオジサンでも仕方ない。
でも、ワーッと人が降りてガラガラに空いた時に、両隣だけそのままだったら気持ち悪い。
少し離れたり席を変えたりしたい。
例えば、好きな人と一緒にいるとき。
横を歩いているだけじゃ物足りなくて、手を繋いだり、腕を組んだり。
でもそれを、単なる友人同士でやる人は少ないはず。
近すぎると、何かちょっと変だ。
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では、友達から一歩踏み出すかどうか、微妙な関係性のときは?
なんとなく、自分を包むオーラというか膜のようなものがあって…
そこに相手が触れるか触れないか、ギリギリの距離感で並んで歩いたりする。
適度な緊張感。
たまに手が触れたりすると、ドキッとする。
心と身体、その距離感は比例していると考える。
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僕は、電車移動が苦手だ。
かつては満員電車ですら親しみを持てるほど身近なものだった。
でも、田舎に帰ってクルマ社会に溶け込んでからは、駅に近づくのも苦手になった。
閉鎖空間での人混みが。
そして、他人との距離感も変わった。
近付きすぎると息苦しさを感じてしまう場面が多い。
特に嫌な相手というわけじゃなくても。
なんとなく、緊張してしまう。
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対人距離というのは、概ね4つのゾーンに分けられるという。
◆public distance(公共距離)
複数の相手を見渡せて、挨拶を交わそうと思うのが自然な距離
◆social distance(社会距離)
手は届きづらいが、容易に会話できる距離
◆personal distance(固体距離)
向き合うなら、会話をしていないと不自然な距離
◆intimate distance(密接距離)
ごく親しい人に許される距離
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結婚すると、隣に並ぶ人がいるのが普通になった。
子供が産まれ、抱き上げたり、手を繋いだり、くっついて寝たりするようにもなった。
そして今。
再び広がったパーソナル・スペース。
最後に息子と手を繋いだのは、何年前のことだろう。
せいぜい、車内での運転席と助手席くらいの距離、それくらいまでしか接近することはない。
もう彼も成人だからね。
心地よい距離感の感じ方が、大人同士のそれとなったのだ。
お互いに、ね。
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距離を詰める、それには面倒なことも多い。
心と身体の距離。
独りってラクなのかもしれない。
でも、たまには心を許せる相手も欲しいよね。
遠い記憶のゼロ・ディスタンス。