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ないものねだりは、もうやめた

 雨宮さんは、私のあこがれの人です。


 雨宮さんは、とてもかしこくて勉強が得意です。

 この前の算数のテストでも100点を取って、先生にほめられていました。

 国語の授業でも教科書に書かれた難しい漢字をすらすらと読んでいて、すごいなと思いました。

 音楽や図工も、雨宮さんはなんでもないことのようにこなします。きっと将来は学者さんにでもなるんじゃないかと思います。


 それに雨宮さんは、細かいことにもよく気がつきます。

 朝の水やりのときも、花壇のお花がしおれかけていることを先生に報告していました。

 先生が黒板に書いた計算の式が間違っていたときも、すぐに手を上げてつたえていました。

 体育の授業のときも、きぶんが悪そうな子がいると、心配そうに声をかけていました。


 まだ同じクラスになって1ヶ月しか経っていないけれど、雨宮さんはとても立派だと思います。

 彼女は私と同じ小学2年生だけど、クラスのリーダーのような子で、すごくかっこいいです。



 ――それに比べて私は、ほんの少し運動が得意なだけだ。

 クラスメイトのはなちゃんは「さきちゃんは体育が得意でうらやましい」なんて言ってくれるけれど、それはあくまで女の子の中での話だ。

 身体の大きさはそんなに変わらないけど、休みの日も少年野球チームで活動しているような男の子たちにはかなわない。

 今だって、校庭で男の子たちにまざってドッジボールをしているけれど、その動きについていくだけでいっぱいいっぱいだ。

 ドッジボールは大好きだけど、味方のパスを上手に取れなかったり上手く相手にボールをぶつけられなかったりすると、なんだか申し訳ないような――、



「早川! そっちいったぞ!!」

「え?」

 その声を受けて顔を上げると、目の前にボールが迫ってきていて……、それはそのまま私の顔に思いっきりぶつかった。

「ふぎゃっ!?」

 突然の衝撃に吹き飛ばされて、私は仰向けに倒れてしまった。

 その様子を見て、男の子の中でのリーダー格の竜二りゅうじくんが心配そうに声をかけてくれた。


「おい、大丈夫か!?」

「全然平気!」

 と、勢いよく立ち上げると同時に、私の鼻から勢いよく生ぬるい液体が噴き出してきて……。

 一体なんだろうとそれを手で拭うと、手のひらが赤く汚れていて……。あ、あれ……? これって鼻血……?

「どこが平気なんだよ! さっさと保健室に行ってこいよ!」

 別にたいした痛みじゃないし、きっとこんな鼻血くらい、すぐに止まるだろう。

 私はそんな風に軽く考えていたけど、お気に入りのクマさんのTシャツが血で汚れているのに気づいて、素直にその言葉に従うことにした。


「ご、ごめんね、竜二く――」

「よし、お前ら続けるぞ! 早川は外野扱いな!」

 竜二くんは私と目もあわせてくれなかった。他の男の子たちもどことなく迷惑そうな顔をしている気がする。

 ……いや、実際このまま突っ立っていても邪魔なだけだろう。私はそそくさと保健室に向かうことにした。

 あーあ、どうして私ってこんなにも駄目なんだろう。また失敗しちゃったな。



 そうして鼻を手でおさえながら学校の入り口まで近づいていくと、その横目に小さな人影がうつった。

「雨宮さん……?」

 すぐに建物のかどに隠れてうしろ姿しか見えなかったけれど、ハーフアップにまとめたそのきれいな髪はまちがいなく雨宮さんのものだった。

 その彼女の進む先は校舎裏だ。そこにあるのは花壇と倉庫と、……あとなんだっけ。

 昼休みに一体、そんなところになんの用事があるんだろう。何かを抱えているようにも見えた気がする。

 思わず首を傾げると、余計に鼻から血が垂れてくるような気がして、私はあわてて上を向いた。



「もう大丈夫そうだけど、念のため授業が始まるまでベッドで横になっててね」

 保健室につくと、保健の先生にそう言われた。慎重にゆっくり歩いてきたせいか、もう鼻血はほとんど止まっていたけど、一応詰め物をしてもらった。

 顔の痛みだってもうひいている。他に不調なところもどこにもない。身体はすこぶる快調だ。

 やっぱりこれなら遊んでてもよかったんじゃないかな。……なんて思いつつも、私は保健の先生に「ありがとうございます」と言いながら、ベッドに仰向けになった。

 一応、目もつむってみるけれど、別に眠くもないのに寝られるはずはなかった。


 退屈だ。たった15分くらいのことがとても長く感じられた。



 午後の授業が始まる5分前になって、私は保健室を出て廊下を歩き教室の扉に手をかけた。

 と、そのとき、扉の向こうの教壇のほうからかわいらしい声と、機嫌がよさそうな杉田すぎた先生の声が聞こえてきた。

「あ、先生。ゴミ袋、校舎裏に捨ててきました……」

「ありがとう、雨宮さん。それにしても、雨宮さんはよくクラス全体のことを見ていますね」

「い、いえ、たまたまゴミ箱がいっぱいになってるのに気づいただけですから!

 すみません、勝手なことばかりして!」

 ……どうやら雨宮さんが昼休みに校舎裏に行っていたのは、教室のゴミをゴミ捨て場に持っていくためだったらしい。

 雨宮さんは本当に、細かいことにもよく気がつく。きっと休みの時間も難しそうな推理小説を読んでいるから観察力がきたえられているのだろう。

 そろりそろりと扉を開けた私の姿にも、先生より一瞬早く気がついたようだった。


「あれ、早川さん……? ど、どうしたの、その服?」

「あらあら、血がついてるじゃない! 怪我でもしたの!? 大丈夫ですか!?」

 雨宮さんにやや遅れて反応した先生は、心配そうに私のほうに駆け寄ってきた。


「あ、いえ! ちょっとドッジボールがぶつかっちゃって。

 でも保健室には行ってきたし、ただの鼻血なんで、大丈夫です!」

「そう……。それならよかったけど、誰か付き添いは?

 一緒に遊んでいた男の子たちは?」

「あ、えっと、それは……」

「まったくもう。女の子が怪我をしているのにひとりにするなんて。

 あとで先生のほうから注意をしておかないといけませんね。

 それより汚れた服のままでいるのもよくありませんね。今日は体操服に着替えておきなさい」


 なるべくなんでもないように、元気にこたえたつもりだったけど、先生は納得いかない様子だった。

 私の不注意が原因なのに、竜二くんたちが怒られるなんて、正直なところ申し訳ない。

 だけど、先生の言うことももっともだったから、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 その間も雨宮さんは、私のことを心配そうに見つめてくれていた。私の顔は何故だか熱くなった。



 その日の帰り道。私はひとり、頭の中で今日の反省会をしながらビルの立ち並ぶ通りを歩いていた。

 今日は、ドッジボールの最中に余計なことを考えたのがよくなかった。

 それは雨宮さんみたいに、いろんなことに気を配ってるからではない。

 私の場合は頭の中がごちゃごちゃのおもちゃ箱みたいになって、わけが分からなくなってしまうのだ。

 ひとつのことに集中できない、落ちついていられないのは、生まれつき私の頭がそういう風にできているかららしい。

 こういうときはいっそ、頭の中を一度からっぽにしてしまったほうがいい。お医者さんに前にそう教えてもらった。


 そんなことを考えながら、赤信号の横断歩道の前で大きく深呼吸をする。

 それから行きかう車の群れを見ていると、なんだか心がおちついてきた。

 しばらくして信号が青に変わる。左右の確認をしてから、手をあげて向かい側に渡る。

 すれ違ったサラリーマン風の男の人も疲れたような顔をしている気がした。私も他の人から見たら、あんな風に見えるのかな。

 横断歩道を渡り終わったあとも、なんとなくその背中を目で追ってしまった。



「あれ?」

 そのとき、視界のはじっこに大きなカバンを持ったおばあさんが立っているのが見えた。

 あのおばあさんは、私が深呼吸をしているときからずっとあそこにいた。つまり横断歩道の前で立ち止まっているのだ。

 それだけではなく、なんだか周りをきょろきょろしていて、渡るべきか渡らないべきか迷っているように見えた。


 どうしたんだろう、あのおばあさん。青信号に気がつかなかったのかな? それとも道に迷ってしまったのかな?

 声をかけようかとも思ったけれど、信号はすでに点滅し始めていて、引き返すわけにはいかなかった。

 私はそのまま何も気づかなかったかのように、家に続く道を歩き始めた。


 ……別にいいよね? こんな子供に急に話しかけられたって、おばあさんも困っちゃうかもしれないし。

 なんにもできないくせに、人の世話を焼きたがるのもよくないことだ。それは自己満足でしかない。

 自分にそう言い聞かせるようにしながら歩いていったけど、その足はまるでおもりがついたみたいだった。

 雨宮さんなら、こんなときどうするだろうか。困っているおばあさんをそのままにして、帰宅する?

 もしかしたら急いでどこかに向かわないといけないのかもしれない、そんなおばあさんをそのままにして?



 そんなわけ、ないじゃない。

 私は振り返って、元来た道を駆け足で戻っていく。

 信号はまだ赤だった。向かいにはまだ、あのおばあさんが困ったような顔をして立っている。

 私は信号の切り替わりを待つ。早く、速く、はやくッ!

 その時間がまるで永遠のように感じられた、――そのときだった。



「あの、すみません! 何かお困りでしょうか!?」

 雨宮さんの声だった。

「あら、私?」とおばあさん。

「は、はい! すみません、なんだか遠目に見て困っているように見えたので……」

「いえいえ、ただちょっとスーパーを探しているだけなのよ。

 私、このあたりに引っ越してきたばかりで道が分からなくって。この横断歩道を渡ればいいのかしら?」

「スーパーって、ササキスーパーですか?

 だったら向かいじゃなくて、この通りを真っ直ぐ向こうに進んだ先です。

 すぐそこなので、よかったら案内しましょうか?」

「あら、いいのかしら。ごめんなさいね」

「いえ! 私もよくお母さんと一緒に行くスーパーなので!」


 そんなやり取りのあと、雨宮さんとおばあさんは歩き出していった。

 気づけば信号は青に変わっていたけれど、私はただその様子を見守ることしかできなかった。

 このときは雨宮さんも、私の姿には気づいていないようだった。――私はただの傍観者だった。




 翌日の学校。教室にて。朝礼の時間。

 出席確認を終えると、杉田先生がみんなの前でこう言った。

「さて、ここで皆さんに少しお話があります。

 雨宮さん、黒板の前まで来てもらえますか?」

「わ、私ですか? す、すみません……」

 雨宮さんは突然の呼び出しに困惑したような表情をしながら、おずおずと黒板の前に進んだ。

 何か怒られるのかもしれない。そう思っているのだろう。だけど、私にはそうは思えなかった。

 雨宮さんならほめられることはあっても、しかられるようなことはないだろう。


「皆さんもよく聞いてください。実は今朝、あるおばあさんから学校に電話がありました。

 『昨日、そちらの学校の生徒さんに道案内をしていただいたので、お礼が言いたい』と。

 名札で学校と名前は分かったけれど、お礼を言いそびれてしまったそうなのです。

 雨宮さん、心当たりはありますか?」

「あ、はい……。す、すみません、そのときは急に恥ずかしくなって、案内したあとすぐ逃げ出しちゃって!」

「いえいえ、おばあさんはとても感謝していましたよ。心優しい女の子に助けてもらって感激したと。

 先生も誇らしい気持ちです。雨宮さん、少し名札を触らせてもらってもいいですか?」

 先生はそう言うと、教壇の上にある紙から何かをはがして、雨宮さんの名札にはりつけた。

 それはどうやら星型のシールのようだった。名前の横に小さく、それでいて煌めく星があった。


「あ、その……、すみません……」

「ふふっ、こういうときは胸を張っていいんですよ、雨宮さん」

「あ、すみま――、ありがとうございます!」

 そんな彼女の声とともに、教室中に拍手の音が鳴り響いた。クラスのみんなが雨宮さんをほめたたえているのだ。

「えらいよ、雨宮さん!」

「よくやったな、雨宮!」

「かしこいうえにやさしいんだね! 今度勉強おしえてよ!」

 歓声にも似た声をかけられて、雨宮さんは照れくさそうに笑っていた。

 そんな彼女はとても輝いているように見えてまぶしかった。

「皆さんも雨宮さんをみならって、困っている人にはやさしくしてくださいね。

 ただし、どうにもならないときは他の大人に頼るように」

「「「はーい!!」」」


 ……私も、雨宮さんみたいな煌めく星になりたいと思った。



 午前の授業が終わって、待ちに待った給食の時間がやってきた。

 『待ちに待った』というのは何も私が食いしん坊だからではない。……いや、今日のおかずは私の好物の肉じゃがだけど!

 今日の私は給食当番。しかも、白いごはんの担当だ。白いごはんはいつも何杯かあまるようになっている。

 それを最初から大盛りにしておけば、おかわりの手間もいらないし、食べるのが遅い子だとおかわりしたくても、もうごはんがないということがこれまでにも何度かあった。

 それなら最初の盛りつけから上手く調整しておけばいいんだ。これで食いしん坊の男の子たちも喜ぶはず!

 ふっふっふ、これはクラスのみんなにいいところを見せるチャンスだね! 私だって、やればできるってことを見せてやる!


「よーし、みんなー! 今日は大盛り特別サービスだよ!

 たくさん食べたい子は私に言って! お腹いっぱいになるくらい盛りつけるから!」

 私が白いしゃもじをかかげて、そう宣言するとやっぱり男の子たちは大喜びだった。

「おおーっ!」

「いいのかよ、やったぜ!」

 だけど、まずは先生の分の給食を用意しなければいけない。

 次に給食当番以外の生徒の分。最後に給食当番の分と決まっている。

「ずいぶんはりきっていますね、早川さん」

「ふっふっふ、まかせてよ、先生!」

 私はそう言いながら、すでにおかずとスープが盛りつけられた先生のトレーに、白いごはんをよそったお茶碗を乗せる。

 先生はそのあと牛乳ビンを手に取って、自分の席についた。


 それから私は次々に、クラスのみんなの分の盛りつけもこなしていく。

 我ながらなかなか手際もいいんじゃないかな。いい調子だ!

「あ、えっと、」

「雨宮さん! 雨宮さんも大盛りにする?」

「い、いや……、私はむしろ少なめでいいかなって……」

「だめだめ、いっぱい食べないと大きくなれないんだから! ほらっ!」

「あ、ありがとう……」

 男の子たちの分よりはちょっと少なめだけど、雨宮さんの分もいっぱいにごはんをよそう。

 うんうん、育ち盛りなんだから、これくらいは食べないとね!


「さきちゃん、私の分も大盛りでー!」

「ほいきたー! ……って、あれ?」

 続けて花ちゃんの分のごはんをよそおうとしたとき、私はふと異変に気がついた。

 ……なんか残りのごはん少なすぎない? 給食当番の分も含めて、あと7、8人分くらい必要なところ、もう箱の底が見えかけている。

 ま、まずいな……。足りるかな、これ……?

「……は、はい、どうぞ!」

「えー、なんか少なくない?」

「い、いやー、やっぱり食べすぎもよくないよ。

 腹八分目って言うもんね! うんうん!」

 と、なんとか誤魔化しつつ、残りの分は少なめに盛っていく。



 ちょっと不満げな顔をする子もいるけど、全員分の用意をするにはこうするほかない。

 そうしてどうにか給食当番の分まで盛りつけ完了した。

 あ、危なかった……。もうごはんの箱は空になっちゃったけど、ギリギリセーフだ。

「ミ、ミッションコンプリート、だよね……」

 誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟きつつ、私は給食着をぬいで自分の席に戻る。

 さあ、腹ごしらえをすませたら、校庭でドッジボールを――、

「早川さん……、自分の分は……?」

「え」

 雨宮さんが心配そうに、私の席を見つめていた。その上にはただ、まっさらな大地が広がるばかりであった。


「あら、大変。早川さん、ひとまず先生の分の給食を食べてください。

 先生は他の教室からあまったごはんを分けてもらいますから……」

「い、いえ! 私のせいですから! 私がひとっ走り行ってきます!」

 そう言って、私はお茶碗を持って他の教室へかけだした。

 先生が呼び止める声が聞こえたけれど、かまわず突っ切った。

 幸い肉じゃがとスープ、牛乳ビンはあまっているようだから、ごめんなさいして他のクラスからごはんを分けてもらえばいいだけだ。


 でも、そうして行って帰ってきたときには、もうみんな給食を食べ始めていた。

 私はあわてて給食の用意をして、急いでお腹に詰め込むこととなった……。



 給食当番のみんなと配膳室に配膳台を返しに行ったあと、私は一度教室に戻ってあたりを見まわした。

 ――ちらりと、雨宮さんが本を読んでいる姿が視界に入る。

 私の視線に気づいた雨宮さんと目が合いそうになって、心臓がどきりとはねた。

「……っと、竜二くんたちは――」

「ドッジボール? あいつらならもう校庭に行っちゃったよ」

「そうなんだ。ありがとう、花ちゃん!」

 そうお礼を言って、私は教室を出る。廊下は走っちゃいけないけど、つい早歩きになってしまう。

 失敗ばかりだけど、いつまでも落ち込んではいられない。運動してすっきりしないとね。



「みんな、お待たせー! 今日もはりきっていこー!」

 校庭でドッジボールをする竜二くんたちに、大きく手を振りながら走り寄る。

 ちょっと遅くなっちゃったけど、まだまだ十分時間はあるはず! 負けないぞー!

「……なんだ、きたのか」

「うん! どっちのチームに入ればいいかな、竜二く――」

 言いかけて、言葉がとぎれた。

 竜二くんの目がぎろりと私をにらみつけていたからだ。

 ど、どうしたんだろ、遅くなっちゃったから怒ってるのかな……?


 竜二くんは大きなため息をついた。

「おまえさ、もうやめてくれない?」

「え、何を……?」

「だから、俺らと遊ぶのはこれっきりにしてほしいんだよ。

 分かる? これでもう全部終・わ・り」

「あ、あはは……、もう冗談ばっかり!

 今までずっと遊んできたのに、なんで急に――」

 つめたい汗が背中をつたっているのが分かる。どうして?

 どうして私が竜二くんたちに、こんな風に突き放されるんだろう。


「おまえのせいで迷惑してんだよ。先生から電話があったらしくてさ。

 『女の子に怪我させたのか』って親父にすげえしかられてよぉ。

 女は女らしく、おままごとでもしてろよ。男の遊びに入ってくるんじゃねえよ」

「え、えっと、その……」

 なんと返したらいいのか分からない。私はただ口をぱくぱくさせることしかできなかった。

「そーだ、そーだ。俺んところにも連絡がきたんだからな!」

「今までだって、お前が仲間に入れてほしそうだったから仕方なく遊んでやってただけだぞ!」

「もっとまわりのことを考えてくれないと困るよなー」

 他の男の子たちも次々と私に不満をぶつける。……そうか、私、元々嫌われていたんだ。

 そんなことにもずっと気づかなかった。私はいつも……、知らないうちに迷惑をかけていたんだ。


「……ごめんね、みんな。私、空気が読めなくって」

「分かったんなら、さっさと教室に戻れよ。

 さあ、みんな。再開しようぜ。遊ぶ時間がなくなっちまうよ」

「あ……、ぅ……」

 声が漏れかけた口を私は自分の手でおさえる。これ以上、何を言ったって竜二くんたちには迷惑なだけだ。

 私は竜二くんの言う"みんな"の中には含まれていなかったんだから。

 ……だけど、泣かない。声も涙も決して漏らさない。だって、私が全部悪いんだから。



 教室へ戻る廊下で1年生の子たちとすれ違った。その声が変にうるさく感じる。

 いつもだったら気にならないその声が、そのしぐさがなんだか気になってしまう。

 ……へこんでるなあ、私。こんなんじゃいけない。

 "明るく元気なさきちゃん"じゃなくなったら、本当になんのとりえもなくなってしまう。

「よし!」

 教室の扉の前で、両方のほっぺたを両手でパンと叩いて気合を入れる。

 それから口の両端を指で持ち上げて、笑顔を作る。

 ……通りすがりの女の子に笑われた気がするけど、気にするな。私には人を笑わせるくらいしかないんだから。


 その表情を維持したまま、私は教室に入る。



 ――瞬間、その目に飛び込んできたのは、やっぱり雨宮さんの姿だった。

 最近はいつも、気がつくと雨宮さんのことを目で追っている気がする。

 雨宮さんがいないときも、「雨宮さんなら、こんなときどうするんだろう」ってずっと考えてる。

 私はいつの間に、こんなにも雨宮さんのことを意識するようになったんだろう。

 頭の中が雨宮さんのことでいっぱいだ。だけど、それって一体どういうことなんだろう。


 ……私は、雨宮さんみたいになりたいのかな。本当に、そういうことなのかな?

 そりゃあ、雨宮さんは私にないものをたくさん持っているけれど、それを望むのが私の本心なのだろうか。



 違う。そうじゃない。

 私は本当は、雨宮さんのことをもっと深く知りたいのだ。もっと言うなら、雨宮さんの近くにいたい。

 それはつまり、お友達になりたいということだ。雨宮さんの近くで、雨宮さんのことを観察したい。

 そして、私はきっと、雨宮さんのことをよく知ることで、自分自身の本当の強みと弱みを知ることができる、――ような気がする。


 勇気を、出さなきゃ。迷惑に思われるかもしれないなんて考えは、今は捨てろ。

 足を前に踏み出さなきゃ、きっとこれからも何も変わらない。



「何読んでるの、雨宮さん!」

 読書に集中していた雨宮さんの表情が驚きに変わる。

 だけど、それはやがておだやかなものになって、雨宮さんは本の表紙をこちらに向けてくれた。

「……これ」

 そこには『魔王様殺人事件~魔王様が死んだ! 容疑者は配下のモンスターたち!?~』というタイトルが書かれていた。

 くわえてコミカルなイラストのモンスターたちが、その表紙を彩っていた。

 帯に書かれている文字を読むと、どうやら魔法がある世界で起きた殺人事件を解き明かすお話らしい。


「えーっと、それって事件の謎を解いたりするやつでしょ!

 うわー、難しそうな本! やっぱり雨宮さんって頭いいんだね!」

「やっぱりって?」

「だって、雨宮さんって難しそうな本を読んでるから、頭いいのかなって」

 私がそう口にすると、雨宮さんは首を傾げる仕草をした。

 ただ素直な感想を言ったつもりだけど、何か変なことを言ってしまっただろうか。


 少し不安になりながらしばらく見つめていると、雨宮さんの唇が小さく動いた。

「……かさね」

「ん?」

「私の、下の名前。雨宮って名字、あんまり好きじゃないから、下の名前で呼んで」

「えー! 雨宮っていい名前なのに!

 でも、下の名前で呼んで欲しいなら、そうするね!

 かさにゃ、……じゃなくって、かさにぇ――」

「……言いにくいなら、かさちゃんでいい」

 いいのかな、そんな特別な呼び方。

 でも、雨宮さんが、……ううん、かさちゃんがいいって言うなら遠慮しなくていいのだ。

「分かった! それじゃ、かさちゃん。

 私のことは、さきちゃんって呼んでね!」

 それが私たちの、とても大切なモノクロの青春が始まる、少し前のお話。

 それから私たちは一緒に登下校するようになって、無二の親友になったのだった。




 かさちゃんと一緒に登下校するようになって、何日か経ったあとのことだ。

「それじゃあ、かさちゃんもゲームやるんだー!」

 帰り道で、かさちゃんと並んで歩きながら話をしていると、ふとそんな話になった。

「うん、お父さんがゲーム好きだから、よく一緒に遊ぶよ」

「どういうので遊ぶの!?」

「協力型のアクションとかレースゲームとか、すごろくのやつとか……。

 いろいろあるよ。古いゲーム機とかも」

 どうやら意外にも、――と言ったら失礼かもしれないけど、かさちゃんは結構なゲーマーらしい。

 ちなみに、これまで話をした中で、かさちゃんと私の趣味が一致したのはこれが初めてのことだった。

 正直なところ、なかなか共通の話題が見つからなくて困りかけていたところだった。


「いいなあ、私もかさちゃんと一緒にゲームしたいなー」

「じゃあ、今からうちにくる?」

 ひとりごとに似た私のつぶやきに、あっけらかんとかさちゃんはこたえた。

「え、いいの?」

「え、そういう話じゃないの?

 ごめん、私友達少ないから、どういうタイミングで誘ったらいいのか分からなくて」

「全然! うれしいよ、かさちゃん!

 それじゃ、お邪魔させてもらおうかな。おうちの人はいるの?」

「おかあさんはいると思うけど……、たぶん喜ぶよ。

 あんまり友達を家に呼ぶことってないから」

 友達、か。こんなにも短い付き合いで、そんな風に言ってもらえてうれしい。

 かさちゃんとの、心の距離がだんだん近づいているような気がする。



「うわっーーー、また負けたーーー!!」

 かさちゃんの部屋で始めた落ちものパズル、全戦全敗。ええっと、これで5連敗目だっけ?

 軽い気持ちで始めたけれど、まったく歯が立たない。と言うより、私がひとつ消そうとする前に、すでにかさちゃんは連鎖を組んでいて攻撃されてしまう。

 そうして落ちてきたおじゃまブロックをなんとかしようとする間に、もう一度かさちゃんの連鎖攻撃が飛んできて……。

 反撃の隙すら与えられず、私はただ呆然と自分の側の画面がブロックで埋め尽くされるのを眺めるしかない。でも、それが楽しかった。


「ご、ごめんね、さきちゃん。操作も覚えたてなのに、上手く手加減できなくて。

 このままだと一方的な試合になっちゃうからさ、ハンデをあげようか?」

 このゲームにはハンデ機能があるそうだ。それを使えば相手のほうだけ初めからおじゃまブロックが置かれた状態で始まるとか、いろいろ有利な条件で戦えるらしい。

 私は別にこのままでもいいんだけど……。でも申し訳なさそうにするかさちゃんを見ると、なんだかこちらも申し訳なくなってくる。

 だから素直に、その提案に乗ることにした。


「あはは、かさちゃんは強いからなあ。それじゃ、とびっきりのハンデをちょうだい。

 そして後悔させてあげよう。鬼に金棒を持たせたことを!!」

「……そのことわざ、なんか使い方違くない?」

 そして、最大級のハンデをつけた試合が始まる。

 かさちゃんのほうは初めからおじゃまブロックあり、落ちてくる色の数が多い、連鎖をしてもあまり大きな攻撃にならないといったかなり不利な状況だ。

 一方でこちらは、少しのブロックを消すだけでも、相手に多くのおじゃまブロックを送りつける攻撃ができる。

 ドッジボールで言えば、相手側は内野にひとりだけで、こちら側は内野と外野に5人ずついるくらいのハンデだ。

 だけど、そんな重いハンデがあっても、その後の試合は勝ったり負けたりだった。

 それに私は喜んだり悲しんだりする振りをする。本当は勝ち負けなんかどうでもいい。

 おおげさなリアクションをするのは、そうしたほうが楽しいからでしかない。私はただ、かさちゃんと一緒に遊べるだけでしあわせだった。



「かさねー? もう夕方よー?

 さきちゃんを帰らせてあげてー」と、リビングからかさちゃんのお母さんの声がする。

 それに「はーい」と元気よくこたえるかさちゃん。学校では聞かないような明るい声だった。

 かわいいうさぎ型の時計を見れば、もう17時30分を過ぎていた。門限が18時であることは伝えてあるから、心配して声をかけてくれたのだろう。

 本当はまだもう少しだけ遊んでいってもいいんだけど、そう言われてしまってはいつまでも居座るわけにはいかない。


「じゃあ、今日はもう帰るね。おじゃましました!」

「あ、うん……。玄関まで見送るね……」

 どことなくかさちゃんの元気がない。遊び疲れちゃったのかな?

 私は急ぎながらスマートフォン(――最近みんな持ち始めた携帯電話の一種だ)がポッケの中にあるのを確認してから、ランドセルを背負った。

 そんな私の様子を見ながら、かさちゃんは少し悲しそうな顔をしている。何を考えているのか読み取れない。

 もしかしたら私が何かいけないことをしてしまったのだろうか。でも、かさちゃんはなんでもないように玄関まで一緒についてきてくれたから、何も聞けなかった。



「それじゃ、また明日学校で会おうね、かさちゃん!」

「……うん、また明日」

 やっぱりかさちゃんは何か言いたそうにしている。このまま帰ってしまってもいいのだろうか。

 悩んだ結果、私は玄関で靴を履きながら、おおげさなくらい明るい声でこう言った。

「今日はとっても楽しかったよ! 遊んでくれてありがとう!

 今度は私の家で映画でもみようよ、かさちゃん!」

「楽しかった……?」

「もちろん!」

 そこでようやく、かさちゃんは笑ってくれた。ささやかながらも煌めく笑顔がまぶしい。

 それから、かさちゃんはぽつりぽつりと、心のうちを打ち明けてくれた。


「よかった……、さきちゃんはもう早く帰りたいんじゃないかなって思ったから」

「……どうして?」

「だ、だって、それは私はあんまりおしゃべりもうまくないし、暗いし、さきちゃんみたいにうまく笑えないしっ……!!」

 一体何を言っているんだろう? かさちゃんとのおしゃべりはいつも楽しいし、ちょっとおとなしいところはあるけど、暗いわけじゃない。

 それに、かさちゃんの笑顔はとってもかわいい。ふとした瞬間にこぼれる笑顔を見ると、胸がドキドキすることもあるくらいだ。

 第一、私なんていつも無理に笑っているだけで、鏡を見るとぎこちない笑顔だなって自分でも思う。

 私がとまどっていると、かさちゃんの口から想いがさらにあふれ出てきた。


「さきちゃんは運動もできるし、いつも元気でクラスの人気者なのに、どうして私なんかと一緒に遊んでくれるの?」

 違うよ、かさちゃん。かさちゃんは勉強もできるし、いつも空気が読めるし、あなたのほうこそクラスの人気者じゃん。

 そんな風に言いたかったけど、何故だか言葉が出てこなかった。それに、私はそんな理由でかさちゃんと一緒にいるの?

 もしかさちゃんが勉強できなくなって、友達がひとりもいなくなったら、私はかさちゃんから離れるの?


 違うよ、私。そうじゃないでしょ。私がかさちゃんと友達になりたいと思った、本当の理由は――。



「好きだからだよ」

「え?」

「かさちゃんのことが大好きだから。それ以上の理由って必要ある?」

「え、えっと、私なんか――」

「違う! かさちゃんにはいいところがいっぱいあるよ! それに自分で気がついていないだけ!

 だから、その『なんか』って言うのはやめようよ」

「ご、ごめんなさ、……きゃっ!?」


 かさちゃんの身体をぎゅっと抱きしめる。

 アロマの香りだ。いいシャンプー使ってるのかな。

「そして、私にも、きっと自分で気がついていないいいところがあるんだろうね。

 それに気づかせてくれて、ありがとう。私も、ないものねだりはもうやめることにするよ」

「えっ、えっ、どういうこと!?」

「細かいことは気にしなくていいの! それはかさちゃんの悪いところだよ!」

 そうして、私はかさちゃんの背中に回した腕をそっと戻し、手を取りながら、やさしくほほえんだ。


「――だけど、それはかさちゃんのいいところでもあるんだよ。

 私とかさちゃんでさ、お互いのいいところと悪いところを探していこうよ。多分それでいいんだと思うよ」

「ええっと、何がいいのか分からないんだけど……」

「つまり、これからもお友達でいようねってこと!

 ……ああもう、門限やばい! 走って帰らなくっちゃ!

 じゃあね、かさちゃん。ばいばーい!!」

「ば、ばいばい……」

 恥ずかしいことばかり言って顔が熱くなっていることに気づいて、私はあわてて退散することにした。

 困ったような顔で手を振るかさちゃんに、どれだけ私の言いたいことが伝わったのかは分からない。

 だけど、案外似た者同士な私たちは、これからもいいお友達でいられるような気がした。




 給食の時間は、いくつかのグループに分かれて、机をくっつけ合って食べることになっている。

 私のグループには、ドッジボールで遊んでいた男の子のうちのひとりがいて、あれ以来ちょっと気まずい。

 しかも、かさちゃんや花ちゃんは別のグループだから、私としてはさっさと給食を済ませてしまいたい気分になる。

 だけど、給食の時間は休み時間ではないから終わりのチャイムが鳴るまで校庭に出ることはできない。

 それに私だけ早く給食を食べ終わっても、かさちゃんはいつも食べるのがゆっくりだからおしゃべりしに行くわけにもいかない。

 だから私は仕方なく、お米の一粒一粒をありがたくかみしめながら食べるのだった。……うん、カレーおいしい。

 せっかくだから、おかわりでもしようかなと、私はカレーのお皿を持って席を立ち上がる。


「「おかわりー!!」」と、声がハモる。ひとつは私の声で、もうひとつは竜二くんの声だった。

 たまたま同じタイミングで立ち上がり、カレーのおかわりをしようとしているらしい。

 配膳台の前で横並びになってしまった私はちらりと横目で竜二くんを見る。

 すると、竜二くんと目が合ってしまい、私は慌てて目をそらした。

 そして竜二くんは深くため息をつくと、自分のお皿にごはんとカレーを盛りつけて席に戻っていった。

 私はそれを見届けてから、カレーのおかわりをした。だけど、なんだかあまりおいしくないような気がした。



 その日の夕方のことだ。私はかさちゃんを家に呼んで、お気に入りの『ドリーム・ストーリー』というアニメ映画を一緒に観た。

 異世界に連れ去られたお母さんを見つけるため、ひとりの少年であるタイチが仲間たちと冒険をするファンタジーアニメだ。

 ときには仲間と協力し、ときには衝突しながら行く手を阻む敵を倒し、頂上まで登った者はどんな願いも叶えられるという『女神の塔』を目指していく。

 物語の終盤で少年は世界の崩壊を止める代わりに、その命を失ってしまう。

 しかし、塔の頂上にたどりついた仲間のジートスの願いによって元の世界にお母さんとともに帰っていく、……というストーリーだ。


 私は最初は自己中心的で『お金持ちになりたい』という願いを叶えようとしていたジートスが、タイチとの旅路で心変わりした展開が好きなのだ。

 映画を観終わったあと、かさちゃんにもそんなことを話してみた。

「確かに、ジートスは最初はタイチと喧嘩してばかりだったのに、最後には自分の願いを曲げてでも元の世界に帰らせてくれようとしたところにはぐっときたかな」

「でしょでしょ!」

「でも独善的な願いを持つことって本当にいけないことかな。私はジートスの最初の気持ちもよく分かるよ。

 タイチの『お母さんとともに元の世界に戻りたい』という願いだって、異世界の発展には何も寄与しないわけだし、独善的とも言えるよね。

 それにお母さんは本当は異世界の女神様と表裏一体の存在だったわけで、お母さんの意思も確認しないで元の世界に戻しちゃって、本当によかったのかな?

 タイチとお母さんが無事に元の世界に戻れたのはよかったけど、あのあと異世界は一体どうなっちゃうんだろう?」

「どくぜんてき……、ひょうりいったい……」

 作品の中でも使われていなかった難しい言葉を、かさちゃんはすらすらと並べていく。


「それに立ちふさがった敵たちにも、それぞれ叶えたい願い事があって、それは納得いくものだったし。

 私的には、結構考えさせられる映画だったかな。さきちゃんはどう思う?」

「すみません、そこまで考えてませんでした」

「なんで敬語……?」

 難しい本を読んでいると、難しいことを言えるようになるんだなあ……。さすがはかさちゃん。

 けど、このままじゃちょっとついていけそうにないので、話題を変えてみることにする。



「でも、タイチもまっすぐで熱いハートを持ってて、かっこよかったなあ」

「竜二くんにちょっと似てるよね」

「え、そうかな」

 まさかこの流れで竜二くんの名前を出されるとは思わなくて、心臓がどきりとはねるような気がした。

 それにまるで、かさちゃんに心の中をのぞきこまれているような感じになった。


「体育の時間でもいつもはりきってるし、男の子の中でのリーダーみたいなところが似てるかな。

 さきちゃんもよく、休みの時間にドッジボールで遊んでいたよね。……最近はあまり一緒にいるところを見かけないけど」

「そう、だね……」

「喧嘩でもしたの?」

 ……違う。私の心臓ははねているんじゃない。かさちゃんの手でぎゅっとにぎりしめられているんだ。

 鷹のように鋭い目でこちらを見つめてくるかさちゃんに、私は初めて恐怖を感じた。

 まるで心を丸裸にされて観察されているようだ。かさちゃんはもう何もかもお見通しなんじゃないだろうか。


「喧嘩、……とはちょっと違うかな。やっぱりさ、男の子には男の子の、女の子には女の子の遊びがあるからね。

 なんというか、住み分け?みたいなのが必要なのかと思っただけだよ。

 無理して付き合うのも、お互い苦しくなるだけかなーって、そんな感じ! だから全然喧嘩なんかじゃ――」

「クラスメイトなのに?」

「え?」

「これから少なくても、来年の3月まで一緒にいるクラスメイトなのに、住み分けが必要なの?

 ドッジボールが男の子の遊びだって言うならさ。男の子でも女の子でも、一緒に楽しめるような遊びを見つけたほうがいいんじゃない?

 クラスの子と仲良く遊べないのはやっぱりさびしいし、距離があるまんまじゃ息苦しくなっちゃうと思うな」

「かさちゃん、それは……」

 確かに、その通りだ。私はこのままずっと竜二くんの顔を見るたびに、気まずい思いをして過ごさなくてはならないのだろうか。

 それに竜二くんだって、きっとすっきりしてないはずだ。そうだ、私と竜二くんは、仲直りしなくっちゃいけない。

 たとえ別に喧嘩をしたわけじゃなくっても。なんとなく話しかけづらくなっただけだとしても。



 かさちゃんの口から吐息が漏れる。

「……って、クラスで浮いてる私が言っても説得力ないかもだけど」

「そんなことないし、そんなことないよ! やっぱり私も竜二くんと一緒に遊びたいもん!

 ううん、それだけじゃない。クラスのみんなで、かさちゃんも花ちゃんも一緒に、楽しく遊んで明るく過ごしたい!

 男の子でも女の子でも、みんな大切なクラスメイトなんだから!!」

「さきちゃん……、だったら考えてみよっか。

 どんな遊びだったら、男の子でも女の子でも楽しめるものになるのか」

 そんなことを言われても、私にはすぐ答えが思いつかない。

 男の子はおままごとなんてしないだろうし。ヒーローごっことおままごとをかけあわせるとか?

 なんだか妙なことになりそうな予感しかない。この発想は飲み込んでおくことにする。


「難しいな……。ゲーム機を学校に持っていくわけにもいかないし」

「男の子たちはこっそりカードゲームを持ってきたり、スマートフォンで遊んだりしてるけどね。

 でも身体を動かすわけじゃないゲームだったら性別も関係ないし、いい思いつきだと思うよ。

 ……あとは学校にあるものでなんとかできれば。紙とペンはあるから、あと何かもうひとつ――」

 かさちゃんは長い髪をかき上げながら、何か考え込んでいる。

 どうやらかさちゃんの頭の中には、すでにいいアイディアが浮かんでいるらしい。


 わくわくする。かさちゃんは一体私にどんな世界を見せてくれるんだろうか。




「みんなー! 今日も牛乳飲み終わったら、ビンの蓋を持ってきて!」

 かさちゃんのお願いで牛乳ビンの蓋を集め始めてから、数日が経った。

 私は蓋の入ったビニール袋を広げながら、その中をのぞきこんでみた。

 他のクラスの子にもお願いして集めているから、もう200枚以上はあるはずだ。

「はい、どうぞ。牛乳ビンの蓋なんか集めてどうする気か知らないけど」

「ありがとう、花ちゃん。ふっふっふ、どうなるかはあとのお楽しみだよ!」

 などと花ちゃんに言いながらも、これだけのビンの蓋の使い道を、私はまだ知らない。

 かさちゃんはただ「必要なものだから集めて欲しい」と言うだけだ。

 そして彼女は今、画用紙に黒のマジックペンで、定規を使いながら縦横の線を引いていっている。

 まっすぐていねいなその線は、几帳面な彼女らしい。そんな彼女が「よし」とつぶやくと、こちらに近づいてきた。


「さきちゃん、もういいよ。たぶんそれくらいで足りるはずだから。

 それより手伝ってほしいことがあるんだ。さきちゃんもマジックペン持ってるよね?」

「うん、あるよ」

 私はビンの蓋が入ったビニール袋を片手に自分の席に戻って、文房具入れの中からマジックペンを取り出す。

 それからかさちゃんの席についていくと、そこには正方形のます目がいくつも書かれた画用紙が3枚あった。

「あ、分かった! これ○×ゲームでしょ!」

「違うよ、さきちゃん。○×ゲームなら3×3のます目でしょ?

 それにそれなら蓋の使い道がないじゃない」

 確かに、そのます目は○×ゲームのものよりももっと多かった。

 ええっと、1、2、3……、8だ。これは8×8のます目になっているんだ。


「まあ○×ゲームにしようかともちょっと考えたけどね。

 でも、それじゃ単純すぎるし、すぐに飽きちゃいそうでしょ?

 だからもう少しだけ、頭を使うようなゲームにしようかなって。

 ……ということでっと。ほら、こういうコマって一度は見たことあるんじゃない?」

 かさちゃんはそう言いながら、ビンの表に書かれた文字をマジックペンで黒く塗りつぶし、裏の白い面と交互に見せてきた。


「ああ! 知ってる知ってる!!

 白黒のコマを使って、挟んだらひっくり返して自分の色にできるゲームでしょ?

 それで黒と白が交互に打っていって、最後に自分の色が多かったほうが勝ち!」

「うん、正解。ゲームの名称はいくつかあるけど、シェイクスピアの四大悲劇のひとつから名づけられたものが有名かな。

 けど、元々はリバーシっていう名前だったんだよ。それがこんな風に、牛乳ビンの蓋をコマにして遊び始めたことで、少しルールが変わって日本でも流行り始めたんだって」

「へぇー」

 シェイクスピアくらいはさすがに私も聞いたことがある。ロミオとジュリエットの作者、……だっけ。

 ふたりはどうしてシンデレラ姫みたいに、身分違いの恋を叶えることをできなかったのかな。



 閑話休題(――かさちゃんに教えてもらった言葉だ)。

 ともかくつまりは、この集めた蓋の表面を1枚ずつマジックペンで黒く塗りつぶしていけばいいというわけだ。

「それじゃ、このコマと同じようによろしくね、さきちゃん」

「おおー、任せといて!」

 そうして、私とかさちゃんは昼休みの時間に協力して、白黒のコマをどんどん作っていった。

 ふたりで協力して、何かに没頭することがこんなにも楽しいとは思わなかった。


 からっぽだった私の心もこんな風に塗りつぶされて、色がついたのかもしれない。……あはは、モノクロだけどね。



 さらに次の日の昼休み。私たちはクラスのみんなを呼び集めた、あるいは呼び止めた。

 今からデスゲーム、……じゃなくってリバーシ大会を開くためだ。

 みんな何事かと集まってきて、黒板の前に立つ私とかさちゃんを見つめている。

 ――その中には、竜二くんもいた。だけど、今日の私はその視線から目をそらすつもりはなかった。

 むしろその目をじっとにらみ返してやる。……見てなよ、竜二くん。これが私とかさちゃんの答えだ!


「おいおい、急に集まってくれってなんの用だよ。

 俺ら、さっさとドッジしに行きたいんだけど」

「そうだ、そうだ、竜二の言う通りだぜ。

 くだらないことだったら怒るからな!」

「ちょっと男子! さきちゃんが話しようとしてるでしょ!

 静かにしなさいよ!」

 竜二くんたちと花ちゃんが言い争いになりそうになっている。だけど、私は焦らなかった。

 この催しに絶対の自信があったからだ。そして、腕組みをしながらみんなの前で宣言してやった。


「大丈夫だよ、安心して! これはちゃんとみんなを楽しませてあげられる催し物なんだから!

 よーし、ということで、かさちゃん説明してあげて!」

「えっ、私!?」

 かさちゃんは戸惑ったように目を見開いている。

 でも、だって私は説明あんまり上手くないし……。こういうのは役割分担ってやつだよね☆


 私がウインクを向けると、かさちゃんは渋々といった様子で説明を始めてくれた。

「ええっと、みんなごめんね。今日集まってもらったのは、みんなに新しい遊びを提案したいからなんだ。

 みんなはこれを見て、なんだか分かるかな」

 そう言いながらかさちゃんは、ます目が書かれた画用紙と、白黒の状態になったビンの蓋をみんなに見せる。

 それに真っ先に反応したのは、花ちゃんだった。

「あ、もしかして白黒のコマをひっくり返して遊ぶゲーム!?」

「うん、花代はなよさん、正解だよ。

 これはリバーシっていうゲームで、まず最初に黒と白を交差するように2つずつ置いて――」



 そうしてルールの説明が終わると、いよいよゲームのスタートだ。

 ゲーム盤は3つ分用意してあるけれど、まずは見本ということでみんなには私とかさちゃんの試合を見てもらうことになった。

「それじゃ、とりあえず先番は私ってことで! そりゃ!」

 私は画用紙でできたゲーム盤に、牛乳ビンの蓋でできたコマを勢いよく打ち下ろす。

 すると、そこでかさちゃんのツッコミがさく裂した。

「さきちゃん、先番なら黒だよ! それは白石!」

「まあ別にいいじゃん! どっちでも変わらないでしょ!」

「もう、いいかげんだなあ……」

 そんな不満を漏らしつつも、かさちゃんはそのままゲームを続行してくれた。

 ゲームの序盤は私の白石のほうがかさちゃんの黒石よりも多い状態が続いて、有利な状況を作れているように感じられた。


「あれあれ、かさちゃん。もう盤面白まみれだよ?

 このまま私が勝っちゃうかも!」

「んー、別に問題ないかな。リバーシはね、最後に石が多いほうが勝ちなんだよ。

 中盤まではむしろ石を少なく取ったほうが、打てる場所が増えて有利なんだ。

 あと四隅の斜め前はX打ちって言って、隅を取られやすくなっちゃうから打たないほうがよくて。

 ……って、前におじいちゃんに教えてもらったことがあるんだけど」

 そんな話をしながら、ゲームは中盤に差し掛かった。かさちゃんの黒石は2つ、3つしかなくて、ここから逆転できるだなんて思えなかった。

 でも、そこからだった。だんだんと私の白の世界がかさちゃんの黒で染められていく。

 かさちゃんのほうはたくさん石をひっくり返せるのに、私は少しずつしか返せない。そんな場面が続くと、ついには私の打つ場所がなくなってしまった。


「ここは白のパスになるから、続けて黒の番だね」

「うぅ……、私の白が黒に変わっていくのを見ているしかできないなんて!」

 その試合の結果は、60対4でかさちゃんの圧勝だった。四隅もかさちゃんに取られて散々だった。

 そこで花ちゃんと竜二くんが歓声をあげた。

「すごーい! 雨宮さんってゲームがとっても上手いんだね!」

「やるじゃねえか、雨宮! 早川がボコボコにされてて気持ちよかったぜ!」

「むー! そんな風に言うなら竜二くんもやってみてよ!

 かさちゃんってば、本当に強いんだから!!」

 なんて不満げに言ってみたけど、私も竜二くんも、それは冗談のつもりだった。

 その証拠に、彼は私の売り言葉に豪快に笑ってくれた。


「あっはっは、そんじゃやってやろうじゃねえか!!

 よろしく頼むぜ、雨宮!」

「う、うん!」

 そうして、かさちゃんと竜二くんのゲームが始まる。それを横目に私は花ちゃんとやることにした。

 残りのもうひとつの盤はクラスの男の子たちが使うようだ。そして、数分後には勝った負けたの大騒ぎだった。

 そんなリバーシ大会は、みんなで交代交代に遊んで大盛り上がりだった。

 私はクラスのみんなと、竜二くんに花ちゃん、――そしてかさちゃんと本当の意味で初めて打ち解けられたような気がした。

 だって、こんなにも楽しい気分になったのは、生まれて初めてのことだから。そして、そんな気分をみんなと共有できたから。


 ……あのね、かさちゃん。私、あなたと友達になってから、朝起きるのが楽しみになったよ。



「ずっと何かの準備をしていると思っていたら、こんなことを考えていたんですね」

 ……どきり。その声は、杉田先生のものだった。

 先生にはこんな風にゲームで遊ぶ準備をしているなんて、一言も言っていない。

 もしかしたら怒られるかもしれないと思っていたから、先生が職員室に行ったタイミングでみんなに声をかけたのだけど、結局見つかってしまったようだった。

 そして私が口を開くよりも早く、かさちゃんがいつもの口癖を口にした。


「す、すみません! 私が言い出したことなんです!

 だから別にさきちゃんは悪くないっていうか、しかるんだったら私をしかってください!」

「あら、そうなのですか? 先生はてっきりふたりで計画したことだと思っていましたよ。

 どうなのですか、早川さん?」

 先生が私の目をじっと見つめて問いかける。その口調はとてもおだやかなように感じられた。

 だから、――いや、そうでなくても、私は正直に話をすることにした。


「ふたりで話して決めたことです。だけど、かさちゃんは私のために一生懸命考えてくれたんです。

 私、この前ドッジボールで怪我をしてから、竜二くんたちと遊びづらくなって。

 でも身体を動かすようなスポーツじゃなくて、頭を使うゲームなら、男の子でも女の子でも対等に遊べるんじゃないかって。

 だから、かさちゃんは何も悪くなくって――」

「早川さん、少しじっとしていてくださいね」

 そのとき、先生の指先が私の名札に触れた。星型のシールが私の名札にはりつけられたのだ。

「え、これって……」

「ふふっ、先生はあなた方をほめているのですよ。よくがんばりましたね。

 こんな風に工夫して遊びを作り出して、みんなを楽しませるなんて、そう簡単にできることではないですよ。

 だから、これはその栄誉のしるしです」

 これが、しるし……。私の名札に、かさちゃんと同じ煌めく星が……。

 うれしい。かさちゃんみたいなすごい女の子に、少しだけ近づけた気がする。



 先生は続けて言った。

「もちろん雨宮さんも。あなたのアイディアはとてもすばらしいものです」

「い、いえ、私なんか、……あ、いや、なんかってことはないですけど!

 でも、クラスのみんなだけじゃなくて、他のクラスの子たちにも声をかけて、ビンの蓋を集めるなんて私にはできませんでした。

 もちろんこんな風に、クラスのみんなで集まってゲームをすることも。

 私はちょっとした思いつきを口にしただけで、がんばってくれたのはさきちゃんのほうです」

 先生にほめられるのもうれしいけれど、かさちゃんにほめられるとなんだか余計にくすぐったい。


 私の"いいところ"見つかったかな。それに、もちろんかさちゃんの"いいところ"もね。




「あー、面白かった! じゃんけんをカードゲームにするだけでこんなに熱中できるなんて!」

 あれからまた、しばらくのときが経って、私とかさちゃんは学校でできる遊びをいくつも探していた。

 そのひとつが、それぞれ1回ずつ使えるグー、チョキ、パーのカードを指定の枚数配って、じゃんけんをするというゲームだった。

 私たちはその感想を言いながら、下駄箱で靴を履き替えて帰宅しようとしているところだ。


「これも、お父さんが持ってる漫画にあったゲームだから、私のオリジナルじゃないけどね」

「でも、かさちゃんは何やっても強いよね。結局、勝ち星全部持ってっちゃって」

「誰がどのカードを何枚使ったか覚えておくといいよ。たとえば竜二くんはグー2枚、チョキ1枚、パー3枚。

 花代さんはグー1枚、チョキ3枚、パー2枚。さきちゃんはグー4枚、チョキ1枚、パー1枚とか。

 それをクラス全員分覚えていって。そうすれば誰にどのカードを出せば勝てるのか、なんとなく分かるかな」

 ……さらっと言ってるけど、それだけ記憶できるのはかさちゃんだけだと思うんだよなあ。

 私の困り顔を見てか、かさちゃんは慌てて付け加える。

「あ、それが無理そうなら、グーの枚数だけ覚えるとか!」

「それでもクラスの人数分は大変だよ!」

 あーあ、私にも何か誰にも負けないような得意なゲームないかなあ。それこそ日本のトップになって、「天才少女あらわる」とかニュースになっちゃうくらいの!


 ……なーんて、さすがにそれは夢を見過ぎかな。そんなに都合のいいゲームがあるはずないよね。



「おう、早川に雨宮! 今日も楽しかったぜ!

 早川はドッジのほうも頑張れよなー。せっかくまた誘ってやったんだから」

「竜二くん、もちろんだよ。

 ドッジもゲームも全力投球! それが私の流儀だからね!!」

 学校の門に向かう途中、私は背中から話しかけてきた竜二くんに向けたガッツポーズをして、ふんふんと鼻を鳴らす。

 せっかく竜二くんたちとも仲直りしてまたドッジボールをするようになったんだから、気合十分なところを見せないとね。


「あはは、なんだそれ! じゃあ、またな、ふたりとも!」

「まったねー」

「また明日ね、竜二くん」

 竜二くんとはそこで別れて、ここから先は私とかさちゃんのふたりきりの帰り道だ。

 車の通り道のような細道を抜けると、すぐにビル街に出る。私とかさちゃんの家は、そのビル街の中にある。

 学校も住む場所も働く場所も、ほとんどおんなじ場所にあるのだから、東京という町は本当に建物が多いんだなっていつも思う。



「それより今度はコツとか考えなくても、みんな平等に勝てる可能性があるゲームを考えようよ!

 たとえばすごろくとか! 頭を使ってばかりじゃ疲れちゃうよ!」

「サイコロを振るだけのすごろく? 運要素100%なのも、それはそれで偏りが出ると思うけど……。

 でも、止まったマスによっては、ものまねをする罰ゲームがあるとかだと盛り上がるかもね」

「お、いいじゃん、それ! それじゃ、今度休みの日にさ、かさちゃんの家に行っていい!?

 どんなマスがあったら面白いか、一緒に考えようよ!」

「そうだね。一度試しにすごろく作ってみようか」


 あーあ、本当に楽しみがいっぱいだなー。

 ドッジボールとかサッカーとかもいいけど、もう梅雨の時期だし、教室の中でできる遊びもいっぱいあったほうがいいよね!

 いっそゲーム部でも作って、他のクラスや学年の違うことも一緒に遊ぼうかな!?

 先生に言えばどこか空いてる部屋を使えるかもしれないし、どうせだったらもっとたくさんのみんなで遊んだほうが――。



「さきちゃん」

 ふと呼びかける声。横並びで歩いていたはずなのに、いつの間にかかさちゃんは立ち止まって私のうしろにいた。

 私は振り返りながら、かさちゃんの呼びかけに応える。

「どうしたの、かさちゃん」

「ううん、別にたいしたことじゃないの。でも、どうしても伝えたくなっちゃって。

 ……あのね、さきちゃん。私、あなたと友達になってから、」



 ざっぱあああああああぁああああああぁあああああ!!


 突然の大雨に、かさちゃんの声がかき消される。……その先の言葉はなんとなく想像がつくけれど。

 もし私の想像が当たっているなら、とても嬉しい。だって、私もかさちゃんと同じ気持ちだったから。



 っていうか! 今はそんなこと考えてる場合じゃなくて!

「わーっ! 大丈夫、かさちゃん!?」

「うん、大丈夫じゃないし、あなたもずぶ濡れだよ、さきちゃん」

「な、なんでそんなに冷静なの!? とにかく走ろう!」

 早く身体をかわかさないと風邪をひいちゃう! 私はかさちゃんの手を取って、街を走り抜ける。

 こんなに急に雨が降るだなんて思っていなかったから、傘もタオルも何も持っていない。

 とにかくどこか雨がしのげる場所に行かないと! すると、目の前に大きな建物が現れた。


「ねえ、かさちゃん! あのビルで雨宿りしていこうよ!」




 ――――――――。

 私たちのモノクロの青春は、あの雑居ビルから始まった。そして、それから9年のときが流れた。

 あの頃は珍しかったスマートフォンも、今ではむしろ持っていない人を探すのが難しいくらいに普及した。

 これ1台さえあれば、地球の裏側にいる人とだって簡単にビデオ通話もできてしまう。

 VTuberの配信だって見放題だし、ショッピングだって出前の注文だって簡単操作で一瞬でできる、そんな時代だ。

 なのに、私は大好きな親友へのメッセージひとつ送れず、スマホを見つめては溜息を吐くばかりの日々を過ごしていた。


『かさちゃん、プロ試験頑張ってね』

 かさちゃんはもう頑張っているのに。そんなメッセージをしたって負担になるだけじゃないだろうか。

『今度一緒にご飯でも行かない?』

 なんだか無駄に気を遣ってるみたいで、かさちゃんは気を悪くしないだろうか。

 それに、かさちゃんの大切な時間を、今は奪いたくない。

 私は進学しなかったけど、かさちゃんは高校にも行っているから、ただでさえ時間は貴重だ。

『プロなんて、別にもう諦めてもいいんだよ』

 駄目駄目! 絶対にこれは駄目!!

 私がかさちゃんに、一緒にプロになろうって誘ったのに、それを反故にするようなことなんて言えるわけがない。


 結局、私がかさちゃんにかけられる言葉なんて、ひとつもない。

 でも、だったら私は一体どうすればいいのだろうか。



「そんなの簡単だぜ、私! 言葉で駄目なら態度で示せばいいのさ!」

 え!? 悪魔の私!?

「いけません、私。悪魔の言うことに耳を貸してはいけませんよ」

 天使も出てきた!!

「とにかくよぉ、直接会って抱きしめてやればいいんじゃねえの?」

 う、悪魔のくせに意外とまともなアドバイスだ。

「抱きしめるだけでは駄目ですよ。そっと彼女の唇に口づけをしてあげるのです」

 できるか!!



 ……はあ、何考えてんだろ、私。馬鹿馬鹿しい。

 それに直接会いに行くことだって、そう簡単にできることじゃない。

 もしも彼女が私に対して、拒絶の目を向けたのなら。きっと私は何もできなくなってしまうだろう。

 第一、これはかさちゃんが自分で乗り越えないといけない壁なんだ。

 私が何かを言ったりしたりしたとしても、所詮慰めにしかならない。

 それどころか、むしろ負担を増やしてしまうかもしれない。結局、私には待つことしかできないのだ。

 私はスマホに打ちかけたメッセージを消して、もう一度溜息を吐く。それからエレベーターを降りて歩き出す。


「一体どこで間違えちゃったのかなあ」

 日本棋院の控室の扉に手をかけながら、ひとり呟く。

 私は、こんな未来を望んだわけじゃ――、



「よぉ、女流四冠がなんの反省会してんだ?」

 と、その声とともに、私の背中が「ばしーん!」と叩かれる。

 その勢いに押されて扉が開き、私はよろけそうになってしまった。

「うひゃあ!? な、何するんですか!?」

「なんだよ、大袈裟だな。軽く気合を入れてやっただけだろ」

「よ、横山先生……、自分の筋肉量を考えてください」

 うぅ……、背中がひりひりと痛いよぅ。


 横山矩夫よこやまのりお八段。囲碁棋士らしからぬワイルドな髭とマッチョな肉体を兼ね備えている彼は、かさちゃんのお師匠様だ。

 院生師範の大林学先生にとっては同じ高校のふたつ上の先輩だったそうで、その縁で院生のかさちゃんが紹介されたらしい。

 YouTubeやInstagramでは何故か囲碁の話はほとんどせずに、トレーニングメニューの公開や鍛え上げた筋肉の自慢をしている。

 いわば"変わり者"なのだが、各種リーグ入りやNHK杯での優勝経験もある実力者で、兄貴肌なところもあるためか彼を慕う棋士も多い。

 かく言う私も、彼にはお父さんのような雰囲気を感じることもあって、ときどき甘えたくなる。……デリカシーがないのが玉に瑕だけど。



「何言ってんだ。棋士は体力勝負だぜ?

 早川も若いうちはまだいいかもしれないが、今のうちから鍛えておかないとな。

 そんなんじゃ10年、20年戦える棋士にはなれねえぞ」

「にしても、今のはセクハラでパワハラです!

 ……あと、なんかお酒臭いんでアルハラとスメハラで横山先生も四冠達成ですね。そんなんで今日の対局戦えるんですか?」

 控室に入りながら、そう訊ねると横山先生はアルコール臭のする息をしながら、心底意外そうな顔をした。


「あ? それこそ何言ってんだ。今日戦うのはお前だろ?

 女性初、史上最年少の名人戦リーグ入りを賭けた戦いの応援に来てやったんじゃねえか。ちょっと前祝いの酒を飲み過ぎたがな。

 ……ああ、言っておくが、飲酒運転はしてねえからな! 今日はちゃんとタクシーを――」

「名人戦、リーグ入り……」

 そうだ、私は今日名人戦リーグ入りを賭けた手合を、末森すえもり八段という男性の棋士と戦う。

 マスコミも出版社も棋界の人々も囲碁ファンの皆さんも、誰もが私の動向に注目している。

 応援してくれるみんなのためにも、気合を入れて頑張らないと……。そうは思うけれど……。


「なんだなんだ、他人事みたいな顔しやがって。

 さっきも負けた碁の振り返りでもしてたのかもしれねえが、道は前にしか続いていなんだぜ?

 余所見なんかしてたら、あっという間に他の奴らに追い抜かれちまうぞ」

「あはは……、そうですよね。余計なことは考えないようにしないと」

 私と横山先生は控室の椅子に向き合うように座りながら、そんなことを話した。

 でも、私はかさちゃんとのことを『余計なこと』だなんて切り捨てたくはない……。

 私の大好きな親友が、もう何年もプロになれなくて、今もなおその苦しみの道にいる。

 私にできることなんて何ひとつないのかもしれないけれど、せめて想いを馳せることだけは許されて欲しい。



 がちゃり。そのとき再び控室の扉が開いた。

 私の今日の対局相手である末森八段が入ってきたのだ。

「……おや、これは横山先生。おはようございます」

「おう、末森。昨日はよく眠れたか?」

「お、おはようございます、末森先生! 本日はよろしくお願いします!!」

「ああ」

 末森八段は短くそう応えると、すぐに荷物だけ置いてどこかに行ってしまった。

 なんか最初から最後まで横山先生のほうを見ていて、私とは目を合わせてくれなかったような……。


「おうおう、嫌だねえ。相変わらず仏頂面しやがって。

 しかしまあ、あいつにも7年ぶり2度目の名人戦リーグ入りがかかってるんだ。

 とりま勘弁してやってくれ。もちろん盤上ではボコボコにしてやって構わねえけどな」

「あ、はい。もちろんです」

 棋士はいつだってプレッシャーとの戦いだ。末森八段の顔が怖くなってしまうのも仕方がないことだろう。

 そこには私みたいな子供に負けたくないという気持ちもあるのかもしれないけれど。


「にしても、お前も辛気臭い顔してんな。タバコでも吸うか?」

「未成年に喫煙を勧めないでください。あと棋院は基本的に禁煙です」

「冗談だよ、雨宮みたいなこと言いやがって」

 ……嘘だ。胸元からタバコを取り出したときの顔は冗談じゃなかったぞ。横山先生は残念そうにタバコをしまう。

 でも、ありがたいことに横山先生と話をしていると、いつも気持ちが落ち着いてくる。

 いつもふざけたことばかり言ってきてツッコミに回らざるを得ないからかもしれない。

 こういうときは、大林先生のような真面目な人より、おちゃらけた横山先生のほうが助かる。



「雨宮……、かさちゃんは元気ですか?」

「他人みたいな言い方するんだな。小学生の頃からの親友なんだろ?」

「……もうずっとまともに連絡取り合ってないから」

 まったく連絡してないわけではないけど、今では私よりも横山先生のほうがかさちゃんと話す機会が多いだろう。

 だから一度、"今のかさちゃん"がどんな様子か聞いておきたかったのだ。


「……そうだな。あいつは元々明るいほうではないが、俺の世話をするときだけ妙に生き生きしやがるぜ」

「世話?」

「俺の家で研究会をやってるからな。たまに来ては掃除だの料理だの勝手なことをしてる。

 おかげで俺は、近所じゃ未成年の通い妻がいることになってるんだぜ!?

 ひでぇよな、いくら俺が40過ぎて独身だからって言ってもよぉ!?」

 必死で訴える横山先生の顔を見て、私はお腹を抱えて大笑いした。


「……ぷ。あはは!! 何それ、おもしろーい!!

 あっはっはははは!!」

「笑い事じゃねぇぞ! ただでさえ俺は昼間から犬の散歩しててニートだと思われてんだ!!」

「ふひひひひひ!! もうやめて、横山先生!!

 おかしくってお腹がねじれちゃいそう!!」

 あのかさちゃんが生き生きと40代のおじさんの世話をしてるというだけでも面白いけど、そのうえに通い妻とかニートとか!

 ……でも、それはきっと、今のかさちゃんにとっては数少ない救いの時間でもあるのだろう。

 横山先生のおかげでほんの少しでもかさちゃんの心が休まる時間があるならば、私はそれに感謝しなくてはならなかった。



「時間になりました。早川三段は対局場に向かってください」

「ふひひ! ……あ、はーい!」

 日本棋院の職員に呼ばれて、私は笑い涙を拭いながら席を立ち上がる。

 だけど、その前に横山先生に一言言っておかないと。

「ありがとうございます、横山先生。おかげで気持ちが楽になりました」

「そうかい。別に笑わせようとしたんじゃねえけどな。

 俺も今から記者室に行って観戦させてもらうからな。頑張れよ」

 不満げな横山先生を残して、私が控室から出ようと扉に向かうと、彼は続けて言った。

 その言葉とともに、部屋の空気が変わったような気がする。


「雨宮かさねは、天才だ。今まで俺が見てきた誰よりもな」

「…………私よりも?」

 首だけ振り返って冗談っぽく言ったけれど、横山先生は至って真剣な表情と声色だった。

「当然だ。自惚れるんじゃねえぞ」

 横山先生はふざけているように見えて、私が今、何に悩んでいるのか察しているようだった。

 その証拠に、そこには一切のおふざけはなかった。


「俺には見えるぜ、雨宮とお前がタイトルをかけて争う、そんな姿がな。

 見えないか? そんな未来が間近に迫ってるんだぜ?」

 自信たっぷりに語る横山先生は、本当に本気でそう思っているようだった。

「……いいえ、私もかさちゃんを信じています。かさちゃんが本気を出したら、私なんか目じゃないくらいに凄いんです。

 私がかさちゃんに勝てるのは囲碁しかない。だけど、それだって今はたまたま私が先に行っているだけに過ぎないんです。

 かさちゃんはただ、道に迷って混乱しているだけ。霧が晴れれば一気に私の首を取りに来ようとするでしょう」

「なら、気合を入れねえとな?」

「ええ、それでも私は簡単にやられるつもりはありませんから。

 逆に、私が返り討ちにしてやる。私が、雨宮かさねを殺します」

 私は前を向いてそう宣言したけれど、背中で横山先生が笑っているような気がした。



 対局場に入ったとき、末森八段の鋭い眼光が私を捉えた気がした。

 だけど、私はそんな凄みなんかには負けない。かさちゃんがプロになったときに笑われないくらい、私はもっと上を目指さないといけないんだから。

 末森八段、……もちろんあなたにも、この対局にかける想いはあるのでしょう。それでも私は、想いの強さならどんな棋士にも負けない。

 息を吐いて対局場の椅子に腰かけた私は、末森八段の瞳を睨み返した。

「時間になりました。ニギリで先番を決めてください」

 末森八段は黒を、私は白を握る。碁笥から大量の白石を掴んで、数えやすいように盤に並べていく。

 その結果、私の黒番になった。碁笥を交換して対局の準備をする。


「それでは、対局を始めてください」

 記録係の合図を受けて、私は一度大きく深呼吸をした。

 ……私は負けない。こんなところで負けてたまるか。だって、かさちゃんがもうすぐそこまで追いかけてきているんだから。

 私はそんなかさちゃんに見られても、恥ずかしくない姿を見せなきゃいけないんだから。

 だから私はこの囲碁界の頂点を目指す。そこで、私の大好きな親友の到着を待つ!



 ――右上隅小目。気合を入れた一手を勢いよく盤に打ち込む。

 好きだよ、かさちゃん。大好きだ。この世界中を探しても他には見つからない、唯一無二の親友だ。

 あなたがいないと、ときどき不安にもなる。私は"また"、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかって。

 だけど、彼女はきっと、……いいや、絶対に私がいるところまで登ってくる。私はそう信じてる。

 誰がなんと言おうとも、彼女は私の、最高にして最強のライバルだ!


 だから、待ってる。待ってるからね、かさちゃん!!

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