白銀の狼《シルフ》
少しの間息を整え、弓を取り、白銀の狼を睨む。シンヤのその顔は狼の返り血を浴び、衣服は土で汚れ、所々に狼につけられた傷があった。
白銀の狼は風のように素早く静かに下りてきた。白銀の狼はシンヤに視線を向け、威嚇する。白銀の狼の大きな眼に睨まれ体の震えが止まらなかった。音の揺れか見えそうなほどの白銀の狼の咆哮に地揺れが起き、冷たいそよ風がシンヤの身体にあたり流れていく。
白銀の狼は一定の距離を保ちながら大きな脚を動かし、ずっと大きな眼で睨みつけていた。
シンヤは弓を限界まで引き白銀の狼から目を離さないでいた。お互いに動くのを待っていた。
瞬きをした瞬間、白銀の狼が行動を起こした。白銀の狼を見ていた。なのに、気づいたら目の前へ近づいていた。シンヤはとっさに弓を引いていた指を離し、後退する。
一瞬のことで狙いが定まらず矢は狼の左脇を掠めただけだった。だが、白銀の狼の白く尖った牙はシンヤの左胸を掠り、切れた。血が吹きでる。
「くっ…」
右手で傷を押さえ体勢をなおす。傷口はそこまで深くは無かった。シンヤは弓を構えすぐに矢を放つ。
今度は向かってくる狼に当たった。だが、矢は深く刺さらずに落ちた。弓の引きが浅かった。
「あぁっ…!」
白銀の狼の左脚がシンヤの右肩を掠る。掠めただけだったが、白銀の狼の鋭い鉤爪にざっくりと切られてしまった。左の拳を強く握り腰の高さから振り上げる。白銀の狼の胸が少しだけへこんだように感じたが、白銀の狼は怯む気配がなかった。
狼は左腕を噛もうとしてきたが、シンヤは右側にステップし、右脚を振りかぶり思いっきり腹辺りを蹴る。白銀の狼の胸骨が硬く、さっきつけられた傷のせいもあって、脚が痛む。
「──くっ…」
白銀の狼が退いた。シンヤは弓を構えて弓を最大まで引き放つ。矢は風を切りながら、白銀の狼に向かった。白銀の狼の右腹に刺さった。今度は奥まで刺さり矢は落ちることはなかった。
白銀の狼は今までよりも大きく、怒号のように咆哮する。狼の周りには風の波が起こり、シンヤのところにまで強風が吹いた。右腕で顔を押さえる。
前にいた狼を見ると真紅の瞳は透通る青緑に輝いていた。毛並みも風によりサラサラと揺れていた。風が音を鳴らしながら吹いてきた。風が強くなり狼が走ってくる。弓を構えて弓を最大まで引き放つ。
矢は狼が身体に纏っている風に逸らされた。噛みついてくる。シンヤは、狼の左横へ転がり込み投げナイフを投げ少し後退した。投げナイフは狼の後ろ脚に刺さり、狼が少し怯む。
こちらを睨みつけまた走ってきた。狼の足が地面に着く度、地面から大きな音と振動がした。近づいてくる狼をじっと見ながら弓を肩に下げる。
噛みついてきた瞬間、シンヤは狼の右に避けると同時に左腕を狼の首にかけ、避けた時の勢いのままシンヤの背中に乗る。
狼は嫌がり暴れる。シンヤは狼の首に右手も絡ませ首を絞めた。狼の背中は風が強く吹きつけていた。
「──くっ」
全身に力が入る。
お互い必死だ。
かなりの時間、狼の首を絞めた。狼もまだ暴れて抵抗していた。
「──うぁぁー!」
狼の背中を脚で強く挟み、体重を後ろに倒した。狼は身体を震わせながら悶え、倒れ込む。
狼が周りに纏っていた風は徐々に弱くなり止み、瞳の色はもとの真紅色に戻った。
シンヤは白銀の狼を中心に動物の骨粉で契約の準備をする。白銀の狼が目を覚ますまで白銀の狼の傷の応急手当をした。ほかの狼達の傷の応急手当もした。
白銀の狼が目を覚まし、身体を起こす。白銀の狼は逃げようとせず契約の陣の上に伏せ、自身の傷口を包帯の上から舐める。
落ち着き手首をナイフで切り、白銀の狼の前へ垂れ流す。白銀の狼は躊躇わず飲み始めた。
胸が熱くなり、鼓動が大きな音で鳴り響いた。
「…契約完了だ!」
白銀の狼にむかって大きく笑う。
「お前は…『シルフ』だ! 分かったなシルフ!」
シルフは返答をするように吠えた。
シルフの背中に乗り、崖を登った。朝日が昇る景色は壮大で、薄暗く静かな森は明るくなるにつれ鳥達の羽ばたく音や動物達の鳴き声で騒がしくなった。風が吹く度、森が騒がしくなる。いつもの光景だ。ただ、シルフの背中に吹き抜ける風はさっきとは違い温かみがあった。
「帰ろう。そろそろ約束の日だ」
そう言って、シルフの背中に掴まり、風を切って走った。そのスピードは物凄く速く、シンヤを乗せて走っているのにも関わらず、風の様に静かだった。
次の日、夕日が昇り始めた頃、ようやく家に着いた。家の前ではチャークがうろちょろしていた。
「父さん! ただいまぁ!」
シルフに乗りながら声を出す。家の前で降りて、チャークとハグする。
「おかえり。すごい狼を連れてきたなぁ」
チャークの目はいつもより潤っていた。
「シルフだ」
「まぁ、中に入れ」
シンヤはシルフと一緒に水浴びをして、食卓へ向かった。
「おぉ、すごく大きな狼だな」
ジンが椅子に座って言った。ジンがいるということは、マリカもいるのだろうと思い口が動いた。
「ただいま、ジンおじさん。マリカはいる?」
椅子に座りながら聴いた。
「もうすぐ来ますよ。シンヤ、さてはマリカが好きですね? 最近は、すぐマリカ、マリカですし」
「なに言ってんだよ」
少し恥ずかしかった。
「まぁ、シンヤにならマリカをあげてもいいですけど」
ジンは笑いながら言った。
「シンヤさん、おかえり」
マリカの落ち着きがある声でだ。
「ただいま」
マリカに返答し、声のする方へ目を向けた瞬間ドキッとした。目の前にいたマリカは、いつもと違い、髪を後ろでまとめ、机に食器や手料理を置くために前屈みになると、うなじが少し見え、甘い匂いがしてきた。また、服装は可愛らしい黄緑色のフワッとしたエプロンだった。
「無事で良かった…シンヤさん? …シンヤさん?」
気がついたら、まじまじと見ていた。マリカの頬は少し赤くなっていた。
「…あぁ、マリカもいつも通りで良かったよ」
マリカの方を見て微笑む。
「さぁ、夕飯にしよう」
チャークが席に座りながら言った。
「今日はシンヤの無事な帰りと新たな家族に祝杯だ! カンパーイ!!」
その日の夕飯はシンヤにとっていつものような心地よい騒がしさと、豪華な夕飯が食卓を彩った。ただ、いつもと違うのはシンヤの隣の席にはマリカがいて、足元には月明かりに照らされて白銀に輝く相棒がいた。