第四話 天才ボクサー神凪拳人 そして入部へ
その後も順調に試合が消化されていき、迎えたウェルター級の第一試合。
いよいよ神凪拳人の出番だ。
彼がリングに立つなり、観客席から黄色い声援が飛んだ。
「神凪は女生徒の人気があるようだね」
「そうみたいですね」
千里は立波先生の言葉にそう相槌を打った。
神凪はリングに上がって、周囲の部員にグローブをつけてもらう。
レフェリーが両選手をリング中央に呼んで、なにやら囁いた。
両選手がグローブを合わせた。 そして試合のゴングが鳴った。
ゴングが鳴るなり、神凪は猛然果敢とコーナーから出た。
二人の選手がリング中央に来た途端、相手選手が右ストレートを放った。
神凪は軽く首を振って相手の右を外して、逆に右で相手の顔面を強打。
すると相手はよろけながら、リングに左膝をついた。
速い、何が起こったのか分からない。
「い、今のは右のカウンターを打ったのか?」
「さ、さあ……でも狙って打ったらなら凄いですね」
「あ、ああ。 だとすると彼の才能はとんでもないぞ」
と、千里と立波先生が言葉を交わしているうちに
選手が立ち上がったが、レフェリーはカウント8まで数えた。
選手は両手でファイティングポーズを取った。
レフェリーはグローブを拭くように指示する。
神凪の対戦相手は、言われた通りに自分のシャツでグローブを拭いた。
そしてレフェリーが「ボックス」と言い、試合が再開された。
試合再開と同時に神凪が再び前へ出た。 そして神凪は左ジャブを繰り出す。
鋭くのスナップの利いた左ジャブが何度も何度も相手の顔面を捉えた。
相手はやぶれかぶれな感じで神凪の顔面へ右ストレートを放った。
神凪はそれを綺麗に躱して、左ボディフックで相手の腹を強打。
相手選手は崩れ落ちるように両膝をついた。
そしてレフェリーがカウント8まで数えてから、試合を止めた。
「神凪くんの勝ちですか?」
「ああ、恐らくRSC勝ちだろう」
RSC勝ち? また聞きなれない単語だ。
いずれにせよ、試合はわずか一分以内で終わったのだ。
なんだか千里の胸の鼓動がどくん、どくんと高まってきた。
え? 何、この感じ? めっちゃ心臓の鼓動が高まってるんですけど?
もしかしてあたし、自分で思った以上に感動している?
神凪くんもそうだが、美鶴先輩や他の先輩もリング上でとても輝いていた。
少なくとも千里の目にはそう見えた。
なんかボクシングにはボクシングにしかない魅力がありそうだ。
こうして見ると確かに惹かれるものがある。
だが自分がその舞台に飛び込むかどうかはまた別問題だ。
でも千里は少なからずボクシングに興味を持ち始めた。
うん、まだ入部するかは分からないが、明日も試合があるのよね?
なら明日も観に来よう。 そう決心する千里であった。
そして翌日の日曜日。
千里は昨日同様に関東大会の東京予選大会を観に行った。
会場は昨日と同様に帝陣東のボクシング部の練習場。
試合は十一時から始まった。
ちなみに席は昨日同様に何故か立波先生の隣。
どうやら先生も今日も観にきたようだ。 顧問も大変だな。
軽いクラスから試合が行われて、迎えた女子のライト級の決勝戦。
女子部員の二年生の美鶴先輩が決勝のリングに上がった。
試合は開始早々から一進一退の攻防が続いたが、
第二ラウンドに美鶴先輩が左ジャブカウンターで相手からダウンを奪った。
美鶴先輩はそのポイントを護りながら、
攻め手を緩めず、相手の体力をじわじわと左ジャブで奪っていく。
だが相手選手も最後まで食い下がり、勝負は判定に持ち込まれた。
結果は美鶴先輩の判定勝ち。 これで美鶴先輩は関東大会の出場権を得たようだ。
まあ実はこの大会がどういうものかは、よく分かってないのだが。
まあ関東大会というのだから、関東エリアで行われる大会なのであろう。
しかしリングで勝利の喜びに浸る美鶴先輩は本当に嬉しそうだった。
苦しい練習や減量に耐え抜いた上での勝利だ。 そりゃ嬉しいだろう。
自分もリングに上がれば、あんな顔で笑うことができるのだろうか?
ダンス部も楽しそうだけど、ああいう充足感とは無縁なような気がする。
とはいえどっちが上と比べられるもの類ではないとは思うが。
そしてその後も試合は順調に消化され、迎えた男子のウェルター級の決勝戦。
神凪拳人の試合である。
まだ一年生なのに決勝戦を戦うのだ。 すごいな、と感心する千里。
相手は目黒大付属高校の三年生の槙島。
見るからに強そうな感じだ。 槙島が神凪を睨む。
だが神凪は視線を合わせず、涼しい顔をしていた。
そしてレフェリーが試合前の注意をして、ゴングが鳴った。
それと同時に神凪は軽いフットワークでコーナーから飛び出した。
すると相手は足を使って距離を取った。 更に詰め寄る神凪。
「神凪く~ん、頑張って!」
「顔打たれないでね!」
と、観客席から黄色い声援が飛ぶ。
だが当の本人は涼しい表情で逃げる相手を追いかけた。
神凪は中間距離から左ジャブを連打。 相手はそれをブロックする。
そして更に前進する神凪。 その時、相手がいきなり右ストレートを放った。
千里は、あっ、これやばいんじゃ?と思った。
しかし神凪は軽い身のこなしで難なくと相手の右を外した。
そして逆に身体を捻って右拳を前へ突き出した。
それが顎にまともに命中して、
相手選手はすとんとキャンバスに尻もちをついた。
レフェリーがすぐにカウントを数えた。
倒れた相手はゆっくりと立ち上がり、レフェリーはカウント8まで数えた。
そして「ボックス!」と言って試合が再開された。
そこから神凪はじわりじわりと相手を追い詰めていく。
相手は苦し紛れに左ジャブを繰り出すが、華麗に躱す神凪。
迫力に満ちた攻撃力、そして華麗な防御テクニック。
この神凪拳人という少年は、
天から才能を与えられたボクサーのようだ。
最初千里はその容姿に惹かれていたが、
こうしてリングで戦う少年の姿を見て、
彼だけでなく、ボクシングという競技に惹かれつつあった。
本当に凄い。 あんな風に強いのってどんな気分なのだろうか。
自分も頑張れば、あんな風になれるのであろうか。
そして相手が右拳を前に突き出したが、
神凪は軽く躱して、逆に右ストレートを相手の顎に打ち込んだ。
すると相手は二度目のダウンを喫して、試合はそこで終了した。
1ラウンドRSC勝ち、タイムは五十八秒とアナウンスされて、会場が歓声に包まれた。
「神凪くーん、かっこいいわよ!」
「神凪くん、優勝おめでとう!」
だが当の本人は表情を変えることなく静かにリングから降りた。
その時、千里と神凪の視線が合った。
すると神凪はゆっくりと千里の方に歩いてきて――
「姫川さん、今日も観に来てくれたんだ」
「うん、神凪くん。 優勝おめでとう」
「ありがとう。 どう、ボクシングの試合は?」
すると千里はにっこりと笑いながらこう言った。
「うん、よく分からないけど、なんか感動したよ。 私、正式にボクシングに入部するよ」
「そう、まあわりと大変な競技だけど、頑張ってね!」
「うん!」
こうして千里は正式にボクシング部に入部することになった。
最初は単純に神凪拳人に惹かれて、
そして次第にボクシングという競技に惹かれの決断であった。
しかし後々思い返してみると、
この選択が彼女にとって幸せだったかどうか分からない。
だがこの時の本人は前向きな希望に満ち溢れていたのであった。