第二十六話 激闘
六月上旬。
関東大会の今年の試合会場は千葉県であった。
帝陣東高校ボクシング部は、試合会場である市立体育館の前で集合していた。
五人の部員が選手として大会にエントリーする。男子はライト級の主将・福山。
ウェルター級の拳人の二名に対して、女子はフライ級の二年生の横内、
バンタム級の千里、そして女子フェザー級の小金沢美鶴の三名を加えた計五人が出場する。
試合前の簡単な挨拶が終わり、検診と計量を終えた選手達は、更衣室で着替え試合に向けて準備する。 バンテージで拳を固め、ノーファールカップを装着して、試合用のシャツとトランクスを着る。 一回戦の結果はライト級の福山が判定勝ち、ウェルター級に拳人は1RでRSC勝ち。女子陣もフライ級の横内が判定勝ち、そしてバンタム級の千里は激しい打撃戦の末に3R1分40秒でRSC勝ち。フェザー級の美鶴が無難な判定勝ちを収めて、全員揃って二回戦へ勝ち進んだ。
翌日の二回戦も順調に試合が消化されていき、ライト級の福山は激しい打撃戦の末に判定負け。 ウェルター級の拳人は3R55秒でRSC勝ち、女子フライ級の横内は僅差の判定負けで涙を呑んだ。 そして女子バンタム級の千里は、一学年上の選手に序盤から激しく攻めてポイントでリードする。
中盤以降に打ち込まれたが、相打ちの左ジャブカウンターで相手を押し返し、その後は手数で攻めた。 勝負はそのまま判定に持ち込まれて、僅差で千里の判定勝ちという結果に終わった。
それに加えて美鶴も2R1分39秒RSC勝ちで、拳人、千里、美鶴の三人が決勝進出を果たした。 迎えた翌日の決勝戦。
「いいか、とにかく普段通り、練習でした通り戦え。パンチを良く見て、きっちりガードを固めて、手数を出すんだ。そうすれば結果は必ずついてくる!」
緊張感と重圧に包まれた千里に対して、柴木監督はそう叱咤激励する。
「はい!」
と千里は大きな返事をして、選手控え室で軽くウォームアップして迫る試合に向けて最終調整する。 すると同様に身体を温めていた美鶴が千里に声を掛けてきた。
「姫川さん、調子が良さそうね」
「はい! 絶好調ッス!」
「でも少し打たれすぎね。 女子の試合とは云え、パンチを貰いすぎるのは良くないわ。 あの相打ちの左ジャブカウンターは、アナタの武器の一つだけど、あまり連発しない方がいいわ」
「……はい、でも公式戦経験の浅い自分には、技術で勝つ能力が足りてないんですよ」
「まあそうだけど、あまり打たれないでね。 私達はボクサーである前に、女子なのよ」
「はい! ご忠告ありがとうございます!!」
そうこう会話をしているうちに、千里の出番を迎えた。
「よし、行くぞ!」と、気合を入れる柴木監督。
「はい!!」
千里は軽やかステップを踏みながらリングインする。
眩いライトに照らされた天井、青いリングのキャンバス。 対戦相手を応援する相手校の応援団。 ちらほらと見かける大学、プロボクシング関係者。
千里の対戦相手は駿河川高校の三年生亀崎。
全国大会の出場はないが、攻防のバランスが良く取れ良い選手だ。 相手と目が合う。 相手は少しだけ双眸を細めて、千里を睨む。千里も少しだけ睨み返す。
レフェリーの試合前の注意が終わると、カンッというゴングの音と共に両者が前へ出た。
千里は鋭くしなりのある左ジャブを繰り出す。
亀崎にパーリングで弾かれるが、そこから渾身の力で右ストレートを放つ。
亀崎のガードを強引にこじ開け、強烈な右が相手の顔面を捉えた。
身体をグラグラと揺らしながらも、亀崎は意地と根性で耐える。
そこから亀崎は左右のパンチを繰り出して、千里に襲い掛かる。
だが千里は冷静に相手のパンチを外す。
逆にがら空きになった亀崎の脇腹に強烈な左ボディブロウを打ち込んだ。
その衝撃で亀崎は苦悶の表情を浮かべて、口からマウスピースを覗かせる。
そこから千里は高速のワンツーパンチを繰り出して、亀崎の顔面に叩き込む。
強烈な衝撃音と共に亀崎は後ろによろめく。 だがすぐに体勢を戻す亀崎。
亀崎はポイントを巻き返そうと、小刻みな左ジャブを連打、連打、更に連打。
それが綺麗に千里の顔面に命中。 続けて左ジャブを連打する亀崎。
すると千里が亀崎の左ジャブを浴びながら、亀崎の顔面に左ジャブを叩きこんだ。
亀崎は一瞬動きを鈍らせたが、再度左ジャブを放つ。
それと同時に千里も相打ち覚悟で左ジャブを叩き込んだ。
綺麗に左拳が両者の顔面に命中する。
これは偶然ではない。 千里は狙って相打ちカウンターを打っているのだ。
肉を切らせて、骨を断つ、を地で行くように千里はジワジワと亀崎にプレッシャーをかける。
そこで第一ラウンド終了のゴングが鳴り、両者は自分のコーナーに戻った。
自分のコーナーに戻ってきた千里の顔は、結構腫れ上がっていた。
千里は呼吸を乱しながら、椅子にどっしりと座る。
「悪くないぞ、姫川。 だが相打ち狙いは少し控えた方がいい。 とりあえず次のラウンドは被弾を減らすんだ!」
「……は、はい!」
柴木監督の言葉に、千里は短く鋭利な声で返事する。
そこから嗽をして、マウスピースを口の中に入れてもらった。
カンッというゴングの音と共に両者が再びリングの中央に駆け寄る。
先に手を出したのは亀崎であった。
亀崎は相手の距離を測るように左ジャブの連打を放つ。
千里はそれをパーリングで綺麗に弾いた。
まだお互い射程園内に入ってない。
千里も綺麗なフォームから左ジャブを繰り出して、亀崎の顔面にヒットさせる。
亀崎も左ジャブを受けながら、態勢を崩さず牽制するように左ジャブを放つ。
左ジャブと左ジャブの応酬が繰り広げられる。
だが千里のジャブは空を切り、亀崎の左ジャブが的確に千里の鼻と顎を捉える。
左の差し合いは亀崎の方が勝った。
そして千里は徐々に左ジャブだけでなく、右も被弾し始めた。
そこから一ラウンドのように、左ジャブで相打ち覚悟で反撃するが、流れを押し戻す程にはいたらず、逆にスタンティングダウンを取られた。
レフェリーがカウントを取っている間、千里は軽く深呼吸した。
もう一度ダウンを取られたら、その時点で千里のRSC負けが確定する。
故にこのラウンドでは無理な打ち合いはできない。
ここは一度足を使って距離を取ろう、と千里は戦術を切り替えた。
だが亀崎としては、ここで倒して勝利を確実なものにしたい。
亀崎は身体を上下左右に揺らせてステップインして前へ出る。
それと同時に亀崎が体重を乗せた左ボディフックを打ち放った。
千里はそれを見越していたように、右腕でガードするが重い衝撃が走った。
ガード越しにも効くパンチ。
どうやら相手は倒しにきてるようだ、と思いながら足を使う千里。
そこから亀崎は至近距離で左右のワンツーパンチを連打する。
千里はガードやスウェイバック、ウィービングなどの防御テクニックを駆使して相手の攻撃を防いだ。 亀崎の重いパンチがガード越しに響く。
だが千里は怯まない。
焦らず冷静にパンチを目で追い、相手の表情を冷徹に観察する。
亀崎が懸命に放つパンチを紙一重で躱し、千里は左アッパーカットを繰り出した。
千里の左拳が亀崎の顎の先端を綺麗に捉える。
亀崎も予想外の角度からのパンチと衝撃に思わず腰を落としかけた。
――手応えがあった! ここは攻めるわ!
間隙を逃さまいと、千里は攻勢に出た。
左右のフック、ワンツーパンチ。左右のショートアッパーが面白いようにヒットする。
次第に亀崎の顔が腫れあがり、呼吸を乱す。
至近距離での激しい打ち合いが展開された。
亀崎も意地と根性で千里の切れのあるパンチを耐えながら、打ち返す。
千里は終始冷静でパンチを完全に見切りながら、的確に相手の急所を打ち込む。
「ラスト三十秒!」
両コーナーに陣取るセコンド陣がそう叫んだ。
それを待ちかねていたように、千里は一気に前へ出て相手と距離を詰める。
最初に右アッパーで顎を、次に左フックで相手の頭部を、止めに右を顔面に放つ。
ウェイトが乗った千里の右ストレートが鈍い衝撃と共に命中する。
それと亀崎に木村は顎を上げて口から、マウスピースを吐き出した。
そこでレフェリーがスタンティングダウンを取った。
千里は落ち着いた足取りでニュートラルコーナーへと向かった。
カウント8まで数えられて、試合が再開されたがすぐにラウンド終了のゴングが鳴った。
両者、自分のコーナーに戻り、椅子に腰掛けた。
千里の顔も腫れているが、亀崎も同様に腫れていた。
柴木監督はリングに上がり、椅子に座った千里に向かって、タオルを振って風を送る。
「ダウン取られた時は、焦ったがよくダウンを奪い返したな。 でも少し打たれすぎだぞ?」
「は、はい! でも技術じゃ相手に劣るので、気迫で打ち返すしかないです」
「姫川、あまり無理するなよ? お前はまだ二年生だ。 まだまだ先がある身だ!」
「でも勝ちたいです、目の前の戦いから逃げたくないんです!!」
そう言葉を交わしながら、柴木は千里の口から少し血のついたマウスピースを取り出した。
そして柴木が差し出した水の入ったビンで、千里は軽く嗽をして、大きな漏斗に水を吐いた。 それから柴木は綺麗に洗ったマウスピースを千里の口に入れた。
「セコンドアウト」とアナウンスされて、千里は椅子から立ち上がった。
――勝てそうね、ならばここで退けないわ。 次のラウンドで決める。
千里がそう決意を固めるなか、ゴングが鳴って第三ラウンドが始まろうとしてた。




