第二十五話 蘇る天才
五月中旬。 中間試験が終わり、部活が再開された。
千里は今回の中間試験はかなり頑張った。 何故かというと、結構前に両親にマネージャーではなく、選手としてボクシング部に所属していることがバレたからだ。 当然、両親は猛反対。
だが千里も一生懸命、自分が本気でボクシングしている、という事を熱弁した。
一週間くらい両親と口論になったが、最後は父親が折れる形で了承をもらった。
ただし学力が低下したら、すぐ退部するという条件付きであった。
だから千里も自主練や部活の時間以外は、勉強もかなり頑張った。
そのおかげか、今回はクラス全体で六位だった。 ちなみに拳人は九位。
最近は遅刻もせず、部活の練習も頑張っており、どうやら彼も立ち直ったようだ。
最近のボクシング部は、前にも増して活気があった。 部員全員が懸命に練習していた。
当面の目標は関東大会。 そして六月下旬にはインターハイ予選がある。
千里も関東大会に向けて、激しい練習をこなし、日に日に力を増していた。
最近ではスパーリングで、横内や美鶴相手でも良い勝負をするようになっていたが、結構パンチは貰っていたので、時々顔を晴らして授業を受けていたので、親友の真理にも少し引かれていた。 まあ女子が顔を晴らすのはやっぱNGよね。
でも今のあたしは心の底からボクシングを楽しんでいるから、気にしない!
そして放課後になり、部活の時間がやってきた。
「神凪くん、今日は部活出るの?」と、声を掛ける千里。
「いや俺は今日から時々、古巣の聖拳ジムで練習することにしたよ。 既に監督や立浪先生の許可は取っているよ」
「へえ、なんか古巣に出稽古かぁ~、なんか本格的だね!」
「うん、俺も少し思うことがあってね。 これからはもっと真剣にボクシングするよ」
「うん、その意気だよ! お互いに頑張ろう!」
「うん、じゃあ俺はジムへ行くよ。 姫川さんも頑張ってね!」
「任せなさい!」と、元気良く答える千里であった。
拳人は何度か電車に乗り換えて、JR飯田橋駅に辿り着いた。
JR飯田橋駅から歩く事、15分。 東京の名門ジムの一つである聖拳ジムに到着。
聖拳ジムは雑居ビルの一階から四階のフロアを借り、歴史のあるプロの名門ボクシングジムとして活動していた。
聖拳ジムはプロ加盟後、約六十年間、数多のプロボクサーを輩出したが、日本王者二十五人、東洋太平洋王者十三人、そして世界王者を八人生み出しており、日本でも一、二を争う名門ジムと評判が高い。
見た目は新しく、一階から二階がプロ選手及びプロ希望の練習生のトレーニング場、三階は一般会員や女性会員用のフィットネスジム。 四階は試合のDVDを観る視聴覚室及びメディア向けの応接室になっており、これ程の設備を誇るジムは日本では他に例を見ない。
拳人はビルの階段を登りながら、二階の前の扉へ足を進めた。
扉を引き開けて中に入ると、ジム内に流行の音楽が流れていた。
プロ及びプロ志望の練習生が汗を流していた。 拳人は二階の入り口で大きな声で挨拶した。
「こんにちわー!」
すると場内から「ちわっす!」という返事が帰ってきた。拳人はとりあえず靴を脱いで、更衣室へ向かおうとした。
その途中で、聖拳ジムのチーフトレーナーの松島に声を掛けられた。
「久しぶりだな、拳人」
「お久しぶりです、松島さん」
「ここで練習するってことは、本気でボクシングをやるつもりなんだな?」
と、松島が双眸を細めて拳人を凝視した。
まるで心のうちを見透かされるような鋭い目つきだった。
しかし拳人は臆することなく、「はい、またご指導お願いします」と、小さくお辞儀する。
「とりあえずさっさと着替えて来い!」
言われるがままに更衣室に向かい、素早く着替える拳人。
すると更衣室で世界王者の南条と遭遇した。
「よう、拳人。またここで練習するらしいな。少しは本気でボクシングをやる気になったか?」
「はい、心を入れ替えて頑張ります」
「そうか、ならいいよ。 ところで今日はお前一人で来たのか?」
「ええ、そうですが……」
「今のお前は高校の部活所属扱いだろ? こういう出稽古の場合、引率の先生とか必要なんじゃないのか?」
「いえ監督や顧問の先生の許可は取りましたので」
「そ、そうか。 でも時々は引率の先生も連れてくるべきだと思うぜ。 この出稽古も部活の一環だしな」
「そうですね、なら時々顧問の先生に来ていただくようにお願いします」
「ほ、本当か!?」
やたらテンションを上げる南条に戸惑う拳人は「え、ええ」とだけ答えた。
また南条にしても「立浪先生と一緒に来い!」とストレートに言えないので、こういう周りくどい言い回しになっていた。
そして拳人はジャージに着替えて、バンテージを素早く巻いて、ゆっくりと時間をかけて柔軟体操に入る。 それから拳人は鏡の前でシャドーボクシングを始める。 入念にフォームをチェックして、ただひたすら五ラウンド汗を流す。
すると松島が「拳人、ミット行くぞ」とリング上から声をかける。
汗をかきながら拳人は「はい!」とだけ答えてロープをまたぎリングに上がる。
「三ラウンド全力で来い!」
「はい!」
ゴングの音と共に拳人は左ジャブを繰り出し全力でミットを打つ。バシバシという小刻みな音が室内に響き渡る。
「よし、ワンツーだ。その次はワンツースリーで来い!」
松島の声と共に拳至は全力でワンツーパンチをミットに放つ。
拳人の右ストレートがミットに当たるとバシッ!という激しい衝撃音が響いた。
ミットを持つ松島もやや態勢を崩す。だが間髪入れず「いいぞ、もっと来い!」と叫ぶ。
ワンツー、ワンツースリー、ワンツーから左フックのダブル。左右のフックの連打。
左ボディから左フックのダブル。右ストレートから左フック、また右ストレートのコンビネーション。 様々なコンビネーションのパンチがリング上で繰り出された。
「ラスト三十秒!」
パンチをミットで受けながら、松島が大声で叫んだ。
このラスト三十秒が以上に長く感じるくらい拳人の肉体に容赦なく疲労が襲う。
だが拳人は拳を緩めない。むしろまだ余力があると言わんばかりに、凄まじい勢いでパンチをひたすらミットに打ち込んだ。
この激しい無酸素運動に耐えないとボクシングは出来ない。
だから辛くても手は止めない。拳人は力のある限りパンチを繰り出した。
ビーというラウンド終了を知らせるブザーが鳴り「よし、いい感じだぞ!」と松島が言い、「……ありがとうございました」とだけ言い拳人はリングを降りた。
「いい感じだったぞ。フォームもパンチも文句なしだ!」
「……あ、ありがとうございます」
「うむ、ようやく調子を取り戻したようだな。 だがこの間、お前に勝った御子柴はもっともっと強くなるぞ。 奴には西の名伯楽がついてるからな。 だから俺はお前をもっと厳しく指導するつもりだ。 ついて来る気はあるか?」
「はい!!」
「俺がお前の潜在能力を引き出してやる。 高校の大会ぐらいで満足するな! 目指すなら世界を目指せ!! その為には今まで以上にガンガン厳しく行くぞ、ぼやっとするな、バック打ちに移れ! その後でスパーだ!!」
「はい!!」
汗にまみれ、呼吸を乱しながらも拳人は休まずサンドバックを懸命に叩き始めた。
その姿を松島が眺めていると、傍に南条が近づいてきた。
「どうやら拳人の奴、完全にやる気、モチベーションを取り戻したみたいですね」
「ああ、だがそれは最低限の条件だ。俺は奴を本物ボクサーにしてやるつもりだ」
「東の名伯楽の本領発揮ですね」
「南条、お前も自分の練習をしろ!!」
「了解ッス!」
そう答えると南条もまたサンドバッグの前に立ち手を休めず叩き続ける。
すると周囲の練習生達も懸命にサンドバッグを叩き始めた。
そして拳人はその後のスパーリングでもプロの四回戦や六回戦相手に互角以上に渡り合った。 こうして拳人は蘇った。 松島はその姿を見て、僅かに口の端を持ち上げた。
――見ているか、拳。 お前の息子は蘇ったぞ。
――だが俺はこの程度では満足しない。 必ず拳人をお前以上のボクサーにしてやる!
――だからお前は天国から息子を見守っていてくれよ!




