第二十一話 因縁
翌日。
この日も検診と計量が行われ、男女全員無事にパスした。
それからいつものように、軽い階級から、試合が消化されていく。
そして迎えた男子ウェルター級の二回戦第一試合。 神凪拳人の試合が始まろうとしていた。 拳人の相手は東北代表の一年生・鮎沢。
一年生ながら、昨年のインターハイベスト16、国体ベスト8という結果を出している。
試合前の挨拶で鮎沢が睨んできたが、拳人は相手にせず軽くスルーした。
そしてゴングが鳴るなり、試合が開始された。
鮎沢がコーナーから勢い良く飛び出してきた。 拳人は鋭く放たれた鮎沢の左ジャブを綺麗に弾きながら、逆に左ジャブを相手の顔面に叩き込む。 基本的に鮎沢が追い、拳人が足を使うという展開になるが、拳人の左ジャブが的確に相手を捉えた。 強引に攻める鮎沢だが、拳人は無理に打ち合いはせず、地道にポイントを重ねる。
そしてそのまま最後まで逃げ切り、判定勝ちで準決勝に駒を進めた。
やや消化不良の試合だが、仲間の勝利に喜ぶ帝陣東のボクシング部一同。
だが遠くからこの試合を観ていた大阪の天景寺ジムの赤川会長は一言こう漏らした。
「なんちゅうつまらん試合や、あの小僧ますます駄目になってるわ」
その後の男子ウェルター級の二回戦第三試合で、関西代表の御子柴圭司が1R50秒RSC勝ち。 この結果により、拳人と御子柴は準決勝で三度、対戦することとなった。
翌日の準決勝。
準決勝ということもあり、観客に加えて大学やプロのジムのボクシング関係者の姿が目立った。 その中に聖拳ジムの世界王者・南条勇とチーフトレーナーの松島の姿もあった。
「おい、あれって世界チャンピオンの南条じゃない!?」
「あっ、本当だ。 一月に三度目の防衛した南条じゃん。 どうしてアマの試合を観に来てるんだ?」と、周囲の観客が騒ぎだす。
「勇、相変わらず人気者だな」
「俺は普通に拳人の試合が観たいだけなんですけどね。 ちょっと拳人の控え室を覗いてきますね」
南条がそう言うと、松島は「ああ」と頷いた。
松島は無表情で試合を観ていたが、不意に聞き覚えのある声が聴こえた。
「おい、松島」
「……赤川会長!」
気がつけば、背広姿の天景寺ジムの会長・赤川龍平が松島の近くに立っていた。
「なんや露骨に嫌そうな顔するなや! お前、そんなにワシが嫌いか?」
「いえ……生まれつきこういう顔なんですよ」
「まあええわ、聞きたいことは一つや! お前、あの小僧を指導してるんか?」
赤川の問いに「あの小僧?」と首を傾げる松島。
「あいつ……神凪拳の息子のことや!」
「ああ、それでしたら、あいつが高校入学した以降は指導してませんよ」
「そうなんか、でも安心したわ。 お前が指導してあの出来やったら幻滅もんやからな」
「……しかし赤川会長がわざわざ高校生の試合を観に来るとは意外ですね」
「御子柴圭司はワシが指導してるんや、ついで言えば圭司は、あの御子柴聖司の息子や!」
「えっ!?」と、松島は予想外の言葉に目を瞬かせた。
「驚いたか? まあどういう巡りあわせかしらんが、神凪と御子柴の息子が同世代でボクシングしてるのは、ある種の因縁やな」
「なる程、西の名伯楽と呼ばれる貴方がわざわざ高校生の試合に来る理由が分かりました」
「ワシはそんな称号どうでもええ。 ワシはただ単に強いボクサーを育てたいだけや!」
「……貴方らしい主張ですね」
「なあ、松島」
「……何でしょうか?」
すると赤川会長は何かを思い出すような表情でぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「もう二十年くらい前になるか。 神凪拳と聖司が世界を目指して、切磋琢磨してたのは……まあその神凪は交通事故死、しまらん最後や。 おまけに聖司は世界戦のリングで帰らぬ人となった」
「……私も未だに拳の最後には納得がいってません。 本当に惜しい男を亡くしました」
「ああ、ワシもや。 聖司がおらんようになってから、ワシもしばらく腑抜けになったわ。 あいつの嫁さんにも随分と責められたし、ワシ自身、罪の意識が今もある。 だが聖司の息子の圭司を指導することでワシ自身、生き返ったかのような気分になってるんや。 まあトレーナーとは因果な商売やのう」
「……ええ、本当にそう思います」
「とにかく今の状態では、あの小僧は圭司に勝てんわ。 今の圭司は復讐に燃えた狼やで!」
「……まあ私も今の拳人を褒める気にはなりませんね」
「まあそうやろな、ならお前があの小僧を鍛えてやれや! なんだかんだで素材としては悪くないからのう~」
「私は選手に強制して練習させる気はありません。 だからアイツが望むまでは指導する気はないです」
「お前らしい言い分やな。 まあでもいずれ指導したれや! 今のままじゃおもろないからのう~。 お前と久々に喋れて悪い気はせんかったわ。 じゃあのう、松島」
そう言い残すと、赤川は踵を返して、この場を去った。
松島はその後姿を見て、こう思った。
――赤川会長があの御子柴を指導したら、今の拳人じゃとても勝負にならないだろう。
――だがある意味それでいいのかもしれん。 負けた後に拳人が這い上がるか。
――それともそのままリングを降りるかは、ボクサー自身が決めることだ。
――俺達、トレーナーは選手を、ボクサーを鍛えることしかできんからな!
「あっ!? 南条さん、またわざわざ来てくれたのですか?」
控え室の椅子に腰掛けていた拳人がぱあっと表情を明るくさせた。
「よう、拳人。 調子はどうだ?」と、右手を軽く上げる南条。
「まあまあです」
「そうか、ならいいよ。 立浪先生、ちょっと一緒に来てもらえますか?」
「え? え? は、はい」と、戸惑い気味の静香。
すると二人は選手控え室を出て、人気のない所へ移動した。
「あ、あのう~、わたしになにか御用でしょうか?」
「このあいだの防衛戦に来て頂いたので、その御礼を!」
実は結構前から二人は、電話やラインで小まめに連絡を取っていた。
そして南条は一月の三度目の防衛戦の招待チケットを静香に送っていたのだ。 ちなみに試合は、南条が7位のメキシコ人ボクサー相手に7RKO勝ちという内容だった。
「い、いえいえ! わざわざチケットを送って頂き、有難うございました!」
と、ぺこりと頭を下げる静香。
「そんなに恐縮しないでください。 でも来て頂けて本当に嬉しかったです」
「私も世界戦を生観戦するのは、初めてだったのでとても興奮しました」
「……またチケットを送っても、宜しいでしょうか?」
「え、ええ、是非お願いします!」
「では自分はこれで失礼します!」
「あっ……神凪に激励はしないのですか?」と、呼び止める静香。
「いえ俺は拳人よりアナタに会いたいから、今日この場に来たので、ではまた連絡します」
「えっ、えっ? は、はい……」
そう言って南条は颯爽とこの場から去り、静香は少し呆けた表情でその背中を見据えていた。
――あ、あの人、本気なのかな?
――ま、まあ他の女性にも言ってそうだよね、普通にモテそうだし!
――で、でもわ、悪い気はしないね。 にはははっ!
と、ニヤニヤする静香を千里と美鶴が野次馬根性で盗み見していた。
「え? え? もしかして世界王者の南条さんが立波先生を口説いてるの!?」
「マジッスか!? というか南条って誰ッスか?」と、千里。
「馬鹿! ライト級の世界王者よ、神凪の先輩にあたる人でもあるわ!」
「ふむふむ、しかし南条さんは本気なんスかね?」
千里の質問に美鶴は両腕を組みながら、「う~ん」と唸った。
「どうだろう、あの人モテそうだし、でも本気なら面白いよね!」と、美鶴。
「オヤジ系美人教師と現役世界王者の禁断の愛ッスか!?」
「あんた、地味に失礼な例えをするわね。 まあいいわ、そろそろ神凪の試合が始まるわ」
「了解ッス、応援頑張りましょう!」
と、やや緊張感が欠ける関東代表の帝陣東側に対して、関西代表の大皇寺学園・御子柴陣営は燃えていた。
「御子柴、今日はあの神凪とのラバーマッチや! 今度こそ絶対勝てよ!」
と、葉っぱをかける大皇寺学園ボクシング部監督の竹島。
ちなみにラバーマッチとは、同一選手の三度目の戦いのことを指す。
すると御子柴は両手に嵌めた赤いグローブをこつりと合わせて、こう言った。
「ええ、分かってますわ。 俺はこの日の為に血反吐吐いてきたんですわ!
だから今日の試合は云うなら、復讐のラバーマッチですわ!」
「とにかく全力で戦え! ではそろそろリングへ向かうぞ!」
「はい!」




