第二十話 全国高等学校ボクシング選抜大会
三月下旬、全国高等学校ボクシング選抜大会、通称・選抜大会が開幕。
選抜の全国大会は高校三冠の一つであるが、三月開催の為に三年生は出場ができないので、大会の格としては、インターハイや国体よりは少し落ちるとの評価だ。
それに加えて高校からボクシングを始めた一年生は、「一年間は試合が出来ない」という制約があるので、実質二年生がメインの大会とも言えた。 とはいえ全国大会には違いない。
だから出場する選手にとっては、この大会も全力で戦うのみ。
帝陣東からは、一年生の男子ウェルター級の神凪拳人、二年生の女子ライト級の小金沢美鶴が出場する。 開催地は長野県だったが、学校の援助に加えて、東京都からの助成金も出たので、出場選手と監督の柴木、顧問の立波静香の分の交通費と宿泊費が出された。
大会期間は四日間なので、柴木と静香は最終日まで付きそう形だ。
また学校がバスを手配してくれたので、国体の時と同じようにボクシング部の部員も全員、バスに乗って応援に行く予定だ。
大体は他の大会と同じルールだが、この選抜大会においては、高校生でも一ラウンド三分で試合が行われる。 高校の男子ウェルター級は総勢十五名。 高校の女子ライト級は総勢八名。
関東代表の拳人は推薦選手扱いなので、シード扱いだが、美鶴は一回戦からの出場だ。
拳人は全部で四試合、美鶴は三試合勝てば優勝だ。 だが短い期間で連続して試合が行われるから、スタミナの配分や疲労やダメージを残さないことも重要である。
そして選手である拳人と美鶴は無事計量と検診を終えた。
「ああ~ようやく軽量パスしたわ。 でも正直減量がキツいわ」
右手で自分の腹を擦りながら、冗談っぽくそう言う美鶴。
「そう言えば美鶴先輩、けっこう身長伸びましたよね?」と、千里が訊いた。
「うん、三センチも伸びて今じゃ171センチよ、というか姫川さんも伸びたよね?」
「ええ、五センチ伸びて163になりました」
「けっこう伸びたわね」
「ええ、というか先輩、今はとりあえずこの大会に専念しましょうよ!」
「そうね。 まあ初の全国大会出し、当然全力を出すわ」
と、右手でサムズアップする美鶴。
「先輩、その意気ですよ! 大丈夫、先輩なら優勝できますよ」と、千里。
「ありがと、というか神凪も身長伸びたんじゃない?」
「え? ああ、はい。 この一年で三センチ伸びて、ジャスト180センチです」
拳人は急に話題を振られて、少し戸惑い気味にそう答えた。
「ふうん、それじゃ減量キツいでしょ?」と、美鶴。
「まあ、そうですね。 でもボクサーなら誰でも減量するものでしょ」
「あはは、違いない。 まあいいわ、とりあえず今日はわたしの試合を応援してね」
「はい、勿論です」と、爽やかに返す拳人。
そして男女共に軽い階級から、試合が行われて迎えた女子ライト級の一回戦第一試合。
美鶴の出番がやってきた。 美鶴の相手は関西代表の二年生の東城初音。 共に初めての全国大会だが、緊張気味の東城に対して美鶴は落ち着いた表情でリングインする。 レフェリーの試合前の注意が終わり、ゴングが鳴り試合が始まった。
美鶴は先手を打たんとばかりに、弾むようにコーナーから飛び出した。
そこから一気に距離を詰めて、左ジャブを連打、東城が戸惑いながらも、右手でパーリングする。 更に美鶴が左ジャブを連打、連打、それが東城の顔面にヒット。
美鶴はそれに合わせて、右ストレートを放った。 だが東城も落ち着いて、右を外した。
東城の放った左ボディフックが、美鶴の右脇腹を強打。 身体を九の字にする美鶴。
そして逆襲と云わんばかりに、今度は東城が左ジャブを五月雨のように連打した。
一発、二発と左ジャブが美鶴の顎を捉えた。 だが美鶴も左ジャブで打ち返す。
しかし東城は慌てず足を使い距離を取った。 そこからお互いに左の差し合いで牽制する。 決定打が出ないまま、第一ラウンドが終了。
両者、自分のコーナーに戻り、椅子に腰掛ける。
「美鶴先輩、調子いいよね!」
「うん、でも相手も強い、というか巧いね」千里の言葉にそう返す拳人。
「そう? でも手数なら美鶴先輩でしょ?」
「手数はね。 でもアマボクはヒットしたパンチが重要だからね」
「大丈夫、大丈夫! ここからが美鶴先輩の見せ場だよ!」
「あははは、姫川さんはポジティブだね」
千里の前向きな発言に、拳人も思わず苦笑いする。 そしてゴングが鳴り、第二ラウンドが開始。 一ラウンド同様にコーナーから飛び出す美鶴。 対する東城はゆっくりとし た足取りでリング中央に向かう。 美鶴はすかさず左ジャブを連打。 だが東城は慌てず、右手で左ジャブを払い、逆に左ジャブで反撃。 先程のように左の差し合い勝負になるが、リーチ差で勝る東城の左ジャブが徐々に美鶴に命中。
試合の展開がいつの間にか、リーチ差を生かした東城が小刻みにポイントを稼いでいく。
東城は無理な打ち合いはせず、的確に左ジャブをヒットさせて、時折右ストレートを放つというシンプルな戦い方だ。 美鶴もなんとか接近戦に持ち込もうとするが、東城はクリンチやフットワークを駆使して、接近戦を避けた。 そしてやや消化不良のまま、第二ラウンドが終了。
自分のコーナーに戻った美鶴は、肩で呼吸していたが、東城は余裕の表情で椅子に腰掛けていた。 拳人が先程指摘したように強い、というより巧い選手だ、と千里も思った。 最終ラウンドである第三ラウンドが始まった。
美鶴は闘志を奮い立たせて、東城の周囲を回りながら左ジャブを連打。 だが東城は上体を振って左ジャブを回避。 逆に東城が前に出て、左でボディを打ち、右で美鶴の顔面に速いパンチを当てた。 美鶴が打ち返した時には、足を使って距離を取り、射程圏外に逃れていた。 似たような展開が続くが、美鶴はなかなかチャンスを掴むことができない。
「う~、打っては逃げ、打っては逃げでなかなか捕まえられないね」
「ヒット&アウェイ戦法だね。 アマボクでは有効な戦術の一つだよ」と、拳人。
「あ、それ聞いたことがある。 でも少し卑怯な戦法じゃない?」
「いやいや立派な戦術の一つだよ。 アマでもプロでもよく使われるよ」
「でもなんか釈然としないわ!」
一人にぷりぷりする千里の言葉に、拳人は苦笑しながら両肩を竦めた。
そしてラスト一分を切り、両コーナーから「ラスト一分!」という掛け声が飛んだ。
すると美鶴は余力を振り絞って、果敢に前へ出た。
相手がジャブを打ったら、ヘッドスリップで交わし、逆にカウンター気味に左ジャブを当てた。 そこからワンツーを主体に猛攻に出る美鶴。 東城はガードを固めるが、美鶴はガードの上から強引にパンチを叩きつける。 その強引なパンチで東城のガードが一瞬空いた。
美鶴はそこから渾身の右ストレートを打ち込んだ。
美鶴の右拳が東城の顎の先端に命中して、腰からがくんと落ちた。
レフェリーがカウントを8まで数える前に、東城は立ち上がって、ファイティングポーズを取った。 そしてレフェリーは東城の表情を確認すると、「ボックス!」と叫んだ。
その時、3ラウンド終了のゴングが鳴った。 そして両者は一礼してから、自分のコーナーに戻った。 美鶴はマウスピースを外して、やや苦しそうに小刻みに呼吸していた。
しばらくして、両者がレフェリーに呼ばれ、リング中央に向かう。
そして女性の声でこうアナウンスされた。
「ただ今の試合、勝者! 赤コーナーの東城さん!」
それと同時に帝陣東の応援席から「ああ~」という溜息が漏れた。
だがリング上の美鶴は堂々とした表情で、リング場でお辞儀していた。
残念な結果に終わったが、清々しい敗者の姿に感銘を受けた千里。
美鶴がリングを降りる時に、観客席から拍手が聞こえた。
「う~ん、ダウン取ったのに残念。 でも美鶴先輩、カッコいいね!」
「まあアマボクの場合はダウンも一ポイント扱いだからね。 でも姫川さんの言うように。小金沢先輩はカッコいいね!」
「うん、だから神凪くん! 後は君に任せたから、必ず優勝してね!」
「必ずと言われると、困るけど全力を尽くすよ!」
「駄目、絶対に優勝して、だってアナタは天才なんだから! そしてウチの希望なのよ」
千里の言葉にやや戸惑いながらも、拳人は何故か嫌な気はしなかった。
むしろ少し嬉しかった。
――姫川さんはなんというか純真だな
――だからこういう無茶な要求も不思議と嫌な気がしない。
――あまり意識したことがないが、オレも全力を出して優勝を狙ってみるか。
と、珍しく胸に闘志を宿らせる拳人であった。




