21-1.眠り粉
僕だったら眠りたくなるよ。眠ったまま、朝がこなければいいと思う
異変に気づいたのは、森の入り口へ帰り着いてすぐだった。
テントの群れの向こうで、大人達が固まりじっと木組みの家の前で立っていた。ラタの家の前だ。何をするでもなく、ある者は額に手をやり、ある者は両手をきつく握り締めている。
ドキリとした。そのしぐさは、よく見掛るものだった。
何かしてやりたいけれど、何もしてやれないとき。近づくことも離れることもためらわれるとき――覚めない眠りについた者を見送るときのしぐさ。
頭より先に足が動いた。ウィルはエヴィーから飛び降り、ラタの家に向かい走った。
扉を開け、白い服の男が飛び出てきた。ビリー・ヒルだ。誰がそこにいるかも確かめず、血走った目で怒鳴った。
「誰か、俺の家にこれを!」
メモをかかげ、手近にいた老人の胸に突き付けた。わしじゃ走れない、と口ごもる老人の横から、ウィルはメモを引ったくった。
「俺が行きます! なんですか、これ?」
ビリー・ヒルは手早く指示を出した。
「俺の家に届けて、ここに書いてある品をもらって来い。急げ。ただし、貴重な薬壜もあるからな、急ぎすぎて割るなよ」
人垣を抜け、ホイッスルを吹いた。村の中でエヴィーに乗ったことはない、が、今は別だ。とてつもなく悪いことが起こっていることだけは、わかる。駆け寄ってきたエヴィーに飛び乗り、間髪要れずにホイッスルを吹く。全速で走れ!
ビリー・ヒルの家はあっという間だった。ノックもせず扉を開け飛びこんだ部屋に、エマおばさんが驚いた顔で突っ立っていた。白衣を着て、洗い物らしいシーツをたっぷり抱えている。ウィルが知らなかっただけで、彼女の仕事はここの手伝いだったらしい。
「おや、ウィリアム! いつ帰って来たんだい? 聞いとくれ、大変なことがおこったんだよ――」
「後で聞きます! これをください。ビリーさんの指示です」
エマおばさんはきゅっと口を結びメモにさっと目を通すと、驚くほどの俊敏さで準備を整えた。戸棚を慣れた手つきで開け、トレイに薬壜と器具を並べメモをもう一度点検し、壜が割れないようタオルを挟みながら用意した物を皮袋に詰める。その間、ひとことも口をきかなかった。ウィルの不安は加速した。
「さ、早く!」
皮袋を受け取り、再びエヴィーに飛び乗る。ラタの家に向かって駆ける。そうだ、予感がする。アリータじゃない、ラタのほうだ。この不安の行く先は。
はたして彼女の家の前では、アリータが立ち手を振っていた。髪はくしゃくしゃ、顔は腫れているが、ビリーの世話になりそうな様子ではない。
エヴィーから降りるのももどかしく手渡した皮袋を抱き、アリータは家の中へ飛び込んだ。開け放した扉の向こうから、ひどい音が聞こえてくる。嘔吐と咳と悲鳴とがいっしょになった、悲痛な声。ビリーが何かを怒鳴っている。これを飲めとか、じっとしていろとか。
ウィルは耳をふさいだ。聞きたくない、聞いてはいけない――
はっと気づき慌てて扉を閉めた。あたりを見回す。先ほどまで群れていた大人達は一人もいなかった。帰ってくれとアリータが頼んだのだろうか。そんな気がする。
しばらくして、我を忘れていた意識が、自分に戻ってきた。俺は……どうしよう? ここにいたほうがいいのか、いないほうがいいのか。さっきみたいなことがあるなら、残っていたほうがいいだろうか。
エヴィーの手綱を手の中でぐるぐる巻いたり伸ばしたりしながらそうやって長いこと惑い、さすがにもう用はないだろうかと思い始めたとき、扉が開いた。
「あ……ウィリアム、まだいてくれたのね。ありがとう」
アリータだ。泣いた跡が頬にたくさん残っている。それを拭いもせず、彼女は静かに言った。
「もう一度、頼んでもいいかしら。学校に行って、ママ先生を呼んできてくれない?」
「すぐ行きます」
エヴィーに飛び乗ろうとすると、止められた。
「いいのよ。村の中をパルヴィスで走ったりしたら、何事かと思われるわ」
「でも」
思わず振り返った扉の向こうは、しんとしていた。ラタの声もビリーの声も、何も聞こえない。
アリータは、えへへ、と笑った。その拍子に、新しい涙がぽろっと落ちた。
「大丈夫。もう落ち着いたから、慌てなくていいの。ママ先生に、ラタが来て欲しいと言ってるって、伝えて。そう言えば来てくれるわ」
エヴィーを先に帰してあげて、とアリータに言われたこともあり、ウィルはエヴィーを引いていったん自分のテントに戻った。ひょっとしてとテントの中をのぞいて見たが、ハルはいない。仕事に出かけたのだろう。
エヴィーを小屋に入れた後、学校へ向かった。
歩きながら、頭がだんだん冷めていく。と同時に、状況が呑み込めてきた。ビリー・ヒルの剣幕とアリータの取り乱しようから、ラタが危険な状態であったことは一瞬で把握していたけれど、それは病気か何かだと思っていた。だが、違うようだ。病気じゃなく、もっと突発的なこと、それも、ラタ自身が選んで招いたことじゃないのか……?
ママ先生が言っていた。『いま彼女は、自分を傷つける自分自身を止められずに、苦しんでいる』――




