17-5.秘密
「ハルが、俺に嘘をついているんです」
「嘘?」
「先生が来た日、なにか特別なことを話し合ったはずなのに、俺には言わないんだ」
「そうする理由があるのでしょう」
「俺も言いました。話したくないならいい、それなら話せない理由を言えよって。けど、断わられた」
「だから、私に聞くのですか」
「俺だってハルから直接聞きたいです。でも、あいつは言わない。きっと絶対に言わないだろう。そういう奴だってことは俺が一番よく知ってる」
「だったら、そのままのハルを受け止めてあげなさい」
「どうして。俺はハルに嘘なんかつかない!」
マリーが小さく、ため息をついた。
「ウィリアム、『嘘』と『黙っていること』とは違うわよ。似たようなものだけれど、でもそのちょっとの違いが、お互いの気持ちをつなぎとめることがある。だから、むやみに相手を嘘つき呼ばわりしてはいけません」
マリーは子どもを諭すように言ったが、ウィルの苛立ちはおさまらなかった。それどころか、ますます募った。
結局、ママも、ハルと二人して、自分をはぐらかすつもりなんだ。そう思った。なぜ、俺には話してくれないんだ、俺が頼りないからか? ハルのほうが頼りになるからか? そうなのか?
そうだ、これだ。はっきりと自覚した。ハルが内緒ごとを作るのも、その相手が俺じゃないのも、まだ我慢できる。けど、これだけは――俺がハルより頼りないから除け者にされるだなんて、それだけは、我慢できないんだ。
マリーは胸の前で、手を握り合わせて言った。
「あなたたちは兄弟同然に育ってきた、だからお互いのことを全部知っていて当然だと思うのでしょうね。けれど、いつかは、誰だって、自分だけの秘密をもつようになるの。あなたたちはそういう歳になったのよ。こう考えることはできせんか?」
違う。ウィルは思った。
もしハルが自分ひとりでかかえている秘密なら、まだいい。自分にだって、ハルにすら知られたくない感情や考えは、ある。けれど、ハルが隠しているのはハル自身のことじゃない。さらに、その秘密を知っているのは、ハルだけじゃない。ただ俺ひとり、秘密を隠されているんだ。みんなで示し合わせて。
「先生、それは先生も、俺には言わないってことですね」
固い声で言った。
「あの日、俺は先生に聞いた。何しにわざわざ来たんですかって。先生ははぐらかした。背の話をして。そのときは、はぐらかされたなんて気づかなかったけど、ハルにもはぐらかされて、やっとわかった。二人とも俺に同じ嘘をついている」
嘘という言葉をくりかえしながら、ウィルは思った。そうだ、嘘をついている。もう気づいてしまった自分に、たいした話をしていないと言い張るハルも、ママも、嘘をついている。
「俺はハルのことなら、なんでも知ってる。だから、わかるんです。あいつは自分自身のことで俺に隠しごとなんてしない。だから、これはハルのことじゃないんだ。先生はハルにならする話を、俺にはしないんですね。それは俺が――」
「ウィリアム、どうしても知りたいのですか」
マリーが遮った。
「あなたを傷つけようとして、黙っていたわけではありません。あなたは大きな使命を担っているし、負担をかけたくなかったの。けれど、そこまで思い悩むなら言いましょう。ただし、」
マリーは握り合わせた手をほどき、ウィルの腕に添えた。
「この話を、誰にも言ってはいけない。そして、あなたの力を貸して欲しいの。約束できますか」
「約束?」
「そうよ。できないなら、あなたに話すことはありません。冷たいと思うかもしれないけれど、私はあなたに失望したくない。約束してちょうだい」
すぐに返事をできなかった。
こう改まって詰め寄られると、本当に俺はここまでして聞きたいのだろうかという気がしてきた。秘密がなにかは、知りたいけれど、関わりたいわけでは――
「俺、誰にも言いはしません」
「そう、そしてあなたも協力してくれますね?」
「協力って何をすればいいんですか」
「何をとは決まっていないの。あなたにできることを自分で考えて、実行してほしいということよ」
ウィルは一度口をつぐんだ。マリーの緑のロープタイを見つめ、それからうなずいた。
「はい」
ふいにマリーの両手が、ぴしゃりとウィルの頬を挟み込んだ
「ウィリアム、私の目を見て返事をなさい」
優しいなかにも抗らえない強さで言った。
「さっきから下ばかり向いて。顔をしゃんと上げなさい」
叱られてウィルは、おずおずと顔を上げた。マリーは微笑んでいた。
「いいですか」
もう一度、もっと深く、うなずいた。
「では言いましょう。ハルにした話はね、ラタのこと」
「ラタ?」
ラタ? ウィルはぽかんとした。予想外の名前を聞いて。
「そう。私一人では限界がある。だからハルにお願いしました。彼女のことを気にかけて、力になってあげてくださいと」
「ラタに何があるっていうんですか。あいつ、いつでも自分のしたいことを、したいようにやってる。仕事に就くわけでもないし、人の迷惑もおかまいなしに周りを振り回して――」
言っているうちに、マリーの目がはっきりと険しくなっていった。手を降ろし、寂しげな顔をした。
「あなたは、彼女のことをそう思っているのね」
「俺だけじゃないです」
「みながラタをどう思っているか、私も知っています。でも私は、学校のなかでことさらにラタを庇ったり、みんなにお説教をしなかった。そんなことをしても、どちらにとっても良くないから。それに、時間をかけてラタ自身が解決できると思っていたから」
「なら、どうして今になって」
「私が思う以上に、ラタの傷が深かった。いま彼女は、自分を傷つける自分自身を止められずに、苦しんでいる。そんなときに必要なのは、ものわかりのいいママではなく、同じ年頃の友人なの」
ウィルは聞きながら、白い霧に包まれる気がした。マリーの話は、はっきりしているようで実は漠然としていた。つまるところ、ラタは何を悩んでいるっていうんだ? みんなから相手にされないことか? 自分の性格を直せばすむことだろう? それを、誰かに助けてほしいなんて。
ウィルは軽いため息をついた。たしかに『秘密』かもしれないれど、ここまでもったいぶる話だったんだろうか。
「先生、この話は誰にもしません。でも、ラタの性格をなんとかしろっていうなら、俺にはできることが――」
ありません、と言いかけて、マリーの目とあった。彼女がすでに失望しかけているのがわかった。ウィルは急いで言葉を探した。
「――考えつきません」
マリーはほっと息をもらした。
「ハルも同じ返事でした。でも、それでいいのよ。考えてできることではないのだから。ラタだって、あからさまに同情されたところで、もっと傷ついてしまうわ。ただ、これから彼女と話すときに、いま言ったことを心のすみに置いておいてね」
「そんなことで、あいつ、変わるかな」
ウィルの頬を、マリーは手を伸ばし、あたたかくピシャピシャと叩いた。
「少なくとも、あなたは変わりますよ、ウィリアム。ラタが変わるとしたら、その後ね」




