15-4.空へ
ソディックは数値の精度を上げたいと言い置き、計測と計算に没頭しはじめた。
ウィルはここぞとばかり、レンズ付きの器具を借りて目に当てた。森の姿、とくに、東方面と川向こうの様子を見ておきたい。
まずはサムのルート起点に狙いを定める。バーキン草原の東部から薮地帯へ、東北に進んで大河の中流域に到達し、さらに東へ。川幅はしだいに細く枝分かれしていき、木々の蔭に隠れてしまった。あの辺りまで行けば、渡れるだろう。
顔を向ける確度を少しずつ変えながら、森を丹念に観察した。見えるものは木々の梢ばかりだが、全然飽きない。
そうやって、時間を忘れていたとき、ふいに後ろから肩を突つかれた。
「ウィル、ちょっと相談があるんだけど」
ネイシャンだ。やけに真面目な顔をしている。
なんですか、と尋ねると、彼女は言いにくそうに耳を掻いていたが、とうとう話しはじめた。
「実は、お願い、というか、そうできたらいいなあという希望なんだけど……あなた、ロックのマスターになる気はない?」
「ロック? ロックダムのことですか!?」
ウィルの大声に、ソディックが手を止め眉を寄せた。
ロックダムは凶悪な竜だ。どう凶悪かといえば、あのグレズリーですら手を焼き、彼の小屋から遠く離れた場所で、子ども達が近づかないよう高い柵の中に隔離されているくらいだ。誰彼かまわず吼えかかり、首や尾を振り上げ威嚇してくる。
四年ほど前から、子ども達の騎乗試験はロックを使うことになっていた。ロックに餌をたっぷり食べさせた後、一番機嫌のいいころあいを見計らい、大人が数人待機しなければ、近寄ることも難しい。マカフィが人目を盗んででもエヴィーで試験したがったことも、いたしかたない。そういう竜だ。
「ロックに乗るなんて、俺にできるかどうか」
深く考えないまま答えた。するとソディックが淡々と言った。
「竜使いは、竜を選ばない。竜から選ばれることはあっても」
「そのとおりよ」
ネイシャンは勢いづいた。
「あの仔は気の毒な竜なの。狭い柵につながれて、乗り手もいない、仕事もないまま、何年も放っておかれて。パルヴィスなのに。荒れて当然なのよ。考えてみなさい、もし自分が同じ目にあったら、どんな気持ちか」
「そもそも、乗り手もいないのになんでロックを孵したんですか」
ウィルは質問した。
グレズリーは純血パルヴィスの卵を必要なときがくるまで絶対に孵さなかった。それはきっと、乗り手のいないパルヴィス竜がどんなに惨めか、彼は知っているからだ。だとしたら、ロックが孵された理由は?
ネイシャンが目を伏せた。
「そのときの事情があったのよ。聞かないで」
ウィルは一瞬、ネイシャンのために孵したのかと考えた。が、歳が合わない――そしてすぐ、ピンときた。
マカフィだ。大人達は、彼なら必ず試験にパスすると思ったのだ。ガランもそう判断した。そこでグレズリーに、試験に先立ち、新しい竜を孵すよう指示したのだろう。
しかし自分には、エヴィーとシーサがいる。
「先生、気持ちはわかるけど……俺、新しい竜をもらうことになっています。この前、孵ったばかりのパルヴィスを。だからロックのマスターにはなれない。悪いけど」
「わかった、マスターとは言わない。ときどきでいい、乗ってあげて。あなたしか頼める人がいないの」
ネイシャンは食い下がった。彼女の言葉に、竜に対する愛情が滲んでいた。
ふと、幼竜のロックダムを空想した。実際に見たことはないけれど。
ロックも小さい頃は、走ることが嬉しくてたまらないというふうに、無茶苦茶に駆けずり回ったのだろうか。今日の子ども達みたいに。シーサみたいに。
ウィルは首を斜めに振った。
「うーん、ときどきでいいなら。たぶん」
ネイシャンが、ぱっと顔を輝かせた。本当に!良かった!と喜ぶその姿が、キディと重なる。――どうしてそんな無責任なこと言うの?というラタの言葉が、頭を横ぎった。違う、今度は無責任じゃない、ちゃんと考えておくから――
やりとりを聞き流していたソディックが、メモ紙をしまい、計測器をパチンと折りたたんだ。
「完了」
「終わった? じゃ、そろそろ降りましょうか」
ネイシャンが言って、金属筒のハンドルを回した。青い炎がスッと消える。ゴォーっと続いていた音が急に止み、風の音ばかりが騒がしく残った。
彼女は気球から垂れ下がっているロープを軽く引いた。真下から見ると、気球布の中ほどに小さな窓穴がある。ロープを引くことで、窓穴をふさいでいたシャッターが位置をずらし、熱気を外へ逃がすらしい。
ずっと自分達を支えていた力がふっと抜け、わずかな墜落感が、足元から湧いてきた。
もう帰るんですか、と不満を漏らすウィルに、ソディックが下を指差した。
つられて斜め下を見降ろし、あれ?と首を傾げた。
真下にあったはずのカピタルの集落が、いつの間にか斜め下に移っている。気球は、カピタルよりずっと南、砂漠地帯の上を飛んでいたのだった。絶え間なく吹く風に、流されて。
ネイシャンが言った。
「のんびりしてたら、村に着くのが夜になってしまうわ。歩いて帰るんだから」
見れば、二頭のオーエディエン竜と数人の人影が、砂漠にポツンと浮いている。この気球を積んで帰るため、村を出発したのだろう。
下に着いたら、彼らの到着を待って、気球を片付けて、村に帰るのか。歩きだと、村に帰り着くのは夕方だろうか。エヴィーに乗れば、たいした距離じゃないのに……
「歩くのかぁ」
ぼやいたウィルを、ネイシャンが小突いた。
「生意気言わないの。あなただって、ついこの間まで、自分の足で歩くことしか知らなかったでしょう」
その通りだ。竜に乗って走る、という感覚は、自分しか知らない。その自分だって、数ヶ月前まで、みんなと変わらなかった。レオン・セルゲイを除いては。
ウィルは改めて目を砂漠へと向けた。どこまでも続く、黄色い大地へと。
森は、確かに広い。しかし、延々とカピタルが放浪した砂漠は、もっともっと、比べものにならない広さだった。広いだけで、なんの取り柄も無かった。こんな場所を、自分たちはずっとずっと歩いてきたのだ。ほんの一年前まで。
カピタルを振り返る。高度が下がり、村人達の立ち振る舞いが見えてきた。




