10-2.‘やつ’の名
「こんばんは。入っていい?」
言いながら、もう入りかけたラタへ、
「いやだね」
「どうぞ」
二人同時に返事をした。ラタは自分に都合のいい返事を採用した。
「ありがとう。じゃあハルの横に座ろうかな」
椅子を取ってこようと腰を浮かしたハルに、ラタは自分で取るからいいと言って、ウィルの横に空いていた椅子を、わざわざハルの横に据えつけ座った。
「なにしに来たんだ」
ぶっきらぼうに言うウィルに、ラタも負けてはいない。
「べつに、ウィルの顔を見たくて来たんじゃないわよ。姉さんから言付かってきたの」
「なにを?」
「銃はうまく使えたか、って。返事をもらって来いって言われたの」
「なんで本人が聞きに来ないのさ」
ハルが口を挟んだ。
「知らない。なによ、わたしじゃ不満なわけ?」
「不満じゃないよ。僕はね」
ハルはにやっと笑ってウィルの顔を見た。ウィルの顔は渋い。ラタはかまわず急っついた。
「で、どうなの?」
「今日は銃は使わなかった。使ったときは、俺から報告しに行く。わざわざ来なくていい」
「あらそう。ところで、今日はあんまり成果がなかったみたいねえ?」
ウィルは露骨に顔を歪めた。ラタが、ちょっと気まずい顔をするくらいに。ハルがまあまあと取りなすように手を揺らした。
「成果はあったよ、ラタ。ただ、ウィルの任務がどれほど大変か、改めて感じた一日だった、てこと。ところで、どうしてそう思ったの?」
「だってあなたたち、わたしが入ってきたとき二人して腕組みしてたじゃない。しばらく黙り込んでたみたいだし」
「そっか」
納得したハルに、ラタは続けた。
「ねえ、つまりは、なにか問題があったんでしょう? しかも、銃を使えばすむようなことじゃなくて、もっとナイーブな問題があるわけよね? なにがあったの? 教えてくれないの?」
「うるさいな」
むすっとしたウィルに、ラタは言い返した。
「わたしはハルに聞いてるの」
「僕からも話さないよ。ウィルが話したくないことは」
ハルが穏やかに言うと、ラタは目を吊り上げた。
「なあに、あなたたち、感じ悪いわねえ! 教えてくれたっていいでしょ。だいたい、森でどんなことがあったのか、これは誰だって知る権利があるのよ。ウィルには話す義務があるのよ」
「義務だって?」
ウィルの声が高くなる。ラタはひるまない。「だってそうでしょう――」
珍しくハルが硬い口調で言った。
「ラタ。ウィルは、みんなにとって必要なことは必ず話すよ。でもそれは、義務だからなんかじゃない」
さすがにラタも黙った。けれどまだ、下を向いて爪をはじきながら、ぶつぶつと独り言のように言った。
「なによ。みんなウィルの話を聞きたいと思ってるのよ。当然じゃない。それを、あなたたちだけでコソコソ二人占めするなんて、ずるいわよ。そう言いたかっただけ」
最後のほうには、なんだか可愛らしい響きがあった。ハルは頬をゆるめ、まだむっつり顔を歪めているウィルに言った。
「ウィル、ちょっとくらい、話してあげたら? たぶん、これからもいろんな人に同じことを聞かれるんだからさ。ラタ一人に話しておいたほうが、かえって楽だと思うけど。ラタ、そのかわり、みんなに話を聞かせてあげてね」
ウィルはおもわず腕組みをといて笑いだした。
「なるほどね」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「じゃあまあ、かいつまんで……」
「わたしは伝言板じゃないわよ!」
「なら、報告はガランにしておく。お前にはしない」
「お前なんて呼ばないでよ!……って、わかったわよ、もう」
ラタもとうとう笑いだした。
「もう、お前よばわりでもなんでもいいわよ……、教えてよ」
そう最後に言って、ついにおとなしくなった。
ウィルはかいつまんで、森の中の様子やエヴィーの調子を話した。途中で、得体の知れない‘やつ'に出会った話も。ただ、それで不安になっただの拒絶された気がしただのという話は、きれいさっぱり抜いておいた。
ラタはその話を、まばたきも惜しむ熱心さで聞いていた。
「ふうううううん」
話し終わると、感心しきってため息をもらした。
「すごいのねえ、わたしも見てみたい。ウィルだけ見ることができるなんて、悔しいわ」
「ウィルがじゅうぶん調べたら、僕たちだって森に入ることになるさ」
ハルが言った。たしかにそのとおりで、それこそがウィルの任務なのだ。カピタルじゅうの人間が、自分達の住まいとして、森に移ることができるかどうかを調べているのだから。
「ねえ、そういえば」
ラタが思いだしたように言った。
「さっき言っていた、耳が三角の獣って、何なの?」
ウィルは呆れて言った。
「知ってるわけないだろ。初めて見るんだから」
「本に載ってないかしら」
「ないと思うよ」
これはハルが返した。竜好きのほうが目立っているが、ハルは無類の本好きでもある。自分に読めそうなものは、全部読み尽くしていた。
カピタルにある本には、いろいろなものがある。首都から、小説も歴史書も実用書も、かなりの数を持ち出してきてある。けれどそのどれを取っても、動物や植物のことはまったく載っていなかった。つまりそれほどに、人間以外の生物は首都の長い歴史のごく初期の段階で消え去ったということだ。ただひとつ、『図鑑』と呼ばれる本には、はるか古代の遺物として様々な生き物が陳列されているらしいが、カピタルに『図鑑』は一冊もなかった。人間以外に本に登場する生き物は、飼育法などといっしょに記述された竜だけだった。
「ハルがないって言うなら、ないのね。でも‘やつ'って呼んでても不便じゃない。ウィルにはわかるかもしれないけど、聞いてるほうはこんがらがるわ」
ラタは力をこめて言った。
「『今日また‘やつ'を見たと思ったら‘やつ'に似てたけどそうじゃなくって‘あいつ'』だった、なんて言われたらややこしいわよ。だいいち、そんな報告、ガランに聞かせられる?」
「たしかに、報告には向かないな」
ウィルが納得すると、ラタは意外なアイデアを目を輝かせて言った。
「ねえねえ、いっそのこと、名前をつけちゃったらどう?」
「は? 俺が?」
「べつに誰だっていいけど。でも、ウィルが見たんだから、見た感じでつけちゃえば?」
「僕もいい案だと思うよ」
ハルが賛成した。
「ウィルが初めて見つけたんだから、名前をつけたらそれが‘やつ'の名前になるよ。エヴィーとかハルとかいう名前じゃなくて、パルヴィスとかオーエディエンとか、『種』の名前をつけよう、って意味だよね、ラタ?」
「そうそう」
「うーん、そう言われても」
さすがにウィルは戸惑った。たとえばこれが、生まれた仔竜に名前をつけろというならまだいい。しかし『種』そのものに命名しろと、急に言われても。
「なんで思いつかないのよ。パパっと決めればいいじゃない。アリクロアレクスとかパミニドンとか」
「……そういう感じじゃないな」
ラタはプウッと頬をふくらませた。
「悪かったわね。だったら、自分で考えなさい」
そう言って、つまらなさそうに横を向いた。
そんな彼女を見て、ウィルはあることを思い出した。
「そういえばお前、先生の所へ行ってるんだって?」
「学校のこと? ときどき行ってるわよ」
「そうじゃなくて。ネイシャンのテントへさ。なにしに行ってるんだ?」
ラタは目に見えて慌てた。なんで知ってるの?と言ったあと、行ってないわよ、とつじつまの合わないことを言い、自分でそれに気がついて首をぶんぶん振った。
「なんでもないの。たいしたことじゃ、ないわ」
「だったら教えろよ」
「べつに、ウィルに教える義務はないわよ!」
ラタは怒鳴った。ハルが間に入った。
「ラタ、話せない理由があるなら、無理には聞かないよ。でも、たいしたことじゃない、なのに言わない、そうれじゃあ、ウィルも僕も納得できないだろ?」
「だって本当に、たいしたことじゃないもの。でも、言えないの」
「コソコソ隠してるのは、どっちなんだか」
ウィルが意地悪く言った。ラタが顔色を変えた。
「うるさいわね! それ以上しつこく聞くなら、わたし、帰るわよ」
立ち上がり腰に手を当てると、本当に出口に向かった。
ウィルは、彼女の背中に呼びかけた。
「おい、どうせ来たんなら、アリータに伝言してくれよ。虫に効きそうな弾を作って欲しいって――」
ラタは伝言を無視し、さよならもおやすみも言わずに布を巻き上げた。「帰るの?」と声をかけたハルに、ほんのちょっと顔を振り向けただけで、そのまま外へ出て行ってしまった。
「なんだ、あれ。感じ悪いな」
ウィルが言うと、ハルは出口から目を移し、少し笑って言った。
「まあね。でもウィルだって、ラタに対してはずいぶんキツイんじゃない」
「やかましいからさ。居心地が悪くなるんだ、あいつがいると」
「僕は、ウィルとラタが揃うと居心地が悪いよ」
「俺のせいかよ」
「半分はね。それはともかく」
ハルが明るく口調を変えた。
「名前、どうする?」




