08-4.託された遺言
抗体注入は、ヒルの宣告どおり丸一日かかった。
テントに戻り、ハルが作ってくれた夕食もミードも手をつけず、ウィルは寝袋にもぐりこんだ。
眠かったわけではない。もうともかく、なんといったらいいか、胃袋いっぱい泥水を飲まされたような強烈な吐き気とだるさで、横になっているしかないのだ。あの太い針を刺された背骨のあたりが、折れるかと思うくらいズキズキと痛む。しかも、こんな状況なのに、マクヴァンを使うことは禁止された。昼間、許容量ぎりぎりのマクヴァンを出したから、夜はどんなにつらくても使ってはいけないとヒルに念を押されていた。
寝苦しい夜を過ごし、やっと明けがたになって胸のつかえが軽くなり、どれほど眠ったのか――ハルの呼び声で、目が覚めた。
ハルが真新しい服を手にして、笑っていた。
「起こして、ごめんね。でも、みんなが来てるんだ」
布を巻き上げた入り口から、まぶしい光が差し込んでいる。いろんな声が混じりあい、自分を呼んでいるのが聞こえた。ウィルは跳ね起きた。
テントを飛び出ようとするウィルの裾を、ハルが引っ張った。
「ウィル、寝巻きのままだよ! これを着て!」
手渡された新品の服は、まだ竜皮の匂いがする。触っただけで、いつももらうものよりずっとしなやかに、丁寧に加工されているのがわかった。
袖をとおすと、本当にぴったりのサイズだ。縫い目がすべて二重になっている。ボタンも丈夫な太糸で、しっかり縫い付けてある。ズボンをはくと、お尻の部分と股下から脚の内側にかけて、とくに厚い竜皮で裏打ちされている。以前サムが着ていた服も、そうだった。竜に騎乗するさい、擦れて痛みやすい部分を補強してあるのだ。
つまりこれは、竜使いのための騎乗服なのだった。
外から催促の声が聞こえてきた。先に外に出たハルが、ちょっと待ってと返事をしている。
ウィルは勢いよくテントを出た。
声のぬし達が、歓声をあげた。
寝坊よ!とネイシャンが怒鳴った。
アリータが横で、銃を下げて立っている。
バーキン老人が新しい手袋を得意げに掲げた。
ニッガは大きな皮袋を下に置き、静かに笑っている。
驚いたことに、レオン・セルゲイまで、いた。
誰から話したものかと戸惑っていると、バーキン老人が手を叩いた。
「ほれ、ごらん! ぴったりじゃろう!」
ウィルはきちんとした言葉で御礼を言い、心をこめてお辞儀をした。バーキン老人は顔をくしゃくしゃにして何度もうなずいた。
「いい服だろう? これで森に入っても大丈夫。ほころびたりしたら、いつでもおいで。すぐ直してやろう」
そう言って、手袋を差し出した。ウィルがその場ではめてみると、これも見事にぴったりだ。丈夫そうで、しかも柔らかい。小指の先まで思うとおりに曲がる。
ネイシャンが、ウィルの背中までぐるっと見定めて言った。
「これ、騎乗服ね。久しぶりに見たわ。似合ってるわよ、ウィル」
それから、きらきら光る透明の球体をウィルの右手にぽんと握らせた。
球体の真ん中に、片側が赤、反対側を黄色で塗られた針が浮いている。方位磁石だ。さらに、小さい袋をウィルの左手に押し付けた。
「はい、約束の物。中に塗料が入ってるから、目印に使いなさい。勉強したこと、忘れないでね」
ウィルはうなずいた。
受け取ったものをポケットにしまうと、ネイシャンの横にアリータが並んだ。
「お待たせ。銃と弾よ。大事に使ってよね」
明るい太陽の下で、銃はぴかぴか黒光りした。ウィルは勇んで受け取った。銀色の弾は、全部で五つだ。あれから改良したのか、以前見たときよりもっと長く、先端に小さな穴がいくつも空いている。
横で見ていたハルが、目を輝かせて言った。
「これが、銃? へえ!」
「なんじゃ? 銃?」
バーキン老人が、すっとんきょうな声をあげて覗き込んだ。ニッガも、レオン・セルゲイまで興味をそそられたらしく、ぐるりとウィルを取り囲んだ。
バーキン老人の質問に答えるかたちでアリータが銃の構造を説明すると、レオン・セルゲイがうなった。
「こいつは、すごい……これをサムが使えていたなら……いや、なんでもない」
セルゲイは言葉を呑みこんだ。みなが彼に注目したので、手を振って気にするなと繰り返した。
それからアリータに向かい、銃はいい道具だが、音で驚かすというのは失敗だぞ、と言った。敏感なパルヴィス竜がそんな異常な音に無反応でいるとは思えない、と。
ウィルも同じ心配をしていた。しかしアリータはポケットから何かを取り出し、得意げに言った。
「心配無用。ちゃんと考えてあります。ウィリアム、これを使って」
放り投げてよこした物は、竜皮でできた二つのボールだ。握りこぶしを一回り小さくしたくらい。不審顔のみんなに、アリータは言った。
「さあ、これは何でしょう。わかる?」
「僕、わかった」
ハルが笑った。「答えてもいい?」
一同がうなずいたので、ハルはエヴィーを指差した。
「耳栓だよ――エヴィーの。だよね?」
そうして、テントの横で控えていたエヴィーの手綱をとり、連れてきてくれた。
エヴィーに頭を下げさせ、ウィルが受け取った耳栓をはめてみることにした。エヴィーの人懐こい目の後ろにある、すこし垂れぎみの耳鰭を持ち上げると、暗い耳穴が見える。エヴィーの耳穴にはちょっと大きい……かと思ったが、弾力がある竜皮はぎゅっとねじ込むとちょうど良く収まった。エヴィーも抵抗しない。いい感じだ。
ハルがエヴィーの首を撫でた。
「よーし、いい子だ。うまくいったね」
「あたり前よ」
アリータは胸を反らした。が、横からネイシャンに小突かれ、にやっと笑って言った。
「なーんてね。実は、ネイシャンに言われたの。パルヴィスのそばで音が鳴る弾なんか使えないって。その耳栓、ラタを拝み倒して、急いで縫ってもらったんだ」
ウィルが耳栓をはずしてやると、エヴィーは澄ました顔でぶるぶる首を振った。それから、そばに置かれていたニッガの大荷物に興味を示し、首を伸ばした。
それまで黙っていたニッガが、袋に手をかけ、言った。
「次は、私の番、だ」
袋をおもちゃにするエヴィーの首をやさしくどけて、ニッガは荷物の口紐をほどき、中身を取り出した。
新品の鞍と鐙、さらに、スパイク・シューズだ。なめした竜皮に、つや出しの油がムラなく塗られて、すばらしく光沢がある。今まで使っていたサムのお下がりが急にみすぼらしく見えるほど、完璧な品物だった。
ニッガとハルに手伝ってもらい、エヴィーに装着した。こちらもぴったりとエヴィーの体に合っている。サムの鞍より一回り小作りで、ウィルの脚にもちょうど良さそうだ。
バーキン老人が待ちきれないという声で言った。
「さ、ウィリアム、その新しいブーツも履いて、乗ってみてくれ。わしの新しい服と、ニッガの新しい鞍でさ。新しい竜使いの誕生を、見せておくれ」
いや、それは……と、ウィルは断わろうとした。こんな新品づくしに身を固めエヴィーに乗るなんて、照れくさくってしようがない。けれど、大人たちとハルにそうしろと囃され、ウィルはとうとう声に押し上げられるようにしてエヴィーに跨った。
みなが一段と大きな歓声を上げた。バーキン老人など、力いっぱい拍手している。
彼はさらに、ウィルを森まで見送ると言い出した。
「今から行こうじゃないか。全員で。竜使いの門出を祝ってやらにゃ」
「いや、結構です、そんな・・・・・・ここまでで充分です」
慌てて言った。村の中をこの目立つ格好で、エヴィーと五人もの付き添いをぞろぞろ連れ歩くなんて、それだけは勘弁して欲しい。
承知しないバーキン老人を、ハルがうまくなだめてくれた。まだ二人とも朝食をとっていないし、荷造りもあるし、ご好意はありがたいけど――というハルの説明で、彼はしぶしぶだがうなずいた。
それを区切りに、ネイシャンとアリータ、そしてニッガも腰をあげた。
今日は仕事の日だ。みな、のんびりしている暇はないはずだった。
ウィルは急いでエヴィーから飛び降り、それぞれに丁寧に御礼を言った。ネイシャンとアリータは、いつものサバサバした口調で、気にしないでと言った。ニッガは黙って微笑み、バーキン老人は見送れないのが残念だと何度も言った。四人は連れだって帰って行った。
そして、いまだに何をしに来たのか謎の、レオン・セルゲイだけが残った。