08-3.託された遺言
朝一番でと伝言したくせに、ネイシャンは最後の補習を朝までみっちりやり通した。ウィルはとうとう仮眠する暇もなく、眠気払いに熱いミードを喉に流しこんだだけで、ヒル親子の家に向かうハメになった。
いや、もうトニー・ヒル氏はいないのだから、ビリー・ヒルの家、と呼ぶべきだろう。
カピタルでは、覚めない眠りが終わった者は、すぐヒル親子の家に運ばれ、体液をすべて採取される。体液はヒル親子の手により、これから生きていく者達のために分析され、抗体アンプルへと濃縮される。こうしてすべての役目を終えた後、共同体リーダーが管理している分子破砕機によって一握りの灰となり、小さな壜に詰められ、再び家族の元に戻るのだ――
ウィルがヒルを訪ねるのは、この地に定住して以来初めてだ。
じっくり見るヒルの家は、ガランの家よりずっと大きい。学校よりも大きいだろう。カピタルじゅうの人間がここのお世話になるのだから、当然といえば当然かもしれない。衛生的にしなければならないからと、カピタルで四番目にちゃんとした家になったのが、彼らの家だった。
その家の扉の前で、ウィルは立ち止まった。
呼ばれて来たとはいえ……さすがに、肉親を失くしたばかりの人を訪問するのは、気がひける。いくらカピタルの誰もが、家族を失うことに慣れているといっても。
だが、朝一番にと言ったのはヒルのほうだ。ウィルは思いきって扉をノックした。
向こうから、低い男の声で返事が聞こえた。と、すぐにガチャリと扉が開かれた。
「おう、来たな。入れ」
現れたビリー・ヒルが、剃っていないヒゲを撫でながら言った。疲労でだろうか、目が落ち窪んでいる。
どういったものかと挨拶ができないウィルを、手招きで部屋の中央まで誘い、自分はさっさと壁ぎわの戸棚へ進んで中をかき回しだした。
手持ち無沙汰のウィルは、しかたなく、部屋の中央に並べられたベッドの一つに腰掛けた。
どのベッドにも、きちんと洗濯した白いシーツがパリッと張られている。腰掛けると、弾力があってちょうどいい硬さだ。シーツの下に竜の皮を何重にも張ってあるのだろう。
ヒルもまた、カピタルでは珍しく真っ白に漂白された、長袖の服を着ている。こちらは洗濯のしすぎか、ヨレヨレだ。不精ヒゲといい、フケが飛びそうな髪といい、乱暴に戸棚をガチャガチャ荒らしている――はずはないのだが、そう見える様子といい、ビリー・ヒルはなんだかガサツな印象を受ける。それにしては、この部屋の床に埃一つ落ちていないのがちょっと意外だ。たぶん誰かが助手として掃除や洗濯をしに来ているのだろう。
そうして辺りを見回していると、ヒルが銀色の四角い盆に器具をたっぷり乗せ、こちらを振り返った。
「よし、始めるぞ」
ウィルはベッドから飛び上がった。
ヒルが『始める』と言ったら、アレしかないが……まさか、今日?
自分でも馬鹿だとわかってはいたが、聞き返した。
「あの、始めるって、何を?」
ヒルは、険しい目でウィルをまじまじと見た。ものすごくデキの悪い子が目の前にいるといったふうに。さらに低い声で、むっつりと答えた。
「注入だ。決まっているだろう」
「注入? 俺に?」
「他に誰かいるか? 抗体注入もなしに森に入るなんてことは俺が許さん。まったく、勝手に先走って、なにかあったらどうするつもりだ」
荒っぽいビリー・ヒルの語気に、ウィルはたじたじとなった。
最高の抗体Aクラスをもって生まれたウィルは、ほんの子どもの頃、まだカピタルが砂漠を放浪していた頃に、彼らのテントを訪ねたきりだった。抗体注入がどんなものだったか、ほとんど覚えていない。が、ものすごくイヤな気分になったという記憶だけは残っている。
思わず口走った。
「俺の抗体クラスは、」
ビリー・ヒルの眉がくいと上がった。
「Aだな。だからといって、パーフェクトなわけではない。そんなことも知らんのか、お前は」
ウィルはむっとした。
「パーフェクトとは思っていません」
「よろしい。では、上半身裸になって、ベッドにうつ伏せになれ。ベルトも緩めておけよ」
「今ですか」
慌てたウィルに、ヒルは当然だという顔であごをしゃくった。ウィルは必死に言った。
「でも、今日は」
「親父のことか。気にするな」
ヒルは淡々と言った。
「親父は充分生きたし、仕事も全うした。お前が竜使いになったと聞いて、喜んでいたぞ。最後に、いい知らせが聞けたと言って。だから親父の弔いはあれで申し分ない。それより、お前の体を万全にすることが第一だ」
言いながら歩み寄り、銀色の盆をベッドの脇に据えられた小机に置いた。
ウィルは盆の中身をのぞいた。注射器が五本、薄い朱色の液体が入った小瓶が五つ、さらにお茶が入ったカップと、小さく畳まれた紙が一つづつ。
注射器の針を見て、軽い吐き気がした。竜用じゃないかと疑いたくなる太さだ。
……そうだ、この感覚だ。思い出した。
子どもの頃の記憶。
抗体注入を終えた夜、経験したことのない吐き気と頭痛で、自分は泣いてしまったんだ。あれはハルだったか、サムだったかに、みんながその辛さをこらえているんだよと諭されて、一生懸命泣かないように、毛布を噛みながら一晩過ごした。しょっちゅう注入を受けに行くハルに、泣いているところなんか見せられないと思って――
ヒルは問答無用で、お茶の入ったカップをウィルに突き出した。受け取るしかない。
それから小さく畳まれた紙包みを、中身をこぼさないように明け、カップに傾けた。紙の端から、白い粉がサラサラとカップの中にそそがれる。
不審な顔をしているウィルに、ヒルは言った。
「まさか、コレが何かわからんのか」
「……えーと」
答えられずにいると、ヒルは軽いためいきをついた。
「マクヴァンだ。これを知らないというのは……まあ、幸せな奴だな、お前は」
ウィルは頭を掻いた。白い粉が何か、思い出した。
マクヴァンを飲めば、抗体注入を受けるときや原因のわからない痛みが続いたとき、痛みを知らずに深く眠ることができる。薬を処方する医師がいないカピタルで、マクヴァンはどうしても必要な眠剤だった。住人はみな、数回分のマクヴァンを配給されている。
だがウィルは、まだ自ら使ったことがなかった。子どもの頃の抗体注入で飲まされた、それ一度きりだ。自分のテントのどこにマクヴァンがしまってあるかすら、知らない。確かに『幸せな奴』だろう。
マクヴァンは、お茶にあっという間に溶けた。
ウィルはカップに口をつけた。匂いも味も、いつもと変わらない。一気に飲み干した。
「服を脱げと言ったろう。脱いだら、横になってじっとしていろ。そのうち眠気が来るからな」
ヒルは言って、空になったカップを戸棚へ戻しに行った。
ウィルは、言われたとおり、靴と上着を脱いだ。シャツを脱ごうとして、頭が早くもクラリとする。……そういえば、補習で全然寝ていないんだった。マクヴァンがなくても、充分眠れたのかもしれない。
ベッドの脇に戻ったヒルが、注射器の針を検分しだした。ウィルはなるべくそっちを見ないように、ベッドにうつ伏せになりながら、聞いた。
「あの、時間はどれくらいかかるんですか」
「一日がかりだ」
ヒルはあっさり言った。すぐ、付け足した「一本打つごとに、時間を開けねばならんのだ」
ウィルはおもいっきり大きい溜息をついた。……もう、どうにでもしてくれ。考えるのも面倒くさい。
ヒルの声が聞こえてきた。
「正直な奴だな……ん? ああ、マクヴァンが効いてきたのか。まあ、普段は五本いっぺんに注入するなんてことはないんだが。今回は特別だ。親父にも、くれぐれもお前を頼むと遺言されたしな。お前も、こんなことで何日も足止めをくらうより、一日で済ませて森に向かいたいだろう」
ウィルの頭の中で、彼の言葉の一箇所が響いた。
『特別』という言葉が、何度も。
呟いているのか大声なのか、自分でもわからないまま、思ったとおりを口に出した。
「そうさ、俺は特別、特別なんだ……服も、家も、ミードだって……みんな、どうかしてる」
次の瞬間、ヒルの怒声が聞こえた。
「馬鹿野郎!」
ドンッという衝撃が横から来た。ベッドが大きく傾く。
ウィルの頭は一瞬で覚醒した。体をひねり、背後のヒルを見上げた。
彼は顔を赤くし、ウィルに針を装填した注射器を突きつけ、激しく叱責した。
「いいか、これだけは勘違いするな! 俺も親父も、この仕事で誰かを特別扱いしたことは無い。お前が竜使いでも、使いものにならん奴でも、俺達は同じことをする。誰に対してもだ。特別なのは、お前自身ではないぞ。お前の任務だ。俺に、二度とそういう態度を見せるな!」
ウィルは言葉を返せなかった。
特別扱いして欲しいわけではなかった。それなのに周りからそれを薦められ、戸惑っていただけだ。確かに、悪い気はしなかったけれど。自慢したかったわけじゃない、得意になってもいない……はずだ。たぶん。自分でも、どうしてあんなことを口走ってしまったのか、わからない――
「ふみまふぇん」
小さく言った。マクヴァンのせいで、舌が回らない。最悪だ。
ビリー・ヒルは、語気を和らげた。
「いや、まあ……わかれば、よろしい」
言って、ウィルの頭に手を伸ばし、髪をクシャクシャと掻き回した。
そのまま、ウィルがふらつく頭をベッドに押し付けるまで、ゆったりと支えてくれた。弁解しなかったが、どうやら、マクヴァンを飲ませて正気を失いかけている相手に、大人気ないことをしたとは感じているらしい。
ウィルはほっとしたと同時に、たまらない眠気に引き込まれ始めた。
砂嵐に巻かれ、周りがどんどんぼやけていく、そんな感覚。
陰っていく意識のなかで、ビリー・ヒルの言葉がまたたいた。特別なのは、お前自身じゃない――
ぼんやり考えた。そうだろうな。そうだろうと、薄々わかっていた、けれど、はっきり言われると、ほっとした、ような、つまらない、ような……バーキン老人も、ニッガも、ネイシャンだって、マカフィだって、俺が竜使いだから、だからあんなに……そういえば、くれぐれも、俺を頼むと言ってくれた、ヒル老人、どんな顔だったっけ……
遠くから、ビリー・ヒルの声が聞こえてきた。
「それにしても、親父の遺言だけは間違いなく『特別』だった……お前が抗体のことで悩む日がきたら、力になってやってくれだと。当たり前のことだ。仕事なんだからな。悩むというのも、わけがわからん……それとも、なにか別の……?」
最後の呟きは、聞こえなかった。
ウィルは白い粉の魔法で、深い眠りに落ちていった。




