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Capital Forest  作者: わたりとり
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07-2.もうひとつの武器

 はたしてネイシャンは次の朝一番でやって来た。

「おはよう!」

 高らかに言って、まだ眠っている二人のテントに乱入してきたのだ。

「なあに、まだ寝てるの、あなたたち?」

 声にたたき起こされた二人が、ぼうっとして返事もできないうちに、彼女はテントの内布を巻き上げた。メッシュ布でできた窓から朝陽がぴかぴか射し込んでくる。

「さっさと起きなさーい! 仕事を持ってる大人が、そんなことでいいと思ってるの!」

「先生、今日は……安息日じゃなかった?」

 ウィルが、もそもそと抗議した。

「そうよ。だから私が来れるんじゃない」

 確かにそうだ。安息日でなかったら、彼女は学校で『仕事』のはずだ。

 ネイシャンは戸口の布を全開に巻き上げながら、ピシピシ言った。

「安息日はね、仕事以外のやるべきことを片付けるために、あるの。寝ているために、あるわけじゃないのよ。ほらほら、起きて! 顔を洗って、目を覚ましてらっしゃい!」

 はっきり言うところはラタに似ている。しかしネイシャンは、ラタとはまた違う風格を持っている先生だった。おっとりした丸顔なのに、言うこともやることもパキパキと速い。ずけずけ言っても嫌味がない。ラタの姉のアリータと同い年で、仲もよかった。

 二人は指差されるまま、テントの外へ出た。

 すこし離れた共同の水場へ行き、顔を洗った。さっぱり目が覚めた。

 テントに戻ると、ネイシャンは外でお湯を沸かしていた。カップを三つ用意している。お茶を用意してくれる気らしい。

 三人は火を囲んで丸太に座り、お湯が沸くのを待った。

 ほどなく熱いお茶が入った。それをすすりながら、ネイシャンは用件をきり出した。

「ウィル、昨日は森に入ったの?」

「はい」

「方位磁石を持って行った?」

「……いいえ」

 嘘をついても、しかたがない。ネイシャンはどんどん続けた。

「目印になるものを持って行った?」

「いいえ」

「じゃあ、奥へは進まなかったのね」

「半日かかったし、迷いかけたので、まあまあ奥まで進んだと……思います」

 だんだん声が小さくなる。ネイシャンが呆れたという顔をしていた。

「迷いかけたって、あなた、砂漠とはわけが違うのよ!」

「……身に染みました」

「帰って来られたから良かったけれど。迷ったまま日が暮れたら、どうなったと思う?」

「すみません」

 ネイシャンが、軽くため息をついた。

「私に謝らなくていいのよ。あなたの不注意は、あなた自身に、すぐに跳ね返ってくるんだから――てことは昨日でよくわかったみたいね」

 彼女は口調を変えた。

「まあ、済んだことはいいわ。ハル、昨日の話は全部聞いてるのでしょう? あなた、これからウィルが森で迷わないために、どうすべきだと思う?」

 質問されたハルが、答えていいのだろうかというふうにウィルを見た。

「言ってくれ、ハル」

 ウィルは頭を掻きむしった。ハルは笑って答えた。

「先生、まずはウィルに方位磁石をください。それから、暗いところでも目立つ目印になる物と」

 ネイシャンがうなずいた。

「そうね。あとは?」

「ウィルに、『磁石と目印を使って元の位置に戻る勉強』をおさらいさせないと、いけません」

「勉強か……」

 呟くウィルの肩を、ネイシャンがぽんぽんと叩いた。

「卒業はおあずけね、ウィル」

「そんな……おさらいしに学校に行く竜使いなんて、最悪だ」

 ネイシャンとハルが、顔を見合わせる。

「ウィル、仕方ないよ。命にかかわるんだから。そりゃ情けないけどさ……あ、ごめん」

「そうだよ、情けないよ。チビ達に混じって、ちっこい椅子に座ってさ。みんな、なんで俺が来るんだって顔するだろうな。で、後ろでヒソヒソ話をするんだ。竜使いがお勉強しに来たってさ。でも、行かなきゃならないんだろ?」

「あー、もう!」

 ネイシャンが大声を上げた。

「うじうじ言わない! 自分が悪いんでしょう!」

「そうです、俺が悪いんです」

 捨てばちぎみに言うウィルに、ネイシャンは首をすくめた。

「ほんとに、しかたない子ねえ。私だって、あなたに恥をかかせたいわけじゃないんだから。しょうがないわね。夜、私がこっちに来るから、ちゃんとテントで待ってなさいよ」

 そう言って、飲み終えたカップを丸太の上に置くと、立ち上がった。

「ウィル、五日で集中特訓するわよ。ハルが言った物も、その間に準備するわ。それまで森の奥まで進むのは禁止! いいわね!」

「えー?」

「えー、じゃない! イヤなら、学校でチビ達と、半年かけておさらいよ!」

 わかった、わかりましたと、ウィルはうなずくしかなかった。

 さよならと挨拶したハルに、ネイシャンは「頼りにしてるわよ、ハル」と言葉をかけ、せかせかと帰っていった――とても大事な、急ぐ用事が待っているという様子で。

「あいかわらずだなあ」

 ぼそっと漏らしたウィルに、ハルが応えた。

「ネイシャンて、突風みたいだね。びゅーっと来て、言いたいことを言って、だーっと去っていく……」

「そうそう。でも、なんか……嫌いになれないんだよな」

 カップを片付け、二人は出かける準備を始めた。

 安息日は仕事を休んでかまわないことになっている。けれど、森が待っているウィルも、竜が待っているハルも、休もうなんて気はまったくなかったのだ。

 しかし、服を着替え二人でエヴィーにくらを乗せたところで、今度は仕立て屋のバーキン老人に捕まってしまった。

「おや、出かけるのか? 今日は安息日じゃないかい?」

 あまり馴染みのない老人の突然の訪問に二人がめんくらっていると、バーキン老人はところどころ抜けた歯を見せて笑った。

「まあ、わしも安息日なのに仕事をしに来たんだがね」

「仕事?」

「ほいさ。ウィリアム、まさかそんな軽装で、森に行く気じゃなかろうな?」

 昨日もこの格好だった――と言いかけて、やめた。

「……まずいでしょうか」

「いかん、いかん!」

 バーキン老人は首を何度も振った。

「そんな、すぐに穴の空きそうな服では、いつ怪我をするか。いくら体が丈夫でも、得体のしれん菌でも入り込んだら」

「これ、持っている中で一番丈夫なほうなんですけど」

「だからな、ウィリアム、わしが新しいのを作ってやりに来たのさ」

 バーキン老人はポケットから年季の入った巻尺を取り出した。

「竜使いにぶかぶかの服を着せるわけにはいかんからな。ぴったり体に合った、とびきりのやつを仕立ててやろう」

「ぴったり? 新品でですか」

「当たり前じゃろう」

 当たり前じゃない――布地は貴重品だった。首都から持ち出された繊維も、布が破けないよう裏打ちする竜の皮も、豊富にはない。伸び盛りの少年達は、毎年誕生日がくると、おもいきり大きめに出来上がった服をもらうことになっている。新品の服を体にぴったりにあつらえるなんて、誰もしたことのない贅沢ぜいたくだ。

 ウィルはガランの言葉を思い出した。――『君は、カピタルじゅうの者から、あらゆる知識と手助けを受けることができる』

「ほれほれ、服を脱いで。サイズを測らにゃならん」

「ちょ、ちょっと待って」

 その場で脱がせにかかろうとするバーキン老人を押しとどめ、ウィルはハルをちらりと見た。ハルの目の前で、自分ひとり特別扱いされるのは気がひけた。

「バーキンさん、えーと……ハルの分は?誕生日も過ぎたし」

 言ってから、しまったと思った。バーキン老人は無頓着に答える。

「うむ? ああ、ハルミの分はお前さんの後に届けてやるよ。竜使いの方を急がねばな」

「僕、先に仕事に行くね。バーキンさん、失礼します」

 ハルはバーキン老人に軽くお辞儀をした。いつもと変わらない表情だ。

 ウィルは呼び止めようとして、やめた。そのままハルの背を見送った。……まあ、俺のほうが誕生日も早いし、いいか、と考え直した。

「ほれほれ、早く」

 せかされ、テントに戻った。

 身体測定が始まった。バーキン老人は、服を脱いだウィルの身長は勿論、腕も足も、首の長さまで測った。さらに胸まわりに胴まわり、足の太ももと膝とふくらはぎを左右それぞれ、よくそんなに測る所があるなと感心するくらい、巻尺を巻きつけてきた。

「バーキンさん、そこまでしなくても……」

 ついに指まで一本づつ測りだしたので、ウィルもしびれをきらした。

「手袋もいるじゃないか。もうちっと辛抱しんぼうせい」

 バーキン老人は意にも介さない。

「ウィリアムが怪我で何かに感染でもしたら、わしは村じゅうの者に顔向けできん。準備しすぎるということはない。万全にしておかねば。……やれやれ、これでよし」

 巻尺をくるくる巻き、ポケットにしまうと、ニッと笑った。

「五日待っておくれ。大急ぎで仕立てるからな」

 また五日か、とウィルは思った。銃ができるまでも五日、ネイシャンの補習も五日。

 バーキン老人を見送りにテントを出ると、また一人、中年の男性がこちらにやってくるところだった。

 今度は、竜に乗る鞍や手綱を作っているニッガだ。カピタルで一番ひょろ高い彼は、テントの支柱より頭が高く、どこにいても目立つ。ウィルのテントの前まで来ると、自分の胸より下にあるバーキン老人の白髪頭にぺこりとお辞儀をした。

 バーキン老人が、首をうんと反らして挨拶を返した。

「おお、ニッガか。うむうむ、鞍も新調してもらうがいい。なあ、ウィリアム」

 ニッガは笑って、そうだとうなずいた。

 無口な彼は、少年達から親しみをもって『のっぽのニッガ』と呼ばれている。ずっと年上だが、いつも穏やかに笑っているので、ウィルやハルでも気安く話すことができる男だった。

「それも、五日かかるんじゃないでしょうね」

 ウィルは冗談のつもりで言ったが、ニッガはこれにも、そうだとうなずいた。

「さあて、ではこれで失礼するよ。さっそく仕事に取りかからにゃ」

 帰りかけるバーキン老人に、ニッガが珍しく口を開いた。

「伝言が」

 おや?と振り仰いだ二人に、

「トニー・ヒル氏が、覚めない眠りに入ったと」

 ニッガは静かに、伝えた。

 バーキン老人の眉が、一瞬びくりと上がり――すぐに、元の位置に戻った。けれど、彼の顔から陽気さは消え、静かな祈りがさしていた。

「そう、そうか……」

 三人は誰ともなく、しばらくの間、沈黙を守った。

 覚めない眠りに入った者は、数日の後には鼓動を止め、ぬくもりを失う。その間、眠りに入った者の親族やごく近しい友人たちは、仕事を休み付き添うことを許されている。彼ら以外の者達は、できるかぎり彼らをわずらわせないように過ごすことが、カピタルの慣わしだった。

「ニッガ、伝言ありがとうよ。トニーのそばに付いていてやりたいが……ウィリアムを待たせるわけには、いかんしのう」

 バーキン老人はヒル老人と仲が良かったのだろう。ウィルは慌てて言った。

「俺のは後回しでいいです」

「いや、そうはいかん」

 バーキン老人は首を振った。

「トニーなら、わかってくれるだろう。我々には、もうあまり時間がないのだからな……」

 さようならと挨拶し、バーキン老人は帰って行った。来たときより、その背中は小さく見えた。

 のっぽのニッガと残され、ウィルは、思わずそわそわと体を揺らした。

 思ったより、時間が過ぎている。のんびりしていると、また昼過ぎになってしまう。昨日、出遅れたせいで暗くなりかけた森で迷ったことを考えると、少しでも早く出発したかった。

 相手がニッガだったこともあり、つい聞いてしまった。

「ニッガさん、今日じゃないとダメですか?」

 ニッガは首をうんと曲げて、ウィルを見降ろした。

「その、俺、時間がどれくらいかかるかと思って……」

 ニッガは静かな声で言った。

「自分の鞍が、欲しくない、のかい」

「いや、あの」

「今日でないなら、いつに、するかい」

「えーと……今日でいいです。お願いします」

 観念した。今日のところは、遅くなっても仕方がない。トンネルからあまり離れないあたりで、昨日のおさらいをしておこう。

 ニッガはうなずき、ポケットから巻尺を取り出した。バーキン老人の物よりずっと巻きが大きい。ウィルはさすがにうんざりして、思わず呟いた。

「あ、また、測らなきゃいけないのか……」

 けれどニッガは、笑って首を振った。巻尺を持った手で、テントの横を指差した。

 サムの鞍を背に乗せたエヴィーが、きょとんとした顔でこちらを眺めていた。


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