第0話 戒夢
「ガ―――い――」
えらくぼやけた風景の中に俺はいた。
既視感がある風景――いや、光景か。
俺はこの光景を知っている。
思い出したくない記憶の断片だ。
気がつくと俺は拳をキツく握っていた。
巨大な王宮の中央部。
元は綺麗だった大理石の床や壁が赤く染まっている。
多数の死体が斬りつけられ、無惨に転がっているせいだ。
未だに傷口から血が流れてる死体もある。
この死体達は俺がかつて所属していた王宮近衛隊の仲間だ。
俺はこいつ等を助けられなかった。
「……ちくしょう」
あの時の無力な自分に苛立つ。
悔しさのあまり、拳をさらに握る。
爪が掌に食い込み、血が点々と流れ、地に落ちる。
――みんな死んでしまった。宮殿を守っていた中で俺だけが残ってしまった。
それもこれも全部……目の前にいるこの仮面野郎のせいだ!
憎々しげにヤツを睨む。
白いローブに目だけが黒く塗られた白い仮面。
ローブの合間に見える体躯は引き締まっていて、精錬されている事がよく分かる。
おそらく男だ。
奴は右手に剣を携え、左手には首を起点に人を高く持ち上げている。持ちあげられたその人物は少女であり、俺が知ってる人だった。
「メイリスッ!」
俺は少女の名前を悲痛に叫ぶ。
首を掴まれてるせいで呼吸が困難になっているのだろう。
メイリスは苦しげに仮面野郎の手から逃れようと両手で引き剥がそうとしている。
だが、明確な力の差にほとんど意味をなさない。
仮面野郎はそれを嘲笑うかのように、剣をゆったりとメイリスの腹部に狙いを定めた。
その後の想像など容易にできる。
「……やめろ」
静止の声が無駄なんて分かっている。
だが、声に出さずにはいられない。
奴の暴挙を止めようと動こうとするが、体が凄まじく重い。
まるで粘土に包まれているようでまともに動けない。
――俺はまた何もできないのか。
いや、状況に負けるな。
よく考えろ。できる事をしろ。精一杯抗え。
下半身は全く動けないが、上半身は負荷が凄まじいがなんとか動かす事ができる。
「ぐっ……」
かなりきつい。骨と筋肉が悲鳴をあげているが、愚痴を溢している時間すら惜しい。
震える手で懐にあったダガーナイフを鞘から抜く。
切っ先を右手の親指と人差し指で掴み、懇親の力で上半身を捻り、精いっぱい腕を振るう。
「くらえ!」
ダガーナイフは真っ直ぐ仮面野郎の体に向かって飛ぶ。
とりあえず、当たりさえすれば怯んでメイリスが解放されるかもしれない。
しかし、虚しいかな。
ナイフは仮面野郎の体を光の如く透過した。
「――ッ!」
あの時もそうだった。
俺の攻撃など一切受け付けずに、仮面野郎に敗北した。
ただの一撃も与えられなかった。
今だにこの時のからくりを解いてはいないがおそらく―ー。
空気が不穏に揺らぐ。
仮面野郎の腕が最後の微調整を終えたようで、剣を後ろに引いた。
もうこれは決定事項なのだろう。
いや、戒めもしくは罰といった方が正しいのか。
あの時メイリスを救えなかった俺自身が俺に見せている幻影じゃないのかこれは。
状況が少し違うが結末が同じなら所詮誤差だ。
無意味で無価値で無力な俺を俺以外の奴が嘲笑っているのだろうか。
何もできないならせめて、この悔恨と怨嗟を忘れないように再度目に焼き付けよう。いっそトラウマに近い方が都合が良い。俺の決意はこの日から再スタートする。
仮面野郎が勢いよく剣をメイリスに突き立てる――その寸前、
『ガレットさん! 起きて下さいってば!』
バカでかい女の声が俺をこの世界から引き剥がした。