6)
「すみません、しばらくここで待っててもらってもいいですか?」
「あぁ、いいですよ。なんなら、お手伝いしましょうか?」
意識してかわいくお願いしたあたしに、鼻の下を伸ばしつつ了承してくれたタクシーの運転手の申し出を笑顔で断って、ちょっと足取りのおぼつかない城ケ崎さんの腕を支えてマンションへ入る。
「大丈夫ですか?気持ち悪くないですか?」
「あぁ、うん……。大丈夫。結構、意識ははっきりしてるつもりなんだけど……。ごめん」
「いえ、こっちこそごめんなさい。あたしが止められれば良かったんですけど……」
あの後、あたしが止める間もなく、気づけば城ケ崎さんは常連さん達によって、すっかり酔わされてしまっていた。
暗証番号を打ち終えた城ケ崎さんと一緒にエレベーターへ乗り込むと、彼が壁にもたれて大きく息を吐いた。
こんなに酔ってる城ケ崎さんを見たのは初めて……。“cocoon”でも酔わないし。お酒強いみたいだし。
「麻由さんこそ、大丈夫?」
「はい。あたし、あんまり飲んでなかったし……。こうみえて、割とお酒には強いんですよ?」
嘘です。割とどころじゃなく、とんでもなく強いです。
実は、今日もこっそりと城ケ崎さんと同じ位の量、飲んでました。……気づいてないみたいだけど。
「はは。それは、心強いね」
エレベーターが止まって、城ケ崎さんがもたれていた体を起こす。
あたしはまた彼を支えながら部屋までついていった。
……ちょっと、ドキドキしながら。
「お邪魔しまぁす……」
電気をつけて中へ入っていく城ケ崎さんの後ろを、小さく挨拶してからついていく。
……広い。
さすがに広い。暁のマンションも小説家のおじいさんから譲り受けたとかで、一人で暮らすには広すぎると思ったけど、ここはそれ以上。
さすが、社長。
片付けてあるっていうより、置いてある物が少ないって感じのリビングのソファに、城ケ崎さんがドカッと座って、天井を見上げた。
「大丈夫ですか……?今、お水持ってきますね」
城ケ崎さんの横に、皺にならないようスーツを引っ掛けて、勝手にキッチンへお邪魔する。
「ごめん、麻由さん。冷蔵庫に……」
後ろから追いかけてきた声に従って冷蔵庫を開けると、隙間だらけの庫内に、アルコールとミネラルウォーターが並んでいた。
そこからミネラルウォーターを取り出して、手近においてあったグラスへ注ぐ。
それを持っていくと、『ありがとう』と受け取った城ケ崎さんが、一気に飲み干した。
「はぁ〜……。なんか、生き返った……」
冷たい水で頭が冴えたのか、城ケ崎さんがそう言って大きく息を吐き出す。
「ふふ。それは、よかったです」
空いたグラスを受け取って、一応それを元あった場所に片付けておく。
「……ありがとう、麻由さん」
「いえ。……えっと。じゃあ、あたし、帰りますね」
「あぁ、うん……」
キッチンから戻って、バッグを手にそう言うと、城ケ崎さんも立ち上がって玄関まで見送ってくれる。
……もしかしたらこのまま……なぁんてことも思ったけど。城ケ崎さん、酔ってるし?
でも、やっぱり城ケ崎さんは紳士ってことかな。
玄関で靴を履いてから振り返ると、城ケ崎さんがいつもみたいに優しく微笑む。
「今日は楽しかった。ありがとう」
なんとなく名残惜しいような気持ちを、少し酔ってるからだと心の中へ押し込めて、あたしも微笑み返した。
「こちらこそ。でも、かえって迷惑かけちゃったみたいで、ごめんなさい」
「いや、本当に楽しかったから。料理はおいしかったし、皆楽しい人達だったし。麻由さんは、いい人達に囲まれているんだなぁと……」
いい人……。
叔父さん達をそんな風に言ってもらえるなんて。
自然と口元が緩む。
「はい、そう思います……。城ケ崎さんがそう言ってくれて、すごくうれしいです。あたし、叔父さん達のこと、大好きだから……」
本当に、うれしい。
そう思って、城ケ崎さんをニッコリと見上げた。
「…………」
「?」
急に黙ってしまった城ケ崎さんへ、首を傾げる。
なんか変なこと、言っちゃった?
「あ、あの……きゃ!?」
とりあえず、沈黙に困って何か言おうとした時、だった。
ぐいっと腕が掴まれた、と思ったら、あたしの体が城ケ崎さんにすっぽりと抱きしめられて、驚く。
え?え?
「城ケ崎さ……?」
「……君は笑うかもしれないけど、僕は、大将や木村さんたちに嫉妬してる」
「え?」
なんで?って、顔を上げたら、情熱のこもった目で見つめられて、動けなくなる。
その目はダメ、なのに……。
体が熱くなって、鼓動が速くなっていく。
「麻由さん……」
「……んっ…」
城ケ崎さんの唇が、ゆっくりと降りてきて、そっとついばむようにキスを落とす。
何度も、角度を変えて優しいキスが降ってきて……。
城ケ崎さんのシャツを掴む手に力を込めたら、今度は深く、唇が重ねられた。
……長い、長いキスの後、ギュッと再び抱きしめられて。
優しいキスにしびれさせられた体に、その腕の中はとても心地よくて……。
「好きだ。堪らなく、好きなんだ……」
耳元で囁かれた甘い告白に、もっとって、彼の背中に腕を回そうと、手を伸ばす。
もう、このまま……。
そんなあたしに、城ケ崎さんは、さらに言葉を続けた。
「君の全てが、愛しい……」
「!」
……本当なら、うれしくて飛び上がってしまう、そんなセリフ。
だけど。
その言葉に、あたしの、背中へ回そうとしていた手が、止まった。
一気に体の熱が引いていく。
「麻由さん、僕じゃダメだろうか?君の……」
「城ケ崎さん」
更に続く告白をさえぎって、彼の胸を軽く押すように離れる。
「麻由、さん……?」
彼の少し驚いたような声に、うつむけていた顔を、精一杯の笑顔を浮かべながら上げた。
……お願い。うまく笑えてて。
「すごく、うれしいです。でも……少し、お時間をくれませんか?」
「え?」
「あの、タクシーも待たせてあるし、あたし、帰りますね!」
「え!?麻由さ……!」
ごめんなさいって言いながら、飛び出すように扉を開いて外へ出たら、城ケ崎さんの声が後ろから聞こえてくる。
「麻由さん!……また、連絡するから!」
その声に振り返って笑顔でうなずくと、急いでエレベーターへ乗り込んだ。
「……サイテー」
エレベーターの扉が閉じると同時に口から漏れたのは、そんな言葉だった。
サイテー、サイテー、サイテー!
……なんで『あたしも好きです』って言えなかったの?
そう言って、体を預けてしまえばよかったじゃない。
そうなってもいいって、そうなればいいって、心のどこかで望んでいたんじゃないの?
そうすれば、お金持ちで頭も良くて顔もよくて、“かっちゃん”も受け入れてくれた、最高の男が手に入ったのに。
あたしが求めてた、誰にでも自慢できるような条件のいい男が手に入ったのに。
『君の全てが愛しい』
彼の言葉が耳にこびりついて離れない。
あたしの、全て。
……でも、彼の知ってるあたしは、‘本当のあたし’じゃない。だから、彼の愛するあたしも、‘本当のあたし’じゃない。
そんなの、わかってた。
わかってた、つもりだった。
≪無事についたら、連絡を下さい≫
タクシーに乗ってる時、城ケ崎さんからそんなメールが届いた。
あんな風に逃げたあたしに、他にも言いたいことがたくさんあるはずなのに、たったそれだけ……。
『無事についたら』
その言葉に込められた優しさに、涙が出そうになった。
……こんなはずじゃなかったのに。
こんなに好きになるはずじゃなかったのに。
‘本当のあたし’を愛してくれる人じゃなきゃ、愛せない。そう、思ってた。
だって、そうじゃなきゃ、つらいから。悲しすぎるから。
‘本物’が‘作り物’に嫉妬するなんて。
馬鹿みたい……。