3)
バーテンさんが手で示す方には、例のスーツの客がいる。
あたしがそっちへ目を向けると、照明の具合でこっちからは顔がよくわからないけど、その人が軽く会釈をしてきた。
…………。
…………こ、このシチュエーションって!昔、ドラマなんかであったやつ!?
うわぁ〜、本当にやる人いるんだ?……こんな気障ったらしいこと。
スーツの男から、再びバーテンさんに視線を移すと、にこやかな笑みを浮かべてこっちを見つめていた。
「…………」
再びオレンジ色のグラスへ視線を落として、フフッと小さく笑う。
…………なんか、おもしろそうじゃない。
めったにあることじゃないし、ここはのってやろうじゃないかと、男の方へ『いただきます』って、グラスを持ち上げて、とびきりの笑顔で小さくつぶやいた。
そして、グラスに口をつけると、甘酸っぱいオレンジの香りが口の中に広がって……。
「ん!おいしい……!」
本当に、おいしかった。
てっきり、すごく甘ったるいお酒だろうと思ってたから、意外な程あっさりしたそれに驚く。
「気に入って頂けましたか?」
真横で声がして振り向けば、酒をおごってくれたスーツの男が、さわやかな笑みを浮かべてそこに立っていた。
あら、まぁ…………上等な男だったんだ。
明らかに仕立てのいいスーツ。ちらっと見えた時計は、シンプルなデザインだったけど、たぶん超一流ブランド品。
年はあたしより少し上?係長と同じくらいかな?染めた様子のない髪を短めにカットしていて、パッと見、とてもさわやか。
でも、なんか……目にすごく力がある感じ。
その目で睨まれたら、背筋が凍るような、逆に情熱的に見つめられたら、鼓動が速くなってしまいそうな、そんな目。一見さわやか好青年に見える中で、その目だけがこの人を只者じゃないと思わせてるっていうか……。
とりあえず、一瞬の間にそれだけのことはチェックしておいて、少し照れたように、ニッコリと微笑んでみた。
「ありがとうございます。とても、おいしいです」
「それは、よかった。……こちら、よろしいですか?」
隣の席を示す彼に、うなずく。
スマートな仕草で左横に腰を下ろした彼の前に、中年のバーテンさんが新しいグラスを置いた。
「突然で驚かれたでしょう?すみません」
「あ、いえ、そんな……。でも、こんなの、されたの初めてで……。ドキドキしてます」
謝った彼に、胸にちょっと手を当てて、そう言う。
「僕も、初めてです。ものすっごく恥ずかしかったので、もう2度としませんが……」
「えぇ?そうなんですか?」
意外にも顔を赤くしたスーツの彼の、本当に照れたような姿に驚いて目を丸くする。
てっきり、慣れてるもんだと……。
勇気あるね〜。そんなにあたしの顔が好みだった?
目があって、お互いにクスクスと笑い合う。
……じゃあ、その勇気に敬意を払って、たっぷりとかわいい女を演じてあげようじゃないの。
「あぁ、申し遅れました。城ヶ崎と申します。あなたは、まゆさんとおっしゃるのだと……。すみません。さっき話が聞こえてしまって……」
「いいえ、気にしないで下さい。……各務麻由です。改めまして。城ヶ崎さん、ごちそうさまです」
名乗ろうかどうしようか少し悩んだけど、下の名前はもうわかってるんだしって、ニッコリと笑みを浮かべて、できるだけかわいくみえる仕草でそう言ったあたしに、城ケ崎さんは、『いえ』と軽く頭を振った。
その表情に、一瞬戸惑いのようなものが見えた気がして、内心首をひねる。
あたし、今、なんか変だった?
「麻由さん、とお呼びしても?……馴れ馴れしい、かな?」
何事もなかったようにさわやかに問われて、さっきのは気のせいだったのかもと思う。
「全然!あたし、童顔だから、いつも‘ちゃん付け’されちゃうんですよ。だから、麻由さんなんて呼ばれ慣れてなくて、恐れ多いくらいで……」
これはほんと。麻由さんなんて呼ぶ奴、あたしの周りにはいない。
城ヶ崎さんが、それを聞いてクスクスと笑う。
「恐れ多いって……。おもしろい人だな。童顔って、僕より年上には思えませんが、そうだったりしますか?」
城ケ崎さんは、28歳だという。
やっぱり係長と同じ年。でも、絶対、係長よりクラスは上って感じ。
う〜ん、この若さでこのスーツと時計?一体何者よ?お坊ちゃまっていう感じはないし、どっかの重役?でも、それにしては若すぎだよね……?
頭の中ではそんなことを計算しつつ、それをやっぱり顔にはまったく出さないようにして、いたずらっぽく笑ってみる。
「女性に年を尋ねるのは失礼なんですよ?」
「あぁ〜……すみません。そうでした」
「ふふ。冗談です。あたしは、25歳です。あんまり胸を張って言える年じゃないですけど……」
「そうかな?僕は、女性は25を過ぎたくらいから美しさに磨きがかかると思うけれど……?」
あたしが年下とわかって安心(?)したのか、城ケ崎さんの口調がくだけたものに変わる。
でも、敬語を使っていた時と変わらない心地よさがこの人の口調にはあって、全然馴れ馴れしさやいやらしさを感じないのが不思議だった。
「お上手ですね〜。さすが、こんなかっこいいことができちゃう人って感じですね?」
そう言って、オレンジのグラスを持ち上げて一口飲むと、城ケ崎さんが困ったように自分の顔をひと撫でする。
「……あんまり、いじめないでくれるかな?」
その、困った顔が結構かわいいな、って思って、ついクスクスッと笑ってしまった。
「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんですけど。……あ!そういえば。このカクテル、とってもおいしくて気に入っちゃったんですけど、城ケ崎さんが選んで下さったんですか?」
このオレンジのカクテルを一口飲んだ時に感じた疑問を聞いてみる。
……だって、今までこういう場所に連れてこられて、『君好みだと思うんだ』って飲ませられたのは、大抵甘ったるいので、何考えてるんだか、やたらアルコール度数の強いやつばかりだったから。
まぁ、もともとアルコールにはめちゃくちゃ強いあたしが、そんなのに酔うわけないんだけど。酔ったふりして、適当にかわして、さっさと帰ったりしたんだけど。
だからこそ、この甘すぎず、アルコールもきつくないカクテルは、とても嬉しい誤算だった。
あたし、元々お酒は甘くない方が好きだし。
「僕が選んだというか……。僕はただ、麻由さんが難しい顔をしてため息をついていたから、そういう時には甘いものよりも、あっさりとしたものの方がいいだろうと思ってそう言っただけだよ」
え……。あたし、そんなに顔に出してなかったと思うんだけど、この人って結構鋭い。
やっぱり、只者じゃないのかも……?
「あとは、彼、木島さんにお任せしたから」
城ケ崎さんから出た木島さんの名前に、中年のバーテンさんがこっちを見て笑顔で軽く会釈する。
それに笑顔で返すと、ゆったりとした仕草で新しいカクテルを2つ用意した彼が、そっとそれをあたし達の前に置いた。
「うわぁ〜、真っ白……!」
目の前に置かれた真っ白なカクテルに、素直に目を輝かせた。
三角形の底に、うっすらと見えるピンクはきっとさくらんぼだ。真っ白な液体がまるでさくらんぼを包んでいるみたい……。
「当店の名前にちなんだカクテル、‘cocoon’です」
そっか、繭なんだ、このカクテル。
うんうん。そんな感じ。きれい!
「お2人の素敵な出逢いに。ささやかではありますが、私からサービスさせて下さい」
木島さんがそう言って、ニッコリと笑った。
あらあらまぁ……。
とても照れくさいサービスに、隣を見れば、顔を赤くした城ケ崎さんが、困ったようにまた顔を撫でていた。
「まったく、木島さんは……」
ニコニコ顔の木島さんに城ケ崎さんが何か言おうとした時、プッと噴き出す声が聞こえた。その声の方へ顔を向けたら、グラスを洗っていた、さっきの若いバーテンさんが肩を揺らして必死に笑いを堪えている。
…………?
「……ま〜き〜た〜」
まきた??
さっぱり何が起こっているのか理解できてないあたしを置いて、こぶしを握り締めてる城ケ崎さんがそう言うと、若いバーテンさんがこちらへやってきて、木島さんの隣に並んだ。
ものすっごく楽しそうなニヤニヤ笑いで。
「失礼しました。……でも、俺にもサービスさせて欲しいですね〜。動揺するオーナーなんて貴重なもの、見せてもらえたし」
え?オーナー?
「蒔田。……ここに客で来ている時にはオーナーはやめてくれって何度も言ってるだろ?」
「はいはい、わかりました。……では、お客様。今宵、偶然が連れてきてくれたこちらのかわいい方に、私からも一つ、サービスさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……勝手にしてくれ、もう」
あっという間に、蒔田さんと呼ばれたバーテンさんと城ケ崎さんの間で話が進んで、その間、あたしはなんとか頭の中で2人の会話を整理していった。
木島さんがにこやかな笑みを崩さない中、蒔田さんは再びグラスを洗いに去っていく。
あたしは、首を傾げながら、なんかぐったりした様子の城ケ崎さんへ顔を向けた。
「あのぉ〜……。城ケ崎さんが、ここのお店のオーナーさんなんですか?」
「……あぁ、うん。まぁ、僕がというより、会社が、だけどね」
会社?会社でオーナーって……!?
「城ケ崎さんって、社長さん!?」
「……あ〜……そんな名前ついていたかもね」
肩書きに。
普通の男なら自慢するべき場所を、ものすごく言いにくそうにつぶやく彼の様子に驚くと同時に、興味がわく。
……一体なんの会社の社長なわけ?言いにくい会社?実はヤのつくお仕事だとか……。あ、あるかも、これだけ眼力のある人だもんね。
「……何か、変なことを考えているね?麻由さん」
「え!?あっ……えっとぉ……」
しまった、思わず本気で顔しかめたかも。
ごまかすように、えへへっと笑うと、城ケ崎さんが、苦笑しながらも一枚の名刺を滑らせた。
その名刺を手にとって、再び驚く。
代表取締役社長、城ケ崎直人。その上にあった名前は……。
「城堂コーポレーション……って、あの、jo−do?」
最近、急成長中とかっていう?有名企業の?
「たぶん、それだね」
「…………」
……うっわ〜!只者じゃないとは思ったけど、ほんっとに只者じゃないじゃない!
jo−doっていえば、あたしも詳しくは知らないけど、まだできて数年しか経たないのに、破竹の勢いでぐんぐんと成長してるIT企業だよねぇ?そこの社長〜っ!?
…………上等どころの話じゃない、超一級っ!
「あたし、すごい方からごちそうになっちゃってたんですね〜……」
びっくり〜って(いや、ほんとに今回はかなり驚いたんだけど)、目を丸くして城ケ崎さんを見つめたら、また彼が困ったように苦笑した。
「別に全然すごくなんてないよ。大学時代に、たまたま友人と作ったソフトが売れたってだけで作った会社だし……。肩書きだけは社長になっているけれど、これだけ会社が伸びているのは、一緒に会社興した副社長の堂本に経営の才能があったのと、社員達が優秀だからだよ」
堂本さんという副社長のことと社員のことを話す彼の目が一瞬すごく優しくなった。
城ケ崎さんという人は、世の社長に比べるととても消極的な人に思えるけど、会社を愛する気持ちはすごく強そう。
でも、謙遜してるけど、これだけ目に力のある人だし、今のjo−doが伸びてるのは絶対にこの人の力が大きいんだと思う。
……なんか、この人って、あたしが会った今までの男と全然違う感じ。
もしかして、中身も一級だったり……?
……ううん、まだわからない。そんな完璧な男がいるとも思えないし。
「それに……」
言葉をつなげた彼が、視線を動かしてあたしを見つめた。
その力のある瞳の奥に見えたかすかな情熱に、勝手に鼓動が跳ねる。
「今の僕は、ただの男だ。……君を口説こうとしている、ね」
「!」
……その目は卑怯。
顔がかすかに火照るのも、鼓動が速くなってしまうのも、その目のせい……。
この人は危険。警笛が鳴る。
その目だけで、好きだと勘違いさせられてしまいそう。そうなったら、傷つくのはあたし……。
でも。
「……上手に、口説いてくださいね?」
とびきりの笑顔で、そうささやいた。
だって。
こんな条件のいい男、逃す手はないでしょ!