12)
城ケ崎さんと一緒に、生まれて初めて救急車に乗って病院へ運ばれた。
あたしの怪我は大したことなくて、打撲少々と首の切り傷だけ。その首の傷も、もう血も止まりかけてたし、消毒されて包帯されて終了、だったけど、城ケ崎さんはそうはいかなくて、何針か縫うことになるみたいだった。
診察が終わった後、刑事さんに軽く事情聴取を受けた。詳しくはまた明日警察に行くってことになって、刑事さんは帰って行った。
城ケ崎さんを待つ間、ずっと付き添ってくれていた暁が、今日彼があそこにいた理由を話してくれる。
「この前、麻由の話を聞いて、おかしいなと思ったんだ。一度しか会ったことのない私が言うのも変だけど、あの人がそんなに自己中心的なことをするとも思えなかったから……。だから、麻由には叱られるの覚悟で、城ケ崎さんに連絡を取った。ごめん」
……お人好しなんだから。
あたしのために泣いて目を赤くした暁が、いたずらを見つかった子供みたいに謝るのを見れば、怒る気も失せてしまう。
軽く首を横に振ったら、暁がホッとした顔をする。
「それで、城ケ崎さんから話を聞いたんだ。……まぁ、詳しいことは本人から聞いた方がいいと思うから言わないけれど。ただ、ずっと、麻由に避けられて途方に暮れていたらしいぞ?電話には出ないしメールも返ってこないしで。麻由の家にも訪ねていったらしいけど、麻由はその頃からうちにいたしな」
「そう、なの……?」
彼はまだ、あたしに会おうとしてくれていたの……?
「うん。城ケ崎さんに、どうしても麻由に会わせて欲しいと頼まれた。まぁ私も、話を聞いて彼の事情もわかったし、麻由の気持ちも知っているし、二人で一度話した方がいいなと思って。だけど、ストーカーのこともあるし、滅多なところでは会わせられないだろう?だから、今日、うちへ来てもらうことにしていたんだ」
「……なんで、言わなかったのよ?」
「言ったら、会ってたか?」
……それは、会わなかったかもしれないけど。
心の中のつぶやきが聞こえたみたいに、暁が人の顔を見て小さく笑った。
そして、改めてあたしの顔を見て、小さくため息をつく。
「幸紀君と偶然電車で一緒になって、麻由を1人にしているし、できるだけ急いで家に向っている途中で、城ヶ崎さんから電話があったんだ。切羽詰った声で、暗証番号を聞かれた時には、焦ったぞ。二人で、全速力で走ったんだからな?まったく、あれほど気をつけろと言ったのに……」
「……ごめん。反省してます」
さすがに暁の家で襲われることになるとは思ってなかったとはいえ、一人で出かけなければ、あんなことにはならなかった。
巻き込んで、心配かけて、本当にごめんって、暁に謝れば、彼女が苦笑する。
「とにかく、無事でよかった……」
「うん。……本当にごめんね、暁」
もう一度謝ったら、暁が軽く首を振った。
「そんなに謝らなくていい。一番怖い思いをしたのは、麻由なんだから……。大丈夫か?」
再び心配そうに眉を寄せた彼女を安心させるように、小さく微笑んでみる。
「ん。怪我も大したことないし、ひどいことされる前に助けてもらったし……」
圧し掛かられた重みとか、首にナイフを当てられた感触とか……思い出せば、ゾッとして震えそうになるけど……。
「麻由……」
思わず両手を握り合わせたら、その上に暁のきれいな暖かい手が重ねられた。
その暁が、また泣きそうに目を赤くしてるもんだから、つい笑ってしまう。
「もう、また泣く〜。そんな顔した暁帰したら、あたしがゆっきーに叱られちゃうじゃない」
それじゃなくても、うかつな真似したこと、後で散々お説教されそうなのに……。
「うぅ……。だ、だって……」
「……あたしは大丈夫よ、暁。こうやって、あたしのために泣いてくれる友達がいるんだもん。心強いったらないじゃない?」
そう言って笑ったら、暁の顔が歪んで、泣き笑いの表情になった。
「まゆぅ〜……」
あぁ〜あ、美人が台無し……。
「暁ったら、もう……」
「暁さん、麻由さん」
ぐちゃぐちゃ顔の暁に苦笑していたら、そう呼ぶ声が聞こえて。
顔を上げたら、早歩きでこっちへ向かってくるゆっきーが、軽く手を上げた。
「幸紀君!」
暁の顔が、わかりやすいくらいパァッと明るくなる。
でも、その彼女の顔を見たゆっきーが、苦笑した。
「あ〜あ、ひどい顔……。また泣いてたの?暁さん」
「だ、だって麻由が……」
こらこら!それじゃ、あたしが泣かせてるみたいじゃないの。
よしよしって感じに、ゆっきーが暁の頭を撫でると、彼女の顔がみるみる赤くなった。
……あ〜のねぇ〜。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ。軽くあたしを無視して、イチャつかないでくれる?」
椅子に座ったまま、ジト〜って、恨みがましい目で見上げたら、暁がさらに顔を赤くして、ゆっきーがクスッと笑う。
「ごめん、ごめん」
まったく……。
「それで、どうだった?傷の具合は……」
「あ、うん。おかげさまで、あたしは大したことなかったんだけどね……」
ゆっきーの問いに、そう言って、処置室と書かれた部屋へ視線を動かす。
「そっか……」
城ヶ崎さんがその部屋に入ってから、結構、時間が経ってると思う。
待たされる時間が長くなればなるほど、どんどん不安が募っていく……。
「大丈夫だよ。見た感じ、変な言い方だけど、きれいに切れてたっぽいし。チョイチョイって縫って終りだって」
処置室にチラッと目を向けたゆっきーが、そう言って、あたしを安心させるようにニッコリと笑う。
「うん……」
その笑みに、不安が取り除かれたわけじゃないけど、少しだけホッとしてうなずいた。
年下で、童顔で、女の子みたいにかわいい顔してるくせに、時々妙に落ち着いた大人っぽい顔することがあるんだ、ゆっきーは。
そういう時、なるほど、ちょっとかっこいいかも、とか思わせられるのが、なんかくやしいけど……。
「そういえば、幸紀君は、どうしてここに?」
そう言って、暁が首を傾げる。
そういえば、ゆっきーは、マンションに残って警察の相手や片付けとか、色々と後処理をしてくれていて、ここに来る予定じゃなかったはず……。
「どうしてって……。やっぱり気づいてないし」
「?」
再び首を傾げた暁に、ゆっきーが苦笑交じりにため息をつく。
「暁さん、車のキー持ってきちゃってるでしょ」
「キー?」
「うん。城ケ崎さんの」
ゆっきーがそう言って、椅子に置いたままの暁の鞄を指差す。
城ケ崎さん、車の止める場所がわからなかったらしくて、迷惑にならない程度の場所に路上駐車してるらしい。それをゆっきーが動かしておくからって、鍵を借りて……っていうやりとりをしてたのは、なんとなく覚えてるけど。
「え?だって、鍵はあの時テーブルに……。あれ?」
自分の鞄を覗きこんだ暁が、驚いたように、見覚えのある鍵を取りだした。
「やっぱり。出かける前に鞄をごそごそしてたから、そうじゃないかと思ったんだ」
鍵を受け取ったゆっきーが、苦笑する。
でも、暁が持ってきちゃってたのは、それだけじゃなかったみたいで。
さらに鞄へ手を突っ込んだ彼女が取りだしたのは。
……小さなぬいぐるみと、なぜか塩の入った小瓶。
「あ、あれ??」
暁ってば……。
驚いて、そして恥ずかしげに顔を赤くした彼女に、ゆっきーと顔を見合わせて、お互いに噴き出したいのを堪えた。
「……暁さんが持ってきたかったのは、これでしょ?」
押さえ気味にクスクスと笑いながら、ゆっきーが、財布を差し出す。
どうやら、混乱して慌ててた暁は、財布を忘れて、目についたものを思わず入れてしまってたらしい。
それだけ慌てさせちゃってたってことは、申し訳ないけど……。
そそっかしいんだから、もう。
「ごめん、幸紀君……」
財布を受け取って、情けなさそうな顔をする暁に、ゆっきーが、クスッと笑って首を横に振った。
その暁を見る優しいまなざしが、城ケ崎さんと被って……。
また処置室の扉を見つめたけど、まだ出てくる気配は感じられない。
「じゃあ、俺、先帰ってるね」
そう言ったゆっきーの声に振り向くと、腕時計から目を離した彼が、ジーンズのポケットに、暁から受け取った鍵を突っ込む。
「一応警察の人に、路駐で引っ張って行かないで下さいとは頼んであるけど、早くどかさなきゃいけないだろうし」
まぁ、それはそうだよね……。
「じゃあ、暁も一緒に帰ったら?」
たぶんゆっきーは、暁の車で来てるんだろうから、ついでだし。
部屋の片付けとか、あたしが手伝えなくて悪いけど、ゆっきー1人じゃ大変だろうし……。
「え?でも、麻由は……?」
暁があたしを心配そうに見つめる。
「あたしは、大丈夫。もうそんなに待たなくてもいいと思うし。城ケ崎さんのこと、送りたいから……」
幸いに、あたしの怪我は大したことないし。
「でも……」
「それに……。ちゃんと、話もしなきゃって」
ごめんなさいも、ありがとうも、それから……。
……少し怖い気持ちはあるけど、あたしのことも。
彼は、会いに来てくれた。あたしのこと、怪我をしてまで守ってくれた。
あたしも、逃げずに向かい合わなきゃ。
「そう、か……」
暁が、まだ心配そうに、それでもあたしの気持ちを汲んで、そうつぶやく。
「本当に、大丈夫なんだな?」
「うん。ありがと、暁。ゆっきーも」
そう言って、いつものように笑ったら、二人が安心したように微笑んで首を横に振った。
「じゃあ、先に帰るけれど……。後で、うちに戻ってくるんだろう?迎えに行こうか?」
「あ〜、あたしもそのつもりだったんだけどね……。お父さん達が急いで帰るって言ってるし、それまで叔父さんのところにお邪魔することになっちゃって」
旅行の最中に連絡を取ることは控えたかったけど、そういうわけにもいかなくて、連絡を入れた結果……。
飛んで帰ってくるというお父さんを『もう大丈夫だから』となだめるのは大変で、結局は、叔父さん夫婦のところへお邪魔することでなんとか落ち着いてもらった。
叔父さんに連絡したら、お父さん同様、今にも飛んできそうな勢いだったけど、城ケ崎さんのことを話して、彼をちゃんと送り届けてから連絡するって言ってある。
「まぁ、その方がご両親も安心だろうしね」
ゆっきーの言葉にうなずきながら、小さくため息をつく。
確かにそうだろうけど、あたしとしては、暁たちのところへ泊めてもらいたかったっていうのが本音。
叔父さんところに行ったら、どれだけ過保護にされるか……。
……トイレにまでついてきそう。
「もし何かあれば、連絡してこい。私はいつでも気にしないから。絶対に強がって無理するなよ?」
暁……。
「うん、わかった」
暁の気持ちがうれしくて、ニッコリと笑ってうなずいた。