第1話
俺は矢吹謙一、36歳。
人生まだまだこれから、トラックの運転手として全国どこでもお届けしますの精神で、寝る間も惜しみ働いている。
家には8才のかわいい娘「美咲」と、16の息子「昇一」。妻「明美」は娘の誕生と共に天国にいっちまった。
だからと言う訳じゃないが、子供達にはせめて楽な暮らしを送れるよう俺が頑張ってると言うわけだ。
…ろくに家に帰れず、子供とのコミュニケーションの仕方が分からなくなっているなんて、明美が知ったらどんな顔をするだろうか。
おっと、俺の大事な相棒の紹介を忘れていたな、大型トラックの「スペシャル謙一号Mk2」。苦節14年、北は青森、南は鹿児島、苦楽を共にしてきた俺の半身だ。
なぜ、Mk2なのかは詮索しないでほしい。人間思い出したくない脛の傷の一つや二つあるものだ。
トラックの運転手、つまり運ちゃんは荷物を全国各地に運べば運ぶほどお金が手にはいる完全歩合制だ。早く届ければそれだけ早く休めるのだが、かかった高速代などは自腹であることが多いので地道に下道を走ることもある。
俺は家のローンに子供二人と、お金はいくらあっても困らない事もあり、がむしゃらに働いた。
そのせいもあるのだろうか、俺は今までの人生が一変してしまうような大事件を起こしてしまったのだ。
思わず神に祈ってしまうような大事件を。
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俺の勤めている会社は中小企業の運送業だ。今は支部長をしている竜也おじさんのコネで入れてもらったようなもので、この人には頭が上がらない。
「今日も気ぃ入れて仕事に臨むように!」
「うーす」
朝のミーティングで竜也おじさんの言葉にいつものように返し、運送の支度をしていると同僚が近くによって来た。
「お前疲れてないか。無理は禁物だぞ」
「ばーか、休んでられないっつうの。お腹を空かせた子供が二人家にいるからな」
軽く返して、支度を続ける。
「そうか、ほどほどにしとけよ」
そういって、同僚はヒラヒラと手を振って仮眠室に消えていった。
「疲れてんのはお前の方じゃないか」
おもわず、仮眠室の方を見ながらつぶやく。
今日は軽めの仕事だけにして早めに家に帰ろう。
そう思い荷物を積み込んでいると、竜也おじさんが声をかけてきた。
「どうだ調子は」
どうだもなにも別になんともない。そう返すと、
「相変わらず、お前はつまらんなぁ。少しはボケのひとつでも覚えたらどうだ」
「余計なお世話です」
「だけどな、運転中に大ボケやらかすなよ。分かってると思うが、この仕事は慣れたと思ってるときが一番危ねぇんだから」
はいはい、分かってますよ。とヒラヒラと手を振ってスペシャル謙一号Mk2に乗り込むとエンジンをかけた。
まったく、慣れたと思ってるときが一番危ないとは竜也おじさんの口癖で俺が運ちゃんになった14年前から言い続けているのだ。
勿論、自分を戒めてくれる存在が近くにいるありがたみはこの年になって身に染みてはいるが、いつまでも小僧扱いを受けているようで素直に受け取れない。
スペシャル謙一号Mk1を事故らせてから、信用回復に至った形跡がないのはとてもつらい。
あれ以来、無事故無違反の安全運転に努めているのだけれど。
内心モヤモヤさせつつもスペシャル謙一号Mk2を出発させた。
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今日のルートは何度も通った道で、簡単に片付く仕事のはずだった。
閑静な住宅街、交差点で信号待ちをしていると青白い肌をしたどこかの学校指定ジャージに身を包んだ少年がフラフラと歩いているのが目についた。
朝とはいえ、学校はすでに始まっている時間のはずだ。だが、わざわざ声をかけるほど親切心はない。
おおかた、創立記念日で休みだとか、登校拒否だとかだろう。
一人勝手に納得しながらも、何とはなしに目はその少年を追っている。
死にそうな目をしてんな…
おもわずそう思ったが、ちょうど信号が変わったのでブレーキを離し、アクセルを踏んだ。
目の端で何かが横切ろうとしているのを捉えたのを最後に、俺の意識は途絶えた。
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「もしもーし!起きてくださーい」
妙に甲高い女の声で意識が浮上してくる。
まぶたを開けると、目の前に青い格好をした少女がこちらの顔を覗き込んでいた。
「良かった。うまくいきました」
と、嬉しそうなキンキン声。
よくよく見ると、ゆるふわパーマをあてたような蒼髪に、外人のような整った目鼻立ち、そしてなんともきわどい青い衣装を着ている、少々頭のおかしそうな少女である。
「私はアッカ。転生を担当する女神です」
訂正。かなり頭がアレな御方のようだ。
「あ、今失礼なこと考えましたね」
面倒だ、なるべく関わらない方がいいだろう。
にしても、俺はなんだってこんなのに絡まれなくっちゃいけないんだ。
俺の相棒に乗っていることは分かるが、ここはいったいどこだ。
そう思い辺りを見渡すと、先程と同じ閑静な住宅街が目の前にある。
だが、バックミラーに写る光景には激しく違和を主張する塊が鎮座していた。
慌ててトラックから降り、その塊に駆け寄ると、謙一の体を絶望が駆け抜けていった。
塊は赤い液体を黒いアスファルトに広げ、学校指定ジャージが力なくそれにまとわりついていた。
息はなかった。血の広がり具合からみて、傷の大きさ、時間の経過、共に手遅れであることを示していた。
おしまいだ。
謙一の脳裏に今朝の同僚、竜也おじさん、まだ8才の娘や年頃の息子、亡き妻の顔が浮かんでは消える。
カッと熱くなった頭で、捕まるわけにはいかないと思った。
若者の前途ある人生を踏みにじったと感じる余裕もなかった。
ただ、子供達や、大恩ある会社の仲間を思うと発覚するわけにはいかないと思った。
トラックで逃げようと振り替えると、先程の青い少女が笑顔でこちらを見ている。
「その少年は猫を助けようとして、あなたのトラックに轢かれました。なかなか有望な若者です」
狂っているのかこいつ。何が有望な若者だ。
少女の脇を通り抜けようとすると、立ち塞がってきた。
「よろしければ、そちらの少年の処理を任せて貰えないでしょうか」
勝手にしろ!どけ!と怒鳴ると、
「ありがとうございます、契約成立ですね」
と満足そうに微笑み横にどいた。
俺は一目散にトラックに乗り込み、どうやって運転したか覚えていないがトラックのまま家に帰ったらしい。
家についたあとは、ガタガタ震えながら布団に潜り込んだが、落ち着かず、寝ることも出来ないで消耗し、しばらくしてから良心に耐えられず飛び起き、そのまま近くの交番に向かった。
交番では、自主しに来ましたと言うと、思ったよりも優しい態度で尋問された。未だ混乱しており、不明瞭な俺の言葉を根気よく聞いてくれたと思う。
ひとまず、パトカーにのってトラックのある自宅と事故現場に案内するよう言われ、まず事故現場に向かった。
事故現場では先に到着していた別のパトカーが止まっていたが、肝心の事故現場がないと言うのだ。
そんなはずはない、と確かに少年を轢いた交差点にいくが、少年はおろか血の一滴も現場に残っていない。
次に自宅に向かう途中で、白昼夢だったのかと自分を疑ってみるが、現実の出来事だったとそう感じたことは確かに覚えている。
自宅に到着しトラックの検分が行われるが、なにかとぶつかったようなへこみや血糊は見つからないと言われる。
一応念のためですからと、警察署につれていかれ、各種薬物検査を受けるはめになってしまった。
無事に解放されるも、釈然としないまま帰ることとなった。
勿論、青い格好をしたイカれた女の話もしたのだが、妄言癖の疑いを強くしただけで終わってしまった。