十年越しの再会
母みなえとの再会を果たし、妹の凶報を耳にした達志は、その後泣き崩れた母をなだめ、落ち着いた母との会話を楽しんだ。
これといって何かを話たわけではなく、なんでもない話をただ、のんびりと。ちなみに、眠っている間髪を切ってくれていたのはやはりみなえだった。
これまでの十年分を埋めるには、短すぎる時間。だが、起きたばかりの息子に無理はさせられないし自身の予定もあるからと、みなえは一時間ほどで帰宅した。
今後のことは、先生と話し合って決めるそうだが、詳しく検査を受けて異常がなければ、退院も近いだろうとのこと。
どうやら今、みなえはスーパーのレジ打ちを行っているらしい。今回、達志か目覚めたことを受けて仕事を抜け出してきたとのこと。
一人ならまだしも、入院中の息子の治療費をそれで払えるのだろうか……と疑問は湧いたが、それを聞くのもヤボというものだろう。
去る間際、意味ありげに笑っていたのが気になったが、何も言われなかった。ただ、これから人が来る、とだけ。誰かも聞いていない。
無理はさせられないと、言っておきながら人を呼ぶということは、達志と二人きりの状況を作った、ということなのだろう。
せっかく目覚めた息子との再会だ、そのまま早退しても何も言われないだろうに。
そうも気を使ってくれる相手。妹であることりでないならば、はて誰か……と思考を巡らせていた時だった。みなえが去って三十分程だろうか。
ドタバタ……とみなえが来たときに負けず劣らずの足音が聞こえてきたのは。
その主は、看護師から注意を受けながらも、やはり止まる気配はない。そうして、部屋の前までやってきた人影は、ノックもないままに慌ただしくドアを開け部屋へと入ってくる。
もし着替えの最中だったらどうするのだろうか。
……達志は、部屋の入口に立つ人物を見やる。そこにいたのは、赤いふちの眼鏡をかけた、スーツ姿の女性だった。
肩まで届かないくらいの栗色の髪は"ふわっと"しており、触ったらサラサラ且つ柔らかそうだ。
……が、それもあくまで予想に過ぎない。なぜなら彼女の髪は、走ってきたためかボサボサに乱れているからだ。眼鏡はズレ、汗だくだ。
それでも“綺麗”だと感じるのは、元々の素材が際立っているからだろう。
スーツ越しにもわかる豊かな胸元に、思わず目が行ってしまったのは男の性だと見逃してもらいたい。短いタイトスカートから伸びる脚は白く、こちらも男の目を引く。
まさに大人のお姉さん、と表現するに相応しいだろう。
……が、あまり年上っぽさを感じさせないのは、子供っぽさが残る顔立ち……いわゆる童顔だからであろう。
もしかしたら年上ではないのかもしれない、と一瞬思うが、着ているスーツの存在がそれを否定する。
大人っぽくも親しみを感じさせる彼女は、その顔が汗に濡れておらず笑顔を浮かべれば、老若男女問わず人気を独り占めだろう。
……と、ここまで目の前の女性を観察してきたが……はっきり言って、目の前の人物を達志は知らない。綺麗な人とはいえ、何故見ず知らずの女性が己の病室を尋ねてきているのか?
スーツということは、もしかして仕事を抜け出してまで来たのではないか?
見舞い違い、という可能性もあるが、女性は膝に手を当て、息を整えながら達志を見つめている。
部屋を確認する間もなく入ってきたとはいえ、ここまで一心に見つめられて何も言わないということは、間違いという可能性は少ない。
つまり、女性は達志のことを知っているということだ。そして、こうも急いで来てくれるほどに心配していたのだと。
対して達志に覚えは、残念ながらない。
見ず知らず(俺が忘れてるだけなら全力で謝ろう、と達志は内心誓う)のこんな綺麗な女性が、こんなにも必死になって自分のお見舞いに?と少し嬉しくなったりもした。
自然と顔がにやけそうになるほどに。
……そういった感情とは別に……見覚えのないはずの女性に、達志は懐かしさを感じてくる。
この人のことは知らないはず……でも、知っているはずだと、お前はこの女性を知っていると、本能が告げる。
その答えは、女性が発した一言により明らかとなった。
「……たっ、くん……」
達志を見つめ、まだ息を整えながらも落ち着くように、胸に手を当てる女性。ゆっくりと口を開く。その言葉……“呼び名”に、達志の脳は活性化する。
懐かしさを感じる顔立ち、気持ち。そして何より、達志のことを「たっくん」と呼ぶのは一人しかいない。
背は伸び、以前とは違う。顔は大人っぽくなりながらも、童顔の部類。女性としてはコンプレックスを感じていた身体も、今ではスタイルは抜群だ。
あの頃の面影を残しながらも、成長したその姿。正直姉か何かと言われた方がまだ納得できるが、あいつに兄弟姉妹はいない。つまり、本人。
達志にとっては、つい昨日会ったばかり。それが驚くべき変化を遂げている。だがあれから十年の時が経ったというのなら、この見た目の変化も納得せざるを得ない。
「……まさか……ゆ、か……か?」
「……十年ぶりなのに、覚えてくれてだんだ」
そこにいたのは……達志の幼なじみである、如月 由香であった。由香は達志の言葉を聞くなり、今にも泣いてしまいそうなほどに目の端に涙を溜め、微笑んでいる。
その表情を見るだけで、彼女がどれほど心配してくれていたのかが伝わる。
……なるほど、よく考えれば、すぐに気づいてもよかったのだ。母みなえは、この後来る人物と二人きりにするために、一人帰宅した。
わざわざ十年ぶりの息子との再会を中断してまで気を使おうと考える人物……そんなのは、限られた人物しかいない。
全く、いらぬ気を使わせてしまったものだ。わざわざ自分が去ってまで二人きりにしたい相手が、幼なじみの由香であるとは……
「……由香」
「……なに? たっくん……」
こう呼ばれるのも、昨日までは気恥ずかしかったのに、今では心地よささえ覚える。
体感では昨日のことでも、実際には十年経ってしまったと……心が、感じ取っているのだろうか。不思議だ。
何を言われるのか……期待に瞳を潤ませ、頬を赤く染めながら待っている由香に対して、達志は……
「しっかしお前……えろくなったなー」
「……なっ……!」
気を使うほど感動的な再会など、俺とこいつには似合わない。だから達志は、思いのままに感じたことを伝えるだけなのだ。
それを聞いた由香が顔を真っ赤に、身体を隠すのを気に止めることもなく。
「へ、変態! たっくんのえっち! せっかくの再会の言葉がそれなの!?」
感動的な言葉を期待していた由香の乙女心は見事に崩れ、代わりに湧いてきたのはなんとも言い難い、形容しがたい気持ち。
十年ぶりの再会が、こんな形で……だから由香は、怒る。とはいっても、恥ずかしさで顔を真っ赤に染め上げているため、迫力はないのだが。
思いのままに感じたことを伝えた結果、案の定、罵られてしまう達志。
そういえば、母さんと再会した時も同じようなこと言われたっけな……と、達志は由香の猛抗議に聞く耳を持たないのだが。
しかし、母親といい由香といい、こうも身近な人物の成長を見せつけられると……つくづく、十年経った世界というものを突きつけられる。
それに由香の成長ぶりは、人ってこうも変わるんだな、と目を見張るものがある。
昔は、胸はぺったん、背も低く、自分のスタイルに自信がないと言っていた。一部ではそこがいいと、ファンクラブまで存在するほどであったが。
……それが今ではどうだ。すっかり大人のお姉さんではないか。自分の知らぬ内に、みんな成長していたのだ。自分の、知らぬ内に……
……目が覚めたら、幼なじみが十歳年上になり社会人になっていた件について。今の状況を簡潔にまとめるなら、この言葉で充分だろう。