老けたな
十年前の異世界お引越し。それが、達志が眠ってしまってから起こった出来事だ。異世界にある国サエジェドーラに住まう人々が、達志らの住まうこの世界に引越してきたのだ。
眠っていたためその事実を知るよしもなかった達志の頭は、ただいま絶賛混乱中だ。
ただでさえ詰め込まれた情報が多いのに、情報の密度がこの上なく濃い。
故に、寝起きの……いや、寝起きでなくとも混乱するとは思うが、今の達志にはすんなりと受け入れることが出来なかった。
今、部屋には達志一人だけだ。というのも、混乱した頭を一旦整理するようにとウルカからの心遣いを頂き、現在に至る。こうしてベッドの上で一人、うんうん唸っているというわけだ。
腕には点滴が繋がれ、ベッドに拘束されている。体の調子はというと、目覚めてから多少のだるさはあったが、今はそんなことはない。
起きたばかりでは掠れていた声も今ではすっかり元通りだ。その旨を伝えたのだが、念のためにと点滴を外されることはなかった。
医者として、用心するに越したことはないということなのだろうか。
確かに達志が平気であると訴えたところで、十年越しに目覚めた男の体の調子を心配するのは、いくらあっても足りないだろう。
……が、そうとはわかっていても、だ。平気だと思う体を拘束されているのは、落ち着かない。何より、暇なのだ。
部屋を見回すとそこにあるのは、ベッドや点滴類といった病室必需品を除けば、テレビのみだ。好きに使って良いと許可は貰ったため、チャンネルをいじっているのだが……
時間帯が昼時なため、ニュースくらいしかやっていない。魔法を使った銀行強盗、宝くじで一攫千金、など内容に興味は引かれこそすれど、誰が、どこで、といった情報は達志にとってはちんぷんかんぷんだ。
以前よりチャンネル数が増えているため、チャンネルを変えるとニュース以外の番組も放送している。
だがそれも、達志にとっては知らない司会者、知らない芸能人で……達志が好きだった番組も、知っていた番組すらも、今はない。
どうにか知っている芸能人はいないか、と探していたのだが、成果は芳しくない。発見しても、しつこいくらいに出て活躍してた芸人達は今や、あの頃の芸人達、というコーナーで出てくるのを発見したくらいだ。
芸能人以外でも、歌手もそうだ。達志が好きだった歌手は露出が減り、誰だこいつ、と達志の記憶にない人達ばかりが出ている。
バラエティーは知らない世界に変わり、ドラマは一話から見なければさっぱりだ。
こうしてテレビで世の中の情勢を見ていると、自分の知っている世界とだいぶ変わってしまっているのだな……と実感する。
人気司会者が消え、当たり前のように猫耳獣人が場を取り仕切る。知っていたものが消え、新しいものが導入。ひどく時間の経過を感じる。
こうなってしまうと、テレビで時間を潰す行為は愚策に終わる。知らない番組でも見れば面白いのかもしれないが、あいにく今はそんな気分ではない。
変化を受け入れられないのに、変化したテレビを見るというのは何だか滑稽に感じるのだ。
……となると、残るはウルカに頼んで貸してもらった、今右手に握りしめている手鏡。これが、時間潰しの有効な道具だろうか。
手鏡を借りたのは、達志がナルシストで自分の顔に見惚れるため……ではない。今一度、手鏡に映る自分の顔を覗き込む。そこに映っていたのは……
「……やっぱり、変わってない……よな」
自分の顔に向けた手鏡に映るのは、当然自分の顔だ。くせっ毛なのか所々跳ねている、肩下まで伸びた黒髪に、漆黒の瞳という、ザ・日本人といった典型的に平凡な容姿。
目付きが眠そうなのは、おそらく寝起きという理由だけではない。元々がこの目付きなのだ。
以前は、髪は肩下どころか角刈りに近い髪型だった。それが今こうして伸びているということは、当然眠っている間に伸びたのだろう。
が、十年でこの程度の伸びということはあるまい。誰かが切ってくれていたのだろう。
……と、髪型のことはまあいいだろう。問題はこの顔……いや体だ。以前と変わらない、が、あまりに変わらなさ過ぎる。
十年経ったというのであれば、もっと痩せこけ一人では起き上がれないほどではないのだろうか。実際どうなのか知るよしもないが。
だがこの状態は、少し痩せてはいるものの以前と変わりない姿だ。肌の色も健康そのものだし、髪型以外は以前と変わらずと言えよう。
大きく変わっていたところといえば、目覚めてから掠れていた声だが、それも時間が経った今となっては元通り。
十年経って自分の見た目が変わっていないこの奇妙な現象に自然と眉を寄せる。が、ここはファンタジー世界になった世界。
現に魔法で治療されていた達志はその身に魔法の凄さを体験している。魔法というものがどれほど万能なのかはわからないが、もしかすると老化を止める魔法もあるのではないか。
……と、結論付けておくことする。
さっきウルカに聞いておけばよかった…ぼんやりと思うが、それも急ぐ必要はないだろう。次部屋に訪れた時に、聞けばいいだろう。
さて、テレビは見るものはないし、他に暇潰しの方法もない。……となれば、残された選択肢は……
「……寝るか」
この一言に、今から達志がやるべきことが詰まっていた。他にやることもないし、寝てしまうしか時間を潰すしかない。達志はベッドに横になり、目をつぶる。
十年も寝ていたのだ、そう簡単には寝られないだろう、とは思うが、それでも寝てさえしまえば時間は過ぎていく。
昔ながらの寝るためのおまじない、頭の中で数えた羊が百を超えようかというその時だった。
ダダダッ、と、まるで地鳴りでも起こってるんじゃないかというほどに忙しい足音が聞こえてきたのは。
廊下からも、廊下は走らないでください!と注意を促す言葉が聞こえてくる。全く騒がしい。こっちは今から寝るところなのだから、もう少し静かに……そう思っていた時だ。
「達志!」
慌ただしくドアが開かれたのは。勢いよく横に開かれたドアはドン、と壁にぶち当たり、それと同時に達志の名を呼ぶ声。その声は達志にとって、聞き慣れ親しんだもので……しかし、達志が知っているよりもどこか枯れたような声。
だが、それくらいで間違えるはずもない。一言聞いただけで身に染み渡る。その声の主が、誰なのかを理解する。そう、この声は……
「……母、さん?」
確かな確証を持って、ゆっくりと、振り向く。寝る前……つまり達志にとっては昨日も聞いたはずの……だけど時間の経過を思わせる懐かしい声。正体を間違えるはずもない。
体感時間ではなく、経過した時間としては、十年ぶりの声の主を……自分の母親の姿を、確認して……
「達志! 起きたのね!」
確認して……
「ほら、お母さんよ! わかる!?」
確認……
「あー、良かった。いつか目覚めるって、私信じて…」
「……母さん」
息子の目覚めを、無事を確認する母親。その光景はまさしくドラマのようであり、見る者の涙を誘う。
事実母親は涙を流し、息子の駆け寄ってくる。その様子を確認し、達志はゆっくりと、口を開く。
「ん? なあに?」
目に涙を溜め、次の言葉を待っている。十年ぶりに聞く息子の声に、それだけで涙が溢れてきてしまう。
何と声を掛ければいいのか、自分でもわからなくなるほどに。だからこそ、息子の言葉に耳を傾けて……
「……老けたな」
……瞬間、空気が凍った。それは、感動の涙を流す母親を、息子の言葉を心待ちにしていた母親の心を翻弄するには充分で……
「た、達志! あ、あんた、十年ぶりの母親に対して、老けたなんて……開口一番にそれって……」
怒りなのか悲しみなのか、よくわからない感情が母親を包んでいるのがわかる。とはいえ、十年ぶりに目覚めたの息子の第一声が、歳を食ったことに対する言及ならば当然だが。
「……」
言ってしまってから、達志も気づいた。これはあまりにもあんまりな発言だと。いかに現実を受け切れていないとはいえ、もう少しマシな言葉があっただろうに。
だが、ほとんど無意識に口をついて出たのだ。目の前の……母親の変化について。目の前の人物が母親なのは、間違いない。それはこの会話からも明らかだ。
間違いないのだが……間違いなく、母親は老けていた。若作りしているがそれでも、増えたシワやちょくちょく目に映る白髪など、息子からしてみればごまかしきれない。
これでも、若作りしている方だとは思うが。
そして『老けた』母親を目にした瞬間……これまでの出来事を心のどこかで認められなかった達志にとって、『これは現実』だと何故か頭が理解していた。
母親からすれば不服なこの事実が、達志が眠ってから、十年の歳月が経ったのだという、衝撃の事実を達志自身が受け入れる結果となったのだ。




