ウサギの恐ろしさ
「リミ……リミさーん? ほら、俺大丈夫だから。殴られただけだからさ!」
急激に辺りの気温が下がったように感じるのは、おそらく気のせいではない。現に、リミの体からは冷気……のような、青白い光が漏れているのがわかる。
リミを中心に、空気中の気温は低下していく。当然、それは人体にも影響を及ぼし……肌寒さを感じさせる。
「む? これは……」
「おや、なんだかひんやり……」
「こ、これはまさかぁー!?」
触手相手に殴り続けていたマルクスが、魔法を撃ちたがりたくてウズウズしていたルーアが、逃げ回っていた生徒の誰かが、口々に体の異変を察知する。早くも、周りへの影響が出始めたらしい。
遠く離れたマルクス達でそれなのだ。リミの近くにいる達志は、それはもう肌寒いなんて次元を通り越していて。鳥肌は立つは皮膚がふやけるわで散々だ。
「あの! ちょっと、リミさん!? 俺のために怒ってくれるのは嬉しいんだけど、これ俺にまで……ってか俺に結構な被害が!」
「あらー、聞こえてねえな。よかったじゃねえかタツ、可愛い女の子にこうまで想ってもらえて」
「想いの結果凍えそうなんだが!? なんでお前平気なの!」
「スライムだから?」
「なるほど、わからん!」
達志のために怒ってくれているのに、その達志に被害が出ているのでは本末転倒だ。そしてその達志の声が届かないというのだから始末に終えない。
直接止めようにも、寒さが増していっているため近づくことも出来ない。
そもそも、達志が怪我をしただけでこんなにも怒っている。正しくは、殴られただけなので対した怪我は……いや、痛いけど。
とにかく、それだけの理由でこんなにも怒っている理由が達志にはわからない。クラスメートが傷つけられて怒り心頭なのだろうか。だとしても……
「心優しいのか鬼畜なのかわかんねぇええ!」
クラスメートが傷つけられることには敏感なのに、それに対して怒ったときの周りに対してのリスクが大きすぎる。
それに、気温を変化させるなどいったいどれほどの力なのであろうか。
「んだこのやろう、妙な真似しやがって! おとなしくヒャッハーさせやがれヒャッハー!」
気温の変化は、当然対峙しているトサカゴリラにも影響がある。だがそれに怯むことはなく、相変わらず頭の悪そうな言葉を並べている。
そもそも妙な真似をしているのは向こうなのだが。その気合いだけは、素直に称賛してもいいかもしれない。
言葉の意味はわからないが、豪語するトサカゴリラは数本の触手を伸ばす。鋭い刃ともなり得るそれは、リミへと襲い掛かっていく。
達志の声も届いていないリミに、目の前の脅威は映っているのだろうか。
だが……その心配は杞憂に終わる。触手が、リミからある程度の距離に近づいた途端、みるみる凍りついていく。絶対零度の中心に近づく度に、触手が凍りついていくのだ。
リミはなんの動作もしていないのに、だ。
「な、なんだそりゃ……だが、お前の氷なんざ通じないぜ!」
リミに近づいただけで凍っていくなど、それはどれほど危険なことなのか。しかし、そんなものはこの際関係ない。凍りついても、リミの氷程度であれば簡単に砕くことが出来る。
それは先ほど実践したばかりだ。砕くことの出来る氷ならば、いくら凍らされても問題は……
「あ、なっ……?」
だが、目論みは外れる。凍りついた触手が、自由にならない。氷が砕けないのだ。つまり、今の氷は先ほどのものとは別物ということだ。
「……あなた、タツシ様に傷を……」
驚愕するトサカゴリラと同じ感情を、達志も抱いていた。ただただ、戦慄していた。目の前の少女の力が、すさまじいものであると。
そんな気持ちを抱いた時、その場に小さな声が響く。それは、怒りを押し殺しているかのような声。……というより、押し殺し切れていない声。
リミの意識は今、達志を殴った男だけに向けられている。だから魔法の制御も出来ておらず、力の垂れ流しのような形になっている。
魔法技術は学園でトップだというリミの、集中力が今切れたのだ。
「な、なんつーガキだ……」
「報いは受けてもらいますよ」
冷や汗すら、凍る。どんどん冷気の範囲が広まっている。このままでは、じっとしているだけでも全身が凍りついてしまうだろう。
その力の全てが今、トサカゴリラへと向けられようとしている。
この触手の硬度は相当なものだ。だがそれも、今のリミの魔法の前には通用しない。いくら地面を陥没させられるほどの威力があろうと、凍らされ動かせなくなれば意味がないのだから。
凍った触手は魔法を解除すれば問題はなくなるが、新しい触手を生み出すのにほんの数秒だがタイムラグがある。その時間が命取りになるだろう。
代わりの触手を生み出そうにも、増やせば増やすだけ制御が効かなくなってしまう。つまりは、今のリミはトサカゴリラにとって天敵にも等しい存在だということになる。
「あなたのその魔法も、全身も、全部凍らせて償わせて……」
リミが、手を向ける。その先端には青白い光が集まり、すさまじい魔力が溜まっているのがわかる。それを放てば、人一人どころか周囲の人間や草木地面すらも凍らせてしまうだろう。
このままではまずい。そう直感した達志は、出来る限り声を張り上げる。
「おいリミ! このままじゃさすがに……」
「"ファイヤー・ボム"!」
……だがその達志の叫びは、別の叫びによってかき消された。それはつい数時間前に聞いた、その場でつけたであろう魔法名であり、そしてこの場で使えば被害がとんでもないことになるからと使うのを禁止されていたものだ。
赤い火花が達志の真横を通り、それは目の前のリミへと向かう。狙いが目的地へと到達したその瞬間、火花は一瞬大きく輝き……膨大な魔力となって、爆発した。
「あぁああああああああ!?!?」
「おいなんだこりぎゃああああああああ!!」
「え、ちょっと待ってこれ俺までぶぁあああああああ!?!?」
爆発は、その中心にいたリミはもちろん、対峙していたトサカゴリラ、そして近くにいた達志までをも巻き込む。
幸い、リミから放たれる冷気によって周囲から人は離れていたため、その他に被害のある人はいなかった。
強大な爆発は、当然その場の全ての注目を集める。戦っていた者も、逃げ回っていた者も、全ての者が行動を忘れ、ただただ爆発を見つめていた。
そして、爆発を起こした張本人も……
「さすがは我が魔力! 我ながら惚れ惚れする威力……見たか!この力こそ、この私、ルー……」
「じゃねえよ! 何してくれてんだこのロリ中二が!」
自身が放った魔法の威力にうっとりとした表情を浮かべ、声高らかに自身の名を告げようとしたルーアだったが、それはその場に轟くほどの叫び声によって遮られる。その声の主は……
「た、タツ? なぜ無事で……」
「『よくぞ』じゃなくて『なぜ』な時点で前提から俺を巻き込むこと悪いと思ってなかっただろ!」
爆発に巻き込まれた、達志であった。
直撃でないにしろ、至近距離にも等しい距離での爆発を受け、十年の眠りにより常人よりも体の弱い達志か無事でいられるなどまず考えられないのだが……
「……水?」
「いや、オイラオイラ」
目を懲らせば、達志を覆うように水がある。人一人が入れる水風船の中に達志が入っている、と言えばわかりやすいだろうか。
その影響なのか、達志は爆発による被害を受けていない。驚くことに、水風船は喋りはじめて……
「……ライム、ですか?」
「ご名答!」
喋り方には覚えがある。まさかと思い名前を呼んでみると、水風船はどんどんと小さくなっていき……元の大きさに戻った。
達志の頭に乗っかっているそれは、間違いなくスライムのヘラクレスだった。つまりは、さっき達志を守るように覆っていた水風船はヘラクレスだったのだ。
「ルーア、お前爆発魔法を……おかけでこっちはなぁ……!」
「まあまあタツ、落ち着けって。ルアちんも、オイラがいたからこその行動だったんだって。な?」
「……そ、そうです! ライムがいたから、大丈夫かなって! えぇそうですとも!」
「とんでもない嘘つきやがったな。絶対便乗したろ。そもそもヘラが水風船形態になれること知らなかったろーよ、ごまかされんよ?」
たまたまヘラクレスが達志の傍にいて、たまたまその防御力(?)が爆発の威力を上回ったから、達志は無事だったのだ。そうでなければ、今頃……
「いや、助かったけどさ。助かったんだけどさ、ホントなんなんお前?」
助かったので文句を言うわけではない。が、これでまたヘラクレスの謎が一つ増えてしまった。防御系の魔法……というわけではないのだろう、使えるのは土属性だと言っていたし。
となると、自前の防御力ということだろうか?
……謎だ。
「そんなことより、先に心配することあるんじゃね?」
「へ? ……リミー!」
そうだ、肝心なことを失念していた。なんかよくわからん力で無事だった達志と違い、リミはまともに爆発を受けているではないか。
見ると、そこにはリミが倒れていた。黒焦げになって。
「あれ、思ったよりグロくない!」
「どうやら、リミたんから漏れてた冷気がいい感じに壁になって、爆発の衝撃を抑えたらしいな」
駆け寄り、リミの状態を確認すると、思ったよりはひどくない。それでも黒焦げなのだから、威力の激しさを物語っている。
達志の疑問にヘラクレスが答えるが、その答えで、わかったようなわからないような。まだ魔法のことはよくわからない。
ちなみに、向こうにトサカゴリラも倒れている。リミより状態がひどい。火傷もしている。
「ま、放っとくけど……リミ、おーい。……気を失ってるだけか。それにしてもルーア、お前あれだけ魔法使うな言われてたのに……」
「許可が出たので。あの状態のリミを止めるには、とにかく大きな衝撃を与えるしかないと」
「……わからんでもないが、せめて事前に言ってもらいたかった」
ヘラクレスがいなければ、何もわからないまま全身火傷、ひどければ死んでいただろう。
緊急事態だったとはいえ、もう少し報告連絡相談のホウレンソウを大切にしてもらいたいと思う達志であった。




