個性的なクラス
「確かに、お前が教師だって聞いた時点で考えが及ばなかった俺も悪いよ。それは認めよう。けどさ、お前の方こそ何かしら言っておいてほしかったな」
部屋に、抗議の声が響き渡る。その抗議を上げている張本人は、今日からこの学校に登校、いや復学することになる、勇界 達志である。
そしてその抗議を真っ向から受けるのは、何を隠そうこの学校の教師である如月 由香だ。
「だ、だからごめんって。てっきり、もう話が伝わってると思ってたから。……それに、正直これはいきなり驚かせちゃった方がいいかもって私からは黙ってようと」
「伝わってねえし、お前らホントサプライズ好きな!」
達志の抗議の理由……それはズバリ、達志が通うことになる学校で由香が教師として働いていることを教えてもらえなかったことだ。
目覚めてからというもの、世界の変貌ぶりといい、自宅の改築ぶりといい、達志にとってはサプライズばかりだ。
二人が話し合っているこの場所は、先程の職員室ではない。公の場で一生徒が、しかも復学生が教師にこんな態度をとっていれば、それは問題だ。
なのでそれを考慮し、二人きりになれる、今は他に誰もいない生徒指導室にいるわけだ。
由香が教師になった驚きで、どこで働いているかまで気が回らなかったのは達志のミスだ。それに、あの時点では自分が復学することなど知るよしもない。
故にあの場でどこか聞かなくてもいいとも思ったのだ。
だが、教師側は違うだろう。いつ、誰が復学してくるのか、それを事前に知らされるはずだ。
伝わる伝わらない以前に、由香に内緒にするつもりがあったのだからどうしようもないが、やはり知りたかったというものだ。
なにせ……
「眠ってる間に幼なじみが社会人になってた上、自分のクラスの担任とか、これ結構な衝撃の部類だよ?」
「あ、担任じゃなくて副担任……」
「どっちでもいい!」
この数日で、すでに達志にとってこれ以上にないほどの衝撃が襲ってきている。多少耐性ができていたとはいえ、今回のことはそれをやすやすと飛び越えてきたのだ。
年食った幼なじみが自分の(副)担任教師とか、どんな世界になってしまったのか。
「世界ってか、俺が寝てたせいなんだけどさ……」
「とにかくたっくん、学校とプライベートじゃ、ちゃんと区別するように! 学校でいつもみたく『由香』呼びはダメだからね。公私はしっかりと」
「一番そういうのに鈍感そうな奴から一番それっぽいこと言われた!」
公私の区別など、まさか由香の口から語られるとは思わなかった。中学の頃、その人柄から生徒に親しまれていた『安藤先生』を、『あーちゃん』と呼んでいたあの由香がだ。
「……成長したなぁ」
「何が!? なんで泣いてる仕種!?」
指で目元を拭う動作を行いながら、達安心していた。教師になったと聞いて心配していたのだが、どうやらちゃんと社会人やっているようではないか。
「ま、公私の区別については了解。由香……先生」
「……っ」
由香が大まじめなことを言っているが、それに異論はない。学校では学校の、プライベートではプライベートの付き合い方をしなければいけまい。
そういうわけでは、早速実践してみることにしたのだが……慣れない呼び方というのも、存外難しい。
そして、その呼ばれ方をされた本人は、なぜか軽く身を奮わせて……
「……この呼ばれ方、いいかも」
若干頬を赤くして、新境地を開きつつあった。ちなみにその動作や呟きは、達志に気付かれてはいない。
「んで、そろそろ行かないでいいの?」
「! あ、ヤバい!」
どこかにトリップしそうになっていた由香は達志の指摘により帰ってくる。時計を見れば、それはそろそろホームルームの始まる時間だ。
この時代でもそういった行事が損なわれていないことに、達志は軽い感動を覚えていた。
「じゃ、えっと……途中で担任の先生と合流しつつ、クラスに向かうから! はぐれないように着いてきて! あと、自己紹介とかしてもらうから頑張ってねたっく……勇界君!」
急ぎ足に、軽く今後の方針が伝えられる。担任の教師と途中で合流、そのままクラスへと向かう。当然自己紹介があるようで、それに関しては達志もバッチリだ。
何回も練習したことだ。
それにしても、公私の区別と言っておきながら、達志を『たっくん』と呼びそうになってしまった由香のことが心配になる。やはり、ちゃんと社会人やれているのだろうか、と。
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「えぇっと、その……い、いさかい……た、たつ、しです……よ、よろしく、く……」
久しぶりに大人数を前にする緊張、しかもその大半が異世界人であるという事実に若干……いや極度の不安を覚えたせいか、思いっきりどもってしまう。
病院では確かに、これの倍なんかでは到底収まりきらない人数を目にしている。だが、ただ見るだけと、その人数を前に話をするのとでは意味合いが全く変わってくる。
何回も練習したはずの、自己紹介。それが、この場に立った瞬間、この人数を前にした瞬間、頭が真っ白になってしまった。
それとは別に、達志の頭が別方向にフル回転する。こんな展開、例えばラノベ主人公だったらこういう時、異常なまでのコミュニケーションスキルを発揮して、周りと馴染んでいくのに。
何故自分にはそれがないのか、と。
それが単純に十年も眠っていたツケなのか、それともここは異世界っぽい現実だからか。はたまた達志が主人公属性なんておこがましいのか、どれが正解なのかはもはや関係のないことであった。
そしてこんなことでも考えないと、場の雰囲気に押し潰されそうな自分が信じられなかった。小声で、こう呟くことでしかも。
「俺ってばなっさけねぇ……」
……由香と生徒指導室を出た達志は、道中で担任の教師と合流。最初会った時の印象は、でかい、だった。
達志の中でのでかい奴は、幼なじみである猛が一番身近であると同時に最高だったのだが、それは覆された。
とにかく、でかい。女性にしては、という意味ではないのだ。でかいのだ。達志どころか、百九十手前の猛よりも。見上げるほどに。
凛と鋭く細い瞳には、睨まれただけて平伏してしまいそうな迫力がある。左目側にモノクルをかけている理由はわからないが、そこに突っ込む勇気は達志にはない。
丁寧に切り揃えられた紫色の髪は清潔感溢れ、さすがは教師といったところか。
だが、その迫力ある瞳も、見惚れるほどの髪も、たいした問題で。彼女に対して、達志が最初に抱いたでかい、という感想。それが、彼女を語るに一番の特徴でもある。なぜなら……
「私が貴様のクラスの担任教師の、ムヴェル・シンだ。よろしく」
凛とした瞳で、凛とした声で達志を見つめる女性、ムヴェル。名前から、彼女が異世界人だということはわかる。だが、それ以前に達志には彼女の正体がわかっていた。
人間の姿だ……上半身は。
下半身はというと、人間のそれではない。四足歩行の生き物……馬の足を持った、いわゆるケンタウロスだ。故に、でかい。三メートルはあるのではと、そう思わせるほどに。
「……ど、どうも……」
……担任教師と合流後、教室へと案内された達志は現在、こうして教卓の前に立ち、自己紹介をしているところだ。
達志にとってこれ以上にないまでの緊張感が、せっかく考えてきた自己紹介文を台なしにしていた。
「と、いうわけだ。まあいろいろあるが、その辺は貴様ら適当にやれ。っと、席は……」
「タツシ様ー!」
一通り達志の自己紹介が終わったと判断したムヴェルは、達志をどの席へ座らせるかと視線を巡らせる。
そこへ、はい、と手を挙げたのは窓際最後尾に座っている少女……リミだ。達志に向けてぶんぶんと手を振っている。どうやら、彼女と同じクラスらしい。
リミの座るそこは、窓側且つ最後尾という、ポジション的にはベストな場所だ。そこが埋まっており、そこに座れないことが少なからずショックであった。
だがそれ以上に、リミの反応がどうしようもなくむず痒い。この環境下、ただでさえ緊張でどうにかなりそうだというのに、達志に呼びかける姿に恥ずかしくて死んでしまいそうだ
「なんだ、ヴァタクシアと知り合いだったのか。よし……イサカイは、廊下側の最前列な」
「「何で!?」」
リミの発言を受けてのムヴェルのまさかの発言に、達志とリミの声が見事にハモる。この流れは「なら、知り合い同士世話を頼む」みたいなノリでリミの隣になるパターンだと思っていたからだ。
それは達志だけでなくリミも然り。
そのつもりでいたのか、リミはこの世の終わりみたいな顔をしている。困惑する達志だが、それはリミの顔に対してが半分を占めている。
がっかりするにしても、席が隣じゃないだけで?
「先生! タツ……イサカイ君はいろいろとその、この環境に混乱してるはずです! ですからここは、知り合いである私が!」
だがここで引き下がるリミではない。挙手し、立ち上がる勢いで物申そうと口を開くが……
「いや、冗談のつもりだったんだが……まさかそこまで本気にするとは。普段真面目なお前がこの反応。……イサカイ、お前面白いな」
リミの抗議が成される前に、ムヴェルからは冗談だという言葉が告げられる。そして何故だか達志に矛先が向けられた。
リミはというと、それが冗談であった安堵感も束の間、取り乱してしまったことへの羞恥心から顔を赤くしてわたわたと手を振り回して慌てている。
静かに座るその姿が、なんとも面白い。
「というわけで、イサカイはヴァタクシアの隣な」
結果、リミの隣……最後尾の、窓側から一つ横の席へとなった。
「先生、リミの隣なのは全然いいんですけど、何であんな中途半端な席空けてるんですか」
これだと見映えが悪いし、空けるなら端っこの席ではないか、と思ったのだが。
「席替えがめんどくさくてな」
ささやかな疑問は、しかしバッサリと切り捨てられた。
ともあれ、空いている席へと向かう。最中に視線を四方八方から浴びながらも、席に到着。隣ではリミが、花の咲いたような笑顔を浮かべており、ウサ耳をピコピコ動かしている。
「タツシ様と隣……よろしくお願いします、タツシ様!」
「あぁ、よろしく」
一々オーバーなリアクションだな、この子は。嬉しそうなリミを見て、自然とこちらも頬が緩む。だが、それに気を取られてもいられない。
リミはおそらく、学校では人気があるのだ。そんなリミと親しげに話している達志を周りがどう見るか……
「おう、イサカイっつったか。オイラはヘラクレスってんだ。隣同士仲良くしようぜ」
これからのことを考えている達志の思考に割り込むように、リミの逆側の隣の席から、声をかけられる。
その声はまるで、ドラマで聞く、ボイスチェンジャーを使った犯人の声のように甲高かったが、どこか親しみを感じさせる声色だ。
名前が、ヘラクレス。そのめちゃくちゃ強そうな名前に、どんな人物が声をかけてきたのかと達志のテンションも上がる。
ウサギ獣人のリミに、ケンタウロスの教師、一体次は何が飛び出してくるか。隣同士になった縁、こちらも親しみを込めて挨拶せねばなるまい。リラックス、リラックス……
「あぁ、勇界 達志だ。こちらこそよろし……」
心の中で深呼吸をしながら、ゆっくりと振り向く。なるべく自然に、不自然がないように……そして、動きが止まった。
……振り向いた先にいたのは、スライムだった。
「……く……」
消えかけてしまった言葉を、なんとか最後まで繋ぎ直す。それほどまでに、衝撃的な展開が待ち受けていたから。
「タツって呼んでいい? オイラのことも好きに呼んでいいぜ。ヘラやライムって呼ばれることが多いんだけどよ。あ、ライムってのは、スライムから取ってるみたいだぜ。名前と全然かすってねえし、ウケるよな」
気さくに話しかけてくるのは、紛れもなくスライム。ケラケラと笑っている。
ソフトクリームのクリーム状のような、てっぺんがちょこんと跳ねた形状をしており、水色の半透明な体に、真ん丸かつ漆黒のつぶらな瞳。
それはまさしく、ゲームでよく目にするスライムそのものだ。
初対面で馴れ馴れしく話しかけてくるスライム。それは達志に緊張感を与えないためにあえてこういう話し方なのか。いや、即座に否定。
おそらくこれこそが、このスライム本来の話し方なのだ。馴れ馴れしくも、どこか親しみを感じさせる。
それにしても、よく喋るスライムである。逆にこっちが戸惑いそうだと、達志は意思をしっかり持つ。
「じゃあ……ヘラで。よろしく……」
ヘラクレス、と言うからどんないかつい人物が出てくるかと思いきや、見た目雑魚キャラが出てきてしまった、と失礼なことを考えてしまう。しかしそんなこと、口が裂けても言えない。
呼び方はひとまず、名前から文字ることにしよう。
「おう、タツ。しく~」
あくまで馴れ馴れしいスライム、改めてヘラは、達志をタツと呼ぶことにしたらしい。それは全然構わない。
そして今のはおそらく、よろしくのよろ『しく』を取った言葉なのだろう。斬新な挨拶だ。
リミという見知った人間がいたことに安心していたが、まさかこんなキャラがいるとは……リミに対する安心感とはまた違う感情が沸いて来る。
そして達志は、伸ばされた手に応じて、何も考えずにヘラと固い握手を交わす。
……そう……『伸ばされた手』に。
「……ん?」
そこでようやく、違和感に気づく。この手は……何だろう。目の前から伸びてきたのだから、これはヘラのものである可能性が高い。しかも水色だし。
だがスライムには手足がなく、言ってみれば風船のような形をしている。そんな相手から手が伸びてきた事実に、握手を交わしてから気づいた。
あまりに自然な動きだったので、こちらも自然と握手に対応ししまったが。
そして、今自分が握手を交わしているそれを確認する。それは、紛れもなく手だった。
手は、ヘラの体から生えるようにして出現しており、体と同色。見た目も感触も人間の手とさほど変わらず、それが達志が気づくのに遅れた要因の一つでもあった。
つまり、今のヘラは、スライムの体に片腕が生えた状態、という非常にアンバランスな形態になっていた。その状態のヘラと握手を交わしているという、なんとも斬新な絵面。
……達志の学校生活が、幕を開ける。